破滅フラグを回避するために民に善行を施していたら、ヒロインを差し置いて悪役令嬢の私が聖女の力に目覚めたのですが・短編
空に暗雲が立ち込め西から雨音が近づいてくる。
ポツポツと降り出した雨はすぐに土砂降りとなり、私の足元に放たれた炎を消した。
柱に縛りつけられた私には処刑場である広場の様子がよく見える。
広場に集まった民衆は「奇跡だ!」とざわめき立ち、死刑を執行する役人は突然の出来事に戸惑っている。
高い塀の上に設置された特別席にいる王太子は不機嫌そうに眉根を寄せ、彼の隣の席に座っているヒェン男爵令嬢は腹立たしそうな目つきでこちらを睨んでいる。
私の名前はリザ・アプリコット。公爵家の長女で王太子ザロモ・バオム殿下の婚約者だった。
男爵令嬢のファイル・ヒェンが現れ、王太子と相思相愛になるまでは……。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
十二歳の春、屋敷の階段で転んで頭を打った。
前世の記憶を取り戻した私は、自分が前世で読んだ小説「ブルーメ学園の聖なる乙女」の悪役令嬢リザ・アプリコットに転生したことを知った。
「ブルーメ学園の聖なる乙女」は聖女候補に選ばれた平民出身の男爵令嬢ファイル・ヒェンが、貴族の子息が通う学園に入学し、王太子と恋に落ち、聖女の力に覚醒し王太子と結婚するまでを描いたシンデレラストーリーだ。
リザ・アプリコットは公爵の長女で王太子の婚約者で聖女候補。
婚約者の周りをうろつくファイル・ヒェンが気に入らず、いじめ倒す。
年末に王宮で行われるパーティーの前日、ファイル・ヒェンが聖女の力に覚醒する。
リザ・アプリコットは聖女をいじめた悪女として、パーティーで王太子に断罪され、婚約破棄され投獄される。
そしてリザ・アプリコットは、パーティーの翌日広場で火焙りの刑に処され死ぬのだ。
うわぁ……悲惨な末路だ。
前世で松田杏という女子高生だったときの記憶と、現世のリザ・アプリコットという公爵令嬢の記憶がいい感じに融合してきた。
ちなみに小説開始時、十五歳のリザ・アプリコットはプラチナブロンドの髪を腰まで伸ばし、サファイアブルーのややつり目がちな瞳が特徴的な整った顔立ちの美人で、女性にしては背が高く、メリハリのある抜群のスタイルをしている。
男爵令嬢のファイル・ヒェンは桃色のふわふわした髪に、紅梅色の瞳、愛らしい顔立ちで小柄な体格の守ってあげたくなる感じの美少女だ。
王太子のザロモ・バオムは黒髪の短髪、レモンイエローの瞳の長身の美男子だ。
現在のリザ・アプリコットは背も低く、胸もぺったんこ、美人というよりは美少女という表現の方が似合う。
悪役令嬢に転生してしまった事実は憂鬱だが、学園入学まで三年、処刑されるまで四年ある。
私は破滅フラグを叩きおるため、手始めに父親であるアプリコット公爵を味方につけることにした。
アプリコット公爵はリザの父親だけあって、金髪に青い瞳のイケオジだ。
そしてアプリコット公爵は娘のリザを溺愛している。
可愛い娘の私が涙ながらにアプリコット公爵に訴えれば公爵なんてイチコロ……いや公爵が私の話を信じてくれる可能性が高い。
その上でアプリコット公爵に上手に甘えれば、公爵は私のお願いを聞いてくれるはず。
アプリコット公爵に相談したところ私の予想通り、公爵は私が転生した話や四年後に王太子に婚約破棄され処刑される話を信じてくれた。
アプリコット公爵を味方につければ百人力!
さっそくアプリコット公爵に私と王太子の婚約解消に向けて動いてもらうことにした。
このおじさんチョロい!
しかしアプリコット公爵が力があるとはいえ、公爵の身分ではやれることには限界がある。
アプリコット公爵の力を以てしても、王家と公爵家が交わした婚約は簡単に白紙にはできないようだ。
私は次の作戦に移ることにした!
学園に入学したら王太子とヒロインの密会(浮気)現場を押さえる!
