ふ
「教師になって、休日に旅をするんだ。歴史教師がいいな。風土記とか読んでみたい」
「それ、教師より考古学者とかじゃないですか?」
「考古学者だとテーマに沿った研究しかできないだろう? もっと自由に、気ままに、個人的にやりたいと思ったんだ」
愛桜は鞄を近くに置き、小さなスコップを手に、地面をつつく。
ちょんちょんとやる気があるのかないのかわからない土の抉り方をしながら、ふと、愛桜は笑った。
「いいんじゃないですか? 先輩も私も、自由にやって、自由を謳歌して、今ここにいるんです。これからだって、いくら自由でもいいんですよ」
さく、と軽い音を立てて、スコップが土に刺さる。ぐっと柄を握りしめて、土を掘る。
ぱさ、ぱさ、と少しずつ、地面が抉れていく。
「それにしても……本当に死体が埋まってたらどうします? まずは警察呼ばないとですよね。土から死体なんて、土砂崩れ以外なら殺されたとしか考えられませんもん」
「やはり、そう思うかい?」
「やはりも何も、そうとしか思いませんよ」
何を当たり前のことを、と愛桜はからからと笑う。その傍らで樫美夜が愛桜のことをどう認識しているか、薄らとわかってきたような気がする。
樫美夜は普通の家庭で育った、ちょっと目の色が特殊なだけの健全な少年だ。親の愛も当然のように享受してきたのだろう。ネグレクト気味の愛桜の家庭とは違う。いや、ネグレクト気味というか、もはや完全にネグレクトだ。
金さえあれば、食い繋ぐには困らない、という認識で金を置いてくれるだけいいのかもしれない、と愛桜は認識している。本物のネグレクトは金も食事も与えられない。必要最低限の生活すら親に与えてもらえない育児放棄をネグレクトというのだ。それと比べたら、自分は金銭に不自由しないようにされている分、恵まれているだろう。
けれど、そんな愛桜でさえ、普通の家庭で育ってきた者からすれば、充分に育児放棄をされていて、憐れに映るのだろう。憐れみを抱かれることに特に抵抗感はなかったが、結局のところ、それは優しく見えるだけの差別だ。
それでも、愛桜は人並みの倫理観は持っているつもりだ。けれど、憐れみを抱いている人間からすれば、愛桜は人として正常にあるべき部分が欠落して、歪んでいるような印象を持つのだろう。樫美夜には、愛桜がそう見えているのだ。
「私たちには火葬が一般的ですけど、宗教によっては土葬もありますからね……まあ、墓の上に桜を植えるのはさすがに意味わかんないですけど、墓地潰してカラオケボックス作ったりするのが人間ですからね」
「あはは、鉄板ネタだね。心霊現象のある場所、実は昔墓地だったとか、戦場だったとか」
「墓地はともかく、戦場に幽霊出るんなら、東京とか長崎とか広島とか、もっとヤバい話が日常的に出ないとおかしいですよ。まあ、戦争で爆撃受けたとか、核が落ちたとかを笑い話にし始めたら、人間、本当に終わりなんでしょうけどね」
「真面目な話するねえ」
愛桜はスコップを少し強めに土に刺す。
「私はいつだって大真面目ですよ! オカ研のことだって、これからのことだって。私は結構必死に生きてるんです」
「怒らないでくれ。感心したんだよ。オカルト以外の話はあまりしないからね」
「オカルトからの派生でしょう、今の」
きょとんとしながら、刺したスコップを抜く。それから、樫美夜に訊ねた。
「っていうか、大きいスコップないんですか? 時間ないからさくさく終わらせたいんですけど」
「倉庫にあるよ。まだ部活の子の登下校があるから、派手に掘るのもなあ、と思って」
「何言ってるんですか。ちゃんと学校から許可降りてるんですから、堂々とどかんとやりましょうよ。スコップ取ってきますね」
「あ」
何故か樫美夜が止めようとしたが、愛桜は振り向かず、用具倉庫へと向かった。
用具倉庫は思うより整っていて、すぐにスコップを見つけることができた。
「タイムカプセル掘るときとか、やっぱり大きく掘らなきゃだから、こういうの使うのかな」
まあ、タイムカプセルなんて、愛桜とは縁のない話だ。未来の自分に伝えたいことなんてない。未来の自分にあまり期待していない。
親元を離れて楽しく暮らしているか、なんて聞くまでもないだろう。過去の自分からの手紙を見たところで何の感慨もない。そういう大人になれない、という確信があった。
面白味のないまま、成長して、特に面白くもない人生を生きていくのだろう。それでいい。愛桜はそう思っていた。
「先輩、持ってきましたよー」
「うわ、本当に持ってきたんだね」
「なんですか、先輩。昨日までうきうきだったのに、今日はノリ悪いですね。まさか死体でも見つけたんですか?」
冗談交じりで笑いながら、愛桜は先程まで樫美夜が座っていたところにさく、とスコップを刺す。
やはり、他のところより土が柔らかく、掘り返しやすい。一度掘られているということだ。樫美夜が話す様子がないので、自分で掘ってしまおう、と思っていると、こつん、とスコップの先が何かに当たった。
何か白いものが露出している。まさかこれは、と愛桜は小さいスコップに持ち替え、慎重に掘り進める。
白いものが徐々に丸い形を晒していく。落ち窪んだ穴が二つ。それは紛れもなく、頭蓋骨だった。
「ちょっと、先輩、これ、全然笑い事じゃないですよ……」
愛桜はスマホを取り出し、警察を呼ぼうとする。
がっ
強い衝撃を受け、一拍間を置いて、鈍痛を知覚する。知覚して尚、愛桜は何が起きたか理解できなかった。わかるのはせいぜい、土が温かいということだろう。
「愛桜クン」
先輩、と樫美夜を見ようとして、赤いもののついたスコップが見える。錆などではない。それは血だ。真新しく、ぬらっとしている辺り、愛桜のものなのだろう。
「は、はは……ごめん、ごめんね、愛桜クン。でも、君の性格なら、許してくれるだろう? 普通の人ならなれない。君はこれから、本物の怪異になるんだよ。君は殺されたんじゃない。桜に拐われたんだ」
何を言っているんだ? 今スコップで愛桜の頭を殴っているのは樫美夜だろう。桜に拐われそう、なんて儚い美貌の持ち主に向ける比喩で、怪異なんて、そんな、ものでは……
反論が言葉にならない。さくさく、と樫美夜が土を掘り、そこに愛桜は放り込まれた。
ああ、とわかった。
愛桜なんて人間は最初からいなかったことにされるんだ、と土をかけられながら、静かに実感した。




