モノホンの女騎士はそもそも捕虜にならない
さて、諸君。
世回襾言は今、危機的状況に直面している。
異世界ファンタジーにおいてモンスターが出現するのは、当然といえば当然なのだが──それが負けイベントみたいなもので、かつ初陣ともなると話が違ってくる。
「どうして、どうしてこうなったあああ!!」
まあ、簡潔にこの現状を述べてしまえば──世回襾言は現在、109(あの東京にあるでかいの……東京行ったことないけど、というかそんな暇ないけど)サイズのドラゴンに襲われていて、そして食われまいと全力疾走中なのである。
モンスター。
魔素(おさらい、物質を構成するエネルギー的なもの)の過剰排出により発生する、魔素の集合体……らしい。それはスライムだったり迷子の鎧だったりするのだが、俺が一番最初に出会ったのはよりにもよってドラゴンだった。
前話で平原を歩き出した矢先、天から隕石でも落っこちてきたのかと思ったらこれだ。隕石の方が、まだ幾分マシだったのかもしれない。
なんだよ『ヴオオオォォ!!』って、冗談抜きで殺しに来てんじゃねーか!?
こういう時は、重要人物とかの誰かしらが助けにくるのがテンプレートだろ。
……ああいや、俺は主人公でもなんでもないんだった。そりゃ、異世界の誰もこの俺に手を差し伸べない訳だ。となると、この状況は自分でどうにかしなければいけないのだけれど……
「術式ってどうやって使うんだ!?」
俺は多分、この本(俺が今左腕と脇腹の間に挟んでいる本、《チュートリアル☆異世界の手引き☆》)の肝心要を見逃していた。
おい、今見ればいいとか思ってるそこの奴。世回襾言が、ドラゴンとかいう人類にとって未知の存在から逃亡している最中に飄々と読書をできるほど、インテリジェンスに富んだ人間だと過信しない方がいいぞ。
俺は無能だ。これだけは確執を持って、いや持ってはいけないが、絶対に言える。
そんな訳で、俺は今ドラゴンから全力で逃亡を図っている──のだが。
『ヴオオオォォ……!!』
……そのドラゴンが、なんかチャージしている!
あれはそう、ゲームの攻撃モーションで何度も見た、ドラゴンの十八番と言ってもいい──最強であり、ロマン技。
そう、火炎放射だ。
ドラゴンが109なら、火球は駅前のスタバ。スタバが俺の方目掛けて飛来してきた。
「どわあああっ!?」
必死ながらも咄嗟に左へ大きくターンした俺の後ろ髪を、ちょっと熱めのファイアーボールが焼いた。
頼んでもないのに、勝手に髪をセットしやがって。
『ヴオオオォォ!!』
その真紅のドラゴンは、即座に火炎放射の再チャージを開始した。もうちょっとこう、再使用時間っつーのを考えろよ。
というか、お前の足踏みひとつでデッドエンドの俺にそれはオーバーキルだろうが!
第一、術式の使い方もろくに理解してない俺にそんな仕打ちを─────
「……ん?」
いや、分かるぞ。
あの火炎放射の原理、あくまでも感覚的にだが──理解できない訳じゃない。
あれは、《火》? 耐熱性の高い体内から、魔素を変換させて吐き出す炎ってとこか。不意打ち的な用途で使われてたんだろうが、散々その攻撃を見てきた俺にとっちゃ──なんにもなりゃしねえ。
もしかすると、これが《全能》の本質?
全能と書いて、オールマイティーと読むあれの真価。
──まあいい。とにかく、構造が分かるってんなら使えるはずだ。
俺は右手を前に突き出し、そして。
「《火》」
術式の名を、呼んだ。
……
…………
うん?何も起こらないぞ。おかしいな、理解はできていたはずなのだけれど。
と、頭上になにやら熱いものを感じて、俺は空を見上げる。
「……はあ?」
ドラゴンが109で、そいつの吐き出す炎がスターバックスなら──俺の術式で変換した炎は、うん、ヒカリエだった。
「待て待て待て、俺も巻き添えにされんじゃねえのか!?」
多分、俺は出力調整を大いにミスった。スタバにスタバで対抗しようとして、なぜかヒカリエを出してしまったことがその証左である。
そして──その馬鹿でかい火の球が、ドラゴンに向かって放たれた。
『ヴオオオォォ──!!』
回避を試みるドラゴンだが、そんな巨体で、しかも火炎放射のチャージ中とあっては動くに動けまい。
つーかお前、その咆哮しかできないのか?
