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異世界転移者は帰還したい  作者: 三月透
異世界帰還(と道楽)のすゝめ
6/15

その場の勢いに流されるな

「おお、壮観だ……!」

 ──翌日。

 あの後、普通にパエリアを食って下宿へと帰還した俺は、そのままベッドに倒れ込んで寝てしまった。なにせ一日で色々あったもんだから、精神的な疲労が溜まりすぎていたのかもしれない。ともあれ、今朝も実に寝覚めよく起床することができた俺は、下宿で飯を食い──服を買った。

 いやだって、そういうものじゃん。いくら異世界が衣類の使い回しにルーズとはいえ、俺が気になる。日本に住まういち高校生として、清潔さと清廉さは欠かせないのだ。ちなみに俺が着ているこの服、一着10コルである──どうやらコルという通貨は、こちら側で言うところのドルに近いらしい。

 それはそうと。

 ……この世界、風呂とかあんの?

 そう思って外を練り歩いてみたところ、下宿の近くに浴場があるのを見つけた。下宿に泊まっている者なら、誰でも無償で利用可能とのことで──朝風呂で気持ちよくなった後、俺は目的地へと足を運んだという訳だった。

「──しかし、やっぱり西洋じみてんだよな……」

 そんでもって、これだよ。

 《チュートリアル☆異世界の手引き☆》にあった(もうなんかいちいち面倒なので今後は《例の本》と表記する)冒険者ギルドに、俺は訪れていた。

 うーん、テンプレ。異世界におけるインフラというのは、必ず一点に収束する法則でもあるのだろうか。

 さて、その冒険者についてだが。

 ギルドに辿り着くまでの道中、人々の世間話に傾聴してみると──この世界においては、かなりメジャーな職業らしかった。モンスターなどの障害がある以上、トラブルが頻発することは目に見えているので、冒険者はそのトラブルを解決する役割を果たしているそうだ。

 まあ、要するに何でも屋ということである。薬草採取だったり、住民間の仲を取り持ったり、なんかこう、特殊なロールプレイを要求されたり……実際にやっていることは、諸君らの想像する冒険者とさして相違ない。

 で、その冒険者になるにはどないせえっちゅう話。

「──お前ももういい歳だ、もっとまともな職に就いた方がいい」

「嫌だ嫌だ嫌だ、俺は冒険者になるんだ! 親父なんて大嫌いだ、冒険者登録してやる─────」

 ──はい、冒険者登録でーす。

 ……なんかなあ。創作物の世界を丸々コピーしたような、そんな気味の悪さがあるぞ。

「──それはさておき、だな」

 俺が解決するべき問題は、もっと別のところにある。

 冒険者ギルドという施設について、俺はもっと、それはそれはこぢんまりしたものを想像していたのだが……スケールがデカいんだよなあ、毎回。

 ヨーロピアンな邸宅にでも来た気分だ。

 ……まあ、入ってみないことには始まらない。ここは一度《勇ましき者》に敬意を表し、踏み入ってみせようではないか。

 余裕、余裕。

 ……

 …………

 ………………

「──人、少ないな」

 やはりと言うべきか、これに関しては完全なる偶然の一致だったのだが、ギルド内は思いの外閑散としていた。早朝に依頼を受ける冒険者は、まず少ないみたいだ。

 ああ、そうそう。その《依頼》って何? と思っているそこのお前、待っていなさい。

「……」

 俺は向かって右の壁にある掲示板に貼り付けられた、紙切れの数々を見る。

 多分、これが依頼。紙を取って受付に行くのか、それとも職員に直接申し付けるのかは分からないが、まあ、そういったものだと思う。

 ……押印欄がある辺り、どうにも前者っぽいぞ。

 さてさてそれは置いといて、かの冒険者登録とやらをさっさと済ませようじゃないか。受付は中央と左右に計三つあるのだが、案内らしきものは見受けられない──これ、どこでもいいの?

