#それはきっと、たったひとりのほんとうの神さま03
アウローラはゆっくりと父皇の前に進み出た。
長患いで枯れ木のようになってしまった老人は、もはや長くはないだろう。
「お待たせしてしまい申し訳ございません、父上。わたくしが、立ちます。皇帝に。この皇国の巨大な樹形図の頂点に。世界に、宇宙にあまねく広がる皇国民を束ね、その安寧をお約束しましょう。もう白い闇の中で泣いていたわたくしはおりません。夢の中へ逃げ込んだわたくしはおりません。わたくしはアウローラ・ディ・スフォルツァ。輝き瞬く「あした」を約束する皇帝」
「――遠いぞ、道は」
しゃがれた声が言った。
「それでも。一歩を踏み出さなければ」
「――そうか」
もうなにも憂いはない、それが老人の末期の言葉だった。
アウローラは泣かなかった。
皇国民の全員の国母として強くあらねばならない。悼むために来たのではない。
老人の嵌めていた指輪を自分の中指に嵌め、ベッドサイドに置かれた冠と錫杖を取る。
「聞きなさい、皆の者! わたくしが新皇帝です。皇帝の名に於いて命じます」
立ち上がりダン、と錫杖を床に突き立てる。
慌てて跪拝の礼を取る臣下を見渡して、アウローラは宣言する。
「跪いている暇などない、ただ止めるのです!!――フォート・リバティを!!」
☆
「全皇国軍に通達します。わたくしアウローラ・ディ・スフォルツァは新皇帝として立ちました。フィアラ・ディ・スフォルツァは死にました。彼の出した命を無効とし、フォート・リバティからの全軍撤退を命じます。繰り返します。皇国軍は今すぐ全軍撤退なさい‼」
「殿下が亡くなられた!? まさか!」
フィアラ派がざわめく。空母の艦橋には艦長と――鄭瞬燐もいた。
「まさか……! 攻撃を続けろ!! あの女の嘘だ!!」
「鄭殿、しかし皇帝に弓引いたとなれば後々問題が大きくなりましょう」
「殿下はお約束くださった、ここで武功をあげればロンギヌスは鄭家のものだと、ほぼ空位の皇国五家第二卓に引き上げてやると! 殿下は死んでおられない、あの女の嘘だ!!」
「しかし嘘でなければ、我らは逆賊となります!」
「うるさい、うるさいうるさいうるさい、お前らは鄭家がいかに虐げられてきたか、皇国五家でありながら空気と扱われてきたことを知らないだろう!! 戦え、最後の一兵まで!!」
「我らの屍の上に己の栄光を築くというか、鄭瞬燐。もうよい、引き揚げさせろ。これ以上無駄に消耗させるわけにいくまい」
「貴様ァ――!! 戦えって言ってるだろうが!!!!」
艦長の胸倉を掴んで鄭瞬燐が殴りかかろうとする。
クレイドルの動力源をレジェンズの面々がいとも容易く切り裂いていくのがモニタに大写しになる。艦長はそれを見て薄く息を吐いた。
「パイロットの質が違いすぎる。我らの夢は終わったのが分からんか、鄭瞬燐」
「いやだ、いやだいやだいやだ、もうこれ以上……ああああああああ!! どけ!!」
鄭瞬燐がキャットウォークを駆け抜け、第16世代機に身を躍らせて乗り込む。
「動け、動け、動け、動けよォォォ!!!!」
《発進シークエンスを開始しますか?》
「そうだ、動け、根絶やしだ、クレイドル全部根絶やしにしろォォォ!!!!」
《命令の意図はクレイドルへの攻撃でよろしいですか?》
「まず《ルサールカ》を墜とせ!! 星を墜として五家筆頭に上る!!」
《照準《ルサールカ》。発進後、オートパイロットモードで攻撃に入ります》
「あはは……あははははははははは……壊してやるヴァルトシュタイン。何が第四卓だ……李飛龍が第三卓? 許さん、許さんぞ……壊してやるよ、恵まれたお前らの何もかもを!!」
急発進と急旋回で強大なGがかかるが、発狂した鄭瞬燐にはもはや些末なことであった。胃液をコクピットにぶちまけながら、赤く充血した目で執拗に《ルサールカ》を探す。
「いた! いたいたいたいたぞ!!!! 《ルサールカ》ァ!!!!」
素粒子分解領域を瞬かせて背後から急接近する。
「エステル!」
遥か彼方から飛来した《エーデル》、
――憎きヴァルトシュタインの倅に阻まれる。
「ユーリ!? なんでクレイドルに」
「もう逃げない。逃げたくない。僕こそが〈マギエル〉だ」
「聞き捨てならないわね、わたしが〈マギエル〉よ」
鄭瞬燐にはそんな会話すら眩しかった。
〈マギエル〉――死して尚君臨する、すべてのクレイドルパイロットの神。
何も持っていない。私は何も持っていない。
皇国五家でありながら、何の才も神はお与えにならなかった。
ただ鬱屈と末席で息を殺す日々にはうんざりだ。
与えられたものだけが燦然と光り輝く世界なんてくそくらえ。
「照準《ルサールカ》、《エーデル》。兄妹そろって死ねェェェ!!!!」
《照準《ルサールカ》、《エーデル》。……リソース不足です、どちらを狙いますか?》
「どっちでもいいから殺せ!!」
《命令の意図を図りかねます。リソース不足です、どちらを狙いますか?》
「あああああ、うるさいうるさいうるさい《ルサールカ》だ! 早く墜とせ!!」
《照準《ルサールカ》。オートパイロットモード》
搭乗者の限界を考慮しないAIが計算した最短距離・最適解での無茶苦茶な軌道で攻撃を仕掛けられて、エステルは防戦一方になる。
「なんっなの!」
「口ほどにもないな、〈マギエル〉様」