おそらく王太子とヒロインは小説のシナリオ通りに出会うだろう。
そして二人は出会って一週間もしない内から、人目をはばからずイチャイチャしだすはずだ。
そうなれば証拠を集めるのは簡単。
王太子がぐうの音も出ない証拠を押さえ、王太子の不貞を理由に婚約を解消してやる。
王太子を悪者にして婚約を解消するためには、十二歳の時点ですでにリザ・アプリコットに付いている、
「わがままで高慢チキな公爵令嬢」
という世間のイメージを払拭しなければならない。
まずは身内からイメージアップをはかっていこう。
私には同い年の義弟がいる。父方の親戚から養子にきたカイだ。
カイはダークブロンドの髪にアクアマリンの瞳の美少年。
カイは絶世の美少年だが、小説では名前とリザとの関係がちょろっと描かれるだけのモブだ。
なぜこんな美少年がモブなのかは謎だが、ヒロインの攻略対象よりはましだ。
攻略対象と仲良くしてもそのうち裏切られるかもしれないけど、モブなら裏切られる可能性も低いから仲良くしても大丈夫だろう。
小説のリザはカイを使用人のように扱い、カイに恨まれていた。
なので私は小説とは逆にカイに優しく接し、カイを味方につけることにした。
小説のリザは使用人を奴隷のように扱っていたので、使用人への態度も改めることにした。
その結果、アプリコット公爵家での私の評価はうなぎ登り。
カイなんか「リザお姉様」と言って目をキラキラさせて私の後を付いて回るようになった。
順調、順調。あとは外での私の評価を上げるだけね。
私は世間へのイメージアップをはかるため、教会に多額の寄付をした。
それだけにはとどまらず、日曜は教会に自ら出向き炊き出しをして、貧しい人の胃を満たした。
子供の為に日曜学校を開設、文字の読み書きと簡単な算術を教えた。
失業者には仕事を斡旋し、貧しくて治療を受けられない市民の為に、格安で治療できる病院を作った。
炊き出しをして平民に触れて知ったのだが、この世界の平民は火傷や擦り傷を負ったときの応急処置のやり方も知らないようだ。
だから私は彼らに応急処置の仕方を教えた。
軽い火傷をしたときは患部を水などで冷やすこと。
切り傷や擦り傷は、湯冷ましした水を使い傷口を消毒すること。そのとき水を入れる器は熱湯で消毒し、手で傷口に触れるときは石けんで手を洗っておくこと。
井戸水でお腹を壊す人が出ないように、井戸水の汚染を防ぐ必要がある。
井戸の周りに動物が入らないように柵を作り、井戸の周囲を常に清潔に保つように指導した。
特に井戸の近くに肥溜めやごみ捨て場など不潔な物を作らないように注意喚起した。
そんなことをしていたらあっという間に三年が経過していた。
☆☆☆☆☆☆
入学式の前日に教会に仕える神官が来て、私が聖女候補に選ばれたことを告げた。
この辺は小説のストーリー通りだ。
聖女候補は二人、公爵令嬢のリザ・アプリコットと男爵令嬢のファイル・ヒェン。
小説のリザは己が聖女の力に覚醒すると信じて疑わなかった。
聖女候補に選ばれた自分は周りからちやほやされ、王太子からの愛も得られると思っていた。
だが蓋を開けて見れば、王太子はもう一人の聖女候補の男爵令嬢ファイル・ヒェンを溺愛し、学園の生徒も教師もファイル・ヒェンをちやほやした。
小説のリザはそれが気に入らず、ファイル・ヒェンに嫌がらせをする。
そしてファイル・ヒェンに数々の嫌がらせをしたことがバレ、破滅するのだ。
小説のリザは最悪の性格だった。
しかし婚約者がいるのに他の女とイチャイチャする王太子も、婚約者がいる男に平然と近づくファイル・ヒェンも、王太子とファイル・ヒェンの仲を応援する周りもどうかしている。
まぁ小説なんてヒロインを愛でてなんぼ、ヒロインが幸せになるために周囲の人間は存在しているようなものだから、ヒロインがえこひいきされ、ヒロインの行動が正当化されてもしかたない。
だがここは小説の世界ではなく現実。
ヒロインのために世界が動いているわけではない!
悪役令嬢ポジに生まれても行動次第で幸せになれるはずだ!
全力でフラグを壊して幸せを掴んでやるわ!
☆☆☆☆☆
学園に入学して一カ月。
王太子とファイル・ヒェンが早速イチャイチャし出した。
中庭のベンチ、噴水の前、空き教室、音楽室、裏庭の木陰……とにかくそこかしこでイチャこらしている。
私はカイとともに王太子の浮気の証拠をせっせと集めている。
王太子とファイル・ヒェンがわかりやすい場所で浮気をしているので、証拠を集めるのは簡単だ。
ある程度証拠が集まったので、公爵に王太子の浮気の証拠を渡した。
公爵は「リザちゃんと王太子の婚約を王太子の有責で解消させる!」と言って張り切っていた。
学園に入学してからも私は休日に教会に赴き炊き出しをしている。最近はカイも炊き出しを手伝ってくれる。
おかげで私やカイに向けられる市井の人たちの視線は温かい。
積極的にボランティア活動をして、リザ・アプリコットの世間の評価を上げる作戦は大成功だ!
慈善事業が染み付いた私は、学園でも困った人を放っておけずにいる。
東にお弁当を忘れた生徒がいたら、自分のお弁当を分け与え。
西にジャケットがほつれた生徒がいたら、ジャケットを繕ってあげ。
南に成績の悪い生徒がいれば、成績の悪い生徒を一箇所に集め勉強会を開く。
北に礼儀作法に苦労している平民の生徒がいれば、親切丁寧に礼儀作法を教えてあげる。
おかげで学園での私の評判も上々だ。
☆☆☆☆☆
そんなふうに忙しく日々を過ごしている間に、あっという間に年末になっていた。
アプリコット公爵が「年内には王太子とリザちゃんの婚約を、王太子の有責で解消できるよ」と教えてくれた。
小説のリザと違い私は誰もいじめてないし、私と王太子との婚約は解消される、ということはつまり……パーティーでの断罪イベントは起こらない!
