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 それは爽やかな青春のようだった。

 男女が手を繋ぎ、教室から飛び出し、廊下を駆ける。夏の匂いのする風が吹く。まだ熟してない柑橘の苦い匂いを纏って。

「廊下を走るな!」

 誰か教師が叫ぶのを「廊下は静かに」の貼り紙を横目に見ながら無視をした。

 走ることに理由はない。急ぐ必要もない。狂い咲き桜が今すぐに切り倒されるというわけではないのだから。

 けれど、樫美夜は走った。愛桜の手を握って。ちょっと浮かれていたのかもしれない。

 愛桜は黙っていれば美少女なのだ。それに人には疎まれる部分も、樫美夜からしたら魅力の一つに過ぎない。

 一つのことに夢中になれること。意見をはっきりと言えること。気だるげな仕草、虚ろな目。好きなことを語るとき、声色が高くなり、目がきらきらとするところ。一匹狼然とした雰囲気。それら全てが樫美夜の目に映る愛桜という存在を眩しく見せていた。

 階段を駆け降りて、一階を抜ければ、事務室で何かがぶらぶらと吊り下がっていたかもしれない。樫美夜は上履きのまま、外に出る。運動音痴が祟ってか、はっはっと息が上がる。

 ゆうやけこやけが響いている、帰り道の並木道。その最中に一本だけ、不思議にずっと咲いている、淡い色をした桜。それが狂い咲き桜だ。

「愛桜クン、着いたよ!」

 と振り向こうとして、ずっと手を繋いだままであったことに気づく。自分はなんてことをしているのだろう、と赤面した。

 樫美夜も一丁前に思春期の男子なのである。気になる異性とずっと手を繋いだままでいた、なんてことで、赤面してしまうようなお年頃だ。

「先輩ってば、早いですって」

 その声は思うよりもずっとずっと遠くから聞こえた。手を繋いでいるから、至近とまではいかなくとも、すぐ側にいるはずなのに。

 振り向いて、愛桜が、昇降口からゆったりと歩いてきていることに気づく。……昇降口から? ゆったりと?

 では、握りしめていたこの手は、と目を落として、息を飲む。

 確かに樫美夜はずっと手を繋いでいた。樫美夜をしっかりと掴んでいる。左手。左腕だけが、ぶらん、と垂れ下がっている。

 ぼたぼたと、先端から血を流して。

「そんなに急がなくてもいいじゃないですか、樫美夜先輩」

 愛桜がかつかつと、樫美夜に近づきながら、顔に妖しい笑みを湛える。樫美夜の好きな表情の一つで、愛桜は樫美夜に歩み寄り、そっと啄むように耳元に口を寄せ、囁く。

「それとも、そんなに早く落ちたかったんですか? ──地獄に」

「あ、あ」

 短く青い夏が終わる。

 青春と呼ばれる時代を高校の三年間とすると、人生から見たら、十分の一にも満たないような細やかな時間なのである。その短い時間のうちの更に三分の一にも満たない時間が樫美夜の中で瞬く。

 美しい夢はすぐに終わってしまう。それは平等だ。何故終わってしまうのかが、他人に由来するか、自分に由来するか程度の違いしかない。

 そんなことを、まざまざと突きつけられる。

 ぼとり、と左腕を取り落とし、樫美夜は地面を見た。その地面からは大量の頭蓋骨が露出し、皮も肉もない、目の部分のがらんどうが、いくつもいくつもいくつもいくつも、樫美夜の方を見ているように感じた。まるで、値踏みをするように。

「やめろ!」

 そこに、目玉などない。けれど確実に迸る不快感に、樫美夜は頭蓋骨たちを踏みつける。頭蓋骨たちはぼろぼろと、簡単に崩れた。白い粉となり、風に浚われていく。花びらと一緒に。

 嫌な湿り気を伴う風。それはやがて、雨雲を運んできた。ざあああ、と雨が降る中で、ゆうやけこやけが延々と鳴っている。エコーのせいで音が無限に重なって、やがて不協和音となる。頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜるような不快感。雨脚が強くなる。桜の花びらがぼとぼとと落ちる。けれどそれは淡い色なんてしていなかった。花びらでもなくなっていた。

 血だ。鮮血だ。どす黒く、赤い赤い。雨に洗い流されることのない粘性のある血は頭蓋骨たちを汚し、やがてそのがらんどうから、涙のように滴る。

 憎い、憎い、あいつが憎い。私を殺したあいつが憎い。自分が死にたくないからなんて理由で、私を殺して埋めた、あいつが憎い。憎い、憎い。殺してやりたい。おんなじ目に遭わせてやりたい。

 まだ息のあるうちに埋めやがって。土による窒息が、どれだけ苦しくて、どれだけ絶望的か。それならいっそ、完全に息の根を止めてくれた方がよかった。

 ああ、ああ、殺すだけじゃ足りない。あいつに苦しみを味わわせるんだ。生き埋めよりも苦しい、生きながら殺されるような、もういっそ殺してくれと懇願するような、滑稽な絶望を!

 そんな無数の声が足元から聞こえる。それは声ですらなかったのかもしれない。風の唸りや雨の轟音が、そんな声を聞かせたのかもしれない。

 樫美夜の手には、いつの間にかシャベルが握られている。覚えている。忘れるわけがない。あの日、彼女を殺したシャベルだ。雨に洗い流されることなく、べっとりと血がついている。

 このシャベルで、樫美夜は愛桜を殴り、埋めた。

 樫美夜にも愛桜にも、何の不利益も生じない善行だとすら思っていた。人の世界に生きるのが、飽き飽きとしたような目をした彼女を救うのなら自分でありたかった。

 彼女は怪異のために命を懸けられると言っていた。実際、命知らずなことをいくつもやってのけていた。そんな彼女だから、樫美夜は喜ぶと思ったのだ。命を懸けた最期に、大好きな怪異となれることを。

 だから殺した。

「先輩は何か、勘違いしてますね」

 愛桜の亡霊が、何か言う。

「私は確かに、怪異に憧れていました」

 ほら、そうだろう。

「でも、怪異になりたいなんて、言ったことも思ったこともありませんよ」

 でも、君はこの世界が嫌いじゃないか。

「ええ、嫌いです。でも、大嫌いなわけじゃなかった」

 両親のこと、嫌いだったろう? 子作りをおぞましいと言っていたじゃないか。

「そんなの、おぞましいなら関わらなきゃいいんですよ。頭に脳ミソ詰まってないんですか、先輩」

 君を薄ら笑いする世界をどうして否定しないんだ。

「先輩、実はお勉強できるけど、頭は悪いタイプですか?

 そんなの、決まってるじゃないですか。オカルト研究部に所属しておいて、こんなことにも思い至らないなんて、実に嘆かわしいおつむをしてますね」

 なんで……

「怪異っていうのは、人間が語らなきゃ、恐怖しなきゃ、生まれないからですよ」

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