 中央と左は既に他の冒険者がお世話になっているようなので、俺は右手の受付へと向かう。遠巻きに見た限り、職員の方は銀髪の女性に見えなくもないが……

「あの、いいですか」

 受付の前までやって来た俺は、職員に話しかける。予想した通り、銀色癖っ毛ヘアーの女性だった──目の下に隈があったり、こちら側の世界となんら遜色ないスーツを着ていたりしたのは、ちょっと驚いたけど。

「……」

「すいませーん、お姉さん?」

「…………」

 うーん、反応がないぞ。ひたすらに書類を眺め続けている……今は対応時間外なのだろうか、それとも『面倒だから早く他のところに行け』ということを暗喩しているのだろうか。

 名前でも呼んだら、取り合ってくれねえかな。

 俺は彼女の胸部に付けられたネームタグに目を落とす。

 ……

 フュー。

 どうやって発音すんの?

 まあ、見よう見まねというかただの猿真似にはなってしまうが、一応名前を呼んでみよう。

「あの、フューさん」

「……ん? ああ、はいはい……冒険者ギルドへようこそ。本日はどのようなご用件で?」

 そこで彼女──フューさんはようやく、こちらに面を上げる。ただ過集中してただけか、よかったよかった。

「冒険者登録をお願いしたいんですけど……」

「はあ、新規の方ですか。──ではまず、身分証の提示をお願い致します」

 ……

 ……やべえ……

 身分証のアレコレに対する策を、一ミリも考えていなかったぞ。下宿のおばちゃんはまだ人情味があったのだが、公的機関の人間ともなれば──一筋縄ではいかないことは、確かだ。

「それなんですが、実は……その、身分証を持ってなくて。どうにか登録させてもらうことって、できないですかね」

……もっとやべえ……

身分証を忘れたと言えば済んだものを、わざわざ自分から怪しまれに行ってしまった。

「……なるほど、紛失ですね。ええ問題ありません、身分証がなくとも──《訊く》だけですから」

 フューさんは眉を顰めて言った。

 ……この人、怖いよ。

 いや、あっちからしてみれば俺の方が怖いんだけどね?

「あなたの名前は?」

 そうして、俺に対する質問攻めが始まった。

「アコト・ヨマワリ」

 俺はただボロを出さないよう、淡々と、かつ端的に返答する。

「生年月日は?」

「……今って、何年でしたか?」

「歳月の経過に疎いんですね。今は、創世暦786年の4月6日ですよ」

「ああ、ありがとうございます──770年の6月19日です」

「お若いんですね。出身は?」

「ヤマト」

「……職業は?」

「学生」

「ご両親は、今どうなさっていますか?」

「二人とも数年前、不慮の事故に遭って──それで」

「そうでしたか、大変失礼致しました。では質問を変えましょう──自分の生まれた国で、あなたが最も誇れる部分だと思うところはどこですか?」

「……冒険者って、そんなことも訊かれるんですか?」

「いえ、ただ確認をと思いまして」

「──国民が、礼儀正しいことだと思います。勿論、他の国が礼節を弁えてないとか、そういう訳ではないんですけど……ただ、俺の国では、それが頭一つ飛び抜けているように感じました」

「なるほど。私も昔、仕事の関係でヤマトに赴いたことがありますが──礼節を重んじていると言えば、確かにそうかもしれません。ヤマトの友人から宴会の作法について教えてもらったときは、少々取り乱したものです」

「へえ……仕事ってのは、ギルドの?」

「ええ。この職に就いてもう八年経ちますが、私がまだ新人の頃、仲の良かった先輩の付き添いで行ったのを憶えています」

 フューさんはその話を、とても楽しそうに話した。無論、常時ダウナーテンションな彼女は決して、はっきりとした笑みを浮かべる訳ではないのだが──しかしその抑揚づいた声調からは確かに、彼女の追憶に耽る喜びが感じ取れる。

「……俺にも、そういう人生の師がいたらよかったんですけどね」

「今からでも、きっと見つかりますよ──さて、もういいでしょう。あなたの潔白は、これにて証明されました」

「これだけで?」

「はい。実は私、少し特殊な《目》を持っていまして──」

 言って彼女は、自身の瞳を指す。

「《懐疑(スケプティシズム)》。私の家系に代々伝わる、《異形(エングレーヴ)》の術式です──相手が嘘をついているかどうか、目を見るだけで直感的に分かるんですよ」

 エングレーヴ?

