#これこそがもっとも完全な祈り04
生まれた時からあまねく視線に晒されて生きてきた。
別にわたしは何も悪いことはしていない。
だから誰に何を言われても大丈夫。
何度も誘拐されかけたし、何度も変態に出くわした。
それが今回はとびきり過激でとびきり厄介な相手だっただけ。
――言い聞かせるも「お前のせいで」という視線はわたしに重くのしかかる。
「すりゃいいじゃん、結婚。皇国五家筆頭なら民間人を守るのが最優先じゃん。民間人犠牲にしてんの分かんない?」
クレイドルの格納庫で、同期のライアン・カレルがあっけらかんと言い放つ。
その横でぎゅっと眉間に皴を寄せるのは同じく皇国五家出身のシオン・トゥローズルだ。
ぴっちりとした七三分けの見た目通り、四角四面な彼は
「ライアン、エステルの人権問題に関わることを易々と口にするな。それに皇国五家筆頭だからこそ下手に動いてもらっては困る。人質に取られて神国連盟に皇国との折衝に有利になられてもいけない。これは微妙な政治バランスの上で成り立っている《脅迫》であり《戦争》だ。アトゥル導師の意図も読めない以上、簡単に屈するわけにいかないし一人の肩に責任を押し付けて軍属として恥ずかしくないのか」
一息に言ってのけた。
「……だから気にするな、エステル。お前のせいでは有り得ない」
「ありがと、シオン。まあね、ライアンの言うことも正しいよ。実際のところ」
「お前の父ちゃんと兄ちゃんはなんて言ってんの? 外務省ド真ん中だろ」
「まだ話せてない。話そうとは言われてるけど、二人も忙しくて合う時間がないんだよね」
「李隊長も全然見かけないし、出撃命令も一切なしで厳戒待機のまま。お上はそーとーバタついてる感じかねぇ」
ドリンクボトルを手持ち無沙汰にジャグリングしながらライアンが溜息をつく。
「仮に、仮にさぁ。しろって言われたらすんの? 結婚」
「さあ? するんじゃない? 知らないけど。断る理由全部潰してくるよ、兄さんは。父さんは自由にしなさいって言いそうだけど、兄さんクレイドル大っ嫌いだからわたしのことも多分嫌いなんだよね。これ幸いと追い出しそう」
「兄妹仲、悪いのか。意外だな。てっきりブラコンだと思っていた」
訥々とシオンに言われてエステルはぎょっとする。
「えっ嘘。なんで!? そんなに兄さん好きそうにしてないでしょ!?」
「はぁ~? 事あるごとに『兄さんなら』『兄さんは』『兄さんが』って自分と兄貴比較してりゃ、重度のブラコンと思うぜ。普通」
「そんなに言ってた?」
「言ってた。あとレジェンズとも比較しまくってた。お前、俺ら以外友だちいないの、超ブラコンでファザコンでレジェンズ大好きオタクだと思われてるからだから。変なやつって思われてるってもうちょい自覚したほうがいいよ正味な話」
レジェンズ。
主に李飛龍、ヴィルヘルム・フォン・ヴァルトシュタイン、ジェイムズ・セシル・グレンヴィル、ペドロ・シルヴァ、ディートリヒ・ジルバーナーゲルの五英雄を指して呼ばれる俗語。
そこに東アジアの悪鬼ことアーサー・アル・スレイマン、〈マギエル〉アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキーを加えて七英傑とも言われる、いずれもエステルに縁深い人々だ。
「レジェンズはね、自覚あったんだけど……。卒業試験で絶ッ対超えてやるって思ってたし」
「お前の実力は十二分だ。なぜそこまでこだわる」