そう確信し喜んでいたんだけど……。
パーティーの直前、国王が他国の会議に出席することになり国を留守にすることになった。公爵である父も国王について行くらしい。
出立前「すまないリザ、年内にリザと王太子との婚約を解消するのは難しくなってしまった」と公爵が申し訳なさそうに謝ってきた。
「その代わり年が明けたらすぐに、リザと王太子の婚約を解消させるよ!」と公爵は言った。
私は「お父様を信頼していますわ」と伝えておいた。
お父様が隣国に旅立ったあと「義姉さん、念のため年末のパーティーには出席しない方がいいんじゃない?」とカイに用心するように言われた。
「大丈夫だよカイ。
王太子との婚約はもうすぐ解消されるし、私は小説のリザと違って聖女候補のファイル・ヒェンをいじめていないから、断罪イベントなんか起こりっこないわ」
私は甘く考え、カイの忠告を無視しパーティーへの参加を決めてしまった。
☆☆☆☆☆
そして参加した年末のパーティー。
カイにエスコートされパーティー会場である王宮の広間に入ると、ファイル・ヒェンを腕にぶら下げた王太子と遭遇した。
王太子は私をギロリと睨みつけ、
「リザ・アプリコット!
貴様との婚約を破棄する!」
と大声で叫んだ。
「お言葉ですが、王太子殿下。
今婚約を破棄しなくても、年明けには私と殿下の婚約は解消されます。
王太子殿下の有責で」
私はそう説明したのだが、王子様は聞く耳を持たない。
「リザ・アプリコット!
貴様は聖女候補であるファイル・ヒェンに嫉妬し数々の嫌がらせをしたな!
ファイルのノートや教科書を破り、ファイルのお弁当に虫を入れ、ファイルを裏庭に呼び出し『王太子に近づくな』と言ってナイフを使って脅し、脅しに屈しなかったファイルを階段から突き落とした!」
王太子が私の罪状を述べていく。
私には全く身に覚えがない。
しかし王太子の言葉には聞き覚えがある。
今王太子が話したことは、小説の王太子がリザを断罪する時に言ったセリフと全く同じなのだ。
ファイル・ヒェンに目を向けると、彼女は顔に手を当てすすり泣いていた。
だが泣いているはずのファイルの口角は少し上がっていた。どう見ても嘘泣きだ。
「ファイルは昨日聖女に覚醒した!
聖女候補のどちらか片方が聖女に覚醒したら、もう一人が聖女に覚醒することはない!
よってリザ・アプリコット、お前はもう聖女候補ではない!」
ファイル・ヒェンが聖女の力に覚醒した?
ファイル・ヒェンは学園に入学してから、王太子とイチャイチャしてばかりで、彼女が慈善事業に取り組んでいるところなど一度も見たことがない。
一つも善行を積まずに、ファイル・ヒェンはどうやって聖女の力に覚醒したのかしら?
ファイル・ヒェンは小説のヒロインだ。ヒロインチートで何もしなくても、ファイル・ヒェンが聖女に覚醒することが決まっているとか?
「俺はリザ・アプリコットとの婚約を破棄し、ファイル・ヒェンを新たな婚約者にすることをここに宣言する!」
王太子がファイルの肩を抱き寄せ、そう力強く言った。
小説ではここでパーティーに参加した客から、王太子とファイル・ヒェンに惜しみない拍手が送られる。
しかし現実は小説のようにはいかないようで、パーティー会場は水をうったような静けさだ。
しばらくして「アプリコット公爵令嬢がいじめをしていた?」「まさかそんな……」「嘘だろ……」「信じられん」というざわめきが会場のあちこちから聞こえてきた。
「悪役令嬢を断罪できたわ。小説のシナリオ通りね」
ファイル・ヒェンが小声で言った言葉を私は聞き逃さなかった。
悪役令嬢……? 断罪……? 小説……?
もしかしてヒロインも転生者のパターン……!?
ということは、目の前にいる女性はファイル・ヒェンに転生した日本人!
おそらくファイルに転生した女は、シナリオ通りに私が動かないことにしびれを切らし、私に冤罪をかけ、私をパーティーで断罪するように王太子を誘導したのだろう。
そんなことしなくても浮気者の王太子なんか、リボンをつけてプレゼントしてやったのに!
「聖女に覚醒したファイル・ヒェンを虐げてきた罪は重いぞ!
いやそれよりも王太子である俺の愛する人を害したことが許せない!」
王太子が私を指差し、鋭い眼差しで私を睨みつけた。
ほぼ私怨じゃない……婚約者がいるのによその女と浮気している奴は言うことが違う。
「リザ・アプリコット、貴様の身分を剥奪する!
近衛兵よ、リザ・アプリコットを捕えろ!
そいつはもう平民だ!
多少手荒なことをしても構わん!」
王太子が近衛兵に命令する。
「カイ、このことをお父様に伝えて!」
私は近くにいたカイにそうお願いし、会場から逃した。
私と一緒にいたら、カイまでとばっちりを受けてしまう。
カイは「待っててください、義姉さん! 絶対に助けに戻ります!」と言って会場を後にした。
私は近衛兵に捕らえられ、城の地下牢に入れられた。
貴族用の牢屋ではなく、平民が入るような粗末で汚い牢屋だ。
幸い牢屋は個室で、牢の中にはベッドと椅子が置かれていた。
私は椅子の埃を払い腰掛ける。
さてこれからどうしようか?