 何それ、怖いんですけど。

 いやいや、この世界に住まう者からすれば、これは単なる一般常識に過ぎないのだろう。訊くのは野暮ってもんだ、そうだそうだ。

 にしても、嘘発見器的な術式ね──単純なものだとばかり考えていたが、どうやらそうでもないらしい。

 ……あれ?

 俺さっき、嘘ついただろ。

「はあ、それは便利な術式ですね」

「それは、もう。この仕事においては、そこそこ役立っていますよ。ただ……」

「……ただ?」

「体内に含有している魔素量が一定以上の者には、この術式が通用しないんです。体内魔素量が多い場合、《転移者》であることも十分考えられますので──身分の怪しい人に対して、この世界の人間のみが答えられる質問を投げかけているという訳ですね」

「なるほど、それで……」

 道理で、必死についた嘘がばれなかった訳だ。にしても、フューさんの話から推測すると、転移者って魔素の量が多いんだな。

 純粋な疑問、なんでだろう。

「ではこれから、ヨマワリ様の冒険者証を作成します。この場で即時お渡し致しますので、完成まで少々お待ちください」

 フューさんはそう言って、受付の奥へと消えていった。見ると、全ての受付口が向こうにある事務室らしき部屋へと繋がっているらしい──これはまあ、役所の構造と似た感じだな。

 ……

 …………

 ………………

 ─────あっっっぶねえええええ!!

 マジ冷や汗かいた、なんなら十六年の人生で一二を争うくらい緊張したかもしれない。ちなみに今一二を争っているのは、俺が母親に、我が家の資金繰りについて相談した時の思い出である。

 まさに、全ての偶然が重なりあった奇跡──きっとこの世界には、嘘つきを護る神様がいるに違いない。

 だってありえねえもん。

 ……ふう。ひとまず、最大の難関は潜り抜けたのだ──他人に嘘をつくというのは少々心が痛むが、そんなことは気にしてちゃいられない。

 彼女の言い方からして、《転移者バレ=死》の公式はほぼほぼ完成されたといって支障はないだろう。法的に裁かれるのか、それとも秘密裏に捌かれるのか俺の知ったことではないけども、うん、処されるのは確かである。イエスのように、ジャンヌのように、もしくはマリーアントワネットのように、磔刑火炙りギロチンシュートされたり……されなかったり。

 そんなことを自分勝手に考えながら、俺は受付前のソファに座って、フューさんを待つことにした。

 冒険者証ができるまで、明確にどのくらい時間を要するかは言及していなかったが──剣と魔法の世界だ、多分十分そこらで終わると俺は予想する。

「……にしても、冒険者ギルドねえ」

 冒険者である必要性を何一つ感じないのだが、これは俺がどうかしているのか? 万事(よろず)屋とか、探索者とか、そういうので良かったろ。何を冒険するんだ。

「分からないことが多すぎるぞ、異世界(ここ)は……」

 術式、現代の名残、転移の原因、運ちゃんを葬ったゲート、魔王とその配下である七厄臣、転移者の性質と処遇、魔素、そして何より。

 《例の本》。

 他はこじつけてでも説明をつけられるが、こればかりはどうにも、何者かの介入がなければあまりに不自然だ。

 いや、不可解だ。

 一体誰が何のために、どうやって用意したのか──情報が不足している今では、何をどう考えても答えに辿り着かない。

「──そこの嬢ちゃん、イイ身体してんじゃねえか──」

「……」

「……ん?」

 その時突然、俺の視界にギルド職員以外の人間が映り込む。俺から見て左、中央の受付口付近で──二人組の男が、一人の少女に絡んでいるのを視認した。わざわざギルドまで来ている辺り、どちらも冒険者なのだろう。

