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異世界転移者は帰還したい  作者: 三月透
異世界帰還(と道楽)のすゝめ
9/15

王世子往々にして王政を制し逢瀬で逃げ果せ失せる

 ──────そして今日、四月十日。

 皆さんご存知、お出かけ当日である。騎士団本部前でヒラリウスと別れた後、俺は一旦下宿に戻り──服を買った。

 いやだって、そういうものじゃん。自分より圧倒的に身分の高いやんごとなき人に会うときは、せめて服装だけでも整えなければいけない。さすがに、ユニ○ロみたいな無地のシャツで行くって訳にも、ねえ?

 という訳で、仕立て屋の方々によってわずか一日で好き勝手いじくられこねくり回され挙げ句の果てに見事コーディネートされた俺の容貌は、実に素晴らしいそれとなっていた。うん、形容しがたいというのであって、決して俺の表現力や語彙力が著しく欠乏しているということではない。断じて。

 さて、現在時刻午前八時三十分──本日のプランを確認しよう。

 午前九時、中央広場前に集合。俺とヒラリウスが昼食を共にした、あの広場である。ここからならヴァスタニア都内のどこへでも行けそうだし、集合場所としては上々だろう。ナイスだ、副団長。

 ああ、そうそう。お出かけの計画書を確認してみたところ、どうやら紙束と一緒にヴァスタニア王都の地図も挟んでくれていたらしい。親切設計超えて、普通に優しすぎない?

 集合後、十二時までヴァスタニアの観光スポットを二、三ヶ所巡る──美術館とか、果物狩りとか、そんなん。歴史博物館が候補に入っているあたり、彼女、マジで自分の国について何も知らないのだろうか。

 十二時、昼食と休憩──挙げられている店の数々は、どれもスイーツ系というか甘味系のメニューで有名だった。見かけによらず甘いもの好きなのね、あの人。出会って間もない頃に俺の思ったギャップ萌えも、あながち間違いではなかったのかもしれない。

 ちなみにプランAの店は、どうやらヤマトから上陸してきた大人気店らしい──あのやたら味にこだわる国のことだし、きっとさぞ高名なお店なのだろう。

 一時半から演劇の鑑賞──ヴァスタニアでは、絵や劇などの芸術分野が盛況みたいだ。町並みもかねて、やはりヨーロッパにどことなく似ているような、いないような。

 演劇終了後、近くのカフェテリアで雑談──ざ、雑談?

 ……まあ、いいとしよう。

 そして、六時に解散。計九時間のお出かけで、総出費額は大体350コル程度──演劇で大分割を食っていて、一人あたり100コルの鑑賞料。美術館で5コル、果物狩りで25コル、歴史博物館は入場無料、昼食で50から70コル、カフェテリアは用途に応じて予算追加、それらが二人分で350コルの計算だ。

 Dランク冒険者の平均月収がおおよそ3000コルらしいのだが、まあ、一回の外出にしてはかなりの額だと思う。その大金をいとも容易く他人のためにはたけるとなると、やはり騎士団もかなりの高給取りなのかもしれなかった。国を守るお仕事してんだもんなあ、恵まれるのが当たり前って話ですよ。

 まあ、そんな恵まれている人間のおこぼれを、俺は今からいただく訳なんだが。

 ……金、腐るほどあるんだよな……

 なんだか申し訳ない。

 さて、このお出かけプランを三日で十七パターン書き殴りしたヒラリウス曰く、十五分前には集合場所に来いとの話である。まさか目上の人を長々と待たせるという無礼を働く訳にはいかないので、そろそろ下宿を出るとしよう。



 《午前八時四十五分・中央広場》



「─────はい、これどうぞ」

 広場に到着した矢先、同じく集合場所にサングラスをかけて待機していたヒラリウスから、突然小袋を渡された。

 サングラスとかあんのね、この世界。

「これは……《お出かけ》の費用か?」

「そうっす。昨日渡し損ねたんで、今しかないと思って──それじゃ、自分は隠れておきますから、頼んだっすよ」

 と、ヒラリウスは近くの垣根に身を隠した──完全に不審者とかあやしきものの類いにしか見えないし、どうして隠れるのかも分からなかったが──とにかく、遠方からニコニコと俺を見守っているのが、あのヴァスタニア騎士団副団長であることは確かだった。

 ……

 この国の将来を、俺は素直に憂いている。騎士団長兼次期国王であろう王女様があのスーパー独り立ち一匹狼スタイルで、なら副団長はどうなのかというと、俺公認のもと俺を監視しているサングラス男。

 そんな状況に一抹の不安を覚えながら、俺はベンチに座ってレナトスを待った。



 《午前九時十分・中央広場》



「……おかしい、おかしいぞ」

 そして、中央広場の時計を見る限り──俺とヒラリウスが合流してから、およそ二十五分が経過したようだ。あの人間一人サイズの時計が壊れていなければ、おおむね正しい時間だろう。

 ……来ないぞ、レナトスが来ない。プランには九時集合と書いてあったが、ヒラリウスはちゃんと彼女に伝えたのか、疑問に思う俺だった。

 肝心のヒラリウスは、集まってきた子供にサイン書いてるし。ファンサービスといえばそれはごくごく普遍的な対応なのだが、それは今ではない。というかまず、騎士団にファンっているんだ。

「……」

 うーむ、どうするべきか。一度ヒラリウスのところまで行って、このことを相談するか否か──いやしかし、たかだか十分のズレ、もう少しだけ待ってみるか?

 と、そんなことを何の気なしに考えていた、その時。

「……あれは」

 中央広場から遥か遠くの城まで続いている、広い通りの人混みの中に──ある人影を見つけた。人影というよりは、あまりに目立ちすぎてもはや光源のようになっていたのだが……普段の甲冑を身に纏った姿からは想像もできないほど、実に女々しい歩き方で中央広場を目指す彼女が、そこにはいた。

「おーい、こっちこっち!」

 俺の喉が出せる最大ボリュームの声で、俺はその彼女に呼びかける──おまけ程度の手招きも添えて。

 するとそこでようやく俺に気づいたのか、駆け足でこちらへ向かってくる彼女。服装が服装なのだから、そう急がずともいいだろうに──転びそうでちょっと怖い。

 まあ、それはさておき。

「─────すまない、待たせてしまったようだな」

 私服姿の現王女、レナトス・フォン・ヴァスタニアが、相も変わらずの凛々しい様相で現れた。

「いや、今来たところだ──久しぶり」

「そうか、良かった。……ところで、アコトよ」

 そこまで言って、レナトスは途端に口ごもる。何か口にしづらいことでもあるのかと疑ったが、彼女の赤らむ頬を見れば、その答えはおおかた判断がついた。

「どうした?」

「……今日は、父上と侍女に服を選んでもらったのだが──どうだろう。その、似合って……いるか?」

 ……

 それについて答を返すには、彼女の服装を語らなければならない。

 まずレナトスを一目見て最初に注目すべきは、彼女が着用している純白のエンパイアワンピースである。部分的にレースが編み込まれており、さらに下半身のスカート部分には、さほど細かくはないが、愛らしいフリルが入っているのが見てとれる。上衣についても大変繊細な装飾が拵えられていて、丁寧にボタンで留められたプリケットと袖口、ウィングカラー仕様の襟からは、さながらドレスシャツの片鱗のようなものが感じられる。王族の人間らしい畏まった雰囲気と同時に、どことない女性らしさを演出している、素晴らしいワンピースであると言えるだろう。極めつけには、彼女が日除けとして、また変装として(こちらに関しては、完全に意味をなしていないが)被っているに違いない麦わら帽子。これがあるのとないのとでは、与えられる印象に大きな差異が生じるだろう。丁度春と夏の狭間、物見遊山にぴったりの涼しい天気──彼女の衣服からは、そのような印象がこちらに与えられたのである。春夏の訪れを感じさせる、美しいと形容するに値するコーディネートだと、俺はそう結論づけた。

 で、似合ってるかどうかだって?