このままでは明日には処刑されてしまう。
今この国には国王も宰相であるアプリコット公爵もいない。王太子を止められる人間がいないのだ。
こんなことになるならカイの忠告を聞いて、パーティーに参加せず家にいるべきだったわ。
いやヒロインのファイル・ヒェンが転生者で、リザ・アプリコットが悪役令嬢として破滅することを望んでいる以上、家にいても安全ではなかっただろう。
ファイルに転生した女が、私を引きずってでもパーティーに出席させるように、王太子に頼んだかもしれない。
これからどうしようかとあれこれ思案していると、足音が聞こえた。
顔を上げると、ファイルに転生した女が私の入れられている牢屋の前にいた。
ファイルに転生した女は牢の中にいる私を見てクスリと笑う。
「悪役令嬢がシナリオ通りに動かないから、どうしようかと思ったけど案外なんとかなるもんね。
あなたにはヒロインであるあたしが幸せに暮らすための犠牲になってもらうわ」
やはりファイル・ヒェンは転生者だったようだ。
しかも最悪なことに、自分が幸せになるためなら無実の人間を罠にかけて殺しても何とも思わないクズだ。
「『悪役令嬢』や『シナリオ』や『ヒロイン』という言葉を聞いても驚かないのね、あんたももしかして転生者?
どうりで悪役令嬢がシナリオ通りに動かないはずだわ」
私が転生者だとすぐに気づいたところを見ると、ファイルに転生した女はなかなか勘が鋭いようだ。
「困るのよね。シナリオ通りに動いてくれないと。
あんたがシナリオ通りにあたしをいじめなかったせいで、あたしは聖女の力に覚醒しなかったのよ。
本来ならパーティーの前日に聖女の力に覚醒するはずだったのに!」
えっ? 王太子がパーティー会場で言っていた「ファイルが聖女の力に覚醒した」というのは嘘だったの?
小説のヒロインと違い、ファイルに転生した女は、学園に入学してからずっと王太子とイチャイチャしていただけで、慈善事業を一切していなかった。
ファイル・ヒェンにヒロイン補正があったとしても、補いきれなかったのだろう。
「あなたが転生者だということと、聖女の力に覚醒しなかったということを、王太子は知っているの?」
「知らないし、知る必要もないわ」
王太子は何も知らされていなかったのね。
王太子が何も知らなかったとしても、婚約者がいるのに浮気をし、婚約者以外の女をパーティーでエスコートし、大勢の前で公爵令嬢である私に冤罪をかけ、国王の許しなく王命による婚約を一方的に破棄した罪が消えるわけじゃないけど。
「あんたさえ消えればストーリーは元通りになるわ。
あたしはそのうち聖女の力に覚醒し、王太子と結婚し幸せに暮らすのよ」
シナリオ通りに進めたいなら王子様といちゃこらしてないで民に善行を施せよ、とツッコミを入れたいが今は止めておく。
「あなたが聖女の力に覚醒したというのが、嘘だとバレたらどうするの?」
「どうもしないわ。
あなたが死んだあとあたしはただ一人の聖女候補になるのよ。
王族も教会も聖女候補のあたしに何もできやしないわ」
「こんなことをしなくても、私と王太子の婚約は年明けには解消されたわ。
王太子はあなたのものになっていたのよ!」
「あらそれは困るわね。
シナリオがよくよく変わってしまうもの。
そうなったら修復は不可能。
そうなる前にあなたを断罪できてよかったわ」
ファイルに転生した女が、私を見下すような目つきで見たあとニヤリと笑った。
この女、めちゃくちゃ性格悪い!
「シナリオ通りにあなたは明日の十二時に広場で火焙りにされるのよ!
王太子の婚約者になったあたしは、王族の特別席からその様子をじっくり見物させてもらうわ!」
ファイルに転生した女が高笑いした。そして高笑いしながら去っていった。
あれだけ頑張ったのに破滅フラグは折れないのね……。
私は暗い牢屋の中で絶望していた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
翌日、快晴の広場には二百人ほどの人が集まっていた。
彼らの着ている服装からの推測だが、広場に集まった人たちのほとんどは市井で暮らす民だろう。
私は広場の中央にある柱に縛り付けられている。柱の根本には沢山の薪が置かれていた。
あの薪に火をつけられたら一巻の終わりね。
私が縛り付けられた柱の周りには処刑を執行する役人が数人。彼らを護衛する騎士が十人ほどいる。
塀の向こうに教会に設置された時計が見えた。あの時計の針が十二時を指したとき、私は死ぬのね。
広場の周囲は高い塀に囲まれていた。処刑場をよく見下ろせる塀の上に、王族専用の特別席がある。
特別席には王太子とファイルに転生した女が仲良く並んで座っている。
二人の周りには王太子の近衛兵と騎士団員がいる。近衛兵と騎士団員の数は合わせて百人ぐらい。
私に兵の数を見せつけて絶望させたいのか、それとも王太子が小心者なのかわからないが、たかが小娘一人の処刑に随分と多くの兵士をかき集めて来たものだ。
王太子がこちらを見た。王太子が私を見る目はゴミを見る目だった。
王太子とは対象的にファイルに転生した女は、実に楽しげな表情でこちらを見ている。
く……! あの女にひと泡ふかせてやりたい!
そう思ったとき、
「これよりリザ・アプリコット元公爵令嬢の処刑を執り行う!」
広場に処刑を執行する役人の声が響いた。
「リザ・アプリコット元公爵令嬢は聞け!
貴様は聖女の力に覚醒され王太子殿下の婚約者になられたファイル・ヒェン男爵令嬢に、数々の嫌がらせをした!
その中には聖女様の命を脅かす悪辣な行為も含まれていた!