「触らせてくれよ、ふへへ……」

「……断固拒否するわ」

 ……ええ……

 うーん、テンプレオブテンプレ。昨今のお約束展開とは、こういったものを言うのだろうか。

 ──まあ待て、まだ判断するには早いぞ、世回襾言。変に手を差し伸べれば、こちらが傷を負う可能性だってなきにしもあらずだからな。

 俺は一度、男と少女の容貌を見直す。

 二人の男──一方はがっちりした筋肉質な体型、籠手やすね当てを付けているからおそらく戦士みたいなもんだろう。背中に大剣を携えていることも含め。もう一方は黒いローブに木製の杖──うん、魔術師確定だな。

 少女──金髪、ツインテール、青い瞳。

 うん、お嬢様確定だな。

 服装を見ると、シャンクボタンの施されたブレザーに赤いネクタイ、下は膝丈まであるスリットの入ったミニスカート。

 ……ス、スリット?

 いやこの際彼女が十中八九学生であるという紛れもない事実はひとまず俺の中で完結させておくとしてもしかしそれにしてもだよ。

 異世界の服装って、そんなにフェティシズム溢れるエチチなやつでも問題ないんだ。ミニスカートにスリットって、かなり業の深いアレだと思うんだけど──スリット入れても、機能性的な面で言えば大して意味ないし。まあ、なんか紐みたいなので縫い付けられてるから、コンプライアンス的には問題ないと俺は思考を終わらせた。

「大人の言うこともロクに聞けねえ悪いお嬢ちゃんには、《お仕置き》してやんねえとなあ……」

「そう、やれるものならどうぞ」

 ……実は俺、《全能(オールマイティー)》の副次効果か知らないけど、術式を発動する前兆が見えるんだよね。今の今まで本当に説明してなかったから、マジで申し訳ない。

 で、あの三人、術式発動しようとしてんのよ。

 ……とても嫌な予感がする。彼らがギルドの修繕費用を払う羽目になる前に、さっさと止めなければ。

 もしこの場に主人公がいるなら、是非ともこの役目を譲ってやりたいところだが──残念ながら、ここにはいない。

 さて、行くとしよう。

「おい、そこのあんた。嫌だって言ってんだろ、大人らしくやめてやれよ」

 三人の元へ足を進めながら、俺は口頭で制止に入る。

「なんだァ? てめェ……」

 愚地○歩かよ。よりによって、言ったの魔術師の方だし。

「やめろと言ったんだ。ここで騒ぎを起こしても、あんたらには何の得もないだろ」

「ちょっと、あなた……」

 後ろに立つ少女が、俺の肩に触れて《避けろ》の合図を出しているのが分かる。多分そう。

 しかし、だがしかし、ここで引き下がる訳にはいかないのだ。

 というより、引き下がれない。

 ちょっと動いたら失神しそうです、本当すいません。歯もガッタガタに震えてるし、もはや他者とまともに会話できているのが奇跡だ。明言していい。

 意気衝天と間に入った俺だったが、現在、人生で一二を争うくらいに緊張している。ちなみに今一二を争っているのは、俺が母親に、我が家の資金繰りについて相談した時の思い出である。

 母は強し。

「──あなた達、何をしているんです?」

 ……と、今にも気を失ってしまいそうな俺の元に、ようやく助け舟がやってきた。

「誰だ、テメェ!」

「ああ、そういうことでしたか。……はあ、仕事を増やさないでいただきたいものですね」

 状況を一見し、男の怒号が響くなり、フューさんは得心のいったように嘆息する。

「……フューさん、助けてください」

「あなたは本当に何をしているんです……?」

 困惑の目で震える俺を一瞥した後、彼女は「下がってください」とだけ端的に伝え、俺に代わって三人の間に割り込む。

「ハインリヒ・ザクセンベルク──創世暦562年8月6日、クジャルドのサラスヴァトで一家の長男として生まれ、5歳頃より付近の剣術道場で10年程度研鑽を積む。その後ヴァスタニアへ渡来し、現在はB級冒険者として毎月1000コルを実家に仕送りしながら生計を立てている。父母共々ヴァスタニア出身であり、厳密にはクジャルド人でない……」

