に
「芥田少年は年中から年長のときは一人で家まで帰るようになったという。下沢保育園から芥田宅は近かったようだね。町の人たちも可愛い子どもの見守りはしているし、治安がいいからな」
「まあ、平和ボケと言われるくらいにはいいですからね、この辺」
それでも市町村配信メールサービスなどでは時折不審者の知らせが入っているのだが、愛桜たちの世代になると、不審者がいなくなることなどないとどこか悟っているのである。そのため、大人よりも子どもの方が警戒心が強かったりする。
そんなわけで、可愛いショタが歩いていても、そう簡単に拐われたりしないのである。
「だが、芥田少年が平気だったのは、もう一つ理由がある」
そうして、また回想のような紙芝居が始まった。
芥田莉栗鼠はその容姿から年を重ねるごとにより神秘的なオーラを纏うようになった。
が、同時に気味悪がられるようにもなった。何故なら、一人で帰宅するようになってから、芥田は奇妙な行動をするようになったのだ。
「リリスくん、気をつけてね」
「先生、さようなら」
無機質な声で帰りの挨拶をすると、芥田は職員に背を向け、軽く背後を振り向いた。もちろん、職員を見たのではない。
「行こ」
誰もいない中空にそう声をかけ、一人のはずなのに手を繋いでいるかのように手を握って帰るのだ。
帰り道の道中でも、まるで誰かがそこにいるみたいに朗らかに会話をしている様子が見られるということで、芥田を気味悪がる者が出た。
ただ、大人たちは気味が悪いという派閥と同情的な派閥とに分かれた。
知る者は少ないだろうが、昔は七つまでは神の子と言われ、七歳までの間は不思議の力がはたらいて、普通は見えないものが見えたり、普通はできないようなことができたり、子どもはとにかく不思議なものだとされた。見た目は日本人ではないが、芥田は日本で生まれた子どもだ。そういう不思議が降りかかっているのかもしれない、という考え方もできた。
しかし、芥田と同年代の子どもはそんな難しい話は知らないし、まだ子どもだけの狭い世界の中で生きており、共感性だけでは乗り越えられないものもあった。
ここでまたクソガキが出てくる。彼女のことはクソガキBと呼ぶことにしよう。クソガキAもそうだったが、具体的な名前を出さない理由は個人情報を保護する目的と、名前が印象づくことによって起こる偏見を避ける意味がある。決して適当に呼んでいるわけではない。
クソガキBは芥田の近所に住んでおり、芥田が登園、帰宅するとき、自宅からその様子が見られるポジションにいた。
そんなクソガキは芥田を指差し、こう呼ぶ。
「あっ、エアフレンドマンだー!」
未就学児にして「エアフレンド」という単語を覚えているというのはなかなかに時代を感じるものだ。それを悪口に相当すると理解し、使っているというのが悪質である。
エアフレンドマンと呼ばれた芥田は首を傾げる。
「エアフ……?」
「エアフレンド! あなたの見えないおともだちのことよ! 空気にしか話しかけられないなんて、あなたも寂しい子どもよね」
「別に寂しくないけど……ぼくにはメリーがいるし」
「メリーって誰よ!?」
子どもは残念ながら都市伝説の「メリーさん」は知らない。知らない方が幸せなのかもしれないけど。
芥田はきょとんとする。
「見えないの? あ、今、きみの手を握って」
「きゃーーーーーーーーーっ!! おばけーーーーーーーーーっ!!」
クソガキBが大袈裟なまでに泣き叫んだことで、大人も子どももなんだなんだ、と寄ってくる。
好奇に満ちた数々の目はクソガキBが泣いているという現状を理解すると、芥田を白い目で見た。場面だけ見れば、芥田がクソガキBを泣かせたように見えるのだ。
「女の子泣かすなんて、サイテー」
「顔だけのこういうクズ男には引っかからないようにするのよってママ言ってたー」
特に女の子からの視線は冷たいものであり、好き放題言われていた。
芥田からすると、クソガキBちゃんが勝手に泣き出しただけなので、自分が何か悪いことをしたか思い当たる節もなく、目を真ん丸にするばかりである。
よくわからないままに、芥田がクソガキBにごめんなさいと謝ることになり、謝ってから、クソガキBは芥田にあっかんべーをした。これはどう考えてもからかわれて悪者にされている。
芥田は安い挑発にかなりむかっとしたらしいが、相手は女の子だし、暴力を振るうことはしなかった。それだけで男の子としてはかなり高得点なのだが。
「クソガキ、ガチでクソガキですね。聞いてるこっちが胸糞悪いですよ」
愛桜が道端で吐瀉物でも発見したかのように不快そうに顔を歪める。
たはは、と樫美夜は軽く笑った。
「まあ子どもというのはクソガキであり、クソガキはどこまで行ってもクソなのでクソガキなわけでねえ。まあ、今怒っても仕方のないことだよ、愛桜クン。もしかしたら、そのクソガキも今では道徳や倫理を学んで、過去の所業を黒歴史とし、深く悔やんでいるかもしれないじゃないか」
鷹揚にそう語る樫美夜を愛桜はじとーっとした目で見つめる。口をへの字に曲げた愛桜は盛大に溜め息を吐き、指摘した。
「先輩言ってたじゃないですか。芥田をからかったやつは全員怪奇現象に遭ったって。その怪奇現象で頭おかしくなったのがほとんどなんでしょう? クソガキBももれなく頭おかしくなってるんじゃないですか?」
「む、バレたか」
そう、クソガキBが自らの行いを省み、反省する日は来なかった。
話を進めるため、樫美夜はぱちりと簡易キーボードを押す。
その日、クソガキBは、早めに家に帰り、留守番をしていた。未就学児の鍵っ子というのも今日日珍しくはない。それくらい親は忙しいのだ。年中、年長となってくれば、子どももある程度手がかからなくなってくる。
そんな一人で留守番をしていたクソガキBはけたたましい電話の音に昼寝から目を覚ます。いつもより音量の大きい気がする電話。クソガキBは五月蝿いなあ、と思いながら受話器を取った。
「わたし、メリーさん」
すぐ戻そうとしたけれど、そう名乗る女の子の声に、クソガキBは耳を傾けてしまう。同年代の女の子にこんな可愛らしい声をした女の子がいただろうか、と聞き惚れてしまったのだ。
でも、メリーなんて子、いただろうか、と思いを巡らせるうちに、メリーは告げる。
「今、あなたの後ろにいるの」
「えっ」
思わず振り向こうとしたところで、体が動かないことに気づいた。否、動かないのではない。動かそうと思ったときにはもう、頭と胴が泣き別れていたのである。
クソガキBの頭がぼてっと床に転がり落ちる。普通、首と胴体が泣き別れたらそこで死んでいそうなものなのに、クソガキBの意識は健在で、冴え渡ってすらいた。
「な、なんでリリスちゃんがいるの?」
金髪紫目の女の子にそんなことを言う。女の子はにこりとするだけ。
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
狂ったように受話器からそんな声だけが聞こえてくる。
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさ」
「わかったってば! もうやめてよ! 出てって!!」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「わたし、メリーさん」
「五月蝿い五月蝿い五月蝿い!」
首だけの状態で泣きわめくクソガキBに近寄り、残りの体を「メリー」はクソガキBの目の前で解体し始める。血みどろになっていくのを見ていることしかできなかった。
やがて、ゆうやけこやけが聞こえてくる。エコーで幾重にも重なった音は和音のようでいて、不協和音だった。
「わたし、メリーさん。またね」
そこでクソガキBの意識は途切れた。