よって王太子ザロモ・バオム殿下の命により、リザ・アプリコット元公爵令嬢を火焙りの刑に処す!!」
役人が声を張り上げ、私の罪状を読み上げた。
この場面で小説のリザは「聖女様を害した極悪人!」と罵られ、広場に集まった人たちからゴミや石を投げつけられるのだが……特に何もない。
むしろ広場に集まった人が私に向ける目は優しい。
「アプリコット公爵令嬢がそんな酷いことをしたというのか……?」「なにかの間違いではないのか……?」「アプリコット公爵令嬢には怪我を治療してもらったというのに……」「わしは孫を学校に入れてもらった」「アプリコット公爵令嬢の無実を証明したいが……我々には何もできん」
人々の呟きが柱に縛り付けられている私の耳にも届いた。
慈善事業をしておいてよかった。
死ぬ前に大勢の人に悪意を向けられ、罵声を浴びせられ、石を投げられるのは辛い。心が折れる。三回転生しても立ち直れない。
民衆が私の無実を信じてくれたから、来世は現世の嫌なことを引きずらなくて済みそうだ。
処刑の時刻が迫る。
パーティー会場から抜け出したカイは無事かしら?
処刑の時間に間に合わなくても、カイを恨んだりしないから安心して。
でもできれば私の死後、私の無実を証明してほしいわ。アプリコット公爵家の名誉の回復と、将来アプリコット公爵家を継ぐカイのために。
教会の鐘が十二時を告げる。
特別席にいた王太子が立ち上がり、
「リザ・アプリコットを処刑せよ!」
広場にいる役人に命を下す。
松明を持った役人が、私が縛られている柱の根本に置かれた薪に火を放った。
薪が勢いよく燃え上がる。
ここまでか……!
そう思ったとき……私の体が光り出した。
太陽のように眩しい光が私の体から溢れ、広場を包む。
途端に快晴だった空に暗雲が立ち込め、バケツをひっくり返したような激しい雨が降り出した。
柱に放たれた炎は一瞬にして消えた。
炎が消えると暗雲の一部が晴れ、雲の切れ間から光が射す。
太陽の光は真っ直ぐに、柱に縛られている私に降り注いだ。
その光景を目の当たりにした人々が、市民も役人も含め呆然としている。
しばしの沈黙のあと。
「美しい……なんて神々しい光景なんだ」
「炎が放たれた直後暗雲が立ち込め、滝のように雨が降り注ぎ、炎をまたたく間に消したぞ! こんなこと普通では考えられん!」
「奇跡だ! 神がアプリコット公爵令嬢を救ってくださったのだ!」
「神が救ったとということはアプリコット公爵令嬢は聖女……?」
「アプリコット公爵令嬢は神の加護を受けている!」
「アプリコット公爵令嬢は貧しい我々に仕事を与えてくださり、食べるものを分け与えてくださったお優しいお方だ!
アプリコット公爵令嬢こそ聖女と呼ぶにふさわしい!」
広場に集まった人々の間に動揺が広がる。
「わぁぁぁあ! 聖女様!!」
「聖女さまーー!!」
「アプリコット公爵令嬢こそ真の聖女様だーー!!」
動揺はやがて無数の「聖女」コールと歓声へと変わった。
人々が瞳を輝かせ私を見ている。
教会にある女神像を見るときと同じ目だ。
ちらりと王族の特別席に目を向けると、王太子とファイルに転生した女が真っ青な顔をしていた。
ファイルに転生した女が立ち上がり、
「本物の聖女はあたしよ!
そいつは聖女であるあたしをいじめていた悪女よ!
さっさと殺しちゃって!
炎がだめなら槍よ!
槍であいつの心臓を突き刺すのよ!!」
金切り声を上げた。
「ファイルの言うとおりだ!
リザは俺の愛するファイルを傷つけた悪魔のような女だ!
王太子ザロモ・バオムの名において命ずる!
リザ・アプリコットの心臓を槍で穿け!」
王太子が広場にいる騎士に命じた。
王太子の命を受けた騎士が私に向けて槍を構える。
今度こそ本当に終わりだわ……私が諦めかけたとき。
「処刑を止めさせろ!」
「聖女様を守れ!!」
「聖女様に傷一つつけさせるな!!」
広場に集まった人たちが一斉に声を上げた。
処刑を執行する役人と騎士に向かって、広場に集まった人たちが攻撃を仕掛ける。
私を殺そうと槍を構えていた騎士に向かって民衆が石や野菜を投げつける。騎士が怯んだすきに民衆が後ろから騎士を殴りつけた。
武器を持たない死刑執行の役人は広場から逃げ出そうとしたが、すぐ民衆に捕らえられ袋叩きにされていた。
広場に配置されていた騎士が剣を抜くが、騎士は十人弱、対して民衆は二百人以上いる。いくら騎士が体を鍛えていても多勢に無勢。
騎士たちは次第に広場の隅に追い詰められていく。
「民衆相手に何やってんのよ!
役に立たないわね!
ザロモ様! ここにいる近衛兵と騎士団も広場に向かわせてよ!
死刑執行を邪魔をするならあいつらも敵よ!
ザロモ様の命にそむく不届き者よ!
王家に楯突く庶民なんか全員ぶち殺してしまえばいいのよ!!」
ファイルに転生した女がヒステリックに叫ぶ。
「そ、そうだな……!
ファイルの言うとおりだ!
この場にいる近衛兵と騎士団員に命じる!
近衛兵と騎士団員は広場に赴き民衆を捕らえよ!!
抵抗するものは殺しても構わん!」
王太子が特別席から近衛兵と騎士団員に命を下す。
まずいわ!