「……人に見られるというのは、少々恥ずかしいな」

 ……うん、すっっっごい可愛い。きゃわたん。

 お父さんと侍女さん、そしておそらくオーダーメイドの縫製を依頼されたであろう仕立て屋の驚くべきファッションセンスに、ただただ脱帽する俺だった。少しファッションを心得ている程度の人間では、ここまでの《美しい》感を醸し出すことはできない。

 総評、Sランク。完璧です。俺の中にいる五人の審査員が、揃いも揃って十点満点のカードを挙げたのが分かった。

 さて、こんがらがっちな脳内の思考をほどいて修正するため、俺は一旦平静を装って、

「ああ、よく似合ってるよ」

 と、ありきたりな言葉で返答した。本当は先程述べた論評を丸々コピーアンドペーストしたいところなのだけれども、しかしあの長ったらしい説明を繰り返す訳にもいかないのでやめておいた。

「……そうか、ありがとう」

 いかにも不慣れな笑顔といったような様子で、レナトスは僅かに口角を上げる。

 ……

 …………マジ?

 おっかしいなあ、初めて会ったときは女性らしさの欠片もなかった筈なんだけどなあ。まあ、ドラゴンの生首に乗ってド派手な血飛沫で登場って感じだったし、らしくないと言えばそうなるが。

「このような衣服を着るのは、あまり慣れていないのだが──では、行こう」

「……え?」

「どうした、アコト?」

「…………騎士団の皆さんは?」

「今日は私とお前の二人だけだと、ヒラリウスから聞いているが」

 ……俺はてっきり、騎士団全員で彼女を祝うものだと思っていたのだが。

 え、俺だけ?

 よくよく考えれば、俺にわざわざ二人分の金を渡したヒラリウスの行動も、何かおかしい気がしてきたぞ。

 ……

 じゃあこれ、デート?

 マジ?

 俺は後ろで待機するヒラリウスをちらと見る。

 ……

 親指立てんな。

 何が《幸運を(グッドラック)》だよ。

「さあ、まずはどこへ連れてくれるのだ? ヴァスタニアの民衆が目にしている景色を、私にも見せてくれ」

「……はい……」



 《午前九時十五分・美術館》



「時にアコト。お前にひとつ、訊きたいことがあるのだが」

 美術館のチケットを二人分購入したところで、レナトスが俺に訊ねる。絵の話か、彫刻の話か。どちらの見識も広く浅い俺は、それっぽく語ることしかできないのだが。遠近法、透視図法、うんぬん。

「どうした?」

「服の下に甲冑を着るのは、おかしいことなのか?」

「……」

 ……全っ然関係ねえ……

 で、なんだって? 宇都宮のカチューシャ?

 ……

 餃子の話?

 いやいやまあまあ、そんな訳がないだろう。確か、『服の下に甲冑を着るのはおかしいのか』だとか、言っていたような気がしないでもない。

「……いや、おかしいだろ……」

「ふむ、やはりそうだったか。実は今朝、護身のため服の下に甲冑を着けてみたのだが──侍女に丸々剥ぎ取られてしまってな。なぜかと訊くと、『似つかわしくない』とだけ言うのだ。《ふぁっしょん》というのは、まこと不思議なものだな」

「……」

 どこからツッコミを入れればいいのかもう俺には分からないが、とりあえず分かったこと。

 侍女さんは超有能。

 しかし、侍女ねえ──お世話係とか、ヘルパーとかとは、また違うのだろうか。まあ、お高い人に仕えるのが彼女達らしいし、それはそれだな。

 俺のとこにも、そういう人来てくんねえかなあ。ちなみに、俺があちら側で住んでいたのはだだっ広い二階建ての一軒家なのだが、それはもう掃除が大変ったらありゃしない訳で──身辺のお世話という名目で代わりにやってはくれないだろうかと、俺は考えている。

 そんな未来が訪れなかったが故の状況に、俺は置かれているのだけれど。そもそも、侍女は女性に付き添うものだ──俺に付き添ってはくれない。

「─────アコト、この絵はなんというのだ?」

 さて、虚しい俺の虚しい独白も空々しく、レナトスが指差した先の絵画を、俺は見る。

 ……どうやら、骨董画のようだった。中央に描かれている頭蓋骨が、絵全体に多少の不安を煽る要素を付け足している。素人目で見ても分かるくらいには、ある一定の様式に沿って描かれた絵なのだと瞬時に理解できた。

 これは、確か西洋の言葉で……

「……《ヴァニタス》。生の儚さや現世の虚しさを表現する、絵画のジャンル──だったかな?」

 んー、うる覚え。

「なるほど。メメント・モリのようなものか」

 ……はい?

 メメントモリ?

 こっちにもそういうのあるんだ。ヤマトとか出てきてるし、マジで今更なんだけど──芸術とか音楽とか、ましてや哲学的な文化まで似通ってるとなれば、何かしらの作為を感じざるを得ないぞ。

「驚いた、まさかメメント・モリを知ってるとは……」

「《自分がいずれ死ぬことを忘れるな》、いつも私の根底にある考えだ。潜在的な死に対する恐怖を露見させる反面、《カルペ・ディエム》にも通じる楽観的思考をもたらしてくれる──ああ、カルペ・ディエムの意味は知っているか?」

「……いや、知らないな。どういう意味なんだ?」

「曰く──《今を生きろ》、と」

 ……

 何それ、カッケー……

 心の中の厨二病がくすぐられる言葉だ。邪王炎○黒龍波とか、月○天衝とか、昔はよく例の週刊少年誌に憧れたものである。

 ──何? 『お前は一体何歳だ』って?

 どうでもいいわ、そんなこと。

 して、カルペ・ディエムね──俺の知ってる範囲で言うところの、刹那主義みたいなもんか? それなら俺もそういう生き方をしてきているし、彼女の価値観には何より共感できる。

 ……そんでもって、これだよ。悪い意味で今しか見ていない俺は、異世界に転移してしまった。

「─────アコト……あれは」

「……ん?」

 独白、終了。

 困惑とも恐怖ともとれる表情で、レナトスが先にある何かを指差していた。三回見たら死ぬ絵とか、そんなんだろう。

 そう思って、俺はレナトスの指先から対象の物体に視線を移したのだが。

「……あれは、その……公共の場に置いてもいいのか?」

 ……

 はい、ダビデ像でーす。

 メン棒を思いっきり露出している、真っ裸生まれたままのすっぽんぽんスタイルに慣れた俺のような転移者ならまだしも──お金の使い方も分からない、箱に入ったお嬢様には早かったらしい。

 とりあえず、「置いてもいいやつ」とだけ答えておいた。

「そ、そうか……」

「……」

「……殿方の、《モノ》は……あれと同じような大きさなのか?」

 ……それはね、ちょっと訳があるのよ。

 つーか、そんなこと訊いてんじゃねえ!