「なっ……!」

 ……

 あーね、そういう感じね。社会的尊厳を毀損するタイプの精神攻撃ね、マインドフルアタックなのね、はいはい。

 ──人様の個人情報握ってるって、かなりのアドバンテージになるんだなあ。

「同じくフリードリヒ・ザクセンベルクさん。場合によっては今ここで、あなたの個人情報を開示することも可能ですが……いかが致しましょう」

 ワーオ、実力行使にも程があるぜ、フューさん。

 というかこいつら、兄弟分だったのかよ。

「……」

「まあ、いいでしょう。お二人はこれまでに二度、受注した依頼の無断キャンセルを行っていますね? 《重大な規約違反》として、深く釘を刺されている筈です──お手数ですが、一度ギルドのマニュアルを読み直すことを強く奨励します。マニュアルには、《いかなる場合においても、他の冒険者の本ギルドで活動する権利を侵害してはならない》と、そう書かれていますから」

 フューさんの鋭い眼光が、男二人の心を刺した。

「う……うるせえ! そもそも俺達はな─────」

 と、大柄の男──ハインリヒが何か言おうとしたところで、もう片方の小柄な男、フリードリヒが止めに入る。

「ストップ、ストップ! 兄貴、あの女──《染物屋(ローズドレス)》です!」

 言って、彼が指したのは──今まさに彼らと向かい合っている彼女、フューさんだった。

 ……え? 何?

 割と凄い人だったの、フューさん?

「…‥無駄口を叩いている暇があるのなら──私の衣服を不必要に汚さないよう、早急に立ち去ってください。《いいですね》?」

「は、はいっ!」

 殺意の籠った視線を直接向けられて萎縮したのか、彼らは足早にギルドを去っていった。

「……フューさん、さっきの」

「昔のことです。さて、それより─────」

 あ、触れちゃダメなのね。

「ライカさん、お怪我はありませんか?」

「私は問題ない。勝手に介入してきた上に自爆した、彼の心配をしてあげたらどう?」

 そう言って彼女──ライカは、俺に目線を遣る。

 随分と酷い言い方してくれんじゃねえか、お嬢様よお。いやまあ、言われても返す言葉がないくらいには、実際酷かったんだが。

「ねえ、偽善者」

「偽善者!?」

「じゃああなた、名前は?」

「──アコト・ヨマワリ。えっと……一応、冒険者だ」

 それから「あんたの名前は?」と、俺は訊ねる。

「……もしかしてあなた、新聞とか見ないタイプかしら?」

 猜疑と困惑の入り雑じった表情で、彼女は言った。

「まあ、あんまり見る方ではないな。それがどうした?」

「そう。ならいいわ、私、あなたに興味ないから。あなたの名前も、もうとっくに忘れちゃった」

「残念でならないわ」と、ライカはわざとらしく言ってみせて──そして、ギルドの出入口まで歩いていく。

 しれっと質問に答えてくれていないのは、仕方ない──ことなのだろうか。

 そんな俺の思考を裏切るように、というか裏切るように、彼女は歩を進めていく。

「なあ、あんたの名前は?」

 俺は彼女にもう一度、同じ質問を投げかけた。

「……はあ。いい、その耳をよく澄まして聞きなさい──」

 そこでライカは立ち止まり、少しの溜めを作り出すと、

「──ライカ・アーツ。憶えておくといいわ」

 俺を一瞥して、宣告した。

 ……何? 誰なの?

 言い方からしてかなり高位な、ワンチャン皇位な家の令嬢だったりするのかもしれない──だとしたら俺に対して、傲ったような、突き放すような態度を取るのにも得心がいくのだけれど。

「……すみません。《ライカ様》は、いつもあのような様子ですから」

「名前で呼ぶのか?」

「はい。本人より《名前で呼べ》とのご希望がございましたので──彼女にとって、自分を名字で呼ばれるのは癪に障ることなのでしょうね」

「へえ……」

 《彼女はもしかすると貴いお嬢様なのだろうか》という俺の拙い予想は、どうやら的中していたらしい。だからなんだ的な話ではあるのだが、ちょっぴり自己肯定感の値が上昇する偶然だった。

