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#彷徨えるカムパネルラと魔女の聖名(みな)において03

 アトゥルは擦り切れるほど見たあの古いデータを見ていた。

 だが、あれほど興奮した魔女の睥睨に、何の感慨も浮かばなくなっていた。

 フラッシュバックするのは魔女と同じ顔をした甘っちょろい少女の、憐れむような、傷にそっと触れるような視線。

 儀礼服を風にたなびかせて白魚の手を差し向けてくる、あの慈愛の視線。

 強かに頬を叩かれ、母親を見世物にされていると知って、ゆらりと好戦的な匂いを立ち昇らせたあの視線。

 噛みつくようなキスの淡い血の味。

 エステル・フォン・ヴァルトシュタイン。

 甘やかされて育った日向の匂いがする娘。

 〈マギエル〉の鮮烈な殺気には程遠いと、失望さえ覚えた娘が忘れられない。

「どれだけ寂しかったの」

 アトゥルも知らぬアトゥルを白昼に曝す、無自覚の柔らかい暴力が忘れられない。

 踏み躙られるよりも残酷にぐちゅぐちゅと傷を抉り出し、無邪気に微笑む様が、何をしていてもちらついて離れない。

 誰も抱けなくなった。

 あの映像でヌけなくなってしまった。

 モニタには黒のクレイドルが前線で活躍する様子が映し出されている。

 自分がつけた怪我の傷は皇国の技術で綺麗さっぱり消え去っているだろう。

 それでもアトゥルは、生まれて初めて願う。何かしらの傷が彼女に残っていることを。

 小さなみみず腫れでも、ほんの欠片の恐怖心でもいい。

 とにかく自分が彼女に傷をつけて痛めつけた証がほしい。そうじゃなきゃフェアじゃない。

 あの真っ直ぐ射抜いてくる蒼い双眸が、いつもアトゥルを追いかけてくる。眠りに落ちる直前まで。

 これに名前をつけるのなら。

「一目惚れってやつかねぇ」

 紗幕に覆われた天蓋の向こうから祝詞が聴こえてくる。[馥郁/ふくいく]たる香の馨りが喉に粘つく。

 アトゥルを神と崇め奉り、この戦火が落ち着くように、平和がきますように、願いが叶いますようにと。

「ボクにはな~んにもできないのに、お前たちも憐れだねぇ」

 くるりと猫のように丸まって、アトゥルは呟く。

「もう一度、ボクを見て憐れんでよ、エステル。きみがいないと、ボクは寂しいみたいだ」

 モニタの黒いクレイドルをそっと撫でる。何度も何度も撫でてくちづけて、舐めては、恍惚と吐息をこぼす。

「本気でほしくなっちゃったなァ……」

 セミの声のごとくしゃわしゃわと鳴る鈴の音と祝詞にかき消されて、神様もどきの願いはどこかへ融けていった。


  ☆


 華々しい活躍のニュースの裏で、エステルとライアンは連合に押し込まれ難儀していた。どうもBBBを動員しているのか、神出鬼没にあちらこちらとテロの火が上がる。

「ライアン、九時の方向に四機!」

「分かってる! お前こそ三時方向から二機!」

「なんだってこんなにクレイドルが湧いてくるのよ」

「連合にはこんな開発力はないはずだぜ……。BBBの親玉はどうなってんだ!?」

 エステルもライアンもうんざりとした声を上げる。

 それもそのはず、台湾戦線入りしてからこっち、連合なのかBBBなのか神国連盟なのか所属不明機がとかく蝿のように湧いてくる。

 昼夜を問わず軽いシャワーと2時間の仮眠で乗り切って早一週間。

 サバイバル訓練も受けてはいるが脳の芯がぼうっと熱を持ってくる。

 また中途半端に弱いのが辛い。

 照準に入れる。討つ。照準に入れる。討つ。の単純作業の繰り返しで眠気は最高潮をとうに振り切った。

 チューイングガムとミントタブレットを掴めるだけ掴んで口の中に放り込み、メンソールを目蓋に塗って何とか正気を保つが――隊長はいつまでこの消耗戦を続ける気だろうか。

 国防省副長官とロンギヌス隊長を兼務しているその人は、こんな現場にいていい人ではないのだが「俺は俺でやることがあるのさ」何やら密命を帯びているらしく、のらりくらりとはぐらかして現場に出てきている。