 仮にもおしとやかな女性だろ、あんた。

「……昔はな、ミニマムなのは賢い証拠だと思われてたんだ。ビッグマムなのは頭が悪いって。だからああいう賢人のマグナムはミニマムで、高位の存在である神様もミニマムなマグナムって訳だな、うん」

「なるほど……」

 真剣に聞き入っちゃったよ。俺も偶然耳にした豆知識をひけらかしただけなのに、というかそもそも異世界ではそうなのか怪しいのに。

 だかしかし、そんな俺の杜撰な説明にレナトスは得心がいってしまったようで、何度も首を縦に振っている。

「博識なのだな。私には、そういった芸術分野のことは分からん」

「まあ、俺もそこまで(つう)って訳じゃない。絵は描けなくもないけど、それくらいだ」

「……絵が描けるのか?」

 驚かれてしまった。今まで一言どころかその兆候すら見せていなかったし、彼女の反応もさもありなんといった感じだが。

 そう、俺は絵が描ける。それも、周囲の人間からはっきりと『上手い』だなんて言ってもらえるほどには、熟達している。版画に水彩画、ひいてはデジタルまでなんでもござれ──自分から描くことはないが、頼まれれば大抵なんだろうが描く、そういった感じである。

 さて、俺の稚拙な自慢話もここまでに。

「一応はな。普段は、あんまり披露する機会もないんだが──画材持ち歩くって訳にもいかないし、絵に関しては本当に齧った程度だ」

「そうか。では今度、ヴァスタニアの風景を描いてはくれまいか? 無論、金銭には困らせない──この国の景色を、絵画として残しておきたいのだ」

「いいけど……どうして?」

 するとレナトスは、憂いを被った表情を見せて、

「……明日には、見られなくなるかもしれない」

「……」

 そう言った。

 見られなくなる、というのは──当然、件の侵攻だろう。

 ヴァスタニアの草木生い茂る平原は、《もしかすると》──モンスターの手によって、灰塵舞う戦野に変えられてしまうかもしれない。

 流れ行く人々で活気づいた軒並みの数々も、次の日には消えてなくなってしまうかもしれない。

 水面下より襲い来る《見えない危険》に、彼女は怯えているのだ。

 騎士団長という立場にのしかかる──重責。

 それが──レナトス・フォン・ヴァスタニアという人間に打たれた楔。

 ……でもさ、ヒラリウス。美術館まで来たくせして俺達の後ろで子供とじゃれあっている、マナーの悪いヒラリウスは言ったよ。

『彼女を、一人の人間としていさせてやってくれ』って。

 だから。

「……なあ、レナトス」

「……どうした?」

「あんたは強いよ、確かに強い。鋼の肉体と精神を併せ持つ、まさに騎士団長らしい人間だ──けどさ、レナトス。あんたを形作ってるのは、あんただけなのか?」

「……難解な話だ」

「なら、端的に言おう──あんたはどうしてそこまでに、独りで強くあろうとするんだ?」

「……」

 俺が何故、そんなことを包み隠さず言うのかって?

 それが彼女の《欠点》であるからに他ならない。まだ会って間もない俺がそんなことを口にするのはおこがましいと思われるかもしれないが、しかし逆説的に言えば、現時点で俺以外に彼女に物申せる人間はいないのだ。

「ヒラリウスが言ってたよ。『レナトスは騎士団長の立場に縛られてる』って──それ自体は大したものじゃない、むしろ立派なことだ。自分の責務を全うするなんて、よくできた上司じゃないか。だが問題はそこじゃない──俺にはどうも、あんたが独りよがりな一匹狼に見えて、仕方がないな」

「何が言いたい、アコト」

「《なんでもかんでも背負いすぎ》ってことだ。あんたはもう少し、人に頼るってのを覚えた方がいい──例えあんたの過去に何があろうと、それは紛れもない悪癖だよ」

「……しかし、どうすれば治るのだ? 私には分からない、お前の言う通り──誰かに頼ることを、私は知らない」

 悲しげな瞳で、彼女は首を横に振る。

「レナトス。悩みがあるなら、誰かに打ち明けてやればいいんだよ。信頼できる誰かにでも、親にでも、侍女さんにでも、ヒラリウスにでも、なんなら俺にでも。苦しみは一人で背負うもんじゃない──それじゃあまりにも、重すぎる。幸福を皆で分かち合うように、苦難も、後悔も、悲歎も、皆で分け合うんだ。そうすれば、あんたの心もちょっとは軽くなるだろ?」

 俺だってそうしてきた。

 幸せを分かち合った。

 悲しみも分かち合った。

 喜劇も悲劇も惨劇も、二分割して生きてきた。

 そうでもしないと、とても息をしてはいられなかった。

 今でも俺は、散々救われている。

 誰かを頼るのは、生きていく上で必要なことだ。

「……ありがとう」

 俺の戯言が彼女の心に響いたのか、それともそうではないのか、俺には分からない。

「あー、どういたしまして……?」

 けれどこの先、彼女が誰かを頼ってくれるのかもしれないという一縷の望みが芽生えたことを、今は喜ぼう。



 《午前十時三十分・果樹園》



「……オラのイチゴが……」

「ここの苺は実に美味だな、園主の努力が垣間見える──次もまた来るぞ、約束しよう!」

「……可哀想に」

 果物狩りの収穫について、結論から話そう。

 ズバリ、全滅した。

 レナトスの手によって、手に余るほど実っていた無数の苺は残らず食い尽くされた。俺はどうやら、彼女の食欲を見くびっていたらしい。

 ……どのプランにも三つ以上食事が入っていたのはそのためだったのかと、思わず納得してしまった。

「さて、順を追って語ろう……」

「何か言ったか?」

「いや、何も」

 ─────美術館を一通り見回った俺達は、続いて果樹園まで行くことにした。その果樹園が王都内にあるのは、普通に『何故?』といった感じだったのだが、まあそれはいいとして──イチゴ農園で行われている、ちょっと遅めのイチゴ狩りに、俺達は参加することになったという訳だ。

 イチゴの旬は、大体一月から三月くらいのはずなのだけれど──異世界の果物だし、そりゃこっちとは違うか。四月のイチゴも、とはいえちょっぴり水っぽいだけだしな。

「オラのイチゴがあぁ……」

 そんでもって、これだよ。

 いくら一時間半の猶予が設けられているとはいえど(三十分で終わったが)、農家さんもまさか全部いかれるとは思わないじゃん? こういうのって、どちらかといえば雰囲気を楽しむもんだし──本気で食いに来てる人、多分あんた以外にいないだろ。

 オラが涙目だぜ、まったく。

「育てたイチゴをこんなにたくさん食べてくれて、オラは嬉しいだ……!」

 はい、感動の涙でしたー。

 出血大サービスが過ぎるだろ。それでいいのか、オラは。

 おそらくだが多分、というか確実に、ヴァスタニアの住民は総じて頭のネジがぶっ飛んでいると思う。

「……レナトス、次はあんまり食べすぎないようにしよう。ほら、昼食入らなくなるかもだし……」

「む、確かにそうか。しかしなんら問題はない、私の胃袋は常人よりも広いのだ」

 見てりゃわかるわ。

 ……まあ、まだ昼まで時間はある。

 次の目的地たる歴史博物館を回っていれば、腹も空くはずだろう。



 《午前十時四十五分・歴史博物館》



 ここ、ヴァスタニア云百年の軌跡を記した歴史博物館では、どうやらそういった施設にありがちな映像が観られたらしい──術式で映しているのかどうなのかは、果たして定かではないが、俺達は近くの椅子に二人で腰かけ、そしてその《ヴァスタニアの歴史を辿る~王家五百年の血筋と栄光~》とやらを鑑賞した。B級クソ映画みたいなサブタイトルを見て俺は鑑賞を忌避したが、レナトスが観たいというので仕方なーく、本当に不本意ながら付き添ったという訳である。

 で、その映像作品はどうだったかって?

