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放課後、視聴覚室に行くと、樫美夜は珍しくカーテンを全開にして、外を眺めていた。
「どうしたんですか? 先輩」
「ん、ああ、愛桜クン」
少し寝ぼけたような声でこちらを振り向く樫美夜。奥の目は微笑んでいるようだった。
「帰ったかと思っていたよ。盛大に振ったんだって?」
「人の口に戸は立てられないと言いますけど、早いですね。帰るわけないじゃないですか、文化祭の準備があるのに」
おや、と樫美夜は笑った。
「嬉しいね。僕のために残ってくれたのかい?」
「ある意味そうですね。ほら、こんな可愛い後輩は今後現れるかわからないんですから、作業始めますよ」
「はは」
机をいくつか繋げて、模造紙を広げる。そこには地図が描かれていた。地図というか、電車の路線である。
「しかし、先輩がきさらぎ駅チャレンジで溶かした費用が元取れるレベルには部費が集まってるんですね。うちって何人いるんでしょ」
「うーん、五十は下らないはずだよ」
「うえっ、そんなに!?」
それは一人分の旅費くらいすぐに集まるはずだ。
「それに、僕のきさらぎ駅チャレンジは今に始まったことじゃないからね。全国津々浦々、どこでも割引が入るよ」
「いやそれただの旅行じゃないですか……」
愛桜は呆れた。が、きさらぎ駅求めて全国の電車を乗り回す樫美夜の熱意は好ましい。
何か一つの怪異のためにだけ動いたことは愛桜にはない。愛桜は休日、家にいるわけではないが、それは出かけるのが好きなわけではなく、家にいたくないからだ。休日は両親が揃って家にいる。ということは一日中あれなわけである。
不自由はしたことがない。スマホが欲しいという前にスマホは与えられた。出かけるなんて言わなくても、小遣いは朝、リビングに置いてある。家でご飯を家族で食べたことなんてない。リビングですらいちゃいちゃする両親に吐き気がして、いつもコンビニ弁当を部屋で食べる。
実際、吐いたこともある。それを自分一人で片付けた。両親はそれすら把握していないだろう。
置いてある小遣いはなるべく貯金するようにしている。だから休日は当て所なくふらふらと外を歩くだけだ。お札の絵が変わるとかで、旧札が使えなくなるかも、と囁かれ始めてからは、SNSで話題になっている店に行ったり、話題の食べ物を食べたりしている。特に好きなものはないし、承認欲求もないため、SNSに「スタバの新作飲んだ」と写真を投稿するだけで終わる。バズや炎上には関わらないのが一番だ。
たくさんの人と関わるのが苦手で、人気の店に入ってもすぐに出てきてしまう。カラオケも一人で行ったことしかない。漫画喫茶も人の気配があるし、やることをやる人はお構い無しにいるので、怖くて行けないでいる。
そんなのが電車に乗るなんてあり得なさすぎた。
「愛桜クンは旅行とか一度も行ったことがないのかい?」
「旅行はおろか、ピクニックすらないですよ。今はソロキャンプとかも流行ってるみたいですけど、結局、辺りに人はいるんでしょう? 無理ですって」
「青姦する人はなかなかいないと思うが」
「言わないでくださいよ。余計嫌になる」
ああ、でも、と愛桜は窓の外を指差す。
「花見は平気ですよ。植物があるから、落ち着くんですかね?」
「ああ、狂い咲きの桜か」
「名前に『桜』って字が入ってるから、親しみが湧くんですかね」
愛桜は「愛された桜」と書く。両親に与えられたものの中で、唯一素直に喜べたのがこの名前だった。字面が綺麗だし、響きもいい、人に少し自慢してもいいくらいお洒落な名前だ。
桜の木は好きだ。ちょっとやそっとの病気で傷んでしまう脆さや儚さが人間に似ていると思う。その割、きちんと毎年咲いているのだ。
桜の木の下には死体が埋まっている、という噂がある。儚いけれど美しい桜の妖しさに基づいて生まれた噂だ。そんな噂がつくのもらしくて好きだった。死体が埋まっているとは思わないけれど。
「桜の木の下、掘り返したことないのかい? 愛桜クン」
「その辺の木にだって所有者いますし、それが市だったり県だったりするのを誤って傷つけたりしたら普通に器物損壊、犯罪ですよ。オカルトは好きですけど、犯罪に手を染めてまでってほど狂ってはいませんって」
「ええ!? 愛桜クンならそれくらいはやると思っていたよ」
「私を何だと思ってるんですか」
愛桜は地図の下書きをなぞるためにマッキーのキャップを取る。そしてマッキーのペン先を掲げた。
「オカルトに狂っても、清くクリーンな狂い方を! 最低限の社会的ルールが守れないと人間として終わる時代ですからね」
「健全な精神で安心したよ」
「でも、掘りたいんなら、できなくはないですよ?」
「今、清くクリーンにって言ったばかりだよね?」
「マッキーで眼鏡塗り潰すぞこら」
信用ないですねー、と愛桜が嘆息する。もちろん、先に述べた清くクリーンなオカルト狂いをする。
「私たちが何部か忘れたんですか、先輩。オカルト研究部ですよ、オカルト研究部。あの狂い咲き桜は学校の敷地内。部活動の一環としての調査のために申請すれば、あの桜の下は掘れます」
「おお、清くクリーンだ」
むしろ何故、樫美夜がこれまでそれをしなかったのだろうか、と不思議に思う。
「いや、それこそ桜の木の下なんて、何が埋まっているかわからないじゃないか。上級生のタイムカプセルなんか出てきてしまったら気まずいじゃ済まないのだよ」
「もしかして、中学とかでそういうことがあったんですか?」
「黙秘しよう」
つまりあったわけだ。
確かに、年中狂い咲きしている桜なんて他にないから、またとない目印になる。
昔は目印があやふやだったり、学校の木の配置が変わったりなんかして、タイムカプセルの行方不明事件は多発し、今時はタイムカプセルを埋めないらしい。
「まあ、今はまず文化祭だな。桜のことは終わってから考えよう」
「はーい」