俺のどうでもいい心配をよそに、その巨大な火球はドラゴンにクリーンヒットし、爆散した。
熱風がそこら一帯を吹き飛ばし、あたりに土煙が立ちこめる。
「やったか……!?」
『ヴオオオォォ!!』
「やってねえ、逃げろっ!」
ドラゴンが自分の炎で火傷しないのは、当然火属性耐性を有しているからである。
見事にフラグを立ててしまった俺は、再び追いかけっこを開始した。
と、思っていたのだが。
「避けろ、青年!」
「はい!?」
俺の真正面から忠告が聞こえたかと思えば、そこには──鎧甲冑を身に纏った騎士らしき女が、ファンタジー御用達のロングソードを両手に一振ずつ携え、こちらへ接近してきていた。
そう、あれはまさしく──女騎士。敵軍に捕まって、「くっ、殺せ!」とか言いそうなタイプの。
金髪のロングヘアーに整った顔立ちは、彼女が騎士であることを忘れさせるかのように際立っている。
かわいい女の子を助けろとは言われたが、かわいい女の子に助けられるなんて聞いてないぞ。
「《光》──識の真、理の善、審の美を以て、遍く憎悪を撃滅せよ」
やたら格好のついた呪文(かは知らないが)を唱えると、彼女の身体が煌びやかに発光する。そのまま上空へと飛び上がり、二対の刃をドラゴンへ一直線に振り下ろすと──鱗も筋肉もまるで意味を成さないかのごとく、ドラゴンの頸椎を見事に切断した。
頸と共に落下してきた彼女は、光の速さでこちらへ駆け寄ると、
「お前、どこの生まれだ?」
と、なぜか出身を訊いてきた。
なんで?
日本と言っても、どうせ分からないに決まっている──ここは異世界であって、俺のいた地球とは全く異なる場所なのだから。
「あー……そう、大和だ!」
だから俺は、至極適当に答えたはずである。
「ふむ、ヤマトか。あの国は武術が盛んだと巷に聞いていたが、よもや魔法にさえ長けているとは……」
なんであるんだよ。
いや、もしかすると俺のいた世界とここは、近からずとも遠からずな運命を辿っているのかもしれない。大和朝廷が永劫日の本の頂点に君臨し続けた、とか。そう考えれば、辻褄はどうとでも合う。
「あの竜をここまで引き付けてくれたこと、礼を言う」
「……なんと?」
礼?
「なに、これを街の遠方まで誘導したのは、お前ではないのか?」
「あ、そう。そうです、はいはい」
「やはりか。協力に感謝する」
なんともみずぼらしい嘘をついてしまったが、まあ、立役者になったのなら良しとしよう。
逃げるは恥だが役に立つとは、このことか。
「お前、名をなんと言う?」
「あー……世回襾言です」
「ヨマワリか、いい名前だ。私はレナトス・フォン・ヴァスタニア、ヴァスタニア王国騎士団の団長を務めている。以後、宜しく頼む」
「へえ、ヴァスタニア王国……」
そういやあの本、国の説明もあったな。
『説明しよう! この異世界には四大大陸、またの名を四大都市なるものが存在している。いずれも突出した武力と経済力を抱え、互いにバランスを維持しているのだ。一・ヴァスタニア王国。二・クジャルド王国。三・ヤマト之国。四・ゾーロアスト帝国──この四つの大国で、世界は成り立っているんだぞ!』
なんじゃそりゃと思ったが、よくよく考えてみればその中にヤマトも入っていた気がする。
……で、なんだって?