「母様を――〈マギエル〉を超えて、クレイドルに復讐したくて」
ばかだよね。
自嘲するようにエステルは結んだ髪を解いて俯いた。
その表情は悔いているというより、やはりというべきかギラついている。
「いつか年取ってクレイドルに乗れなくなる日に、AIにこんな優秀な人材を喪うんだぞ! って後悔させてやりたい。母様を見捨てたクレイドルに」
「…………」
「そのためにわたしは〈マギエル〉にならなきゃいけないんだ」
左右からライアンとシオンの手が伸びてきて髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。
「えっなに、ぐちゃぐちゃですけど!」
「うるせー射撃訓練いくぞ」
「なんなの!!」
「強くなりたいと俺たちも思ったという話だ」
――いつか必ず。遠くない内に。
クレイドルはパイロットを裏切る。例外はない。
なぜなのか。なぜ、AIはパイロットを選ぶのか。
「……」
答えの出ない問いにシオンは黙って自機を見上げ――射撃場に向かった。
☆
皇家と皇国五家の会談は紛糾することなく、粛々と進んだ。
議題はもちろん神国連盟の扱いと——神国連盟に与したときに起こり得る政治的・経済的問題について。
実質的な皇帝である第一皇子フィアラ・ディ・スフォルツァがに着くとたちまち末席の鄭瞬燐が口火を切った。
「フィアラ殿下、パクスロマーナ始めとする衛星都市を撃ち落とすというのが脅迫ではなく本気と分かった今一刻の猶予もございません」
「――エジェ派はどうする。グレンヴィル」
「今は神国連盟を優先するしかないかと」
「なるほど硬派なお前らしい。……トゥローズル?」
「エジェ派とは一定の信頼関係を築けている。神国連盟に与するしかない我らの事情は察してくれるはず。問題は蜂の巣とBBB」
「神国連盟とかの二派は裏で繋がっているという噂もある。皇国が神国連盟寄りになることで勢いづくのは避けたい」
「皇国五家は総意としてエステル・フォン・ヴァルトシュタインと神国連盟導師の婚約を推挙いたします」
「涙ぐましいな、ヴァルトシュタイン」
「致し方ありますまい。あれも軍属。そして皇国五家筆頭に連なる者。己の責務は果たすよう育てたつもりです」
ヴィルヘルムは感情のない平板な声で告げた。
外務大臣として、皇国五家筆頭の長として。
父としては失格かもしれないが、彼女が生きていてもきっと同じ道を選んだだろうと信じて。
誰より何より平和な世界を渇望した〈マギエル〉なら、選べる道がある内は本意じゃない道でも悩んで傷つきながらも選び取っただろう。
そして今日はエステルの婚約がヴィルヘルムの本命ではない。
国防はそれだけでは成り立たない。
「わかった。エステル・フォン・ヴァルトシュタインと神国連盟導師の婚約を許可する」
「殿下――こちらにもご裁可を」
「国防省の軍備増強と新たなクレイドル用AI開発について………これは」
タブレットに表示された資料をスクロールする指が止まる。
そこに表示されていたのはクレイドルパイロットの恒久化。
つまりAIに年齢で区切らせないという強い意志の下、開発されたAIのβ版開発データだった。
「諦めの悪いオッサンどもめ」
にやり、と口の端をあげてフィアラは嗤った。
「思う存分やれ。国庫を空にしてもいいぞ」
いつか必ず。そう遠くない内に。
クレイドルはパイロットを裏切る。例外はない。
――本当に?
