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#これこそがもっとも完全な祈り01

 皇国軍の宇宙要塞都市ダーウィンの轟沈を機として、皇国第一皇女アウローラ・ディ・スフォルツァと東アジア(チョンジエン)藩国連盟代表エジェ・アル・スレイマン、連合(ユニオン)総統府ライアン・ジョーンズの連名で第四次世界大戦の停戦が成立。

 人々は平和と復興の道へと歩み出した。西暦2276年のことだった。


 それから数年は小競り合いもあったが平和だった、と元クレイドルのエースパイロットで外務大臣ヴィルヘルム・フォン・ヴァルトシュタインは述懐する。

 忙しくはあったが、チョンジエンとも連合とも前向きな議論が、言葉が通じている実感があったのだと僅かに苦さを滲ませた。

「私自身、子どもにも恵まれ……思えばしあわせな時代だったと感じます」

 懐かしむように窓の外を見た。

 かねてより親交の深かったアウローラ皇女とエジェ代表は「親友外交」と揶揄されるほど密に両国を行き来し信頼関係を築いた。

 ヴァルトシュタイン夫人――かつて〈マギエル〉、大戦の魔女と崇められた(ひと)とも、皇女や代表を始めとし錚々たる人物が交友関係にあり、いつも誰かしらがヴァルトシュタイン家に出入りし話に花を咲かせたという。

 また、彼らのほとんどが一人息子ユリウス・フォン・ヴァルトシュタインの家庭教師だったため、子どもらも含めた大所帯の付き合いだったと小さく微笑んだ。


 歪みはチョンジエンから起こった。

 元々、藩国連盟として一枚岩ではなかったチョンジエンだったが、停戦をめぐる各国のパワーバランス・エネルギー資源争い・復興支援・そも大戦の責任所在についてエジェ・アル・スレイマン代表の在り方に内部から亀裂が走った。

 藩国王(スルタン)の一人、導師(グル)アトゥル・クシャトリヤ率いるクシャトリヤ派が独立を唱え自分たちこそが正当なるチョンジエン――神国連盟であると主張した。

 これについては細かな記述がない。

 ヴァルトシュタイン卿曰く――皇国も連合も沈黙するしかなかった。内政干渉して刺激できるほどの平和ではなかったし、エジェの手腕で藩国連盟の地盤がどこまで固められるのか皇国と連合は見定める必要があったという。

 つまりまだチョンジエンという国の輪郭線があまりにぼやけていたと言える。

 そうこうする内に歪みは皇国にも拡大した。

 蜂の巣(ラ・リュッシュ)と名乗る過激テログループが勃興してきたのである。

 彼らの望みは皇国民以外すべての人種の淘汰。

 チョンジエン、連合関係なく彼らはテロ活動を繰り返し、“浄化された世界“を目指した。

 それに対抗するようにBBB(Blood Break Brothers)を中心とした連合のテログループがいくつか結成されては内部分裂を繰り返し、そのグループ数は天文学的数字に膨れ上がっていった。

「第五次世界大戦だけは避けなければならない、それが三国の統一見解でした。薄氷を履むが如し――摩耗する日々でした」

 神国連盟、蜂の巣(ラ・リュッシュ)、BBB……世界のどこかで常に大規模テロが起きている。

 人々の不安は当然、皇国内にも批判やデモの形で牙を剥いた。

 エジェと内縁関係にあった皇国の重鎮、五家筆頭ジェイムズ・セシル・グレンヴィルの不正疑惑。

 それが事実か偽証かなど意味はない。

 世論を治めるためグレンヴィル家は政治の表舞台から手を引き、皇国五家筆頭の座もヴァルトシュタイン家へと譲り――実質、政治的権力の一切を手放すこととなった。

 さらにエジェとの「親友外交」及び、エジェの義弟アーサー・アル・スレイマンとの交際が報じられたアウローラ皇女の支持率が急速に低下。

 腹違いの第一皇子フィアラ・ディ・スフォルツァを旗頭とする皇子派が皇国での発言権を増していく。

 ここでエジェは完全に国際的な後ろ盾を失い、クシャトリヤ派――神国連盟が一気に風を吹かし世界の形がほとんど変わってきたという。

「クレイドルは主を選ぶ。我々……エースパイロットや神童と呼ばれた人間も二十代に入り、もうクレイドルには乗れなかった。だからこそ逆説的にギリギリ大戦にはなっていなかったんだと思います。三国ともに決定的な一打がなかった――――あの日までは」