 ええ、そりゃもう最高でしたよ。タイトルで大損している作品を、俺は初めて目にした気がする。

 単純な娯楽としても完成度が高いし、またドキュメンタリーとしても非常に精巧な作りとなっていた。俺は映画の評論家ではないが、良作を絶賛することはできる──いやあ、さすがは芸術の国だと思ったな。俺に語彙力がなさすぎて上手く語ることはできないが、まあ、巧遅拙速(使いどころが合っているかは知らない)とはよく言ったもので──役者のボイスパーカッションがヴァリアブルなビート云々をいちいち考えながらつらつらつまらない語り口で垂れ流すよりかは、こうして「面白い!」とか「すごい!」とかシンプルに伝えた方が遥かによいことに、俺は中三で気付いた。

「……」

 ……その面白い映像を観たレナトスさんが、さっきから黙りこくってるんですけど?

 そんなに合わなかったのか、あれが。確かに後半の国王様は終始ダメダメけれども、しかしそこまで心的ダメージを負うものでもなかっただろう。侵攻という枷がなければ、あのおっさんはおそらく円滑に国を動かしていたに違いないのだから、もっと自分の血を誇ろうぜ。

「……さっきの、どうだった?」

 文献を読みながら沈黙しているレナトスに、俺は勇気を振り絞って話しかける。たとえ映像に抱く感想がいかなるものであろうと、団長なら批判批評くらいはしてくれるだろうと思ってのことだった。

 だが、そんな俺の予想とは裏腹にレナトスは、

「─────とても、感慨を受けた」

 下唇を軽く噛みながら、言った。

 ……

 ……ヴァスタニアの騎士団長は、感性豊かな人でした。

 心を揺さぶられるならまだしも、あわや泣くって。

 とんでもない愛国心だよ。

 ……日本人が信心深くないだけか?

「それはよかった。ずっとだんまりだから、面白くなかったんじゃないかって心配したよ……」

「すまない、人前で涙を流すことに不慣れなものでな──つい堪えてしまった」

 確かに、お家柄のこともあるしな。となると、ヴァスタニア家の子供はもれなく騎士団に入団しなければいけない、なんて決まりでもあるのだろうか。泣くの駄目っぽいし。

「……なあ。レナトスのお父さんも、騎士団に入ってたりしたのか?」

 気になった俺は、彼女に訊いてみることにした。

「……! よくぞ訊いてくれた!」

 ……俺、メンタルマッサージ師の資格取れんじゃねえかな。ツボ押しってより、ある種の地雷踏み抜いてる感じは否めないけど。

 それから、レナトスは仰々しく語り出す。

「父上は、私が生まれるまでの間ずっと、騎士団長の座に就いていたのだ。侵攻でも大いに活躍し、ある戦地では万にも達する魔物の軍勢を一夜にして壊滅させたと聞いている。《(アヴソリュート)》を見事に使いこなし、その闇夜に光輝く父上の姿は人々から《希望の月》と称されたそうだ──さらに─────」

 うーん、熱烈な説明。心なしか剣術トークの時よりも盛り上がっている気がするし、やっぱりお父さんっ子なのだろうか──いやいやまさか、あのドラゴン容赦なくぶった斬って返り血まみれでこっちに向かってきた人が、ファザコンな訳ないんだわ。

「レナトス、前から思ってたんだが……」

 そうそう、俺はもう一つ彼女に訊かなければいけないことがあったんだった。いや、別に「あなたはファザコンですか?」とか愚直かつ率直に問う訳じゃなくて、もっと別のことなんだけど。

「む、どうした?」

「その《光》って、普通に覚えられる術式じゃないだろ。どこで覚えたんだ?」

 彼女の術式についてである。

 復習、術式と書いてフォーミュラと読む──なんかもういいや、術式はそのまんま読んでもヨシ!

 さてさて、話は逸れてしまったが──彼女が用いていた術式、《光》について、俺は訊かなければならないのだった。なぜか例の本の《術式全集》にも載っていなかった、謎の術式……《全能(オールマイティー)》があれば使えるとは思うが、しかしその仔細が全く分からないので訊いてみたまでである。

 王家秘伝で門外不出のアレとかだったら、それこそ使った時点で終わりだし。

「《光》は、ヴァスタニア家が先祖代々受け継いでいる秘伝の術式──言わば、門外不出だ。ああ、団員にはその旨を伝えてあるから、安心して聞いてくれ」

 はい、門外不出でしたー。

 ということは、いざ俺が戦うってなったときに人前で使用したが最後、一発で打ち首獄門確定って訳だな。

 ねずみ小僧みたいにはなりたくないぞ、俺。

「ヴァスタニア家では、生まれた子供が十を迎えた時に、《光》を継がせるというしきたりがあるのだ。元より《光》に適性のある家系でな、覚えるのにはそう苦労しない──といっても、それを扱えるほどの魔素量を兼ね備えているかは、また別の話なのだが……」

「へえ。じゃあその術式って、レナトスのご先祖様が作ったってことか?」

「そこまでは、私の知り得る範囲ではない。民衆はどうやら、各々が自らの解釈に基づいて歴史を服飾していると、今日知ったが──実のところ、私や父上にも分からんのだ」

 つまりは、完全なる謎か。俺は別に、ヴァスタニアの歴史を解明するとか、そういった分野に興味を示している訳ではないのだが……謎、謎ねえ。

 ロマンだねえ。

 それから、魔素量についても彼女の話に出てきた──知ったところでどうにもならないが、俺は一度、自身の魔素量を確かめてみたいと思っている。

「ところで、レナトス。体内の魔素量を確認する方法ってあったりしないのか?」

 なので、やけっぱちに訊いてみた。

「ああ、それならギルドに行くといい。体内に含有されている魔素量を確認できる、特殊な宝玉が置いてあるぞ」

 あったっぽい。

 宝玉──スカウターとか、そういう感じの?

「そうか、ありがとう」

「……ああ」

 ……

 …………

 ………………

 ─────え、マジ? 終わり?

