#それはきっと、たったひとりのほんとうの神さま01
幾千の喝采も万雷の賞賛もきっといらなかった。
たったひとつ欲しかったのは――
「じゃあ友だちから始めましょう! 今度こそッ、ねえ防御展開してぇ……‼」
ボクのためだけのきみの苦鳴。
防御展開してるよ。ボクじゃなく、きみの機体を覆ってるだけで。
そんなことにも気づけないなんて〈マギエル〉襲名して大丈夫?
きみは甘っちょろいって自分で気づいてるのに自信家だから、皇国機が自分の命を狙うとは思わなかったんだろうね。
導師アトゥル・クシャトリヤ及びアウローラ・ディ・スフォルツァに〈マギエル〉が殺されたとなれば、神国連盟は本当に終わる。
ボクを殺し、アウローラを逆賊とする大義名分ができる。
そのツールに自分が使われるとは思ってもみなかったんだろう。
アトゥルは10歳になる少し前に捨てられた。
何やら偉そうなじじい共が村の子どもを片っ端からクレイドルに乗せ、唯一起動できたアトゥルと象棋を何局か指して、そして大金で親から買った。
親は大枚を必死に数えていて、別れの挨拶も、ちらとボクに視線を配ることもなかった。
ボロ雑巾を破いたよりひどい擦り切れた布の服から、煌びやかな袈裟に。
食事は木の樹液や芋虫から、卓に乗り切れないほどのご馳走になった。
導師としての振る舞いを叩きこまれ、数年するころにはもう、紗幕の内に誰も入ってはこなくなった。
柔らかな女をいくら抱いても、男を啼かせ、はたまた逆に抱かれてみても、虚が埋まらない。
ここは自分の場所じゃない、という思いが消えない。
食欲はない。肉欲なんかじゃ埋まらない。
――そうこうするうち、アトゥルは本当に自分が欲のない人間なんじゃないか。
ボクは本当に神か仙人なんじゃないかと思い始めた。
霞を食み、古今東西の書に触れ、しあわせを希う民のために導きを示す。
それが勘違いだったことを、戯れにアンダーグラウンドで手に入れた映像で知る。
脳幹ごと揺さぶられるような衝撃。
ひたと強くこちらをねめつける蒼い瞳の光。
〈マギエル〉アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキー。
ああこれだ、と思った。
睥睨してくれ。
唾棄してくれ。
ただのクズガキとボクの化けの皮を剥がしてくれ。
肉欲ではなかった。
興味本位でもなかった。
民衆がボクに希うように、ボクもボクの居場所を求めて手を伸ばした先がそれだった。
でも、そうじゃなかった。
エステル、きみが言うようにほんとうはとても寂しかったみたいだ。
一瞥もくれない親が。
他者と違う自分が。
紗幕に囲われて放置される退屈が。
背伸びして尚求められる民衆の願いが。
ボクは寂しかったんだ、きっと。
きみに暴かれてよかった。
きみに出逢えてよかった。
でもオトモダチになりたいわけじゃ、なかったんだ。
きみはボクの神さまだから。ごめんね、最後にボクの願いを叶えておくれよ。
「アトゥル、回避‼ 《ルサールカ》、防御展開。アトゥルを援護迎撃――!!」
《リソースが足りないわ。数が多すぎて自機の防御展開で精一杯よ》
「〈マギエル〉なら何とかしなさいよ!! くそ、絶対お前なんか母様とは認めない!」
「あはは。こんな刺激的なのは初めてだよ! きみを好きになってよかった」
「こんなときに何言ってるの、集中して!!」
ありがとう、ボクの神さま。
こうしてボクだけを見ていてくれる今があるから、逝くのがこわくない。
「ねぇ、エステル。憶えてなくていいよ、忘れていいからね」
「大事な友だち忘れるバカがどこにいるのよ!!」
「あっはは、かーわーいー。おこちゃまの仲良しこよしかよォ」
きみの一言一言に救われる。
今までのすべてが報われて浄化されてキラキラとボクは砂塵になっていく。
「愛してるよ、エステル。もっと違う出会い方でもっと他のやり方でちゃんと大切にしてたら、きみも愛してくれたかな?」
「わかんない!! 知りたきゃさっさと防御展開しなさいよ、ねぇ、お願い……っ」
「さよなら、ボクの神さま。こんな風にしか愛せなくてごめんね――もう、なんにもこわくないや」
融けていく身体で、ボクは何とも誇らしい気持ちになった。
あの〈マギエル〉アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキーと同じくエステルを守り抜いたんだ。
そして導師として首都ヴィクラマーディティヤの被害を最小限に抑え込んだ。
ボクってばデキるやつじゃん。
もう少し生きたら、歴史に残る導師になっていたかもしれないなァ。
ま、なりたかないけど。
ありがとう。ありがとう。大好きだよ、ボクのたったひとつの星。
きみのおかげで――ボクはもう独りじゃない。
☆
「ひっでぇ顔」
「女の子に向かって失礼すぎない?」
フォート・リバティに程近い皇国駐屯地の休憩室。