「あー……あっついシャワー浴びて冷たいアイス食べて寝れるだけ寝たい」

「そこにジャンクな塩きつめのポテトとビール追加で」

「賛成。――さっさと終わらそう、ライアン」

「了解。九時方向を中心とした180度は俺が。背中は任せた、裏切るなよ?」

「誰にモノ言ってんのよ」

 《ルサールカ》と《オシリス》が勢いを吹き返し、敵を押し込んでいく。

 素粒子分解領域の弾ける虹色の光がそこかしこで飛び散る。

 母艦の艦橋でその様子を眺めながら、飛龍(フェイロン)は頬杖をついて眩しいものを見るかのように目を細める。

「若いよねぇ。まァ俺はあの人とも背中合わせで戦った過去はないんだけどさ。――副長」

「はッ」

「例の新型の様子を見てくるよ、後はよしなに」

「えっ乗られるんで……?」

「んー、ん」

 YESともNOとも取れる返事ひとつ残して飛龍が艦橋を出て格納庫へ向かう。

 ぎょっと振り返る整備班の視線も何のその。

 パイロットスーツの懐かしい締め付け感と、コクピットの閉塞感。

 盟友たちと駆け抜けた忙しなく汗まみれの青春とも呼べないような日々が胸を焦がす。

「久しぶり、《タナトス》」

《搭乗者エラーです。搭乗者を変更してください。搭乗者エラーです。搭乗者を……》

「ロンギヌス隊長 李飛龍大将。ずっとお前を操ってきたのは俺だ――俺に跪け《タナトス》」

《…………李飛龍を搭乗者として承認します。発進シークエンス開始、発進まで270秒》

 赤から緑へ。発進シークエンスは順調。飛龍は駆動音にも耳を澄ます。特段の異音は認められない。計器類にも異常はなし。出撃は充分可能だろう。

「コントロール聴こえる? 李飛龍、《タナトス》出るよ」

「は? 隊長、なんで、いや、針路クリア。発進どうぞ」

 困惑しきったコントロールの声に笑いを噛みしめながら、飛龍はトップスピードで台湾戦線を駆け抜けていく。

その速度、最新型第15世代《オシリス》の93%、第6世代《ルサールカ》の112%。《タナトス》とて第6世代を換装した機体だ。アーサーとジェイムズ・セシルによる補助ドライブが搭載されているとはいえ、やはりレジェンズたる技といえるだろう。

「えっ、僚機……!?」

「どこの所属だ!! ロンギヌスで見たことねぇぞ……蜂の巣(ラ・リュッシュ)の残党か!?」

「はは、よそ見しない。よそ見しない。ライアン、最新鋭の《オシリス》でそんなもん?」

「隊長!?」

 素粒子分解領域の一薙ぎでライアンの守備範囲を一気に薙ぎ払い、《タナトス》は笑いながら体勢を立て直す。

「《ルサールカ》は大戦最強機だよ、俺のトップスピードに10%以上差をつけられちゃ〈マギエル〉も名折れだね」

「…………ッ!」

「言い訳は聞かないよ、二週間以上の攻防戦なんて当時はザラだったからね」

「まだしてもいない言い訳にお説教はやめてください!」

 ブォンと《ルサールカ》の素粒子分解領域が唸って、敵を蹴散らす。目に見えて動きの良くなった部下たちに満足げに頷いて、飛龍は戦線を離脱する。

「まだ調整中の機体だから俺はこれで下がるよ。あと頼んだ」

「イエッサー」

「……あれ? ねえ、ライアン、あの人いくつだっけ……」

「だよな、乗れる年齢じゃないよな」

「……だめだ眠すぎるんだ。さっさと終わらせて帰投しよう」

 限界を超えたルーキーズにはもはや幻のように見えた、クレイドルパイロット恒久化計画は着々と、そして堂々と世界の眼前で進んでいた。


  ☆


 キャットウォークにしなだれかかりながら、飛龍はモバイルの短縮番号を押す。

 とてもではないが立っていられる状態じゃない。

 激しく息が上がり、目の前がチカチカと明滅し、噴き出すような汗がこめかみを伝う。昔はこんなこと一度もなかった。

「もしもしアーサー? テストデータ送っておいた。スピードはまずまずだけど、反応速度も素粒子分解領域の強度も広域攻撃も甘いね。何よりパイロットへの負担がやーばい。オートパイロットにしてないのにGがとんでもないことになって、心臓バックバク言ってるわ。そりゃあオッサンは乗れないよねぇ。上手いこと調整頼むよ。体感60%いってないね。起動時にも搭乗者認証でごねたし。いやぁ……ほんと、なんで大人はクレイドルに乗れないかの答え合わせしてるみたいだよ。肉体的老化には逆らえない。それをクレイドルが補うに至ってないね。ヒントはこんなもんでどう? そ、お役に立てたなら何より。じゃ、また次のフェーズで」

 クレイドル――死のゆりかごを意味する自走型AIを搭載した次世代型戦闘機。

 もし、AIが人間の老いを正しく理解していたとしたら?

