公爵登場
「いつハーバー公爵は代替わりしたのだろう。ミラが成人となるのを待っておったのに。」
嗄れた厳かな声が響いた。途端にミラが嬉しそうに微笑んでホールの扉に向かう。つられたチャーリーが見たのは、威厳を感じる杖を持つ老人と少女のような笑顔をみせるミラだった。ミラが住む屋敷の執事までいる。
「皆、久しぶりだな。足を悪くして長旅が出来ず、王都まで来るのが億劫で代理を立てておった。しかし孫娘の卒業パーティーには参加したいと、遠路はるばるハーバーからやって参った。ミラ、そろそろお前の可愛い素顔を見せておくれ。儂が贈ったドレスに着替えもな。」
跳ねるように控え室に向かう孫娘の背中を愛しげに見送り、公爵がふぅと息を吐けば周りもつられて呼吸をする。
白髪をオールバックにした老紳士は正真正銘ハーバー公爵。ミラの祖父であり、長年宰相として国に貢献した人物である。領地別荘での娘と孫娘の襲撃事件後は足の不調を理由に王都へ来ず、娘婿を代理として立てていた。
周囲の貴族たちが尊敬から頭を垂れる中、ハーバー公爵はチャーリーを見つめた。
「さっきから孫娘の名を呼び捨てにする男がおるようだが、あれは誰かな。婿殿?」
そう呼ばれたチャーリーの父は慌てて公爵の前に走り寄ると額の汗を拭った。
「あれは息子のチャーリーでございます。義父様。」
「あぁ、アンジェリーナをミラの姉にするために婿殿が勝手に養子にした道具か。」
チャーリーは公爵の言葉に声が出なくなった。
アンジェリーナを公爵家にいれるための道具?
自分は公爵の父が母と愛し合って出来た子供だ。
「ハーバー公爵、お久しぶりにございます。」
「おぉ、アンジェリーナ。ますます美しくなったな。」
チャーリーが動けない間にアンジェリーナが公爵に挨拶に向かった。
「先程、その方に婚約破棄をされました。ミラの義姉になれればと努力を致しましたが、力不足だったようです。申し訳ありません。」
眉を下げて謝るアンジェリーナに公爵は片眉を上げた。
「婚約破棄とは穏やかではないな。裁判を起こすのであれば、私の知り合いの弁護士を紹介しよう。」
「ありがとうございます。名誉のために戦いたく存じます。是非よろしくお願いします。」
「うむ。パーティーが終わり次第、紹介状を用意しよう。婿殿、あの道具はもう不要だな。捨ててきなさい。」
本当に物言わぬ道具を捨てるように命令する公爵に、チャーリーの父は震えた。ここでの行動を間違えれば自分も危ない。どうすべきか、狼狽えている間に公爵は「そういえば、」と言葉を続けた。
「ここに来る前に屋敷に寄ったらな、知らん女が主寝室で若い男と抱き合っていたから警備に突き出しておいた。ミラがタウンハウス、婿殿と妾とその道具は儂が買ってやった屋敷に住むように命じておいたが、侵入者に入り込まれるとは取り替えるべきであったかな。」
ハハハと笑う公爵に釣られて愛想笑いをする父に、チャーリーは愕然とする。知らん女とは恐らく母の事だ。母が若い男と?警備?自分たちが外れにある屋敷に?きっと全て知っている公爵に、なぜ笑って合わせられるのか理解出来ない。
「あら、お父様は忘れっぽいのです。領地でおじい様が申し上げたことを王都に戻ってきたら忘れてしまうもの。」
ふふふと笑いながら聞こえるミラの声に視線を向けて、パーティー会場はざわついた。
「お待たせしましたおじい様。素敵なドレスをありがとうございます。やっぱりお父様のくださったドレスより趣味が合います。」
言外に先程の赤いドレスが父親からだと話し、にこやかに祖父に話しかけるミラに周囲は目を疑う。薄く化粧し直した顔には傷も痣も見当たらない。着替えた青のドレスはアンジェリーナと色違いで、露出は少なく上品になった。左手のグローブは無くなり、傷1つない綺麗な腕や手が露出している。
「お前、腕の傷はどうしたんだ?左頬の痣は?」
ようやく動き始めたチャーリーの言葉にミラは微笑みかけ、扇を広げる。
「あら嫌だわお兄様、私には元々痣も傷もありませんわ。」
同調するように公爵とアンジェリーナも笑えば、チャーリーはミラの元に走り詰め寄る。
「嘘をつくな。お前の顔には醜い痣と、汚らしい傷が腕に付いているじゃないか。化粧で誤魔化すな。」
腕を掴もうと伸ばした手は、ミラに届く前に傍に控えた侍女に振り払われた。
「私の大事なミラに汚い手で触らないでくださる?自分の父親が公爵でないことも知らない、世間知らずのお坊ちゃま。」
凛とした声にビクリと震えたのはチャーリーを止めなかった父だ。
「おじい様、言ったでしょう?お父様はお母様の顔も憶えていられないくらい忘れっぽいのよ?」
ミラと少し年齢を加味した瓜二つの母にパーティー会場は悲鳴が聞こえた。
「皆様お久しぶりです。訳あって死んだことになっておりましたミラの母、公爵の娘のクリスティーヌです。卒業おめでとうございます。」
高らかに聞こえた声は確かにクリスティーヌで、訳知り顔の夫人たちは拍手を送る。意味のわからない貴族たちも、プライドから素知らぬ顔で拍手した。
出来なかったのは夫である。今にも崩れ落ちそうな膝を何とか堪え、冷や汗が止まらない。
「どうしてお前が。ミラと襲われて、顔がぐちゃぐちゃにやられたと。」
声を震わせないように、意識して発している疑問を夫人は鼻で笑った。
「あら、カモフラージュに決まっているでしょう?あれは病気で亡くなった囚人の遺体よ。棺を開けようかと言われたら、不快そうな顔で断ったのを見てたわよ。メイドの格好で化粧も変えていたけど、気付かないから笑いそうになったわ。」
「申し訳ないが、ここからは私が話をしても構わないだろうか。明日には国民に知らせることだが、先にここに居る者達に説明したい。」
そう言い現れたのは国王と、隣国の王弟つまり公爵の婿の兄である。皆が頭を下げれば、騎士が現れチャーリーとその父の脇に待機する。呆然とする父に、その兄は苦笑いをする。
「20年振りくらいだが、性格は変わっていないようだな。行き当たりばったりの馬鹿が。」
まぁまぁと国王が宥め、ハーバー公爵に椅子を用意して話を始めた。
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