「さて、もういいでしょう。冒険者証をお渡ししますので、そちらでお待ちください」

 そう言ってフューさんは右奥の扉を開け、隙間にするりと身体を滑り込ませると──右手の受付口へと戻ってきた。うーん、見慣れた構図。記憶に残りそうなワンシーンだ。

「こちらが、ヨマワリ様の冒険者証になります。記載されている情報に、間違いはございませんか?」

 フューさんから手渡された、こちら側でよく見るデザインの──免許証? クレジットカード? ……まあ、冒険者証を流し目に見る。レイアウトも免許のそれと大した違いはなく、改めてあれが完成された配置であることを確認した。

 名前──アコト・ヨマワリ。

 生年月日──770年6月19日。

 出身──ヤマト。市区町村を記さなくてもいいことに、俺は少々驚いた。

 それから、右下にでかでかと存在している《E》というアルファベット。おそらく冒険者ランクを表しているのだろう──さっきの二人も、公開処刑ついでランク公開されてたし。

「はい、間違いありません。……ところで、この右下にあるこれは?」

「ああ、それですね。口頭で話すだけでは理解しがたい内容になりますので、資料を見ながら順を追って説明していきましょう」

 言ってフューさんは受付の下に身体を潜り込ませ、少しした後、埃だらけの状態で一枚の紙と一緒に顔を出した。紙を俺の前に差し出すと、ハンカチで手際よく服についた埃を落としていく。

「……大丈夫ですか?」

「問題ありません、埃アレルギーではないので」

 いや、そういうんじゃないんだけど。

 ハンカチを懐にしまって、フューさんは再び眠そうな様子で俺と向かい合う。紙はインクの跡が少々特殊で、印刷でもしているのではないかと疑ってかかるほどだった。

「印刷です」

 はい、プリンティングでしたー。異世界すげえ。

 とまあ、そういった無駄話はさておき。

 資料のある部分を指し示して、フューさんは語り出す。

「まず当ギルドにおける制度として、《冒険者ランク》というものがあります。これは文字通り、ギルドへの貢献度などを鑑みて冒険者毎に階級を振り分ける制度です」

 続けて、縦に連続して並ぶアルファベットに指を移すフューさん。

「ランクは低い順にE、D、Cと続いていき──一般的に冒険者の間で最高ランクとされるのが、この《A+》ランクになります。ヨマワリ様は新人冒険者ですので、Eランクからのスタートですね。ごく稀に、Sランクの冒険者はなんなんだと訊いてくるビギナーの方もいらっしゃいますが、《世界樹》や《英霊の郷(エリュシオン)》のようなパーティは特例中の特例──よほどのことがない限り、殆どの冒険者はA+ランクで打ち止めです。逆に言ってしまえば、現状A+ランクまで到達している冒険者は、彼らの中で最もギルドに貢献しているということです」

 ……ん?

 情報が多いぞ……一つずつ整理しよう。

 まず《冒険者ランク》についてだが、これはこちら側で見るゲームだかの評価とさして差異はないらしい。どうしてアルファベットが用いられているのか、俺には皆目見当つかないが──こちら側の名残ということにしておこう。

 次に、特例の《Sランク》。

 昨日俺が店で会ったアザレア──トリスメギストスは、やはりとんでもない人だったようである。さすれば、彼に退店を促していたリコルという少女(女性?)も、その道では相当な有名人なのだろう。エリュシオンとかいう新情報・新パーティも出てくるし、もう俺の海馬と大脳皮質はショート寸前だった。

 そして、彼女が言及しなかったもう一つのランク(・・・・・・・・)

「……ところで、フューさん。Eランクの下にある、《F》って何なんです?」

 俺は先程からどことない違和感を醸し出す《それ》を指しながら、言った。

「ああ、《訓練生》ですね。《キファレア国立魔法学校》は当然ご存知かと思いますが─────」

 ごめんなさい、知りません。

「冒険者コースにおける授業の一環として、実際に当ギルドの依頼をこなすという、所謂課外実習のようなものがあるんです。その際、学生が仮登録を行う場合に用意されているランクが、このFランクです──一般の冒険者に所縁のあるランクではありませんので、ご安心ください」

「はあ、そうでしたか……」

「ただ、魔法学校では稀に、能力の秀でた生徒が早期に冒険者としての活動を始めるというケースもあります。ライカ様などが、その最たる例ですね」

 じゃああのお嬢様(ツン(デレ?))、結構凄い感じ?