彼女の経歴がすさまじすぎて頭に入りきらなかったが、まあ、一つずつ整理していくとしよう。
まず、彼女──レナトス・フォン・ヴァスタニアは、ヴァスタニア王国の生まれである。
……
当たり前だった。名字がヴァスタニアなのだから、むしろ出身でないと困る。要するにあれか、彼女はヴァスタニア王国の令嬢かつ騎士団長って訳か、なるほどなるほど。
……俺、この世界で生きてていいのかなあ。初めて会う異世界人のレベルが高すぎるんだけど。
「というか、普通に会話できるんだな……」
あっちとこっちでは全く持って異なる言語を用いているとか考慮してたけど、どうやらそんなことはなかったみたいだ。
「何を言っている。翻訳の術式があれば、他国の人間はおろか魔族とも意志疎通ができるだろう」
前言撤回、めっちゃくちゃ別言語だった。
となると俺は、その翻訳の術式とやらを無意識下で使っていたのか。いやあ、流石《全能》。
「それにしても、便利なものだ。お前も存じているとは思うが、ゾーロアスト帝国にあるあの巨塔──翻訳の術式を世界そのものに適用していたとは、私も子供ながらに驚いたな」
再度前言撤回、《全能》のおかげですらなかった。お前、結局どんな術式なんだよ。
「して、アコト。お前はここへ何をしに?」
「えっと……観光?」
よし、ナイス言い訳。『トラックにはねられて、ここまで来ちゃいました。てへ』とか言ったら、どうなるか分かったもんじゃないからな──転移者バレという万一のリスクを侵さないためには、時折嘘も不可欠である。転移者の術式が総じて強いってのはつまり異世界基準な訳だし、あらゆる方面でご贔屓にされてもそれはそれでおかしくない。そうなったら、いよいよ本当に帰る手段がなくなるぞ。
「すると、大陸を跨いだ観光なのだな。ヴァスタニアには、もう赴いたか?」
「いや、まだだけど」
「ふむ、そうか。ヴァスタニアは良い国だぞ、例えば──うん、例えば……」
……
なんか、言い淀んでない? ヴァスタニアって、そんなにサービス行き届いてねえの?
俺は彼女の顔を見据える。
うん、すごく思い悩んでいる。どこにあるか分かんねえけど、行くのやめようかな。そこに首を斬られたまま放置されてるドラゴンさんも気まずそうだぜ、おい。そろそろなんとかしてあげなよ、土に埋めるとか。
「あー、なんかある?」
「すまない、生まれてこの方ヴァスタニアの市街を練り歩いた試しがないのだ。自国の誇るべき大衆文化も心得ていないようでは、騎士団長失格だな……」
そこはヴァスタニアとしてじゃないんだ。
しかし、自分の国で愉悦に浸る暇すらないとは、お偉いさん方は随分忙しいみたいだな。
……俺も、転移者として取っ捕まえられたらそうなるのか? いかんいかん、それだけは絶対に回避しなければ。
「しかし、お前はなんとも豪胆な人間だな。肝が据わっているとも言うが」
「豪胆って……」
「ああ。王国の人間と相見えて、ここまで平静を保っていられる者はそういない。それが平民であると言うのなら、尚更だ」
なんだそりゃ、自分をお高くとめてるってことか。まあ、順当だけど。
「俺、ヴァスタニアのこと詳しく知らないしさ。事前に軽く調べてはみたけど、王族については全くだ」
「騎士団は、まだヤマトにおいて知名度が低いということか?」
「……はい、ソウデスネ」
「なるほど、よく分かった。ああ、そうだ──今回の活躍に免じて、報奨金を渡しておくぞ」
そう言うと、彼女はおもむろに小袋を取り出し、そして俺に手渡した。
大変失礼な行為だが、俺は中を覗き見る。
……さ、札?
「100000コルだ」
「コル?」
コルって何?
「そうか、お前はヤマトの生まれだったな。そちらで言う銭のようなものだ、100000コルあれば小さめの家が買えるぞ」
「……」
今、家って言った?
