《リィンカーネイション》
俺が到着した頃の王都は既に、多くの兵士と冒険者による迎撃の準備が進められていた。壁の上から軍勢の動向を観察する者、負傷に備えて臨時的な病院を設営する魔術師と薬剤師、なぜか腕ならしと称して白熱した鍔迫り合いを繰り広げる剣士──各々が来たるべき戦いに向け、その技能と技術を最大限に発揮していた。
混乱状態と言うべきか、それとも忙しないと言うべきか……俺もいまいち王都内の状況が分からないので、まずは一度、訊いて回ってみることとしよう。
……
《俺の術式について改めて色々調べてみたんだが、やっぱり『一度見た術式を模倣するもの』らしい。一聞すれば万能だが、ただそれ故に制約もあって、異形の術式はコピーできないことがわかった。その異形とやらについては、また今度説明するとしよう。》
「……どうも」
「─────やあやあ、アコトくん。元気してた?」
俺がまず手始めに訪れたのは、アザレア・トリスメギストスの下である。訪れた、というよりは、もはや向こうから寄ってきたといった方が存外正確なのだが──片っ端から彼の所在を訊いて回った俺が、とうとう居場所を聞き出したその瞬間、彼らが縋りついてくる民衆を追っ払って(ついでに避難誘導も済ませて)バッタリというのだから驚きだ。これに関しては、不幸中の幸いといった感じだった。
で、俺は《彼ら》と呼んだな?
「あ、カフェのお兄さん……! あの時は、うちの《放送禁止用語》野郎が大変ご迷惑を─────」
……まー、いるよねえ。
そうだったそうだった、この人あくまでも勇者だった、冒険者として大先輩なんだった。そりゃあパーティとやらも結成してるし、なんかSランク(?)だし、そんな人と親身にしてる人間がただの一般市民な訳ないんだわ。
「……いや、それについては大丈夫だ。それより、今の状況について訊きたいんだが、構わないか?」
手早く対応を済ませて、俺は彼に問う。別に誰でもよかったのだが、いかんせん初対面の人間がご丁寧に状況を徹底解説してくれるとも限らなかったので、こうしたまでである。
「勿論。今現在ヴァスタニア王都は、四方八方からモンスターが押し寄せてる状態だ──つまりは四面楚歌、八方塞がりだね。だからヴァスタニアは、東西南北に存在する四つの門を、僕達冒険者や騎士団に守らせてる。北門は主にヴァスタニア騎士団が、南門は《ライカ・アーツ》を筆頭とした冒険者が、東門には僕の信頼できる仲間が、それぞれ配置されている」
「モンスター側の配置はどうなんだ?」
「さあ、そこまではまだ分からない。……そしてここ、西門を守るのが──僕達二人、《アザレア・トリスメギストス》と《リコル・ベルナージネリ》って訳さ。今のは主戦力を挙げただけに過ぎないけれど、末端の冒険者も含めれば、戦力は更に増えるだろう」
「……ベルナージネリ?」
名前がリコルなのはとっくの前に知っていたが、まさか名字がそこまでカッコいいとは思わなかったぞ。
「そうだ、自己紹介がまだでしたね──リコル・ベルナージネリ。《世界樹》に所属する冒険者で、魔術師として活動しています──よろしくお願いしますね、アコトさん」
と、彼女は至極丁重に、俺に向かって頭を下げる。そうまでされると、自己紹介を返す俺にかかるプレッシャーがすさまじいものになるから、やめてほしい。
「ああ、よろしく。俺はよま──アコト・ヨマワリ、ヤマトから観光に来た冒険者だ。つっても、日銭を稼ぐ仕事くらいにしか活動してはないけど……」
「リコル、どうして僕には優しくしてくれないんだい?」
「アンタが変なコトするからでしょ……」
「きみのいろんなところ丸出しの服装の方が、僕は変だと思うけど」
「うっさいわね! これは伝統の装束よ、守るべきしきたりなの!」
「保守的だねえ、服のデザインは革新的なのに……」
「……」
……俺は何を見せられているんだ……?
まあ、実際彼女の──リコル……さんの衣服が変だと言われてみれば、確かにそうなのかもしれなかった。魔術師にありがちな重々しいローブ着てんのかと思ったら軽装だし、下腹部全見せだし、じゃあ上の方はどうなってるのかっていったら、ほぼ暖簾みたいな感じだし。
……
一応確認しておきたいんだけど、全年齢?