王太子の周りにいる近衛兵と騎士団員の数は合わせて百人ほど。彼らが全員広場にやってきたら……広場に集まった人たちが殺されてしまう!
「みんな聞いて!
もうすぐここに近衛兵と騎士団が来るわ!
彼らは戦闘のプロだし数も多いわ!
私のことは構わずに逃げて!」
「そんな! 聖女様を置いていけません!」
「わたしたちの命にかえても聖女様をお守りします!」
広場に配置されていた役人と騎士は民衆にボコボコにされ、す巻きにされ広場の隅に転がされていた。
役人や騎士に勝利したことで、彼らの士気があがっているのかもしれない。
「ここにむかっている兵士は百人はいるのよ!
きっと城からも増援がくるわ!
今すぐ逃げて!!」
「嫌です! 私たちは聖女様をお守りします!」
「聖女様を置いて逃げるくらいなら、一緒に死にます!」
困ったわ、広場に集まった人たちが逃げようとしない。
そのとき「わぁぁぁぁ!!」という掛け声とともに近衛兵と騎士団員がやってきて、広場の入り口を塞いだ。
広場にいた人たちは騎士から奪った剣を構えたり、木の枝や石を手にしたり、おのおの武器を手にし、キッと騎士たちを睨みつけている。
「何してるのよ!
さっさと殺っちゃいなさいよ!」
ファイルが喚き声を上げた。
「ファイルの言うとおりだ!
殺れ!
女も子供も関係ない!
逆らうものは全員斬り殺せ!!」
王太子が怒号を飛ばす。
近衛兵と騎士が剣を構えた……広場に集まった人たちの顔に汗が浮かぶ、一触即発のその瞬間!
「止めよ!!
近衛兵と騎士に命じる!
全員剣を納め平伏せよ!
これは王命だ!!」
聞き覚えのある声が広場に響いた。
近衛兵と騎士たちが声のした方向を見る。
広場の入り口の奥に白馬が見えた。
白馬に跨っていたのはカイだった。
カイの後ろには四頭立ての豪華な馬車と国王の近衛隊の姿が見える。
……よかった。
カイが間に合ったんだ。
涙がじわりと溢れ出る。
おかしいな。さっきまでは平気だったのに、カイの声を聞いたら、ホッとして緊張の糸が切れたみたい。
四頭だての豪華な馬車の扉が開き、国王陛下と、陛下に続いて父が降りてきた。
陛下の登場に、広場にいた近衛兵と騎士は全員剣を鞘に納め、地面に膝をついた。
「広場に集まった民よ、武器を収めよ。
近衛兵と騎士団に手出しはさせぬと余が約束しよう」
陛下のお言葉に民は動揺している。
「国王陛下は信じられるお方です。
皆さんお願いします。
武器を下ろして下さい」
私がそうお願いすると、広場に集まった人々は武器を手放した。
「さて、これはなんということかな?
なぜアプリコット公爵令嬢が柱に縛られている?
なぜ王太子の近衛兵と騎士が民に刃を向けている?」
陛下に尋ねられ、近衛兵と騎士の顔が真っ青になる。
「答えよ。アレック騎士団長」
平服している騎士の一人、騎士団長のアレックを陛下が真っ直ぐに見据える。
アレック騎士団長の肩がブルリと震えた。
「お……恐れながら申し上げます。
王太子殿下の命により、聖女ファイル様を害したアプリコット元公爵令嬢リザ殿を処刑しようとしていました。
そうしたところ民衆が王太子殿下の意に背き、アプリコット元公爵令嬢の処刑を妨害したので、
王太子殿下の命により民を排除しようとしていたところです」
「なんと愚かなことを!
お主たちは無力な民衆を惨殺しようとしていたのか!」
国王陛下はアレック騎士団長の言葉を聞き眉を釣り上げた。
アレック騎士団長の顔色は青を通り越して紫だ。
「それにアプリコット嬢は公爵家の長女で王太子の婚約者で聖女候補の一人だ。
そのような高貴な立場にある者を王である余の許しなく処刑しようとするとはな……」
アレック騎士団長の顔色は紫から白に変色している。
アレック騎士団長は額に滝のような汗を浮かべ、全身をブルブルと震わせていた。
「それからアプリコット嬢が『元公爵令嬢』とはどういうことだ?
国王である余の許可なく誰がアプリコット嬢を平民に落としたというのだ?」
「……お、王太子殿下です」
アレック騎士団長が震える声で答えた。
「詳しく話せ」
「はい。
王太子殿下が昨日のパーティーでアプリコット元……、いえアプリコット公爵令嬢を、学園で聖女ファイル様をいじめていた罪で断罪しました。
王太子殿下はその場でアプリコット公爵令嬢との婚約を破棄し、聖女ファイル様を新しい婚約者にすると宣言されました。
それから王太子殿下はアプリコット公爵令嬢の身分を剥奪し、牢屋に入れるように命じられたのです」
アレック騎士団長が泣きそうな顔で話した。
「そうか、余のいぬ間にザロモは随分と好き勝手やってくれたようだな」
国王陛下は特別席にいる王太子をギロリと睨む。
「ひぃぃ……! 父上お赦しを……!」
陛下に睨まれた王太子は縮み上がり、情けない声を上げた。
「あたしは聖女よ!
ザロモ様をいじめたら許さないんだから!
聖女でヒロインのあたしは、国王陛下だって逆らえないほど偉いんだから!」
ファイルに転生した女の顔を真っ赤にして叫んだ。
いや聖女は特別だけど国王よりは偉くないよ。
ヒロインに転生するとあそこまで人格が歪むのかしら? それともあれは元々の性格?
