見る分には楽しいゲームもある
世回襾言は、数日前までごくごく普通の高校一年生だった。
それこそ、その存在を世界から消し去ったとて、なんの影響をもたらすこともないくらいに──世回襾言という人間は、日常において影の薄い学生だったはずなのだ。
ヒロインも大親友もライバルも神様もいなければ、ましてや主人公ですらない、ただちょっとゲームが好きなだけの学生。
こんなことを言うのも周囲の人間には悪いが……それなりの友達にそれなりの生活、それなりの学校、それなりの家族。それなりで満たされていた世回襾言の穏やかで健やかな日々は、あるとき突然終わりを迎えた。
「─────ん?」
見渡す限りの青空が、俺の眼前に広がっていた。
……おかしい、おかしいぞ。俺は確かゲームソフトを買って帰ってくる道中、トラックの運ちゃんによって轢き殺されたはずなのだが。
いや、違う違う。俺は悪くないぞ。俺が見たときには信号は青だったし、しっかり左右確認もした。それなのに、どうしてかトラックが俺目掛けて突っ込んできたのだから、やはり俺は悪くない。不慮の事故だ。
まあ、そんなことを今更考えても仕方ない──状況を鑑みる限り、俺は寸分違わず死んだのだ。
……え? いや、死んだの?
マジで?
案外あっさり逝くもんだなあ、人間って。
でも俺、まだ終わりを見届けてないソシャゲがあるんだ。もしも叶うならば、十年ほどの猶予をいただきたい。
にしても、ここが死後の世界だとすると、一体どのあたりなんだ? 浄土とか天国とか、宗教によって死後の世界は異なるけれども、俺は日本人だからやっぱり浄土か。
イエス、スカーヴァティー万歳。
「……ふう」
ようやく頭の整理がついてきたぞ。
これは憶測に過ぎないが──どうやら俺は轢かれて死んで、それでこの極楽浄土だかどこかしらにやって来たらしい。
天国が存在するというのも、にわかに信じがたい話だが。
自分の五体満足を確認すると、俺は草むらから身体を起こした。
服は──そのまま、か。黒いパーカーにジーンズ、それから無地のTシャツ、なんとも普遍的な装いだ。
運動不足で重い腰を持ち上げ、周囲を見渡す。
──見渡す限りの平原だ。新緑の草花に、雲の流れ行く青藍の空、それから見慣れたトラック。
……
「……トラック?」
なんで浄土にトラックがある。
あれか、とうとう神様も配送業者になり得る時代ということなのか。いやあ、人間の影響力もすさまじいものがあるな、ハッハッハ。
「……んな訳ねえだろ!?」
俺はすぐさま運転席を確かめる。
やはりと言うべきか、俺を轢いたであろうトラックの運ちゃんがすやすや眠っていた。
……居眠り運転かよ……
日本のブラックな労働環境に待ったをかける先導者が必要だぞ、これは。
「いやいや、それより……」
運ちゃんはともかく、トラックまでついてきたのは何故だろうか。
もしかして、一生ものの相棒とか、運命共同体とかは連れてきていいシステムなの? 随分ルーズなんだな、天国って。
と、俺が思索していたその時だった。
「……は?」
トラックの正面、ゼロ距離に──突如として黒い穴らしきものが出現していた。
それは、例えばワープゲートのような──世界と世界の繋ぎ目のような、そんな風貌をしている。
そして。
その穴に吸い込まれるかのごとく、トラックは闇の中、奥深くへと入っていく。
「おいおいおいおい、なんだこれ!?」
驚愕する俺を差し置いて、お疲れ運ちゃんの乗っていたトラックは──深淵へと消え失せてしまった。
闇も続いて、そこから消えた。
「……嘘だろ」
俺の見当違い、ここは地獄だった。
運ちゃん、せめて来世は幸せにな。
「はあ、頭いてえ……」
あまりの情報過多に、俺はその場でへたり込む。
そのまま両手を後ろについて、地面を触る──はずだったのだが。
……なんだ、この感触は。
地面とは違うし、石でもない。なにか、紙とかそういうものに触れているような──
「……本?」
振り返った俺の視線の先にあったのは、一冊の分厚い書籍だった。
思い立ってそれを手に取り、タイトルを確認する。
《チュートリアル☆異世界の手引き☆》
うん、いかにも知能指数の低いタイトルだ。
とはいえ、内容は気になるぞ。異世界ってのは、つまるところここか? やたらと都合のいいTPOなのも、それはそれで気になるし。
ブックカバーをめくり、一ページを開く。
《【朗報】あなたは異世界に転移しました》
はは、変な導入。
……
「はあああああ!?」
こうして、世回襾言という人間は──この日初めて、異世界に足を踏み入れたのだった。