エステルの顔を見るなり、うへぇと舌を出したライアンに、エステルはむっとして返す。
「心配してんだろうが、曲がりなりにも同期だし?」
「広報部の発表聞いてないの? 〈マギエル〉は無傷で神国連盟を脱したのよ」
「それとこれとは別だろ」
「なにがよ」
「目の前にいるやつが本当だろ。明らかに泣き腫らして一睡もしてませんって顔しやがって――〈マギエル〉様が聞いて呆れるぜ」
「…………皇国機に攻撃された」
「は?」
「アトゥルは、導師は、皇国機からわたしを守って死んだって言ったら信じる?」
ライアンはしばし考え込んだ。
「信じる、信じるよ、でもさ……おかしくねえか?」
聞き咎められないようにか、声を落とす。
「シオンのときもそうだった。どうやって隊長の目を盗んでクレイドルを大量に動かしてる?」
ライアンの純粋な疑問にエステルはハッとする。
「確かに……隊長の許可がなければ発進シークエンスもできない。しかも整備班はわざわざ見て見ぬふりしたってことよね? いったい誰がどうやって……」
「隊長自身の命令だったら」
「飛龍はそんなことしない!」
思わず立ち上がるエステルを「声でけえ!」とライアンが腕を掴んで座らせる。
「飛龍は、隊長はわたしを殺そうなんてしない」
「わからないぜ、人は変わる」
「隊長だとして目的は?」
「皇国五家に座る」
「シオンを巻き込んでトゥローズル家を引きずりおろした理由にはなる。でもわたしを殺す理由にならない」
「〈マギエル〉はこの世に一人だけ……信奉者だからな、隊長は」
「でも〈マギエル〉として乗れって言ったのは隊長よ」
「そっか、確かにそうだ」
額に手をあててエステルは天井を仰ぐ。
「うーん……やだけど、頭下げるかぁ……」
「兄ちゃんに?」
「謹慎は解けたんだけど反省のために史書編纂室って一人部署なんだよね」
「つまり?」
「調べものし放題」
ふっとライアンが笑みを漏らす。
「なによ」
「いや? 元気出てきたみてーでよかったよ。ライバルがしょぼくれてちゃ張り合いがねぇからな」
「ライバル? 天下の〈マギエル〉様に何を言ってるのかしら」
「あっは、その調子その調子」
「ありがとね」
「おう、お前も兄ちゃんも気をつけろよ。どこに何がいるか分かんねぇからな」
「あんたもね」
その夜だった。
李飛龍隊長の元に匿名でライアンが違法薬物をやっている、というタレコミが入った。
直ちに抜き打ち検査が行われ、ライアンの部屋と尿から基準値を遥かに超える違法薬物が検出された。
即時クレイドル搭乗者登録の抹消。
それはパイロットだけで構成されたロンギヌスからの即時除隊を意味していた。
(ハメられた――!!)
エステルとライアンは同時に休憩室にスパイがいたことを悟るが、エステルはこれ以上、事態が不利にならないよう一切庇い立てはしなかった。
(本当に飛龍が命令を下したの……?)
(フォート・リバティ戦の前に主力のライアンを外す意味がどこにあるの?)
深まる疑念に、エステルはアトゥルから預かったマイクロチップを思い起こす。
兄ならば何かを導きだせるかもしれない。
最近めっきり連絡がつかない兄へ、エステルは渋々ながらも暗号メッセージを送った。
☆
ポン、というポップアップ音が鳴り、ピンクのウサギのアバターが真顔で封筒を渡す。
シュールな絵面に「ぶっ……嫌われたもんだな、僕も」吹き出しつつユリウスはメールを開けようとした。
が、開かない。
セキュリティロックが幾重にもかかっていて、スフィアシステムの比ではないほど厳重に秘匿されている。
それだけで妹の窮地を悟って、ユリウスはタイピングの手を速めた。
アーサーとジェイムズ・セシル仕込み。
そんじょそこらのハッカーには負けない自信があるユリウスでもメールを開封するのに一時間かかった。
「なんだよ、これ……」
添付されていたのは2つの映像。
どちらも同じ、母が死んだあの8月の別角度からの映像だった。
ユリウス自身、こういったものが裏で取引されているのは知っていた。
クロールしたスフィアにも落ちていた。
あえて見たくもなかったのでこれまでスルーしてきたが、妹がこれだけ厳重に送りつけてきたということは何か意図があってのことだろう。
しかも同じ動画を別カットで。
所属不明のクレイドルが我が物顔でヴァルトシュタイン家を破壊していく。
柱を薙ぎ倒し、壁を切り崩し、お気に入りだったピロティは見る影もなく、植栽を焼き、使用人たちを容赦なくマシンガンで撃ちながら乗り込んでくる。
見ているだけであの焦げ臭い臭気を思い出して吐きそうになるが、ユリウスは一時停止ボタンを押さなかった。
素粒子分解領域によって生身のまま左腰から下を分解される母。
いかばかりの苦痛か。
それでも脂汗の浮かんだ表情は凜と。蒼い双眸は冴え冴えと。
「閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ閉じろ」
嘔吐感を堪えながら、母が命じた呪詛を唱えながら、それでもユリウスは見た。
交互に繰り返し、何かがあると信じて。
ふと、気づく。
聴こえないはずの声がする。
あの日、この時間、この場所にいるには無理が生じる人間の声がする。
ユリウスは慌てて動画をいったんストップし、スフィアとロンギヌスのデータをピンポイントでクロールする。
西暦2286年8月22日。
あの日のことを。
「あなたは僕にこれを知らせたかったのか、父さん」
母がなぜ死なねばならなかったのか。
誰が母を殺したのか。
ひゅっと短い呼吸をひとつ、ユリウスは立ち上がった。
止めなければ。エステルの命が危うい。
〈マギエル〉の再来と名高いあの子は、先の神国連盟でも皇国機に襲われている。
いつも首元にナイフがある状態だ。
そして――父は父で、刺し違えてでも犯人を殺す機会を虎視眈々と狙っているだろう。
ユリウスもまた……
「あーあ、知っちゃったかぁ」
「あんまり潜るなって言ったよな?」
ペドロとディートリヒがどこからともなく現れ、抵抗する間もなく素早く腹に二発殴打、首に手刀を落としてユリウスを眠らせる。
「皇国の未来のためだ。許せよ」
「俺は忠告したからな。おイタしたお前が悪いんだぜ、ユーリ」
ピンクのウサギのアバターに返信する。
《ヴィクラマーディティヤの二の舞になりたくなければ、大人しくしていろ》
データと気絶したユリウスを連れて、ペドロとディートリヒは現れたときと同様、どこへやらと姿を消した。
☆
「ライアンを失った今、まともにロンギヌスから出撃できるのは急拵えの〈マギエル〉とロートルの俺だけか。皇国最強部隊と言われた特飛隊なのに何とも嘆かわしいね」
後ろ手に拘束されて隊長室から移送されていくライアンを見送りながら、飛龍は呟いた。
「これからフォート・リバティ戦なのに、この戦力じゃ……」
「〈マギエル〉と《タナトス》がいれば何とかなるでしょ。するしかないとも言うけど」
「わたしはまだ〈マギエル〉に程遠い。《ルサールカ》も母様じゃ、ない」
「おやおやまあまあ、あれだけ〈マギエル〉になりたいって意気込んでた割にほんっと弱腰になったね、キミ」
揶揄う調子で飛龍は静かに茶の花毬が開く瞬間を見守っていた。
「飲むかい? チョンジエンからわざわざ取り寄せてるんだ」
「……いただきます。最終決戦前だっていうのに、こんな悠長にしてていいんでしょうか」
「いいんじゃない? 明日死んで明後日生き返るかもしれないんだし」
飛龍は再生医療で生き返ったことがあると聞いていたけど、全く笑えない冗談だった。
沈黙が隊長室に下りる。
「戦力が足りない、死ぬかもな、ってときは退がりなよ。俺が何とかするから」
「何とかって、死んででも食い止めるってことですか? そんなの嫌です」
「じゃあ、俺と一緒に死んでくれるの?」
やっぱり揶揄う調子で笑えない話をする。
そしてダウトがどこにもない。全部本当でエステルは混乱する。
「なんでみんなそんななの、アトゥルもそうだった、なんで? なんで寂しい、一緒にいようの一言が言えないの、なんですぐ死のうとするの」
エステルは遠慮がちに飛龍の袖を掴む。
「ねえなんで?」
「死にたいわけじゃないさ、必要があれば手段を選んでいられないだけで」
「ねえなんで今も寂しそうなの? 第16世代機がいるのに?」
「あれは〈リリィ〉であって俺が敬愛したアイリスとは少し違うからね」
「わたしがいれば寂しくないって言ってたよね? ねえ?」
飛龍は少しだけ目を丸くして
「よく覚えてるね。そんな昔のこと。じゃあ俺と一緒に死ねるの?」
繰り返しの言葉すらダウトじゃない。
と、視界がぐわんぐわんと回り始める。
息が苦しくなってエステルは床をのたうち、何とか呼吸を、
「俺が味方じゃないかもしれないってライアンとも疑ってたろ? 今度からそんな奴に出されたものに口を付けちゃだめだよ、覚えておきなさい。キミは俺たちの大切な希望の星なんだから」
呼吸ができない、なんで飛龍は笑ってるの。
目の前で火花が散るようにチカチカと光が瞬く。
おそらく盛られたのは軽い薬だ。死ぬことはない。きっとたぶん。
苦しい苦しい、視界が……
「おやすみ、また新しい世界で」
☆
ねえ、なんで。〈マギエル〉になっても誰も救えないの?
母様、あなたじゃなきゃだめなの? わたしに価値はないの?
やさしくしたい。ひとに寄り添いたい。ぬくもりを分かち合いたい。
たったそれだけなの。
ねえ、なんで。
死ぬのが怖いわけじゃない。生きていて欲しいだけ。
ねえ、〈マギエル〉ってなに? もしかして、神さまじゃなかったのかな。
ねえ――おねがい、寂しそうな顔しないでよ。わたしはここにいるのに。
わたしは母様の代わりじゃないって、誰か言って。誰か。誰か。