 肉体の老化をAIでは補えなくなったとき、ゆりかごから解き放って、搭乗者を守ろうとしているのだとしたら……?

 クレイドルAIを書き換えて、人間の老化に抗おう、そして戦おうとするのは正しい選択肢なんだろうか。ふとアイリスの声が蘇る。

「死して、生き返って、また死して。そこまでして押し通したい願い、争う理由って何?」

 死は克服した。

 今度は老いを克服しようとしている。

 そうして不老不死になった先に、願った穏やかな日々は待っているのか。

 争いを繰り返すだけの泥濘とした日々ではないのか。

 飛龍は己の中に沸き上がった黒い泡をかき消すように、唇を強く噛んだ。

 あの子たちが願う、本当のしあわせを手渡すために、今を戦っているんだ。

 そう信じなければ、アイリスの問いに飲み込まれそうだった。


「ねえ、きみたちの考える本当のしあわせってなに?」


  ☆


 あなたが笑っていてくれること。

 アウローラは「本当のしあわせ」を彼女に問われても迷いなく答えただろう。

 眠りと覚醒の狭間を彷徨いながら、もう逢えない双子の片割れのようだった少女を思う。少女と呼べる時代はとうに過ぎて、皇族として二本の足でしっかりと立たねばならぬと、分かっている。

 フィアラが皇帝に立つのならば、その傍らで支えていかねばいかない。

 ――頭では理解している。心が追いつかない。

 しあわせだった。

 ユリウスが生まれて、エステルが生まれて。

 関係性は少しずつ変わっていっても、〈マギエル〉が、彼女が笑っていてくれたから。本当にしあわせそうに家族を心から愛して友人と語らって、生きていることを楽しんでくれていたから。

 なんであの日、救えなかったんだろう。

 なんでこの皇国でテロなんて許してしまったんだろう。

 なんで犯人は未だ捕まえられないんだろう。

 なんでわたくしは今も昔もこんなに無力なんだろう。

 吐き気を催してアウローラはまたきつく目を瞑る。夢の中に逃げ込む。

 永遠の8月を繰り返す。

 どこかに見落としはないか、犯人に繋がる手がかりはないか、記憶をまさぐる。

「あ…………」

 そういえば。

 ゆるゆると長い睫毛を震わせて、久方ぶりに目を開けた。


  ☆


 ――老いを克服しろ?

 何を言ってるんだ、とアーサーは脳内が真っ白になった。

 死を克服し、老いを克服した人間の成れの果ては争いでしかない。

 資源が、食糧が、海域が、国境が、宗教が、言語が、慣習が、ちがうちがうちがうちがうから。ちがうだけで争う。

「セシル。どうする? 僕はこの開発から手を引いた方がいいと思ってる」

「俺は続けるべきだと思う。お前が言ったんじゃないか。なりたい自分になれる、その自由を殺したくないって」

「でも」

「たとえば百歳で空を飛びたくなるかもしれない。クレイドルが兵器でなくなる日がくるかもしれない。その自由を、選択肢を、世界の未来を、今俺たち二人だけで狭めてはいけないと俺は思う」