「まあ、そういう開けっ広げなところも含めて、きみは誰より美しい──そうは思わないかい、リコル?」
「……今更褒めても遅いのよ、バカ」
「さて、話を戻そう。リコルは話を脱線させやすい節があるからね、まったく困ったものだ」
「アタシのせいにしてんじゃないわよ!?」
彼女の反駁を、彼は特に気にするといった様子もなく、滔々と話を続ける。
「今回の侵攻だけど、いつもと違うちょっとした問題があってね。それがいったい何か、わかるかい?」
「『国外から来た人達』だろ?」
「正解。本来なら、侵攻の一年前にはヴァスタニアの国民以外の人を帰国させて、その後、港を閉鎖するという流れなんだけどね……こともあろうか、今回の侵攻はそれよりも早く起きてしまった。そのせいでヴァスタニアの市街は今大混乱、大変だねえ」
なるほど。ヒラリウスの言っていたことと、おおかた同じ内容らしい──しかし。
「でも、侵攻の前兆ってのはあったんだろ。なら侵攻の時期がずれても、十分対応できたんじゃないのか」
「いや、前兆はなかったよ。確かにモンスターの数が増加したり、普段は現れないモンスターがいるという事態こそあったけれど……だからといって、大気中の魔素量が増えた訳でもなかった。故に今回の件は、モンスターの討伐を生業とする冒険者側に問題があるとして片付けられていたんだ」
「……」
「きみの話し相手は、どうやらかなりの賢人らしい──これで、大体の状況と経緯はわかってくれたかな?」
……
なんとなーく理解はしたが、しかしそれまでだった。このまま何がなんだかわからないまま進むのもそれはそれなので、一度流れを整理してみよう。
最初の異変は、《モンスターの数が増え始めたこと》だった。侵攻の前兆なのではと疑われたが、調査の結果──大気中の魔素量に変化は見られない、と。
魔素の過剰排出で発生するモンスターは、大気中に含有されている魔素が濃くならないと、大量には発生しない。そのためこの件については、モンスターを討伐すべき冒険者と、彼らを管理するギルドに落ち度があるとして結論づけられた。
だから、侵攻が起こるとは誰も思わず、観光客の避難についても対応ができていなかったという訳だ。
「ま、戦うかどうかはきみの好きにしてくれ。無理強いをするのが一番あってはならないことだと、僕自身も理解はしているつもりだ」
「そうですよ。私達に任せてもいいので、というかそもそも戦闘経験がないなら参加しなくてもいいので、あなたが決めてください」
付け足すように、リコルさんが言った。
「……いや、戦うさ。足手まといになるつもりはない、それに─────」
『俺は強い』とかなんとか言おうとしたが、しかしやっぱり保険はかけておきたいのでやめておいた。
「……なんでもない。そうだ、あんたらにもう一つ訊きたいことがあったんだが」
「なんだい? リコルのこと以外なら、なんでも答えてあげるよ」
「アンタは訊かれなくても答えるでしょうが……」
……
訊いていいかな?
「騎士団長がどこにいるか、あんたらは知らないか?」
そう、俺が彼らの下を訪れたのは、レナトスの所在について問いただすためである。あの後、彼女がこの王都へと直ちに向かったところまでは分かるのだが──しかし、その仔細までは俺の知り得る範疇でなかったので、こうしてなんとなーく、知っていそうな人達に訊いて回っているという訳だ。戦いの前だというのに随分と暢気なものだと、彼女には叱られそうだけれども。
そして、俺の意向通りに事は運ぶ。
「騎士団長? 僕はわからないけれど──北門に騎士団が集まっているから、そっちに行ったらいいんじゃないかな。そこにいれば万々歳って感じだけども、まずは赴いてみてくれ」
「ああ、ありがとう。二人とも、健闘を祈る」
そう言って、俺はアザレアとリコルさんに手を振り、北門へと走っていった。
《異形──ある身体の部位に突然変異のような形で発生する、特殊な術式の総称です。私の場合は遺伝で左目に発生しましたが、その発現過程は人によって様々──唯一理論で解明できない術式と、一般的には言われています。》
「─────はあっ、はあっ……」
広大な市街エリアの中を走り続け、俺はようやく、騎士団の駐在する北門へと到着した。できることなら《風》の術式を使ってシュババッと移動したかったのだが──それが残念、発想が頭に浮かんでこなかったんだよなあ。
「……ふう」
さて、北門の状況を確かめるため、一度息を整えて周囲を見渡してみよう。
門付近にはアザレアの言った通り、いつの日か目にした騎士団の団員達が屯っていた。屯というと聞こえは悪いかもしれないが、要するにかなりの間そこにいるということである。
見張りや前線については、西門とほとんど同様だ。ただ、冒険者よりもやや前方でモンスターを迎撃しようとしているのには、少し驚いたのだけれども……まあ、さすがは王都直属(?)のエリート組織といったところだ。きっとヒラリウスも、鼻を高くしているに違いない。
……何? 年下で身長も負けてるくせに上から目線?