裏切らせない、選ばせない。主はこちらだと刻み込んでやる。
そこにはレジェンズたちの怨嗟と意地が詰まっている。
☆
紺色の皇国儀礼服を身に纏ったエステルを見て、ユリウスはしばらく絶句した。
緊張でか少し蒼褪めた肌、蒼空の双眸、ぞっとするような運命の美貌。
年々自分が父に似てくるように、妹もまた母に生き写しになってくる。
「……なに、じろじろ見て。似合ってるでしょうが」
「ああ、馬子にも衣裳、馬子にも衣裳。一枚撮ってやろうか?」
「もー! ほんっとユーリやだ。人が気にしてることばっか言う。どうせ衣裳負けしてますよーだ」
「ちゃんと似合ってるって言ってるだろうが」
「ちゃんとは言ってない! 馬子にも衣裳ってばかにした!」
「めんどくせ……」
「ユーリのばかっ!」
「本当にお前たちは目を離すとすぐ騒、ぐ」
待合室に入ってきた父も妹を見て一瞬だけ言葉を切った。
妹の髪を軽く撫でて訊く。
「髪はまだ結ってないのか」
「いっかなーと思って」
「儀礼服なんだし、両家顔合わせだぞ。ちゃんとしなさい」
「もー……父さんも兄さんも細かい~」
「エステル」
「わかってる。ちゃんとします。わたしに皇国の存亡がかかってるんだから、ここでくらいだらけさせてよね。男ってほんとデリカシーないわ~」
毒づきながら渋々支度室に戻るエステルを苦笑で見送って、その姿が見えなくなると父は思いっきりユリウスの頭をはたいた。
「いっ」
「分かってて、指摘しなかったろう。ペナルティだ」
「似すぎてますかね、やっぱり」
「マスコミが大はしゃぎする程度には似ている。あくまで婚約するのは〈マギエル〉の娘じゃない。ヴァルトシュタイン家の娘だ。ちゃんと情報統制しろよ」
「あれ生で見ちゃうと統制なんてできないと思いますけどね、父さんが一瞬言葉に詰まるぐらいだし」
「――初めて会ったのが、丁度あの年頃だった。娘とはいえ久々に見ると感慨深いものがある」
まあそれを生贄にするんだがな、とヴィルヘルムは独り言ちた。
父の苦悩を受け止めた上で、外務大臣としての判断をユリウスは支持する。
レジェンズ無き今、戦略を持たずして神国連盟と刃を交わすのは危うすぎる。
「母様も同じようにしたと思います。エステル一人で神国連盟を止められるなら。そして奪い返す算段を必死でつけたと思います」
「わかってるさ」
ヴィルヘルムはごっそりと表情の抜け落ちた顔で、ユリウスにタブレットを突きつけた。
「クレイドルパイロット恒久化計画……乗る気ですか、また」
「俺が乗るとは言っていない。ただみすみす優秀なパイロットを年齢制限である日突然失ってたまるか。乗れなくなる年齢も条件もバラバラ。これ以上AIごときに振り回されていられない。この計画が立ち上がるのも遅すぎたぐらいだ」
「僕は反対です」
「なぜ」
「そんな計画があると知ったら、エステルは最期の一秒まで乗り続ける。僕はあれにさっさと降りてほしい」
「それとこれとは別の話だ。国防を思えば大事な一手。切り分けろ、ユリウス」
言いながらヴィルヘルムは人の悪い顔をする。
「シスコンが本人に何ひとつ伝わらないところ含め、お前は本当に俺に似たな」
「やめてくださいよ、父さんよりももう少し冷静なつもりです。現にどこぞの馬の骨との婚約だって邪魔してない」
「だがアトゥル導師について経歴は洗っただろう?」
「外務省としての業務です。ただのガキです。カリスマもあるんだかないんだか」
「担ぎ上げられた神輿ってことか。BBBや蜂の巣との関連は」
「いえ。なぜエステルを知り、狙ったのかも判然としない」
「もう少し探れ。それから、外務省が近々軍部と再編成されて国防省になる。長官にはフィアラ殿下自らが、副長官に李飛龍が立つ」
「……攻撃特化の再編成ですね。そのつもりで探ります」
「あんまり深く潜りすぎるなよ。蛇の道は蛇、どこから何が出てくるか分からん」
髪を結った妹が支度室から出てきて「これでいいでしょ?」とくるくる回る。
父は僅かに表情を和らげて「上等だ」と胸に飛び込んでくる妹を受け止めた。
その眼差しの色の複雑さ――溢れんばかりの慈愛、果てしない寂寥感、僅かな畏怖、どす黒い野心――を見ないふりをして、ユリウスはタブレットを手近なデスクに伏せた。
父もまた、否、彼が一番、今も母の呪縛の中を彷徨いながら生きている。
