#ハレルヤの狭間で揺蕩う僕たちは
「エステル!」
「ライアン!」
クレイドルを降りて、お互い汗みずくのまま抱き合って無事を確かめ合う。
「大活躍だったみたいね」
「いやーもう全然。俺が5機片づける間に隊長が一個師団壊滅させてて」
「うわぁ。大人げないというか何というか……」
「でもさすがに疲れたって、向こうでぐったりしたまま動かなくなった」
「あっは。はしゃぎすぎた子どもみたい!」
けたけたと笑うエステルに、ライアンが目を細める。
「あのさ」
「あ、雨」
突然すべてを洗い流すかのような雨が降り出し、格納庫の窓からエステルは外を覗く。
「不思議だよね」
「あん?」
「こうやって生きてるの。少しの判断違いで、わたしたちも雨になってたかも」
「いいことじゃねーか、おセンチになってんじゃねーよ」
「なーんかさ、〈マギエル〉になりたかったんだけど、今はなりたくないなって」
反応に困ったのかライアンが片眉を上げて、ポリポリとかく。
「神様になるには、わたし欲しいものが多すぎる。みんなとこうして笑ってたい。ライアンみたいな友だちがもっとほしい。ユーリともたまにはアイス食べてあげてもいいかな~と思うし、父さんともみんなとも昔みたいにもっと話したい。――好きな人に好きって言いたいし、あわよくば愛されたい」
「俗っぽい~。お前、ぜーんぜん神様向いてないよ」
「でしょ? 世間の人からしたらこんな〈マギエル〉幻滅モノだよね~」
「でも俺は好きだぜ、お前のこと」
「ありがと」
違くて。
ライアンがエステルの手をとって、そっとくちづけを落とす。
「……キスした?」
「した」
「えっと」
「そういう意味での好き。俺はお前が好き」
「ごめん、それは、想定外」
「これから想定内になるだろ」
「……好きな人がいるの。寂しがりでちょっと皮肉屋で、嘘はつかないけど本当のことも言わない。その人にもずっと好きな人がいて、全然望み薄なんだけど、好きなんだ」
「知ってる」
ライアンは驚くほど穏やかな顔で、「知ってたよ、ずっと」繰り返した。
「ずいぶん年上で、落ち着いてて、頭の回転も速くて、やるときゃやる人で、でもどっかで死に場所探してるような危うさもあって、顔もよくて金も持ってる、いかにもお前みたいな世話焼きミーハー女子が好きそうな」
「ちょっと! 言い方!」
「隊長のことだろ」
「……うん」
「知ってるよ、お前分かりやすいもん」
知ってたよずっと、とライアンはもう一度呟いた。
俺はお前を見てたから。
「そりゃ俺じゃダメだよな~、タイプ全然違うもんな~」
「ライアンは陽の者だからね。わたし結構陰の者だから。なんかごめんね」
「断り方がライト! もっと誠実に謝れよ!」
「汗臭いまま勝手にキスしたから嫌で~す。お互い様で~す」
「おー、そうだわ。シャワー浴びて艦橋行こうぜ。みんな待ってる」
一歩二歩と前を歩きだすライアンの背中に、
「ライアンありがとう」
「おー」
声をかける。
これからも友だちでいて、とは言わない。
それはライアンが決めることだから。
少しだけ寂しい気分をエステルは熱いシャワーで涙ひとつぶと一緒に流した。
☆
艦橋に戻ると、死屍累々といった体でそこかしこにぐったりと椅子に倒れ込んでいるレジェンズたちがいた。
「おぅ……無事で何より……オェ……」
「無理して喋らなくていいよ、ディートリヒ」
「自分で開発しておきながら、少し後悔してるよ……うっぷ……」
「アーサーまで! やっぱり年齢制限はまだ必要なのかもね」
「だな。隊長とお前の親父ピクリとも動かねぇもん」
「うるさい……ちょっと声のトーン落とせ……」
「ユーリもなの? ユーリはちょっと早すぎない?」
吐き気がするのか蚊の鳴くような声でユリウスが
「僕は軍属じゃない……」
呻いた。
「普段鍛えてないからってこと? よくあんなに戦えたね、えらいよユーリ」
「僕は……お兄ちゃんだからな……」
誇らしげなユリウスに、ははははは、とレジェンズの笑い声が艦橋に響き渡る。
雨はいつの間にか止んでいた。
雲の隙間から覗く光に、まだ曇り空の中、虹がかかる。
あ、とエステルは小さく吐息を漏らした。
「今、母様も笑った気がした……」
「案外間違ってないかもしれないぞ。アイリスは虹の女神の異名だから」
ジェイムズ・セシルが目を細めて言う。
「意外と見てるよ、あの人は。俺たちを」
「…………そうだといいけどね」
座り込んで、俯いたまま飛龍が言った。疲労だけじゃない、混ざるものがある声音で。でもダウトはないんだよなぁ、と思いつつ、エステルはその肩にそっと手をかける。