「ふふふははは……そなたが聖女?
教会も王も認めていないのに勝手に聖女を名乗るとはな」
陛下が笑い声を上げる。
「何がおかしいのよ!」
ファイルに転生した女が陛下を睨む。
「アレック騎士団長に問う。
ヒェン男爵令嬢は余の来る前に何をした?
そなたに何を命じた?」
「はい。聖女ファイル様……いえヒェン男爵令嬢は、広場にいる民衆の殺害を命じました。
もちろん我々に直接命令を下したのは王太子殿下です。
ですが聖女……いえヒェン男爵令嬢が誘導したと言っても過言ではありません」
「そうか、『聖女』を名乗りながら民を惨殺しようとしたのか。
やっていることは悪魔と同じだな」
「なんですって!!」
陛下の言葉を聞いてファイルに転生した女がキレ気味に叫んだ。
「聖女」の覚醒条件は善行を積むこと。騎士に善良な民を殺すように命じる女が聖女に覚醒するはずがない。
「では今度は広場に集まった民に聞こう」
陛下が広場に集まった民に視線を向ける。
陛下が民に向ける目は、王太子や騎士団に向ける目とは違い穏やかなものだ。
「アプリコット嬢はそなたらになんと言った?
臆することはない。
何を言っても咎めはせんよ。
正直に話してくれんか」
陛下は優しい声で民に問いかけた。
「アプリコット公爵令嬢は俺たちに逃げろと……言いました」
「近衛兵や騎士団が来たら俺たちが殺されてしまう、だから自分のことは放っておいて逃げて欲しいと……そう言った……いえ、おっしゃいました」
民がつっかえつっかえだが事情を説明した。
「自分の命を顧みず民を逃がそうとしたアプリコット公爵令嬢と、罪なき民を殺せと命じたヒェン男爵令嬢、どちらがより聖女にふさわしいか、その言動を見れば明らかだな」
陛下は私に笑顔を向けたあと、ファイルに転生した女をギロッと睨んだ。
「そしてアプリコット公爵令嬢に逃げろと言われたのに、逃げずに騎士と戦おうとしたそなたらの心もまた美しい」
陛下はそうおっしゃったが、民は不安そうな顔をしている。
「陛下! 俺……わたしたちは、アプリコット公爵令嬢を処刑しようとした城の役人や騎士を、そのボコボコにして……す、す巻きにしてしまいました……!」
広場に集まった民衆の一人が陛下に頭を下げた。
「俺たちも役人や騎士に野菜を投げつけてしまいました!」
「わしも役人を石で殴ってしまいました……!」
広場に集まった民が罪を自白し次々に頭を下げた。
「何を恥じることがある。
そなたらはアプリコット公爵令嬢を守ったのだ」
「では……俺たちの罪は」
「無論問わんよ。むしろ称賛したいぐらいだ」
陛下のお言葉に広場に集まった民衆はホッと息をついた。
「あのねおうさま、お姉ちゃんが縛られてる柱に、おやくにんさまが火をつけたとき、お姉ちゃんの体がぴかっと光って、その後お空が急に暗くなって雨が降って、柱につけられた炎を消したの。
炎が消えたら、お空がちょっとだけ晴れて、一筋の光がお姉ちゃんに降り注いだんだよ」
十歳ぐらいの女の子がおずおずと陛下の前に行き、そう話した。
陛下はにこにこと笑いながら少女の話を聞いていた。
「そうか、やはり真の聖女様はアプリコット公爵令嬢で間違いないようだな。
聖女認定の儀式は教会と話し合い、後日行うことにしよう。
それよりもまずはアプリコット公爵令嬢を柱から下ろしてやるのが先だ。
民たちよアプリコット公爵令嬢を下ろしてあげなさい」
「はい!」
陛下の命を受け、広場に集まった人たちが私を下ろしてくれた。
民衆をかき分けてカイが近づいてくるのが見えた。
地面に降ろされたとき、私の足はふらついていて倒れそうになってしまった。
そんな私を支えてくれたのがカイだった。
「来てくれたんだ……カイ」
「ごめんね義姉さん、助けに来るのが遅くなって」
「でも間に合ったじゃない」
私がニヘラと笑うと、
「義姉さん! そんな可愛い表情しないで!」
カイが顔を真っ赤にした。
カイの腕の中は温かいな。それに凄く落ち着く。
「さて次はザロモの罪を問わなくてはな」
陛下が特別席を見る。
王太子はこの場から逃げ出そうとしていた。
陛下に睨まれていることに気づいた王太子がビクリと肩を震わせる。
「余の許可なく王命による婚約を勝手に破棄し、
パーティーの場でアプリコット嬢を一方的に断罪し、
余の許可なくアプリコット嬢の身分を剥奪した上に地下牢に投獄、
裁判にかけず公爵令嬢を処刑しようとした罪は重い!
騎士団は直ちにザロモの元に向かい奴を拘束せよ!
ザロモ貴様にはおって厳しい沙汰を申し渡す!」
陛下が厳しい顔つきで言った。
王太子は真っ青な顔でうつむき、その場に膝をついた。
「次にファイル・ヒェン男爵令嬢!
そなたが聖女の力に覚醒したというのならその力を見せてもらおう!
そなたをアプリコット公爵令嬢同様に柱に縛り付け、火焙りにする!