  ☆


 あの日。

 〈マギエル〉アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキー、或いはヴァルトシュタイン夫人が死んだ日のことは、誰に訊いても細部がズレる。

 記録と記憶が一致しないのだ。

 それだけ関係者に大きな衝撃を与えたテロ事件だった。


 西暦2286年8月22日。雲一つない晴天。

 宙域都市を主とする皇国は全天候が調整されていると言っても、夏は暑い。

 うだるような陽炎立ち昇る日だった。

 少し小高い丘の上に構えた白亜の豪邸――ヴァルトシュタイン家の庭に白昼堂々、迷彩のクレイドルが数台乗りつけたのは、午後2時を回るころと生き残ったメイドが証言している。

「エステルお嬢様のお昼寝の時間でしたから、絶対に間違いございません」

 証言を裏付けるように、外務省に詰めていたペドロ・シルヴァ外務副大臣にヴァルトシュタイン家襲撃を知らせる第一報が入ったのは午後2時5分だった。

 特別飛行隊ロンギヌスから李飛龍(リ・フェイロン)隊長勅命で直ちに救援隊が出され、救援隊及び外務省から派遣されたディートリヒ・ジルバーナーゲル一等書記官が現着したのが午後2時52分。

 交戦するかと思えば呆気なく敵は退いたという。

 ちなみに、このときにはまだ息があった。

 屋敷の奥深く、厳重にロックされた白い闇のようなシェルターの中にはクレイドルが二機。

 《ルサールカ》と《エーデル》。

 その二機に子どもたちを乗せ、泣き叫ぶ我が子に「閉じろ」と唱え続けろとアイリスは命じたと言う。

 本人はシェルターの扉を抱き締めて守るように、腰から下が消失した状態で倒れていた。

 大戦の魔女(マギエル)といえど――もう、クレイドルには乗れなかった。

 外務大臣で屋敷の主、ヴィルヘルム・フォン・ヴァルトシュタインが現着したのは午後3時6分――戦争回避のための会議中で、これでも最速だったが――本人曰く遅すぎる現着だった。

 もう手の施しようのない状態で、病院には運ばれなかった。

 子どもたちは無傷だったが念のため病院に運ばれた。

「アイリス、すまない。遅くなった」

「――あの子たちのために戦って。それが遺していくあなたへの(のろい)だよ」

「わかった」

「あいしてるよ」

 喋れることが奇跡の数秒間、最愛の人の腕の中で、すうっと微笑んで眠るように逝った。

 魔女アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキーの予想だにしない最期だった。

 ロンギヌス隊長 李飛龍中将とディートリヒ・ジルバーナーゲル外務省一等書記官が即日付けで辞表を提出したが、それぞれヴィルヘルムによって棄却申請がなされている。


  ☆


 病院には、関係者――あわよくば子どもたち本人から一言でもコメントを取ろうとマスコミ各社が詰めかけた。そして『関係者』から長男ユリウス・フォン・ヴァルトシュタインの肉声がリークされる。