 俺が話を終わらせたからか、そうなのか。

 不安に思って彼女の顔を見ると、しかしそうではなかったようで──眼前にある大樹を写した写真に、視線と意識を集中させているらしかった。

 俺もまた、その写真に目線を移す。

「……」

 言うなればそれは、ヴァスタニアの中で最も美しい箇所を切り抜いた写真なのだろう。中央に聳えるあまりにも巨大な樹は花に囲まれ、遠方より来る季節の薫風に吹かれてその身を揺らしている。

 ……

 彼女は、どう思っているのだろうか。

 この額縁に収まった風景に対して、彼女は何を思うのか。

 もし、もしもこの写真を目にしたのが、どこにでもいる平々凡々な男子高校生であれば、せいぜい《綺麗だな》くらいの感想で終わっていたに違いない。

 だが、彼女の──国を継ぐ存在であり、国を護る存在である異質異才な彼女においては、そうなるとも限らなかった。

「……本当に美しいな、この国は」

「……」

 きっとそれだけではないのだろう。

 本当はもっと、悩むべきことも、苦しむべきことも、吐露するべきことも隠しているのだろう。

 癒すよりも護って。

 知るよりも戦って。

 諮るよりも憚って。

 きっとそうしてきたのだろう。

「……アコト」

「どうした?」

「……いや、なんでもない」

 ……

 ま、似た者同士か。



 《午前十二時・流行りの飲食店》



 ところで正午というこの微妙な時間帯、果たしてどう表記するべきなのだろうか。午前十二時と呼ぶにはおこがましすぎるし、午後零時と呼ぶには少々味気ない。ここは午前零時という先駆者に則って後者で呼称するべきなのかもしれないが、しかし俺としてはどうにも納得がいかない。

 そして、そういった不毛な争いを無くすために正午という言葉が生まれたであろうことに、俺はたった今気がついた。

 おせーよ。

 まあ、それはさておき──現在王都で流行っているらしい飲食店(の皮を被ったスイーツ店)に、俺達はお邪魔することにした。途中まで何かの人混みかと思われるほどの長蛇の列に並んでいたのだが、なぜか突然店員がやってきて店内に入れられた。

 なんかしたろ、ヒラリウス。

 とはいえ、プランの進行が滞るのはどうしても避けたかったので、そのご厚意にあやかることにした俺だった。

「──お帰りなさいませ、ご主人様……はぁ、メンド」

 ……

 ヒラリウスさん?

 ダメだあいつ、この店の世界観に没入してやがる。

 覚悟しとけよ、マジで。

 とまあ、視覚的情報の面から言ってしまえば──なんともファンシーな一面ピンクの店内にラブリーな装飾、日常と乖離した非日常、極めつけには俺達の接客を務めているダウナーなメイドさん。

 ……ヤマトから来たんだもんな、そうだよなあ。

「なるほど、ここがヴァスタニアの……」

 違いますよ、レナトスさん。元はと言えばヤマトのお店だし、そもそも普通の人はこんなところに来ないんですよ。

「ご主人様は初めてのご帰宅ですねー、こちらスタンプカードになりまーす……」

 と、気だるげな口調と動作で、メイドさんは俺達に《スタンプカード》を渡してきた。

 ……これ、こっちのメイド喫茶とまんま同じじゃねえ?

「詳細は説明を見て。んじゃ、ご注文をどうぞー」

 と、雑多にメニュー表を広げるメイドさん。メイド喫茶に過労というものが存在するのか、俺にはまったく分からないが──とりあえず、そういうサービスなのだと受け取っておこう。

 さて、何を食べようか。

「……んー……」

 ダメだ、まともなメニューがない。いや、食べられる食べられないの問題ではなくだね。

 水でも飲んで落ち着くとしよう。

「《ラブラブ♡オムライス》を一つ」

「ブフォッ!?」

「どうした!?」

「ゲホッ──いやいや大丈夫、モーマンタイ!」

「そうか、ならいいが……」

 ……落ち着くつもりが、一層乱れてしまった。

 なんでそんなに平然と注文できるんだよ。ラブラブ♡とか、そうそう口にする言葉でもないだろうに、慣れすぎだろ。

 ……

 経験者?

 ──まあ、これは冗談。きっと箱に入っていた弊害、お嬢様なりのトラブルに違いない。

「《にゃんバーグカレー》を一つ、《ワンたんめん》を一つ、《ゆるふわイチゴパフェ》を一つ、《もえもえ!うさぴょんパフェ》を一つ、《注入★パンケーキ》を一つ、ふりふりポテト、サラダ、ミートソースパスタ、カルボナーラ、からあげ、タコさんウインナーをそれぞれ─────」

「待て待て待て待て!!」

「どうした? ……ああ、お前も注文するのだったな」

 そうだけどそうじゃねえ。

 イチゴ狩りの時も思ったけどさ、あんた食いすぎだろ。メイド喫茶をチョイスしたどっかのメイドと一緒にもえもえきゅんしてる副団長も悪いけど、それ以上に問題じゃねえか。

 まあ、まだまだ可愛いものだ──メイド喫茶でガッツリ食っていく人も、俺の世界にはいたかもしれない。ワンチャン。

「……《ラブラブ♡オムライス》を一つ。以上で」

 レナトスから渡されたメニュー表を見て、俺は渋々、苦虫を噛む思いで注文した。

「少なくないか?」

 少なくねえよ。

「ご注文承りました、ごゆっくりどうぞー」

 そんでもって、メイドさんシゴデキすぎない?

 あの量の注文記憶するとか、並大抵でできることじゃないだろ。

 そんなメイドさんも、深く嘆息しながら奥手のハートが描かれた扉に入っていった訳なんだが──あそこから料理が運ばれてくるのを見ると、どうやら厨房らしかった。

 ……

 メイドさん、厨房行った?

 マジ?

 そりゃ本当にまさかだ、ありえない。一瞬、あのダウナーメイドさんが直接料理を作るのかと考えたが、冷静になってみれば、あの服装で料理なんぞをするはずがないのであった。

 だがしかし、そんな俺の予想をことごとく裏切るかのように、厨房からは、

「もー、忙しすぎ──そこ、タラタラすんな! あーもういい、アタシが作るから黙って手伝う─────」

 ……メイドさんの怒号が響き渡っていた。

『アタシが作るから』って何?

 ……いや、そういうサービスだ、サービス。いくらこの店が多忙だろうと、メイドさんまで料理を手伝う、というか手間をかけるはずがない。訳もなく、訳ありげに、しかしそんな訳がないのだ。

 俺は再び、水を口に含む。いや、笑ってはいけないとかそういうのじゃなくて、ちゃんと飲用しますよ?

「……ふむ、不思議な接客だな」

「ヴァスタニア全土の店が、こんな感じって訳じゃないと思うけどな……」

「そうなのか?」

 そうですけど。

 ……

 つーか、本当に今更なんだが、今更が多すぎて申し訳ないんだが──この人が騎士団長兼王女様本人だってこと、誰にもバレてないのね。あえて気づかないフリをしているのかは、分からないが。

 もしかするとレナトス、案外外に出る機会が少ないのかもしれない。ヒラリウスも、彼女を一種の世間知らずとして扱ってた面があったような、なかったような。

 外に出ないって面では、あいつに似てるな。

 と、どうやら料理ができたらしい──異界と現実を分かつ扉が開かれ、メイドさんが大量の皿を持って飛び出してきた。いくつか浮遊している皿があるのは、多分術式によるものだろう。

 ……早くねえ?

