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第八話 解呪のスパイス

 伽羅(きゃら)の薄暗い店内で不気味な光を放っていた。その光は、壁に歪んだ影を作り出す。霧島(きりしま)(れい)星名(ほしな)(つむぎ)は、固唾を呑んで夜久の次の行動を見守っていた。玲の細身の体は緊張で硬直し、紬の大きな瞳には恐怖の色が満ちていた。


「これが、呪いを解く鍵か……」


 夜久はそう呟くと、再び怪物に向かって瓶を投げつけた。瓶は放物線を描き、怪物の足元に落下して粉々に砕け散った。その音は、不気味に響いた。


 赤い粉末が煙のように舞い上がり、怪物を包み込んでいく。玲と紬は息を呑んだ。二人の顔は蒼白で、額には冷や汗が浮かんでいた。


 怪物は苦しげな声を上げ、その体が徐々に変化し始めた。爛れた皮膚が再生し、歪んだ骨格が元に戻っていく。その過程は、緩やかだが着実に進行していった。怪物の悲鳴は、人間の声へと変わっていく。


 やがて、赤い煙が晴れると、そこには人間の姿に戻った店主が立っていた。彼の肉付きのいい体は、激しい変化の痕跡を残していた。


 店主は呆然とした表情で自分の体を見つめていた。その目には、混乱と後悔の色が浮かんでいた。その顔には、深い皺が刻まれ、以前よりも老けて見えた。


「私は……。私は一体、何を……」


 店主の声は掠れ、震えていた。玲は、その姿に哀れみの感情を覚えた。しかし同時に、言い知れぬ恐怖も感じていた。


 紬は涙ぐみながら店主に近づこうとしたが、夜久が制止した。夜久の眼鏡の奥の目は、まだ警戒心を失っていない。


「まだ危険かもしれない。慎重に」


 夜久の冷静な判断に、玲は頷いた。しかし、紬の目には悲しみの色が浮かんでいた。彼女の長い黒髪が、顔を覆い隠すように垂れ下がる。


 その時、店の外からサイレンの音が聞こえてきた。その音は、この非現実的な空間に現実を呼び戻した。どうやら、誰かがこの騒ぎを警察に通報したようだ。


 駆けつけた警察官は寸胴鍋を確認し、店主はすぐさま逮捕された。彼は、憔悴しきった様子で連行されていく。その姿は、生気を失っていた。


 伽羅(きゃら)の店内は、静寂に包まれた。


 紬は涙を流しながら、床に崩れ落ちる。彼女の体は、悲しみで震えていた。


「なぜ……こんなことに……」


 玲は紬の肩に手を置き、慰めようとしたが、適切な言葉が見つからない。彼の手に紬の震えが伝わってくる。


 夜久は静かに二人に近づき、説明を始めた。彼の声は、冷静さを保っていた。


「あの赤い粉は、古来より伝わる秘伝のスパイスだ。人間の精神に強い影響を与える力を持っている。店主は、その力を利用してカレーの味を極めようとしたんだろう」


 玲は、自分のスーパーテイスターとしての能力が、この異常な味を察知できたことに気づいた。それは、祝福であると同時に呪いでもあったのかもしれない。彼の舌は、特別な才能を宿していた。


「でも、なぜ人骨を……」


 紬が震える声で尋ねた。彼女の大きな瞳には、まだ恐怖の色が残っていた。


 夜久は重々しく答えた。


「極限まで追い詰められた人間の欲望が、時として理性を狂わせることがある。店主は、その欲望に飲み込まれてしまった。……よくある話さ」


 玲は、自分の舌に宿る才能の意味を、改めて考えざるを得なかった。味の真髄を追求することと、人としての倫理の間には、どこか越えてはならない一線がある。


 伽羅(きゃら)の店内は、もはや異様な空気に満ちてはいなかった。しかし、三人の心の中には、この事件が残した深い爪痕が刻まれていた。その傷跡は、おそらく生涯消えることはないだろう。


 夜が明け始める頃、玲、紬、夜久の三人は、伽羅(きゃら)から少し離れた場所で夜空を見上げていた。空はまだ暗く、星々が光を放っている。


 事件は解決した。しかし、誰も喜ぶことはできなかった。三人の表情は、重く沈んでいた。


「中村さんは、一体どうして……」


 紬は呟いた。彼女の声は、小さかった。夜久は静かに答えた。


「究極の味を求めるあまり、道を誤ってしまったのだろう」


 玲は二人の言葉に、何も返すことができなかった。彼の心の中では、味覚の才能と人間性の葛藤が渦巻いていた。


 夜明けの光が、新たな一日の始まりを告げていた。しかし、三人の心に刻まれた疑問と後悔は、簡単には消えそうになかった。その思いは、彼らに深く刻み込まれていた。

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