そこはご愛嬌ってことで。
人員に関しても、俺が見たことのある者ばかりである。腰が引けているステファノ、利き手側の守りが甘いセルジオ、怠慢の罰として腹筋背筋スクワット腕立て伏せをそれぞれ三百回に加え自身の悪癖を二百五十箇所以上簡潔に述べた報告書を提出させられる羽目になったテトリクスとヨハン──それに、俺の真横に立ってこくこくと頷いているヒラリウス……
……
「なあああぁぁぁッ!?」
「そこまで驚かれると、逆にこっちが驚くっすよ……」
と、そんな言葉とは裏腹に──至って冷静な様子で俺を見るヒラリウスの姿が、そこにはあった。
……俺、驚き損?
「よかった、ヒラリウスか……」
「誰だと思ってたんすか、まったく……」
それからヒラリウスは「コホン」とわざとらしく咳をして、俺に言う。
「それで、アコトさん──ここに来たってことは、何か用件があるんすよね。侵攻のこともあるんで、手短にしか話せないっすけど……」
「いや、大丈夫だ。レナトスがどこにいるか、あんたは知らないか?」
「団長っすか? 団長なら、用があるって城の方に行ったっすけど──それが、どうかしました?」
ヒラリウスは首を傾げる。
「どこに行っても見かけなかったから、何かあったのかと思って──俺の邪推だったよ、悪いな」
「……それが、間違いないかもしれないっす」
怪訝な表情で、彼は言った。
「それは……」
つまるところ、《何かがあった》ということだろう。俺も彼も、単なる推論の一部に過ぎないが─────
「団長、もう三十分以上戻って来てないっす。団長のことなんで、諸々の準備は十分そこらで終えてるはずなんすけど──もしかすると、城の方で何かあったのかもしれないっすよ……」
「……そうか」
となると、彼女の安否を確かめる人材が必要だが──ヒラリウスは団長代理でここを仕切らないといけないし、他の冒険者はこの事実を知らない。いざ伝達して「さあ、行ってくれ」というのもまた、大層無責任甚だしいものである。
ならば、俺の出す解は至極真っ当だ。
「─────なら、俺が行く」
「……こんな時まで、凄まじい正義感の持ち主っすね──なかなか見ないっすよ、アコトさん」
「……正義感」
正しさとは、義とは違う。
俺はいつだって、そうやって、恩を売って、変に憤って、我に返って、夜に耽って、そうして利己的な生き方ばかりをしてきただけだ。
それを《義》と呼ぶのは──あってはならないこと。
許してはならない。
罪を許してはならない。
「じゃあ、団長捜しはアコトさんに頼んだっす──一応大丈夫だと思うんすけど、無理はしないでくださいね。あの団長なら、大事はないと思うんで」
「ああ、様子見くらいに考えて行ってくるよ。ヒラリウス、また会─────」
俺はヒラリウスから離れて、遠方に見える城へと向かって走り出す。
そうしようとした。
「──────は?」
俺が汗ばんだ顔を上げ、目的地を見据えようとした、その時──星霜の煌めく暗い空に、一筋の閃光が走る。
その閃光は、まるでこの世の悪性全てを煮詰めたかのように、空より黒く、光の数々を呑み込んで。
「なっ─────!」
ヴァスタニアの中心部に聳える王の居住地を貫き──そして、大きな振動を起こした。
これは、つまるところ。
何かが起きた。
更に最悪なことに。
「副団長、上を!」
「上……!?」
兵士の一人が上方を仰ぎ見、空にいる何かを指しながら驚愕した声を上げる。
勿論、まともな感性を持っている人間が空に驚く訳もなく。
「モンスターが──突然現れました!」
音も気配もなく、忽然とその姿を現した飛行型のモンスターが──隊列を成して、ヴァスタニアの市街へと向かっていた。もはや騎士団に目などなく、ただ壁の一部分が崩落した城へと、一直線に飛んでゆく。
目的があるかのように。
モンスターには、《そんなことできない》はずなのに。
それに何かの危機を察したらしいヒラリウスは、その場にいる全員に聞こえるように言う。
「総員、迎撃体制! 第一小隊から第六小隊まで、西部エリア全域の防衛にあたれ──以降全小隊、西門の前線を死守しろ!」
ヒラリウスの指示に対し、団員は即座に行動を開始する。その声と突然の事態に戸惑う者など誰一人としておらず、ただ忠実な兵士として、各々がその役割を果たそうとしていた。
