第四話 深夜の潜入
深夜一時。人気のない路地裏に、伽羅は不吉な影を落としていた。街灯の光が店の看板を照らし、その文字が赤く浮かび上がる。霧島玲は、自らの鼓動が耳に響くのを感じながら、店の裏口に近づいた。彼の細身の体は、緊張で硬直していた。
錠前は、かかっていなかった。玲は静かに扉を開け、闇の中へと足を踏み入れた。彼の切れ長の目が、暗闇に慣れようと必死にまばたきを繰り返す。
店内は漆黒の闇に包まれ、人の気配はなかった。わずかに漂うスパイスの香りが、昼間の熱気を消し去り、不気味な雰囲気を醸し出していた。玲の鼓動は、激しさを増していく。その音が、静寂を引き裂く。
懐中電灯の光が照らし出す影は、怪物のような形を作り出し、玲の不安を煽る。玲は慎重に奥へと進んでいく。床を踏む足音が響く。
厨房へと足を踏み入れた瞬間、玲の鼻腔を襲ったのは、想像を絶する異臭だった。その臭いは、腐敗と死を連想させる。業務用の冷蔵庫や調理器具が所狭しと並ぶ、殺風景な空間。その中央には、巨大な寸胴鍋が鎮座していた。
蓋の隙間から立ち上る湯気は、玲の不安を形にしたかのようだった。玲は震える手で鍋に近づいた。強烈な匂いが、彼の理性を揺さぶる。スパイスの香りの中に、何か生臭い、獣のような匂いが混じっている。それは、人間の腐敗した肉の臭いだろうか。
玲の頭の中で、これまでの出来事が駆け巡る。行方不明事件の報道、人骨から出る独特の旨味、そして夜久透の謎めいた言葉――。全ての疑惑が、この鍋の中に答えを持っているのではないか。
玲は覚悟を決め、恐る恐る鍋の蓋に手をかけた。その手は、激しく震えていた。
蓋を開けた瞬間、玲は思わず息を呑んだ。彼の瞳孔が恐怖で開ききった。
煮えたぎるスープの中には、人間の骨としか思えないものが、無数に浮かんでいたのだ。白骨化した指、肋骨、頭蓋骨の一部……。それらが、ぐつぐつと煮込まれ、異様な光景を作り出していた。骨から染み出た脂が、スープの表面に虹色の膜を作っている。
玲の全身が恐怖で硬直した。彼の中で、現実と悪夢の境界線が曖昧になっていく。冷や汗が、彼の背中を伝い落ちる。
その時、背後から物音が聞こえた。
ガタッ!
玲は心臓が止まるかと思うほど驚き、慌てて振り返った。懐中電灯の光が、闇の中に人影を浮かび上がらせる。
そこに立っていたのは、伽羅の店主だった。
店主の顔に浮かぶ不気味な笑みは、狂気に満ちていた。その目は、異常な光を放っている。彼はゆっくりと玲に近づいてくる。店主の手には、肉切り包丁が握られていた。その刃が、懐中電灯の光を反射して不吉な輝きを放つ。
「君も、私のカレーの秘密を知ってしまったようだね」
店主の声は、静かでありながら、底知れぬ狂気を孕んでいた。その声音は、玲の背筋を凍らせた。
玲は、自分が恐怖の中に閉じ込められたことを悟った。彼の全身から血の気が引き、顔は蒼白になった。そして、この伽羅という店が、想像を絶する狂気の巣窟であることを、身をもって知ることとなったのだ。
店主が一歩近づくたびに、玲は一歩後ずさる。しかし、彼の背中はすでに壁に突き当たっていた。逃げ場はない。玲の目に、絶望の色が浮かんだ。