ぬ
とっとっとっ
足音が二階から落ちてきた愛桜の体に近づいてきた。
人間は四階以上からじゃないと死なないという話があるが、実際のところ、打ち所が悪ければ、階段から落ちただけでも死ぬわけだし、頭から落ちれば二階からでも死ぬ。愛桜は窓ガラスを突き破ったせいで、頭に裂傷があり、だくだくと血を流していた。
そこにゆったりと近づいてくるのは、制服を着た男子生徒。髪は陽光を紡いだような淡く煌めく金髪で、肌が日本人離れした白さを誇っている。世にも珍しい紫色の目が、しげしげと愛桜の遺体を見つめていた。
「おーい、生きてるでしょ」
そんなあり得ない妄言をその口から吐く。その理不尽さに怒る者はこの場にいない。
びく、と愛桜の指先が反応した。少年が感心した風に「おっ」と声を上げる。
くつくつくつくつ、と下手な怪談よりも恐ろしげな声がして、愛桜の遺体……だと思われていたものは、むくり、と起き上がった。動作確認のように手をグーパーし、据わりの悪い頭をちょいちょいと調整して、愛桜は声の主を仰ぐ。
「やあ、芥田莉栗鼠」
「コンニチハ。あと、僕これでも二年だから。君の先輩ね」
「先輩って呼ばれたいですか?」
「別に」
この見た目とは反対にあっさりした性格をしている少年こそが、怪異の根源、生ける都市伝説、学校の七不思議である芥田莉栗鼠である。
「すっごい便利ですねー、怪異世界って。ガラスでさっくりやった傷は治んないけど、絶対に折った骨とかわかんないですもん」
「この空間をそんな風に解釈する子は初めてだよ」
そう、芥田のメリーさんの空間では、人は致死性のある傷を負っても死なない。体の自由が利かなくなることはあるようだが、その効果もまちまちのようだ。クソガキ共や教師なんかは自由が利かなかったようだが、そこは空間の主である芥田の意思次第なのだろう。
愛桜自身に芥田に対する悪意はない。あるのはオカルト狂いとしての純然たる興味のみ。それが悪意とどっこいどっこいでも、芥田は許容範囲と認識しているらしい。
「空間主サマが直々にお尋ねになるなんて、光栄なことですね」
「まあ、僕にも事情はあるからね。変な噂がついて回るようになってから、誰かから嗅ぎ回られるのは慣れてるし」
愛桜は血塗れの首を傾げてみせた。
「変な噂って、ご当人的にはどれですか?」
「僕が虚空に話しかけてるってやつ」
そういえば、芥田は幼い頃から、自分の傍に誰かいるように目線を向けたり、声をかけたりするという噂があった。
「学校の七不思議の一つ。逢魔が時の少年だ」
「何それ」
「逢魔が時って具体的には夕方の六時くらいのことを言うらしいんだけど、ざっくり言うと夕方のことなんだよね。夕暮れそのもののことを指したりもするし。
で、逢魔が時の少年っていうのは、夕方の学校からの帰り道、誰もいない場所に向かって話しかけている少年がいても、声をかけてはいけない、声をかけたら、逢魔が時の向こう側に連れて行かれる、っていう話」
「あ、僕のことじゃん」
そう、まんま芥田のことである。
「でも、僕は虚空に話しているつもりはなかったよ。君だって、見てわかったでしょう? 僕の隣には誰がいたか」
「メリーさん、ですね」
愛桜は考えるように顔の前で人差し指を立てて、くるりと回す。
「ただ、腑に落ちないことがあるんですよ。私は芥田の武勇伝を聞いて、芥田の話の中に出てくるメリーさんは芥田自身というか、芥田の意思を汲んだ分身みたいなもの、意識体っていうか、ぶっちゃけ芥田本人だと思ってたんですよね」
「武勇伝とか言わないでよ。別に望んでそうなったわけじゃないし」
「そう、それ」
愛桜はぴしり、と両手の人差し指を芥田に向ける。
「芥田のメリーさんは芥田の復讐心やら屈辱やらを糧にしているわけじゃない。そういう負の感情の吹き溜まりが怪異や妖怪の大好物なはずなのに。じゃあなんでメリーさんがいるのか。
メリーさんは芥田の意思と関係なく存在しているという仮説がここで立てられる。その仮説に合致するのが……」
少し溜めてから、愛桜は言い放った。
「双子」
「へえ」
樫美夜と話した仮説を愛桜は頭の中で組み立て直し、芥田と答え合わせをしていく。
「芥田莉栗鼠に双子がいた。双子は日本でも昔から凶兆とされる。でも、芥田莉栗鼠には兄弟がいない。何故か。芥田莉栗鼠が生まれている以上、親が不妊ってことはない。それなら、母親が子どもを産みにくい体質に変わったってのがしっくりくる。
女性の体ってのは大変だからね。昔はぽんぽんぽんぽん子ども産まなきゃならん時代だったから、子ども産めない女は石女とか言われたけど、医学の発展で、新しい生命を産む代価に女は望む望まないに拘わらず、自分の命をかけることになっているのが解明された。
ちなみに、一度に何人もの子どもを腹に宿した場合は畜生腹って言われるらしいよ。ひどい話だよね」
愛桜は立ち上がり、芥田に近づく。芥田は無表情ながら、一歩退いた。
それでも愛桜はずい、ずい、と迫っていく。
「まあ、普通、人間は一匹ずつしか産めないようになってるからね。畜生腹とか言うけど、複数人を産むとなれば、一匹産むより体への負担は段違いになる」
「一匹とか言うのやめなよ」
「物の例えですよ。動物は大体一匹二匹って数えるのに、人間ばっかり一人二人とか特別な数え方するのずるいと思いません?」
「知らないよ」
話が脱線した。が、愛桜はなんでもないように本筋に戻す。
「芥田のお母さんは双子をお腹に宿した。双子産んでもパワフルなお母さんは結構いますけど、そうじゃないお母さんだって結構います。それに、命というのは予定調和で生まれません。生まれてくる子どもだって、死と隣り合わせ。つまり……芥田のお母さんは双子を産んだけど、かたっぽが死産だった可能性がある。どうです?」
愛桜は芥田の眼前に顔を近づけ、答えを求めた。
「死産となった双子の片割れが、あなたに憑いている行き過ぎた守護霊、メリーなんじゃないですか?」