「ヒラリウス、何が起きたんだ!?」
「《認識阻害》の術式で、モンスターの接近に気づけなかった──この侵攻、まず間違いなく人為的なものです。それに、あのモンスターのまとまり方、まるで軍隊だ……おそらく、これは─────」
「……《リィンカーネイション》!」
「……はい」
七厄臣の襲来。
それはヴァスタニアにとって、これまでにないほどの異常事態で──あまりにも、想定外な危機だった。それは、あのヒラリウスの焦燥具合からでもはっきりとわかる。
転移者であり、また部外者である俺にも、その異様さが伝わってきた。
「じゃ……じゃあ、俺はレナトスを捜しに─────」
と、俺はレナトスの捜索にあたろうとした。おそらくまだ城にいるのだろうが、その城が危険とあっては、こちらにやって来ることは難しいだろう。
「アコトさん、待ってください!」
そして、この状況下で──俺を止める者が一人。
「……それは、どうして」
「──危険だからっすよ。いくらなんでも、これ以上一般人を巻き込む訳にはいかないんで」
……
「さあ、早く避難するっす。団員の一人に案内させるんで、行きましょう─────」
「……ヒラリウス」
確かにそうかもしれない。
あんたからしてみれば、俺はこの侵攻に巻き込まれた一観光客で、何の変哲もないただの《アコト・ヨマワリ》なのかもしれない。
完全に被害者側の人間で。
紛うことなき、一般人だろう。
「その言葉、聞き入れる訳にはいかない」
……けどな、そうじゃないんだよ。
本当の世回襾言は、どこかではない向こうからやって来た、本来この世界にいてはならない存在だ。
だから、ヒラリウス──あんたは部外者である俺を守る必要もなければ、俺に世話を焼く義務もない。
「アコトさん……!」
さも焦燥といったような表情を見せながら、ヒラリウスが言った。
……本当に、優しい人だ。
あるいは、騎士団としての義務なのだろうが。
「また会えることを祈ってる、ヒラリウス──!」
「アコトさん、待っ─────」
俺の肩に向かって手を伸ばすヒラリウスに、ささやかな別れを告げ──俺は、彼の下を離れた。
《再臨》
─────ここは。
ここは。
「ここはどこだーッ!?」
えー、御年十六歳世回襾言、報告します。とても大切なお知らせになりますので、どうか皆々様、謹んでご清聴いただければ幸いです。
……道に迷いました。
ヒラリウスと魔物の追手を振り切って城内に侵入したところまではよかったのですけれども、そこからがてんで駄目でした。私自身方向音痴という訳ではないのですが、いかんせん城内の構造を示す地図という地図が見当たらないものでして、まあ文字通り迷宮入りと。
どうしよう、レナトス捜すの諦めよっかな。
「……さて」
茶番もここまでにしておいて、レナトスの捜索にあたらなければ。確かに城の中がどうなっているかは分からないが、一度通った道くらいはさすがに記憶できる。脳内でも地図を作成可能なほどには、空間把握能力にも長けているつもりだ。
それに、王女や王族といえば、大抵は城の最上階にいるものだろう。うん、そうに違いない。
「うーん、どうするかな……」
豪華な装飾が拵えられた廊下の、その隅々まで目を配りながら考える。端から端まで総当たりするのが一番正確なのだろうが、しかしそれでは迅速性に欠ける。少なくとも、手っ取り早いとはとても言えない手法だ。
………………
まあいい、ひとまず歩きながら思索するとしよう。進まないことには、次の思考は見えてこないのだから。
「─────そこの、そこの若者よ」
しかし、城か……写真か歴史ドキュメンタリーか、どこかで見たような内観だな。内容はいまいち記憶していないが、とりあえずあいつと観たことだけは憶えている。いつか一緒に海外旅行をしたいと俺が言ったとき、彼女は失笑し受け流していたが──あれは一体、どういう意味だったのだろうか。
「見知らぬ若者よ、私を─────」
しかし、あれほどの衝撃があったというのに、思いのほか設備が整然としている。あれ以外の破壊が見受けられないというのも勿論あるが、防衛術式的なものも使われているのかもしれない。結界とか、魔法の中でもかなりの定番だしな。
「若者ォ!!」
……え、何?