稗じゃなく、家?
──いや、まあいい。とにかく、この世界における通貨らしき物体が手に入ったのは嬉しい誤算だ。話を聞くに、それなりの大金らしい。なんというか、実感が掴めないな。
「……む?どうやら、団員が私に追随してきたようだ。ヒラリウス、遅いぞ!」
と、そこで、こちらへ向かってくる──というより、ドラゴンから逃げる俺のように全力疾走で接近する褐色肌の男に、レナトスが呼び掛ける。
男は俺の眼前でブレーキをかけたが、無情にも肘がぶつかり両者共に転倒した。
「あのねえ、団長。自分は《風》で、貴女は《光》。風速と光速、どっちが速いかは火を見るよりも明らかっすよ……それで、この自分と一緒に倒れ込んでるのはどちら様っすか?」
おお、見知らぬ騎士よ。俺はうつ伏せで、あんたは仰向けだ。
「其奴は、《紅竜》討伐の立役者。竜の気を引き、我が国の民を守らんと懸命に尽力してくれたヤマトの者だ。今日においては、観光を当て所としてヴァスタニアへ足を運んできたらしい。そうだな?」
「はい……」
俺のつまらない嘘を完璧に説明してくれてありがとう、レナトス。
とうとう言い逃れができなくなったぜ。
「……へえ。観光の道すがら、自分の身を擲って人助け──ハハッ、面白い。街まで遠いんで、良ければ送っていくっすよ」
彼に続いて来たのだろう、数名の兵士と一台の馬車を指差しながら、男は言う。
「自分、ヒラリウス・ナスターチウムって言います。一応……ヴァスタニア王国騎士団の副団長、やらせてもらってるっす」
腰についた土汚れをはたいて落とす彼に合わせ、俺も立ち上がって服を脱ぎ、バサバサ振った。
……ヴァスタニアって、コインランドリーとかあったりする?
「俺は世回襾言。……ヤマトから海を渡ってここに来た、よろしくな」
自分の下顎から冷や汗が滴っていないか、いささか心配である。
「じゃあ、行きましょうか。その本、こっちで預かるっすよ」
「あ、ああ……」
待てよ。こういうのって、大人しく渡すのが英断か、それとも拒否するのが適切か?
個人の持ち物と認識されている以上、中を見られることはないと思うが──万が一のため、ここは俺が持っておくべきか……うーん、どうしよう。
「ま、《魔法の空箱》持ちなら心配要らないっすけどね。団長、『術式は理論で覚えろ』がどうしても分からないみたいで……マジックボックスを覚えようと一週間かけて辿り着いた結論が、『荷物は全部自分で背負う』だったんすよ?」
ヒラリウスはそんなことを話しながら、立方体の黒い箱を何もない所から出現させ、自身の持つ長剣をそこに収納した。
……
そうか、これだ──!
「マジックボックスなら、俺も持ってる。無用の心配はいらないさ」
俺は見よう見まねでその黒い箱を呼び出すと、上から《チュートリアル☆異世界の手引き☆》を落とし、開け口をパタンと閉じた。
「おお、あのヴァスタニア王国騎士団団長『でさえ』覚えられなかった術式を……ヨマワリさん、才能あるっすよ!」
「やめろ、ヒラリウス。皮肉めいた言い方をするな──では、行くぞ。さあ、お前も馬車に乗るといい」
彼女の奨励に従い、俺は馬車に乗り込んだ。後からレナトス、最後にヒラリウスが俺と対面する形で座って、縄で繋がれた二頭の馬は歩行を開始する。
……
…………
………………
あっっぶねええー!! マジ危ねえ!!
万一の事態を危惧しての判断だったが、なんとか上手く事を運んだぞ。
さすがは《全能》、俺が全能だと錯覚してしまうくらいには素晴らしい術式だった。
「ふう……」
ドラゴンからの逃亡による身体の疲労、そして波乱の連続による精神の疲労を癒すかのように、俺は緩やかに嘆息した。