「お待たせ致しました、ご主人様ー。こちら、ご注文いただきました《ラブラブ♡オムライス》になりまーす」

「ああ、感謝する」

 いいんだよ、ご丁寧に頭下げなくて。確かに礼節弁えてるのはいいことなんだけど、こういう場でやると逆に浮き立っちゃうから。

「それから……はあ、もういいや。これが《ニャンバーグカレー》、《ワンたんめん》、《ゆるふわイチゴパフェ》─────」

 メイドさんは実に手際よく、レナトスが注文した数多の品をテーブルに並べていく。恐るべき提供スピード、やっぱりこの店をチョイスしたヒラリウスは正しかったのかもしれない。

「─────以上でーす。では、オムライスに《おまじない》かけさせていただきますねー」

「まじない……術式か?」

「違いまーす。アタシが『美味しくな~れ』と言った後に『もえもえ♡きゅん』と言うので、ご主人様も一緒に『もえもえ♡きゅん』と言ってくださーい」

 おお……俺の世界で見るおまじないと、完全に一致している。それとも、俺にもわかるように上手いこと翻訳されているのだろうか。

「呪術の類い……?」

 違うわ。

 まあ、それはさておき──メイドさんがハート型に両手を構えると、レナトスもそれに合わせ、同じ形を作る。

 なかなかに破壊力のある絵面だった。人生で一度も二度も見ねえよ、こんなん。

 ……

 一度は見ていた。

「じゃ、行きますよー。おいしくな~れ─────」


「「もえもえ♡きゅん」」


「──はい。ご主人様とアタシの愛で、とっても美味しくなりましたー」

「なるほど、儀式型か」

 ……

 …………

 ………………

 ん? ああ、危ない危ない──物語の語り部という自分の役割を忘れるところだった、これは失敬。

 で、あんたら何した? もえもえ♡きゅん?

 ─────俺が有象無象の男だったら、まず間違いなくフォール・イン・ラブしていたに違いあるまい。王室の娘とか関係なく可愛いもん、この人。

 だが非常に残念なことに、いや嬉々たることではあるのだが──俺は並大抵の男じゃないんだな、これが。愛すべき人も確かにいるし、俺は実際愛しているし、俺の命が続く限り、彼女に全てを捧げようとも当然思っている。

 ……べ、別にアニメキャラとかじゃないよ?

 本当だよ?

「─────ご主人様、起きてくださーい」

 と、例のダウナーメイドさんに頬をつままれたところで俺の独白は終了する。

「……え、俺?」

 なんかしました?

「そうですよ、《おまじない》かけますねー」

「俺もやるんですか……?」

「強制参加でーす」

 ……

 マジで覚悟しとけよ、ヒラリウス。



 《午後五時十五分・カフェテリア》



 ……

 結論から言おう。五時間十五分もの時を丸々すっ飛ばして何が結論だと言いたくなるかもしれないが、聞いてくれたまえ。

 演劇、最高でした。あれを目にするまで俺は、歌舞伎や二・五次元舞台などの演劇を観る皆々様の気持ちが分からなかったのだが、今では余すことなく理解できる自信がなくもない。

 リアルだとすごい没入感あるのね、演劇って。内容としてはありきたりな勧善懲悪、ボーイ・ミーツ・ガール──遠方から来た勇者が行く先々で様々なトラブルに巻き込まれていく、といったものなのだけれど、しかし役者も演出も脚本もレベルが高いったらありゃしない。《ヴァスタニアを代表する名劇》といっても、それこそ過言ではないように思えた。

 そしてそのような感想を抱いたのは、どうやら俺だけではなかったらしい。

「……アレンは、王女を守るために責務を果たしたのだな」

 ……俺の前で主人公の死に嘆いている彼女も、演劇を絶賛する内の一人です。

 感情移入の度合いがおかしいだろ、あんた。一日に二つの作品に触れて、そんでもって両方で泣けるって──うーん、一種の才能に近しいものを感じるぞ。

 ……

 まあ、何かに対して感情を乗せられるというのは、それだけで大したものだと思うが。感情的な人間は、良くも悪くも言動に気持ちが籠っているのだ。

 俺もゲームをしていて《楽しい》と感じたことはあるが、涙を流したことはない。それこそ、ゲームのジャンルに左右されるのかもしれないけれども──クラ○ドで泣かない奴は人間じゃないなんて、一時期騒がれてたくらいだしな。

 ……え? 俺は何歳なのかって?

 いいんだよ、そういうのは。

「ご注文いかがなさいますか?」

 そこで、カフェの店員さんが俺達の席へとやって来て、注文を訊いてきた。

「ミートソースパスタを一つ、サンドイッチを一つ、カレーを一つ、オムライスを一つ、デミグラスハンバーグを一つ、ドリアを一つ─────」

「へっ!? しょ、少々お待ちください!」

 ……なんたる不幸か……

 そういうヤケ食いはないと思ってたよ、俺。よっぽど金髪イケメン騎士のアレンが死んだのがメンタルに響いたか、かなり不安定になっているらしい。『異国より来たる勇者が、光を以て悪しき闇を打ち払うだろう』のシーンは、確かに俺もうるっと来たところあるけど──それにしたってとんでもねえよ。

 橙髪お団子ヘアーで左目近くに泣きぼくろがある瞳の色からエプロンから何までオールグリーンな店員さんも、これにはビックリ。

 ……

 レギュラーじゃないですよね、この人?

 それはそうと。

「─────今日は、楽しかった。ヴァスタニアの民は、ああして日々を過ごしているのだな……」

「楽しめたならよかったよ。感謝の気持ちなら、プランと機会を作ってくれたヒラリウスに伝えてくれ」

「フフッ──そうか。ああ、そのヒラリウスという私の右腕についてだが……」

 するとレナトスは突然、自身の席の後ろにあるテーブルの方向へと振り向き、そして、

「お前、いつまで私達の後を尾けているつもりだ?」

 ──背後に座するヒラリウスに、声かけた。

「……やっぱり、バレてましたか。ちなみに訊いておきたいんすけど、いつから気付いてたっすか?」

「最初からだ。ちょっとした変装をしていれば、私の目から逃れられるとでも思ったのか──私は、お前達騎士団の団員を統括する騎士団長だぞ?」

 自信ありげに、誇示するように、レナトスは言う。

 まあ、彼に関しては途中から完全に一人でエンジョイしてたし──仮に最初の時点で気付かれていなかったとしても、後々バレてたんじゃないかな。

「へえ、いい上司を持ったもんだ。で、お二人さん」

 立ち上がったヒラリウスは視線を移し、俺とレナトスの両方に目を配る。そのままこちらのテーブルへとやって来ると、しゃがみこんで話を続ける。

「この後、どうするつもりっすか?」

「この後? 別に、何かないようなら帰るけど……」

「《そこの人》は、まだ帰りたくないみたいっすよ」

 ……え?