「ちなみに、ライカさんのランクっていくつなんです?」

「確認する限りでは、Aランクです」

 ……

 訊いておいてなんだが、いまいち凄さが分からん。分かりやすい例えや比較でも提示してくれれば、もしかすると驚嘆できるかもしれない。

「しかし、本当に凄まじい人が現れましたね……ああ、あなたはライカ様についてご存知ないんでしたか。本来、Aランクまでは三から四年かけて到達するところを、彼女は一年で駆け上がってきた──天才とはまさに、あの人のようなことを言うのでしょう。……一応言っておきますが、彼女がきわめて異常なだけです。あなたまで急いで依頼をこなす必要はありませんよ」

 ……

 ……ちゃんと比較出してきやがった……

 にしても、Aランクまで四年か。

 さて、諸君。《終わりの地》の開拓に参加する条件について、諸君らは果たして記憶しているだろうか。

 そう、《ソロ・パーティどちらかの冒険者ランクがA以上に達していること》だね。

 ……

 俺、帰るまでに四年以上かかんの?

 嫌なんですけど。早く帰りたい。

 早く帰らないと。

 帰らないと。


 現実はいつだって無情(幻想はいつだって至上)()


 ………………


「─────ヨマワリ様、顔色が悪いようですが」

「……いえ、大丈夫です」

「……そうですか、その言葉が方便でないことを祈っておきます。では話を戻して、冒険者ランクを上げるにはどうすればいいか、という話なのですが」

 フューさんは再び指をずるずると引きずるように動かし、資料右半分の長ったらしい文章を左から右へとなぞる。

「ランクによって条件は異なりますが、各ランクにおける昇級可能条件は随時お伝えする予定です。ちなみに、EランクがDランクに昇級できる条件と致しましては、《ギルドの依頼を三十個以上達成する》こと──これだけです」

「フューさん、その─────」

「《依頼》、ですね」

 先読みすげえ。

「ヨマワリ様の後ろにある掲示板に貼られている紙、あれが依頼です。左の依頼は要求されるランクが高く、逆に右側に区分されている依頼は誰でもできる簡単な内容になっています。そうですね──なんでもいいので、掲示板から一つ依頼を持ってきてくれませんか」

 フューさんに言われるがまま、俺は後ろの掲示板へと向かう。

「……んー……」

 なになに、薬草採取──南東の森に群生する薬草を計三十個採ってきて、報酬90コル。オオカミ退治──ネザーラントの近くに現れる一本角オオカミを五匹倒す、報酬150コル。十匹倒すと330コル。

 ……なるほど、これは難しい。

 場所が分からん。どこだよ、ネザーラントって。

 あれこれ考えていても仕方がないので、俺はひとまず薬草採取の依頼を剥がし、受付まで持っていく。

「薬草採取ですね、では右の押印欄に指印をお願い致します」

 言われるがまま、朱肉に指を付けて押す。

 ……

 ん?

「──改めまして、未来ある冒険者の誕生に祝福と敬意を表します。薬草を三十個採取したのち、ギルドまで持参していただければ依頼達成です」

「……」

「期限は今日の午後三時までです」

「はい?」

「午後三時です」

「……」

「……」

「……ワンモア」

「午後三時です」

 ふむふむ、午後三時ね。

 今は──午前十一時。なるほど、あらかた理解した。

「なお、期限までに依頼を達成できなかった場合、違約金が発生しますのでご注意を─────」

 ……

 あと四時間。

 俺は自然と指印を押させられ、そして依頼を受けたということになった。断じて、俺の意思ではない。

 ……

「─────こっ……」



 こんのクソギルドがアアアアァァァッ─────!!



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