「かあさまは《ルサールカ》にのろうとしたけど、《ルカ》はいやだって。

 のれなかったの。

 ぼくを《エーデル》にのせて、「とじて」ってめいれいしなさいってゆったの。

 おんなじことを、エステルを《ルサールカ》にのせてゆった。

 エステルはないてたけど、かあさまがものすごくおこってむりやりゆわせてた。

 あんなにおこったかあさまみたことなかった。

 「とじて」っていったら《エーデル》も《ルサールカ》もとじてくれたの。

 かあさま「さすがうちのこ、てんさい!」ってほめてくれたんだよ。

 ――ねえ、なんでおとなはクレイドルにのれないの?」

 クレイドルは主を選ぶ。その適正年齢は十代から長くて二十代後半まで。

 5歳のユリウスと3歳のエステルが起動できたのは、クレイドルAIのなけなしの愛情なのかもしれない。

 ユリウスの肉声は皇国中を飛び越え世界の隅々までニュースとして流れた。

「クレイドルを用いて非武装の女性と幼子を襲った卑劣なテロ」

「クレイドルパイロットなら当然の報いだろ。同じことしてきたんだから」

「成れの果てで笑う」

「子どもを必死に守った勇敢な女性」

「殺人兵器に幼児を乗せるなんて毒親」

「父親なにしてたの?」

「これBBB? 神国連盟? 首都で易々とテロられんの開戦一択じゃん」

「〈マギエル〉でも死ぬんだね……。前大戦を知ってるから怖い」

「自分の子どもを守れるか心配。〈マギエル〉ですら命がけなのに。泣きそう」

「お偉いさんちでもセキュリティがばがばでダメだこの国。蜂の巣(ラ・リュッシュ)行こうかな」

 世論は好き勝手に喚いた。

 蛆のように言葉が沸いては流れて消えていった、と李飛龍は現在でも唾棄するように述懐する。

 《――ねえ、なんでおとなはクレイドルにのれないの?》

 純粋な問いは「守れなかった大人たち」を永遠に近い禅問答に叩き落とした。

 なぜクレイドルは主を選ぶのか。

 なぜマギエルを、あの人を守れなかったのか。

 開戦を避ける術はあるのか。

 避けられない場合、鉾の納め処はどこなのか。

 なぜ。なぜ。なぜ。どうしたらいい?

 〈マギエル〉はもういない。

 世界の在り様も変わってしまった。


  ☆


「うっす、少し寝たら。外務大臣さん」

 いつの間にかペドロが真横に立っていた。モニタに集中しすぎていたようだ。

 目頭をほぐしながらヴィルヘルムは差し入れのエナジードリンクを受け取った。

 甘ったるくスパイシーな味わいが喉を塊で落ちていく。

「っぷあ…………今何時だ?」

「夜中の三時」

「あと三時間で地球側のレスが来るだろう。それを待って寝るさ」

「そしたらこっちの会議が始まるまで二時間ないだろ! やっとくから寝ろよ」

「寝れないんだ」

「あ?」

「寝れないんだよ、ちらついて」

 彼女が。子どもが。しあわせだったはずの日々が。

「俺がしくじった。エジェ派内乱の際に手を打ってれば、少なくとも皇国は無関係でいられたはずだし、アイリスが――〈マギエル〉がいるからってセキュリティが甘すぎた。本当に父親は何してたんだろうな。なんで間に合わなかった、なんで守れなかったのか」

 バシッと両の頬を叩くとヴィルヘルムは苦笑した。

「……なんて腐ってるわけにもいかないんでね。クレイドルに乗れないオッサンにはオッサンなりの戦い方があるんだって。ちゃんとユーリとエステルを守ってやれるんだってところを見せないと、死後離婚なんてことになりかねない。うちは泣き落としで結婚してもらったようなもんだから」

「無理すんなよ、オッサン。先の大戦時(あのころ)みたいに若くないんだし」

「うるせーなオッサン、暇ならさっさと手伝え。お前のツールボックスに色々転送した。調べてもらいたいことがある」

「あーそういうの大得意なねちっこい李飛龍(リ・フェイロン)ってオッサンがいるんだけど、そっちにも声かけていい?」

「ああ。ディートリヒってオッサンにも唾つけとけ」

「権力はく奪されて引きこもりしてるジェイムズおじさんはどうする?」

「――そこはまだいい。悪いが今はまだエジェ派を信頼できない」

「りょーかい」

 深夜の冷たく静謐な空気の中、

「なんで乗れないんだろうな、クレイドル」

 ヴィルヘルムから漏れた言葉は、ただの疑問で何の感情も籠っていなかった。

 ペドロも、この世界の誰も、その答えを持っていない。そういうものだからだ。

「奇跡だったって。お前のこと待てたの」

「ん? …………ああ、アイリスらしいよな」

「あいされてたじゃん、とびっきり」

 それがペドロなりの答えだった。ヴィルヘルムはもう何も言わなかった。

 ただ、執務室にタイピングの音だけが響いた。

 愛しい人の血で手が染まろうと生活は続いていくし、忙しないあしたは容赦なくまたやってくるのだ。


  ☆


 三国の綱渡りのような努力も虚しく、西暦2287年2月――第五次世界大戦開戦。

 クレイドルのエースを各国失い決定打に欠ける開戦は鉾の納め処を失ったまま、西暦2300年――13年目を迎えようとしていた。

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