 そこの人、というのは──当然。

「……」

 なんとも形容しがたい表情で俺に視線を送る、レナトスのことだろう。困り眉と言うべきか、上目遣いとでも言うべきか──しかしどちらにせよ、その様相が俺の動揺を誘うものであることは間違いなかった。

「えっと……まだ行きたい場所があるなら、時間が許す限りどこへでも」

「─────やはり、お前達には見抜かれてしまうか。実は最後に少しだけ、寄っておきたい場所があるのだ」

「へえ……じゃ、行きます?」

 いたずらな笑みを浮かべたヒラリウスが、彼女にそう問いかけた。

「お前は帰宅しろ。団長命令だ」

 容赦ねえ……

「……へえ?」

 だがそんな様子のレナトスから、彼は何かを感じ取ったようで──俺にこれまた不敵な笑みを浮かべて、

「お言葉に甘えて、自分は一旦本部の方に戻るっす。ごゆっくりどーぞ」

 と、半ば当てこすりに近しい台詞を捨て吐いて、その場を去っていった。扉の先にある街道を右に曲がっていったのだが、そっちは騎士団本部じゃないぞ。

「……それで、行きたい場所って?」

 改まって、レナトスに訊ねる。

 ヴァスタニアの観光スポットなんて、俺はヒラリウスに教えられたくらいの場所しか知らないが──俺の知識にない穴場でもあるのだろうか。いやしかし、彼女がヒラリウスの知らない場所を知っているとは考えづらい……

 まあ、ヒラリウスでさえなんでも知っている訳じゃないしな。知ってることだけ。

 ……

 怒られそうでならない。

「ああ。少し遠いところなのだが、術式を使えばすぐにでも行ける──では、行くとしよう」

 そう言ってレナトスは腰を上げると、そのまま俺の手を掴んで、

「ちょっ、まだ頼んだ物が─────」

「《(アヴソリュート)》」

「来てなああああぁぁぁっ!?」

 凄まじい勢いでカフェテリアを飛び出し、空の彼方へと飛び立った。

 ……

 …………

 ………………



 《午前六時・???》



「……いてえ」

「すまない、操縦を誤ってしまったようだ」

 いや、『すまない』じゃないよ。俺がどうやって地面に降り立ったのか、目の前で見てただろうが。

 頭からズッポシだぞ。

 つーか、あの詠唱要らないんだ……

 まあ、それはさておき──さておいていい話でもないが、ひとまず先延ばしにしておいて。

「……ここって、あの?」

「そう、あの写真だ。お前に絵を描いてほしいと頼んだ、《あの》場所─────」

 辺りはもうすっかり日が暮れ──暖かい陽光に代わって、冷たい満月が草木を照らしていた。地球とは環境が異なるからか、光の色も不思議と青く見える。

 春風の季に咲き誇る花々はまさに千紫万紅といった様子で、中央に聳える大樹を崇めるように存在している。北西より吹く夜風に伴い、葉と葉の擦れ合う音が鳴っては消えていった。

 ある意味では美しく在り。

 ある意味では姦しく在る。

 そういう、音だ。

 世界はただ、時間に揺らめいていた。

「……」

「あの丘の上まで、歩きながら話そう」

 かの歴史博物館で目にした丘陵を、今は自らの足で一歩ずつ、踏みしめながら登っていく。程よい固さの土が、俺の歩みを支えた。

「歴史博物館にあったから、てっきりもう残ってないもんだと思ってたんだが……」

「何を言っている。私達が今こうしてここにいるのも、また歴史──たとえ残存していようが、そうでなかろうが、全ては《過程》だ。歴史博物館は、あくまでそれらの中から抜粋しているだけに過ぎないのだろう」

「……ま、確かにそうか」

 深く頷きながら、俺は歩みを進める。

 花を踏んでしまったような気がした。

「どれだけ時間が過ぎようと、道は消えない。今まで誰かが歩んできた道は、また別の誰かが歩んでくれる。故に、風化しない。歴史も同じだ──誰かが綴った脚本を誰かが演じるように、歴史もまた、誰かの手によって紡がれていく。それは今日産まれたばかりの赤子かもしれないし、万人の生を悟った老人かもしれない……無論、私も、お前もだ」

「俺も?」

「異国の旅人として、もしかすると(いしぶみ)に名を刻むこととなるかもしれんな?」

 わざとらしく微笑んで、レナトスは言った。

「……いや、あり得ないな」

 だって俺は本来、この世界にいるべき人間じゃないんだから。本当はもっと勇敢で、理知に富んでいて、そんな主人公らしい奴がここに来るべきなんだ。その点で言ってしまえば、俺は臆病で卑しく、誰のためにもならない人生を送ってきた人間に違いない。

 俺には、誰かを幸せにすることなんてできない。

「あり得ない訳ではないだろう。いっそのこと国でも救ってしまえば、英雄と持て囃されるに違いない」

「……なんだそれ、お芝居じゃないんだからよ」

 ……

 そうこうしている内に、俺達はどうやら丘の頂上まで辿り着いていたようで──ごつごつしい大樹の幹に、レナトスは背中を預けて座った。俺もまた、彼女の姿を模倣して隣に座る。

「─────これは、《()(かい)(じゅ)》と呼ばれるものだ。世界が創られるより前から存在する、最古の樹木──山海を越えて四つの大陸に張り巡らされた根は、その地に魔素をもたらしているという。いささか信じがたい話だが、事実その通りなのだ」

「……確かモンスターって、魔素の過剰排出で発生するんじゃなかったか?」

「良いところに目を付けたな。だが実のところ、明確な原因は分かっていない──人を襲う理由も、獣のような外見で現れる理由も、だ。それ故に私達は、魔物を倒しながら研究を進めている」

「……なるほど」

 ヒラリウスの言っていた、学者の調査云々のことだろうか。

「……どうして、ここに? 確かに景色はいいけど、だからって、俺なんかを連れてくるほどじゃないだろ」

 俺がそう訊くと、彼女は寸時思考するような素振りを見せて、

「……昔、父上とはここでよく遊んだものだ。不器用ながらに花の冠を作って、父上の頭に被せたりもしたな」

「なんか……可愛いな、それ」

「やはりな、父上は愛らしいと私も常々思っている」

 お父さんの方じゃねえよ。

 ……

「─────つまりここに来たのは、思い出を振り返るためってことでいいのか?」

 確かにこういうのはノスタルジーを感じさせる場所だな、と──初めてここを訪れる俺も、微々ながら思った。俺ですらこれほどの懐かしさを覚えているのだから、きっと彼女の懐古はそれの比ではないのだろう。

「ああ、そうだ。……それに、もう一つ」

「……?」

 首を傾げる俺に、レナトスは続けて答える。

「昔話をするのに、丁度いい場所だと思ったからだ」



 ─────

 ──────────

 ───────────────



 十数年前のレナトス・フォン・ヴァスタニアは、それこそ普通の──何の変哲もない、あくまで平々凡々の域を出ない、いたいけな少女であった。ヴァスタニアを代表する花であるユーカリがよく似合う、純潔を体現したような人間と言えば彼女のことだとすぐさま思い浮かべられるほどには、彼女は儚く、自然と同化するかのごとく美しかったらしい。

 外に出るのを特段好まない性格だったが、両親の同伴で外出することはあった。その優れた外見も相まってか、普段から衆目を集めることは少なくなかったという。

 起床も、朝食も、昼食も、夕食も、就寝も、彼女は常に、手練れの魔術師である自らの母と共にいた。両親と同じ時を過ごすことこそが彼女の生き甲斐であり、彼女の両親もまた、娘の成長を見守るのが生き甲斐だった。