あのおっさん、いつからいたよ。まさか、俺があれこれ考えているうちに通り過ぎたとかじゃないだろうな──そうであれば、申し訳ないことをしたものだ。
「……ああ、悪い。ちょっと考え事をしてて、それで」
俺は謝罪の意を込めて軽く頭を下げた。
「なんだそれは……ジジイみたいな耳だな、お主」
「ジジイはあんただろ」
「国王に向かってジジイとな!?」
『ジジイ』じゃなくて『あんた』の方にツッコめよ。
……
「……国王?」
国王って言った、この人?
いや分からん、まだ認知症の進んだご老体の口より発せられる妄言戯言の可能性も考えられる。
「お主、よもや私を知らんのか……?」
そう言って、老人はやおら立ち上がった。
ダメだわこれ、服装が王だわ。
俺の邪推も虚しく、目の前にいる男の立場が確定し、そして同時に俺の処遇も確定した。
「──コホン。ヴァスタニア王国第14代国王、ユリウス・フォン・ヴァスタニアだ。用件は手短に済ませよう、若者よ」
と、彼が発したかと思えば─────
「……ッ!?」
「何故、ここにいる?」
目にも止まらぬ速度で俺を壁際に追いやり、喉元に剣を突き立てた。
なるほど、こりゃ《希望の月》だのなんだの言われる訳だ、と心の中で納得する。スイッチの切り替え方が上手いというか、なんというか。
「……」
それで、どうしてここにいるって?
返答次第では、俺の首が吹っ飛ぶことになるだろう。元々首の皮一枚で繋がっているような命だ、今更回答の良し悪しなど気にしても仕方ないが──しかし、俺にはやるべきことがある。お節介でも余計なお世話でも構いやしない、彼の娘を助け出すという義務が。
その先のことも、無論例外ではない。
「─────レナトス・フォン・ヴァスタニアを、助けに来た」
そして往々と逡巡した俺は、娘に似たブロンドの瞳を持つ彼に、視線を返す。
ただ、真っ直ぐに。
黒を以て見つめた。
「……それは、一体どういうことかね?」
「そのままの意味だ。どう受け取ってもらっても構わないが、俺はあんたを信じてる──あんたが《そういう》人間じゃないってのは、レナトスから聞いたしな」
「……」
頸に刃を当てたまま、彼は暫時考えるように視線を逸らした。
「……突き当たりの階段を上って、三回角を曲がるといい。そこで、私の娘は──レナトスは、戦っている。無礼を働きすまなかった」
そう言い放ち、彼は押し当てていた刃を離す。
「いや、ありがとう」
いきなりの出来事に、よく容姿を見ていなかったが──月光に照らされた彼の顔は、あの大樹の下で見た彼女の表情に、よく似ていた。
「……あんたはどうして、俺を信じてくれたんだ?」
彼とまた異なる形で向かい合った俺が、今度は逆に訊ねてみる。
「─────人を助ける目をしていた。それだけだ」
「……人を助ける目」
「さあ、早く行け。この老体といえど、若者の手を借りるほど衰えてはいない──私の娘を、助けてやってくれ」
「ああ、頼まれた」
言って、俺は彼から身体を逸らす。短い時間で、奇妙な出会いで、なおかつ不思議な終わりだったが──それでも、彼の人となりが少しだけ分かったような気がした。
彼は、とても強い人間だ。
「待て、若者よ!」
「どうした!?」
「……腰が痛い」
「……」
やっぱり違うかもしれない。
長い。
何が長い?