☆
アトゥルとエステルの婚約式は皇国側に困惑を呼んだ。
皇国側が警戒していた神国連盟の武装も最低限、護衛と言えるものであったし、アトゥル自身、衛星都市を二つも墜とさせたとは思えないほど和やかな好青年であった。
婚約を盾にどんな外交条件を言い出すものやらと噂されていたが、拍子抜けした、というのが皇国側の素直な感想であった。
しかしそれにしても目的が見えない空恐ろしさがある。
「少しお二人で庭園の散策などいかがでしょうか」
神国連盟の老僧が言って、アトゥルが恭しくエステルをエスコートする。
10歳で担がれたというからどんな山猿かと思えば、紳士教育は一通り受けているらしい。
「二人っきりは怖い? エステル」
出し抜けに訊かれてエステルは首を捻る。
「思ったよりは怖くなかったです。でもあなたのことがもっと分からなくなった」
「ボクが無理難題ふっかけると思ってた? 皇国五家の中に入れろとか」
「分かりませんが、わたしを踏み台に何か欲しいものがあるのでは、とは警戒しています」
「あっははは。素直。ずいぶん愛されて育ったんだね。多少探りを入れてもボクの気を損ねないと思ってる」
庭園に咲く沈丁花の甘い香りのように、うっとりとアトゥルは言う。
掴みどころのない不思議な男だとエステルは思った。
「今わたしを手放したり、殺したりするメリットがあなたにない」
「きみは政治向きじゃないなぁ。表しか見えてない。お兄さんに任せて正解だね」
「……じゃあ殺したいんですか?」
「いや? そうだなぁ」
アトゥルが無理やりエステルの髪を解いた。
ピンやゴムが外れる痛みに眉を寄せる。
ぶわり、と風が吹いて儀礼服の裾とエステルの髪が大きくなびく。
ぎらぎらと、爛々と、アトゥルがエステルを見つめている。
「ボクのこと嫌いなままで結婚してほしい。触れられたくないなら、もう指一本触れない」
「何でそこまでしてわたしなの」
「娘だから。ボクが愛する〈マギエル〉の」
「…………!!」
「そう、その目! そっくりだね! その穢いモノ見る眼でボクのことずーっと傍で嫌っててほしいだけ」
あ、これはダウトだ。
エステルはなぜか他人の本音に聡かった。
幼少期から大人に囲まれて育ったからかもしれないが、「表」の言葉に浮かんでくる相手の本音が見えるのだ。
穢いものを見る目で見てほしいなんて願望は「表」じゃない。
神格化された向こう岸で無力な少年が愛されたいと泣いているのが見える。
ひとりぼっちの神様。
背伸びを強いられて爪先が血みどろの寂しい神様。
「――あなた、どれだけ寂しかったの。かわいそうに」
瞬間。きょとんとした顔で、しかしながらアトゥルの右手は強かにエステルの頬を殴っていた。
勢いよく低木に突っ伏したエステルに、遠巻きに見守っていた面々が騒めく。
「来ないで! 大丈夫。この人に敵意はないわ。わたしが少し口がすぎたの」
「しかし」
「大丈夫だから!」
「ボクが言うのもなんだけど、大丈夫なわけある? 殴られたんだよ、わりと本気で。口から血出てるよ」
「こちとら軍事訓練受けてるのよ、多少の生傷は慣れてる」
「……ボクってば寂しいの?」
「そう見えたから」
「〈マギエル〉に嫌われたいだけなんだけど、なんていうか……きみ気色悪いね。聖母面?」
「残念。母様はもっと聖母みたいな人だったの。命を賭してわたしたちを」
「知ってる。クレイドルに乗れなくても生身で身を挺して兄妹を救った――確かに聖母みたいだな。まぁ、好きなのはそこじゃないんだけどさ」
「なんで知ってるの」
「皇国では有名な話だろ。アンダーグラウンドでは映像もごまんと売買されてる」
好事家たちの玩具にされていると知って、スッと双眸を眇める。
あれだけは父にも誰にも理解できない。
母と兄と自分にしか理解できない絶望の数分間。
あえて怒りを煽られていると分かっていても、エステルは総毛だつのを抑えきれなかった。
「そうそう、その目だけしてて。同情も聖母面もいらない――ボクをそっと蹂躙してくれ」
アトゥルの舌が抉るようにエステルの口の端の傷を舐る。
エステルは遠慮なくその舌を噛んだ。
「っふふ、最高だ、ボクの星。きみがいれば寂しくなんかない。そうだろう?」
そうして婚約はつつがなく成った。