「今でも寂しいですか? わたしがいたら寂しくないですか?」
「ああー懐かしい……。疲れた骨身の隅々に沁みわたる……。キミ2歳のころのセリフよく復唱できるよねぇ」
「ちなみに上司としてでなく、人間として答えてくださいね」
「そりゃ寂しくないどころか毎日がお祭り騒ぎですよ」
「じゃあ結婚してあげます。皇国五家筆頭の姫なんで、ありがたく思ってくださいね」
苦笑いで飛龍がようやく顔を上げる。
「いや、あのねぇこれは言葉遊びで……」
「えっ? わたしの純情、今さら踏みにじれるんですか? 振っても振らなくても父さんとユーリに殴られる覚悟でどうぞ」
「ほんっと……」
言葉を探しあぐねたように、途方に暮れた顔で言葉を切る。
「ほんっとキミ……こんなおじさん相手にしてる場合じゃないでしょうよ」
「人生百年以上の時代ですから、あと半分以上一緒にいられますね。いえーい」
「もっと若い、同年代の……ほらそこにちょうどよくライアンとかいるでしょ」
「さっき振ってきちゃいました。生まれたときから好きな人がいるからって」
「うーん、愛が重い。そういうところはアイリスに似たね」
《もう決めたの――あたしはきみがいいんだよ、飛龍》
「…………ッ」
一瞬あの人が脳裏に囁いた幻聴かと思った。
そんなわけがない。
あの人は、俺に決して愛を囁かない。
しかしてエステルはあの人にそっくりな凛とした面差しで言い募る。
「母様の代わりでもいいよ、飛龍が寂しくなくなれば。好きだから」
「ほんっと……ほんっとバカだなぁ俺のお姫様は」
捨て身のいじらしさにややもすると泣きそうになりながら、ようやく小さな頭を抱きしめた。
ここまで言わせたらもう仕方ない。
こんなの逃げられない。覚悟を決めるしかない。
ずっと待ってた俺の運命はアイリスじゃない。
キミだ。キミだったんだよ。
「キミだからいいに決まってる」
「……よかった、ダウトじゃない」
「?」
「みんなのつく嘘がね、昔から何となく分かるの。父さんとユーリはダウトばっかり」
「俺の嘘も見抜かれてたってこと?」
「飛龍はわたしの前では少なくとも一回も嘘はついてないよ、誤魔化すことは多かったけど。だから好きになったの。正直者で寂しがり屋で、でも素直に寂しいって言えないきみの傍にいたかった、独りにしたくなかった」
2歳のおちびさんがそこまで考えていたとは思えないが、雛鳥の刷り込みは恐ろしい。
そして何の衒いもなく囁かれる睦言に、あの人とは別人と分かっているからこそ脳の処理が追い付かない。
「ちょっと待って……おじさん、情報処理能力遅くなってるから……」
「僕、父親より年上の義弟ができるの本気で嫌なんだけど」
「うるさいな。李家にお嫁に行くからユーリにはそんなに関係ないでしょ」
「ねえ待って待って、義弟とかお嫁とか気が早いから……心の準備させて……」
「俺より年上の義理の息子ねぇ……皇国五家同士、色々と、色々とよろしく頼む」
「だから! 一回落ち着かせてよ、ほんっとヴァルトシュタイン家は底意地が悪い!」
どっと、また場が笑いに包まれる。
ペドロとディートリヒの指笛がぴゅーいぴゅーいと囃し立てる。
《ね、「あした」はいつだってやってくるのよ、こうやって》
ふとアイリスの声がして皆が虹を見上げる。
天気雨がぱたぱたと落ちて、同時に涙がその場にいた皆の頬を濡らした。
「――エステル」
「はい」
「あしたもあさっても、ずっと一緒にいる?」
ぽろりと自然に零れ落ちたかのような精一杯の言葉に満面の笑みで誓う。
「はい、いつか死がふたりを分かつときまで」
「重い……。存外寂しがりはキミのほうなんじゃないの」
「でもそんなわたしのことも好きでしょう?」
ほんっとバカだなぁ。
自分で訊いておいて不安そうにしないの。
苦笑交じりの溜息とともに飛龍は囁いた。
「キミが思ってるよりずっとちゃんと愛してるよ」
皇国はまだまだ落ち着かない。
導師を失い崩壊しかかっている神国連盟とチョンジエンの先行きも不透明だ。
BBBに至っては各国まったく対処しきれていない。
連合との火種は燻ったままだ。
世界の「あした」はまだまだ明るくない。
それでも、信じるしかない。許しあえますように、平和が来ますようにと。
「おめでとう!」
拍手と喝采の祝福があなたにもありますようにと。
信じるしかない。
今、灯ったばかりの小さな愛が消えずに広がることを。
魔女と子と愛する人々との聖名のもとに。アーメン。