俺の足か? 違う、俺は八頭身じゃない。
俺の気か? 違う、俺はブッダじゃない。
俺の顎か? 違う、俺は城○内じゃない。
「いつまで、続くんだ、これ……」
階段が長い─────!
というのは過去の話で、俺はとっくに階段を上りきっている訳なのだけれども。普段使わない足を動かしまくったせいで、全ての筋肉が痛みを感じている。
ヘイ、ドクター。それかボディビルダーでもいい、誰か俺の足を癒してくれ。
……異世界だもんなあ……
「……ちょっと休憩」
いやまあ、助けに行くとは言ったけどさ、その『行く』はあくまでも『行けたら行きます』程度の行くな訳であって、これでレナトスに何かあったら俺に責任が回帰するってのはちょっと違うじゃん? 俺はあくまでも、この際超保険かけて言うけど、プランKくらいの存在だから。予備も予備、補欠も補欠、夜間緊急ダグアウトみたいなもんだから。
そんな冗談はさておき。
「……ここが、レナトスのいる場所か?」
階段を上り、三回角を曲がった先にあった扉を見据えながら思考する。あの腰痛ジ──国王が間違えていなければ、おそらくここが戦場だろう。
しかしやはりあの光(おさらい、この城をぶち抜いたあの黒い閃光)、襲撃だったんだな。なんとなく『お、敵か?』くらいには思っていたのだが、いやはや、我ながら驚異の推理力である。
と、そんなことをのらりくらりと考えていると、
「うおっ、揺れてる……!」
臓物を揺さぶるような激しい振動が、扉の向こう側から起こった。どうやら、相当大規模な戦闘のようだ。
「レナトス!」
意を決する暇もなく、俺は扉を開けた。
「……何故、ここに……」
──辺り一面に舞う灰塵と、床に散らばる骨の骸の奥に、彼女はいた。鎧は土埃こそあれど傷一つなく、一日中下ろしていた嫋やかな髪は一本に束ねられている。先刻廊下で目にした、あの宝石のように輝く秀麗な瞳は、たった今、俺に愕然とした視線を向ける彼女の、その美顔にすっぽりと収まっていた。
……ああ。
「……ひとまず、大丈夫そうでよかった」
「私のことなどどうでもいい、何故ここに来た!? 早く離れろ、でなければ死ぬぞ……!」
ただ強かに、レナトスは捲し立てる。
『お前はただの足手まといだ』と。
でも、自分がしなかったことを悔やむより、したことを悔やむ方が、よっぽどマシだろう?
「……レナトス。言っただろ、自分の身も大事にしろって。その様子だとあんた、相当に手こずってるみたいだけどな」
「……それは……」
「いいか、レナトス。俺の存在が足手まといになるってんなら、俺はできる限りあんたの手足にまとわりつかないよう努力する。そこら辺にいるモンスターの処理は俺に任せて、あんたは《アレ》をぶちのめすことだけ考えろ」
《アレ》、というのは。
先程から俺達の話を、胡散臭い笑顔で聞いている男。整ったスーツに歪な外観の大鎌というなんともミスマッチな組み合わせが、その不気味さを加速させている。
まるで、死神みたいだ。
「おや、レナトスさん──そこの彼は、あなたのお友達でしょうか? 招かれざる客を勝手に呼ぶなんて、いささか感心しませんねぇ」
その男は何一つ変わらぬ表情で、その白い髪を揺らしながら言った。白というよりは、もはやくすんだ灰色に近いのだが。
「あなた、お名前は?」
「……アコト・ヨマワリ。一応訊くが、あんたは?」
するとその男は、構えていた大鎌を下ろし、そして丁寧に足を揃え直す。
「申し遅れました。わたくし、魔王軍七厄臣が一人、《リィンカーネイション》と申します──死後、お見知りおきを」