「ユーリは黙ってて! 気が散る!!」
「三分稼げ! 僕に策がある」
二人が鄭瞬燐に苦戦している一方で、レジェンズたちは淡々と仕事をこなしていた。《ラルウァ》と《ルキ》――アーサーとジェイムズ・セシルが軽々と航空母艦を制圧し、
「よいしょっと」
飛龍の《タナトス》が駆ければ数個師団のクレイドルを戦闘不能にする。
「おらよ」ディートリヒが地対空ミサイルを撃ち落とし、
「お前ら並べ~順番にな~」
「ちゃんと整列させろ、ゆるいんだよお前は」
ペドロとヴィルヘルムが降伏した兵たちを各々の持ち場に戻すべく捌いていく。
手練れと呼ぶに相応しい手際に続々と原隊復帰し、あるべき姿に戻っていった。
それがまた鄭瞬燐の劣等感を刺激する。
「くそくそくそくそくそが、くそめが、死ね、全部死ね、みんな死ね」
なぜ神は、私に何もお与えにならなかったのか。
なぜ愛すら……。
いつも麗しかったレディ。
アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキー。
誰も瞳に映さない孤高の魔女だと思っていたのに。
しあわせそうに笑う彼女が許せなかった。
手酷く死んだと知っていい気味だった。
あああああ……なんで何もかもがこの手をすり抜けるんだ。
「早く《ルサールカ》を墜とせぇぇぇぇ」
「ぐっ…………!」
素粒子分解領域がかち合い、虹色の火花を散らしながら、お互いを融解しあう。
《新兵器の使用を許可しますか?》
「へっ? なに?」
突然のポップアップにエステルが聞き返す。
ひたすら何かをタイピングしていたユリウスがどこか誇らしげに言う。
「新しいコマンドを仕込んでやった。許可しろ」
《新兵器の使用を許可しますか?》
「〈マギエル〉――エステル・フォン・ヴァルトシュタインの名に於いて許可する!」
「だから〈マギエル〉は僕だって言ってるだろ……まあ、いいや」
《コフィンズの単独使用を許可。照準、交戦機》
「ちょ、ちょっとユーリやりすぎじゃない……?」
コフィンズ。
かつて大戦で使用され、七秒で月基地を跡形もなく消したとされる核兵器。
それを単独機で撃てるようにしてしまったら、戦火がどこまで広がるか。
「当然、威力は弱めてある。お前が死ぬより僕にとってはいい選択なんだ」
「ユーリ」
「僕が奴を弾くから、その間に覚悟決めろ」
「……っ!」
残酷な選択を迫る兄にエステルは小さく震えた。
皇国機は完全に正体を失ってしゃにむに攻撃をしかけてくる。
何度弾いても、ユーリが間に入って攻撃しようとも、めげることなく一直線に、粘着とも呼べる一途さでエステルに向かってくる。
「使いこなせよ、〈マギエル〉だろ!」
たぶんきっと母様は迷わなかっただろう。
そこに兵器があって、必要であれば使う。
〈マギエル〉として正しい傲岸さで世界のバランスすら変えるのを厭わなかっただろう。
「わたしは――使わない! けど、一緒に戦う!!」
ここでコフィンズを使ってしまったら、また世界は混迷へ逆戻りだ。
エステルは前に進みたかった。〈マギエル〉になれなくとも。
そこに希望の「あした」があると信じて、すべての戦いと怨嗟を終わらせたかった。
「へっぽこ! だから僕のほうが〈マギエル〉向いてるって言ってるんだ」
「なんでもかんでも背負いこもうとしないでよ、お兄ちゃんだからって」
「うるさい、人の最終兵器、無駄にしやがって」
奇しくも左右から挟撃する形になり、鄭瞬燐の乗る皇国機を左右から融解していく。
《オートパイロットモード解除。防御にリソースを移行します》
「戦え! 解除するんじゃない!! 殺せ!」
鄭瞬燐の叫びがAIを混乱させ、一瞬、素粒子分解領域が途切れる。
「今だ!/今よ!」
兄妹の声が重なる。
「いっけぇぇぇぇ!!」
「いやだいやだいやだ、しぬのは、ああああああああああああ」
ザァッと皇国機が砂塵に還る。
それが合図だったかのように、帰投信号が空に瞬く。
それは、すべての戦闘終了。
十三年半の長きにわたる第五次世界大戦終焉の号砲だった。
☆
「わたくしは、わたくしたちには夢があります。
クレイドルが全ての子どもたち、大人、老いた人々に寄り添う日を。
傷つけるのではなく、楽しみとして共有できる日を。
わたくしには夢があります。
皇国、連合、チョンジエン。
国ではなく、あなたの名前を呼べる日がくることを。
世界の人々がお互いに尊敬しあい、笑いあえる日がくることを。
わたくしには夢があります。
わたくしの友人、あなたの家族、すべての大切な誰かが安らかに眠れることを。
わたくしだけの夢ではない。
あなたの夢になることを切に祈っています。
みんなの夢が、希望が、「あした」への一歩となることを祈っているのです」
皇国第12代皇帝アウローラ・ディ・スフォルツァの「平和の原則」は国と地域、言葉の壁を越えて幼年教育の現場で後世まで語り継がれることとなる。
しかしながら、クレイドルが遊覧飛行器具として民間に定着するのは、第5次世界大戦から40年の歳月がかかったし、そこからも軍での運用は続いた。
皇国・連合・チョンジエンと大国の形は変わらなかったが、神国連盟は衰退の一途を辿り、BBBによるテロは無くならなかった。
第5次世界大戦の本当の終わりはいつ来るともしれない、白い白い闇の中にある――。