「…………セシルは飛びたいの?」

「遊覧飛行ならな。実際、懐かしい、とは思うよ。もう撃って撃たれてはごめんだけど」

 アーサーはくすりと笑った。

「百歳のセシルおじいちゃん世界遊覧飛行か。そうなればいいのにね」

「そうするために今、やってるんだろうが」

 笑われて不服げなジェイムズ・セシルが言い捨てる。

「飛龍からのデータ見た?」

「ああ、全然だな。領域の出力も速度も往年の半分出ているかどうか……理論値の60%すら割り込んでいる」

「モバイル越しの飛龍、具合悪そうだったんだ。たぶん僕らに見せたくないんだろうけど、バイタル値あんまり良くないと思う」

「まったく。パイロットのデータ含めてのテストでなにカッコつけてんだ」

「気持ちは分かるけどね。ずっと自分の身体の一部みたいに乗りこなしてたはずが、身体的にもダメージきたら僕だってショックだよ」

「寄る年波には勝てないってことか」

 想像以上に芳しくないデータを見つめながら、ジェイムズ・セシルは腕を組んで考える。

「回路の数を増やして演算能力をもっと強化するか……予算がまた膨らむな」

「それより早い手がある」涼やかな声がガレージに響き渡る。

「ヴィルヘルム! そんな格好でここまで来て大丈夫なの?」

 一分の隙もなく上位書記官服を着こなしたヴィルヘルムにアーサーが驚きの声を上げる。

「もういいんだ、クレイドルは今日で完成するからな。マスコミにも大々的に広めてやればいい」肩を軽く竦める。

「完成……テストデータは君も見ただろう? とてもじゃないけど」

「これを使え」

 アーサーの手にマイクロチップを落とす。

 触れた指の冷たさにアーサーは不吉なものを感じて腹から身震いする。

「それはなんだ」

「組み込めばわかる」

「なんだ、と聞いている。イレギュラーでこれまで構築したデータを壊すわけにはいかない」

 相変わらずお堅いやつだな。

 詰め寄るジェイムズ・セシルを面倒くさそうに押しやって、ひとつ息を吐く。

「〈マギエル〉の遺伝子データだ」

「お前!! 自分が何をしようとしてるか分かっているのか!?」

 ジェイムズ・セシルがヴィルヘルムの胸倉を掴む。

 それを鬱陶しげに、しかしゆっくりと振り払ってヴィルヘルムは呟く。

「誰も彼もがみんな〈マギエル〉の凱旋を待ち望んでる。俺たちは新型AIの開発に息詰まってる。WIN―WINじゃないか」

「リリィを、アイリスを永遠に戦火の中に叩き込みたいのか」

「さっき言ってたじゃないか。おじいちゃんの遊覧飛行? 上等上等。別に戦火に永遠に閉じ込めるわけじゃあない」

「ヴィル……。君はそれでいいの? 後悔しないの? あの日、みんなで決めたじゃない。彼女はもう蘇らせない、ゆっくり眠らせようって。それを覆すことになるんだよ。ユーリやエステルには話したの? 何より……君はそんな風に彼女を蘇らせて本当に……」

「勘違いするなよ、アーサー。俺は依頼してるんじゃない。皇国五家筆頭として、フィアラ殿下の名代として命令しているんだ。誰がどうとか関係ない。やれ」

「狂ったかヴィルヘルム」

「じゃあ下りるか? ジェイムズ・セシル。チョンジエンに――エジェに戦火が及んでもお前は素知らぬ顔ができるか?」

 痛い腹を探られてジェイムズ・セシルが黙る。

「決まりだ。第16世代のローンチ日時が決まったらまた連絡くれ」

 上級書記官服のロングコートを翻し、颯爽とヴィルヘルムが去る。

 その後ろ姿には何の躊躇も見られなかった。

 アーサーはマイクロチップを破棄しようといったんは振りかぶり、

「くそっ!」

 彼らしからぬ荒い声と共にデータベースに読み込ませた。

 どんどんと刷新されていくコードの羅列を胡乱な目で見つめながら、核を作った人間の気持ちを思う。

 あれは兵器を作るつもりで解かれた数式ではないとの説もあるが――自分たちは違う。

 クレイドルのパラダイムシフトを、シンギュラリティをこの手で起こしている。



《ああ、おはよう、搭乗者の設定をどうぞ?》

「アイリス……」

 テスト用クレイドル――《エーデル》のフライトパネルの中央にホログラムが浮かび、滑らかな発語で搭乗者登録を促す。

 それはまぎれもない〈マギエル〉その人の姿で。

 アーサーとジェイムズ・セシルは立ち尽くしたまま少しだけ泣いた。


          ☆


 りんどうの花が光っている。

 君は許してくれるだろうか。

 君の本当のさいわいになることならどんなことでもする。

 けれども、本当のさいわいって何だろうか。

 煌びやかな銀河の凍てつくような島で永久に待っている。

 君は許してくれるだろうか。

 りんどうの花が――ああ、もう許されなくてもいい。君に逢いたい。


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