第二話 邂逅
帝都|大学の学食は、昼時になると学生たちの喧噪で溢れかえる。しかし、霧島玲の周りだけは、静寂が支配していた。彼の周囲には、誰も寄り付かない空間が広がっているかのようだ。
玲は白米と味噌汁を前に、苦悶の表情を浮かべていた。スプーンですくった白米の一粒一粒が、舌の上で灰のように崩れていく。味噌汁の温かい湯気は、冷たく感じられた。
「これでさえ、もう美味しくない」
玲は独り言のように呟いた。と同時に、彼の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「あ、あの……」
振り向くと、そこには伽羅でアルバイトをしている星名紬が立っていた。彼女は玲のテーブルの横に立ち、深々と頭を下げ、申し訳なさそうな表情を浮かべている。長い黒髪が、彼女の顔をカーテンのように隠す。
「この間は、本当に申し訳ありませんでした」
玲は箸を置き、紬に向き直った。彼女の誠実な態度は、玲の心に巣くう疑念を和らげた。
「いや、別に謝ることじゃない。まずいものはまずいんだから」
「でも、店主は心を込めてカレーを作っているんです。本当に美味しいんですよ」
紬の言葉に、玲は眉をひそめた。伽羅のカレーを思い出し、背筋が凍る思いがよみがえる。あの味は、人間が作り出せるものではなかった。
「美味しい?」
玲は首を傾げ、白米と味噌汁を指さした。その指は、わずかに震えていた。
「こういうシンプルな料理でさえ、もう美味しく感じられない。あのカレーを食べてから、僕の味覚は狂ってしまったんだ」
「えーっ、そんな……カレーのせいだとは思えません!」
紬は目を丸くして反論した。玲の食に対する強いこだわりは、彼女には理解できないようだった。
二人の言い争いは、次第に周りの学生たちの注目を集め始めた。しかし、玲も紬も、そんなことには気づかない。二人の周りに、異様な空気が漂い始めていた。
その時だった。
「二人とも、お昼ご飯かな?」
穏やかな声が、玲たちの背後から聞こえてきた。振り向くと、そこには夜久透助教授の姿があった。夜久は玲たちの様子を微笑ましそうに見つめていた。しかし、その目には何か不可解な光が宿っていた。
「食の好みは人それぞれだからね。僕も白米と味噌汁をいただこうかな」
そう言って夜久は立ち上がり、配膳カウンターに向かった。しばらくして、彼は味噌汁と白米の載ったトレイを手に戻ってきた。空いている席に座った夜久に、玲は伽羅のカレーについて聞いてみた。
「夜久先生は、伽羅のカレー、どう思いますか?」
夜久は意味深な笑みを浮かべ、こう言った。
「近いうちに、わかるよ」
その言葉に、玲は不思議な違和感を覚えた。夜久の目には、何か秘密を隠しているような光が宿っていた。その目は、底知れぬ暗さを秘めていた。
紬は、夜久の言葉の意味がわからず、首を傾げている。彼女の無邪気な表情が、この状況をより不気味なものに感じさせた。
三人の会話は、学食の喧噪に溶け込んでいく。しかし、玲の心の中では、伽羅のカレーの謎が、闇の中で蠢く影のように、ゆっくりと形を成し始めていた。その影は、やがて玲の全身を覆い尽くすほどの大きさになるだろう。