ち
「ドッペルゲンガー? 急にどうしたんです? 先輩」
愛桜はきょとんとした。
ドッペルゲンガーとは自分と全く同じ顔をした人間と同時に三人鉢合わせてはいけない、といった感じの都市伝説だ。都市伝説によっては二人だったり、四人だったり、鉢合わせたら死ぬか、存在を乗っ取られるとか、ドッペルゲンガーは物の怪が化けたものだから、殺されて成り代わられる、など様々な伝わり方をしている。
その中の一説を思い出し、愛桜はぽん、と手を打った。
「双子ってことですか? 日本では昔から双子は縁起が悪いものとされていますし、ドッペルゲンガーは双子のことも示しますからね」
同じ顔をして生まれてくる人間として最も代表的なのが双子である。
メリーという存在が芥田のドッペルゲンガーなら、怪異で同じ顔をしているのも説明がつく。
「あれ? でも顔が同じってことは、一卵性双生児なわけですよね。一卵性双生児は同性しか生まれないんじゃないですっけ?」
「稀だが、一卵性双生児でも性別が異なることはあるらしいよ。けれどね、そうじゃないんだ、愛桜クン」
「どういうこと……!?」
愛桜は樫美夜の目を見て息を飲んだ。樫美夜の目は赤く妖しく揺らめいていたのだ。
愛桜の知る樫美夜という先輩は黒髪茶目のどこにでもいるような冴えない眼鏡男子であり、愛桜と志を同じくするオカルト狂いだ。赤い目なんて、していない。
まさか自分は既に怪奇現象に巻き込まれているのでは!? と思ったが、愛桜は愛桜でかなりのオカルト狂いなので、怪奇現象に巻き込まれるのはむしろ嬉しいまである。が、そんな場合ではない、と興奮を鎮めた。
「ここからは彼岸と此岸の話だ。僕の知っている芥田少年を取り巻く怪異は一般的に都市伝説と呼ばれるメリーさんでないということは愛桜クンなら察していることだろう。
そう、あれは都市伝説のメリーさんではない。芥田少年の持つ怪異としての資質が芥田少年の姿を模した芥田少年のドッペルゲンガーなのだよ」
「それって、芥田のドッペルゲンガーが芥田のために芥田の害になりそうな人間を片っ端から蹴散らしてるってことですか?」
「そうなるね。僕の仮説では、芥田少年の双子の妹が芥田少年の怪異となっているのだと思うよ」
「芥田に双子ねえ……」
今更そのくらいで驚きはしない。むしろ双子という要素が加わることで怪異としてのオカルト的整合性が取れてくるため、納得してしまうくらいだ。
「ブラコンだなぁ」
「ふふ、愛桜クンもまだまだだな。着目すべきはそこではないのだよ」
「双子の兄のために片っ端から害悪を排除していく妹がブラコンでなくて何なんですか」
「だからそこではないんだって」
やれやれ、と樫美夜は頭を抱える。
やがて、プロジェクターのスイッチを切り、樫美夜は愛桜に指示を出す。
「カーテンを開けたまえ」
「え? はい」
指示に従い、カーテンを開けると、そこに広がっていたのは、鮮やかな夕焼けである。
夏なら何の不思議もない光景であるが、今は部活動の統合や廃部が問われる年度末に近い冬の終わりである。冬至を過ぎたとはいえ、随分と長いプレゼンテーションを見た後だ五時の時報から時間が経って、外は夜色に染まり始める頃合いのはず。
らーんらら、らららら、らららららー……
愛桜は耳を疑った。
芥田をちら、と見たときに聞いたはずのゆうやけこやけがまだ鳴っている。ゆうやけこやけによる時報はせいぜい一分程度のものだ。先の三つの話が一分なんかで収まるわけがない。
愛桜はスマホを取り出し、時間を確認した。
それが悪手だった。
ブーン、と携帯のバイブレーションが鳴る。愛桜は目を見開いた。非通知と表示されたそれ。非通知の電話なんて、防犯上、出るべきではない。
「先輩、まさか」
「そのまさかさ」
樫美夜は眼鏡をかけ、夕焼けを背にする愛桜に両手を広げてみせた。
「レディースアーンドジェントルメン! ここに見えるは芥田莉栗鼠という不遇なる少年の纏う無意識領域の吹き溜まり! さあ、電話を取りたまえ! 君が見たがっていた景色がその先にある!」
イカれている、と愛桜は思った。
つまりこの先輩は愛桜に芥田莉栗鼠の怪異を実体験させるために、わざわざプロジェクターで芥田の経歴を懇切丁寧に説明し、愛桜の好奇心と芥田の怪異を煽ったのだ。
イカれている。
実質たった一人の後輩であるような愛桜というオカルト狂いの同志を、精神崩壊がほぼ確実とされる怪異の世界に放り込むのだ。
「なんて薄情で……素晴らしい先輩を持ってしまったんだろう!!」
だが、オカルトに関するイカれ具合なら、愛桜も樫美夜に負けていなかった。
「怪異が怖くてオカ研が務まるもんか! メリーさんなりドッペルゲンガーなり、なんでもかかってくるが良いわ!」
そう高らかに宣告して、愛桜は通話応答のスワイプをした。
スピーカーをオンにした電話向こうからは途切れ途切れにゆうやけこやけが聞こえてくる。
それを聞かせるような静寂の後、鈴のような少女の声が名乗った。
「わたし、メリーさん。今、帰り道にいるの」