 そんな至上の幸福を嘲笑うかのように、《その日》は突然訪れた。

 魔物の侵攻自体は、ヴァスタニアにとってさしたる問題ではなかった。この国の兵士は勇敢であり、またその気高き心神に見合うだけの力量も持ち合わせているからだ。

 故に《それ》が起きてしまった原因は、十数年という短期間で一部魔物の知能が大きく上昇したことに端を発する。

 侵攻当日、《古龍》が王都を襲った。唯一の安全区域だと思われていた中心部が襲撃されたことで、ヴァスタニアの民は王都からの避難を余儀なくさせられた。無論、王族であるレナトスもだ。

 父は騎士団長として前線で指揮を執っていたため、彼女は母と共に逃げた。

 逃げおおせた、はずだった。

 馬車を引く馬が魔物の攻撃に倒れたのは、視野も地形も芳しくない山岳を走らせている途中だったという。

 自らの子を守るため、彼女の母は懸命に戦った。

 その顔に切り傷をつけられようと、衣服が血と泥で汚れようと、腹部から臓物が溢れ出ようと、戦い続けた。レナトスは馬車に隠れ、激しい戦闘の音を聴きながら身体を窄めることしかできなかったという。

 ……

 侵攻を退けて救助された彼女が愛する母の死を知ったのは、それから三日後のことだった。幾度となく枕に顔を埋めて、幾度となく母の名を叫んだ。

 何度呼んでも、彼女が戻ってくることはなかった。

 ……

 いつからか、レナトスは剣を持ち始めた。彼女は瞬く間に成長を遂げ、やがて騎士団の中でも彼女に剣で打ち勝てる人間は存在しなくなった。

 かくして、レナトス・フォン・ヴァスタニアは《孤高》であり、そして《孤独》な存在に──成り下がってしまったのだ。



 ───────────────

 ──────────

 ─────



「……私は、周りの誰も救うことができなかった。私に父や母のような強さがあれば、少なくとも、ああはなっていなかっただろう」

 憂いを帯びた表情で、月明かりの下に曝されながら──彼女は、そう語った。

「それは結局、その時点じゃどうにもならなかったんじゃないのか?」

「だからこそ、だ。護れない時に失ったからこそ、護れる今は失いたくない──ここにある大切な物を、命に換えてでも護ると決めていた」

「……」

「だが、今は違う。今ここにいる《私》も──私自身が、護るべきものだ」

「……レナトス」

「『命に換えてでも』という言葉は、一見すると素敵な自己犠牲の精神に思える。しかし見方を変えてしまえば、それはただの自己満足にすぎない──己の正義感を振り回すためだけの、便利で卑怯な謳い文句だ。命を懸けるというのはあくまで最終手段であり、大々的に掲げる常套句の一種ではない。死んで誰かを救うよりも、生きてより多くの《誰か》を救う方が遥かにいい──ようやく、気付いた」

 きっと葛藤してきたのだろう。

「私は、簡単に死を選ぶような狡い人間には成り下がりたくない──私は、護りながら生きたい。それを実行できるだけの力があるなら、私はその道を進みたい。私が死ぬと悲しむ者達がいることも、確かめることができたしな」

 それからレナトスは立ち上がり、地面に座り込む俺の真正面に立つと、こう言った。

「お前のおかげだ、アコト。一人で背負うべきではないことも、私を護ってくれる誰かがいることも、人に頼っていいことも、全てお前が気付かせてくれた……お前がここにいてくれること、感謝する」

「……それは、自分のおかげだろ。あんたは薄々、気付いてたんじゃないのか? 歪んでいる自分が、心のどこかにいるってのを──間違った正義を掲げる自分を、あんたはもう、どこかで見ていたから──だから、俺が後押ししただけで自覚できた。そうじゃないのか、レナトス」

「……確かに、そうかもしれんな。だが、目を逸らしていた私の視線を元に戻したのは、間違いなくお前だ──今なら、碑にお前の名前を彫ってやっても構わんぞ?」

「ハハッ、なんだそりゃ」

 ……

 独りよがりな正義は、この瞬間、誰かのための正義になった。かくも陳腐な自己犠牲は、最善の未来を掴み取るための決意に変わり──孤高を履き違え孤独となった彼女は、己の責務を再認識するに至ったのだ。

 《レナトス・フォン・ヴァスタニア》の物語は、ここから始まる。たとえいかなるスタートを切ろうが、彼女ならば必ず、最も優れた選択をするに違いない。

 まあ、全ては俺の妄想に過ぎないが。

「……すまない、こんな話を聞かせてしまって」

「いいんだよ。頼るってのは別に、誰かを心の拠り所にするのでも構わないからな──それから、謝るのはナシだ」

 好きなだけ頼っていいんだ。

 その分、誰かが頼ってくれる。

「……ああ、ありがとう」

 ……

 それから暫く、沈黙が続いた。

 いつまでこうしているのかも分からなかったし、いつまでこの時間が続くのかも、俺には分からなかったが──ただ一つ、世に二つとない月光を全身に浴びながら、俺達は──慌ただしく揺蕩う花のように、夜風に吹かれた。

 誰に憚ることもなく。

 己の立場すら放棄して。

 異世界に生まれた先導者と、順世界に生まれた凡人は、同じ世界で──同じ時を過ごしたのだった。


 ……


 …………


 ………………



「─────さて、そろそろ帰路に着くとしよう。組織を統括する者が寝坊とあっては、騎士団の面目が立たぬ」

 幹に背中を預けていた俺に、レナトスは振り返って言った。風で今にも飛びそうな帽子を、これでもかと押さえているのが見てとれる……

「真面目だな……」

「人に頼るのが大事とは言われたが、だからといって、これまで行ってきたことを疎かにする訳にはいかん──私はあくまでも、《頼られる存在》になりたいのだ」

「……そうか」

「さて、ではそろそろ─────」

 と、レナトスが踵を返そうとした、その時──彼女の足が不意に止まり、そして、

「─────あれは」

 ヴァスタニアから遠く離れた平原を見ながら、呟いた。

「……どうした?」

 俺も気になって立ち上がり、レナトスの向いている方角を見て、その視線を追う。



 ─────何かが、蠢いている。



 風に揺れる草花の比ではない、ただそこに列をなして進む『何か』の存在を──俺とレナトスは、一瞬にして感知した。

 暗がりな上に距離が離れているからか、それらの姿形は大まかにしか判別できないが、答えは一つだろう。

「……馬鹿な、早すぎる」

 焦燥と困惑の交錯した表情で、言った。

 《侵攻(インヴェード)》。

 十数年おきに発生する、モンスターの大規模襲撃。

「早すぎる──って」

「《侵攻》までには、少なくともまだ半年以上の猶予があったはずだ……」

 突然の《それ》の襲来を受けてほんの少し、彼女は心を乱していたように見受けられたが──すぐに平静を取り戻し、俺に向かって言う。

「アコト、自分の足で王都まで帰れるか? 魔物との戦闘までに、可能な限り魔素を温存しておきたいのだ」

「大丈夫だ。それより、早く行かないと──城壁周りには見張りがいるから伝達はできるだろうが、あまりに遅すぎる」

「ああ、感謝する!」

 そう言葉を残して、レナトスは別れの挨拶を告げる暇もなく──俺の前から消失した。《光》を使って俺をここへ連れてきた時のように飛んだのだろうが、しかし驚異的なスピードである。

「……侵攻、か」

 幾つにも重なる数々の謎に思考を巡らせながら、俺もまた、王都までの道を急いだ。

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