もしその時、雨が降り炎が消えたならそなたを聖女と認めよう!」
ファイルに転生した女は土色の顔で悲鳴を上げた。
ファイルに転生した女は兵士に拘束されながら「嘘よ! こんなはずがないわ! 何かの間違いよ! あたしはこの小説のヒロインなのよ!!」と叫んでいた。
聖女候補は二人、どちらかが聖女に覚醒したらもう片方は聖女になる資格を失う。
つまり私が聖女の力に覚醒した時点で、ファイルに転生した女が聖女の力に目覚めることは絶対にない。
それが分かっていてあんなことを言うなんて……陛下もお人が悪い。
「リザ、無事で良かった」
「お父様」
いつの間にかアプリコット公爵が側に来ていた。
父親の前で義弟に抱きしめられているのは、いささか恥ずかしいのだが、足に力が入らないので許してほしい。
「大変な時に側にいてやれなくてすまない」
「気にしないで下さい、お父様。
お父様は私のために今まで色々と配慮してくださったのですから」
きっとカイとお父様が、陛下を説得してくれたんだろう。
そうでなければ、隣国の会議に向かった陛下がこんなに早く帰国するはずがない。
「アプリコット嬢、迷惑をかけたな」
「陛下……!」
陛下に話しかけられ、私はカーテシーをしようとした。
だが足に力が入らず、ふらついてカイの胸に顔を埋める結果になってしまった。
見上げたカイの顔が心なしか赤い。公爵をちらりと見ると、複雑そうな顔をしていた。
「お見苦しいところをお見せしました。
申し訳ありません」
カイによりかかったまま、陛下にお詫びをした。
「そのままでよいアプリコット公爵令嬢。
そなたにこれ以上迷惑をかけるとアプリコット公爵と公爵令息が怖いのでな。
余はこれで失礼することにする。
後日改めて公爵家にお詫びに伺うことにしよう」
「上に立つお方がこのような大勢の人の前で許しを請うてはいけませんわ陛下。
私のことならお気になさらないでください。
陛下に命を救って頂いただけで充分幸せです」
「真に聖女様はお心が広くあらせられる」
陛下はそう言って、安堵の表情を浮かべた。
その後私は気を失ってしまったので、どうやって家に帰ったか覚えていない。
私が次に目を覚ましたのは、三日後自室のベッドの上だった。
☆☆☆☆☆
パーティーから一週間後、ようやく日常生活が送れるまで回復した私はカイから色々と教えてもらった。
断罪劇のあとパーティー会場から抜け出したカイは、隣国に行った国王と公爵を連れ帰るべく馬を走らせた。
国王一行は途中の山道が崩れ、王都に引き返すところだったらしい。
カイは国王と公爵に事情を説明した。
国王一行は夜通し馬車を走らせ、私が処刑される寸前に広場にたどり着いたという訳だ。
山道が崩れたのも神様のお力なのかしら?
それにしてもカイとお父様から全ての事情を聞いていただろうに、何も知らないふりをして騎士団長や王太子に事情を問うなんて陛下もお人が悪い。
これは後で知ったことだが学園で私が勉強を教えていた子たちが、私の処刑を中止しようと王家に嘆願書を出していたらしい。
私の処刑時刻には間に合わなかったけど、その気持ちが嬉しい。みんな本当にありがとう。
☆☆☆☆☆
広場での騒動から二週間後、ファイルに転生した女が広場で火焙りにされることが決まった。
ファイルに転生した女が処刑される日、その日は一日快晴で一粒の雨も降ることがなかった。
ファイルに転生した女は聖女に覚醒することなく、聖女を騙り王族を惑わした罪で処刑された。
なぜ小説のヒロインの男爵令嬢のファイル・ヒェンではなく、悪役令嬢の私が聖女の力が覚醒したのか?
そういえば原作者がSNSで「聖女の覚醒条件は善行の積み重ね+強いストレス」と書いていたような気がする?
つまり私が聖女に覚醒できたのは、長年続けてきた慈善事業+無実の罪で断絶され処刑されそうになったストレスが原因ってこと?
小説のヒロインは教会で貧しい民に施しをし善行を重ね、学園で悪役令嬢にいじめられ強いストレスを受けていた。
その二つの要素が重なって、小説のヒロインは聖女に覚醒したのね。
だけどファイルに転生した女は放課後も休日も王太子とイチャイチャ、ラブラブしていて、全く善行を施していなかった。
悪役令嬢にいじめられてないからストレスフリーな生活。
ファイルに転生した女が聖女に覚醒する条件が揃わなかったようだ。
処刑されるときファイルに転生した女には相当のストレスがかかっただろうが、そもそも彼女は善行を積んでいない。
それに私が先に聖女の力に覚醒しているから、あの女は絶対に聖女に覚醒しない。
パーティーから三週間後、私と王太子の婚約は王太子の有責で破棄された。
王家から謝罪の言葉と共にがっぽり慰謝料をいただいた。
ザロモ・バオムは廃太子され、王族から除籍され、塔に幽閉されることになった。
ザロモの死後彼の遺体は海に投げ捨てられ、墓も作られないらしい。
王太子の近衛兵は全員解雇され、王太子派の騎士団は総入れ替えされるそうだ。
ザロモは一人っ子だったので、臣籍に降下した王弟殿下を王籍に復し近々立太子させるらしい。
王弟殿下は文武両道に優れ民からの信頼も厚い、何より結婚しているから、聖女に覚醒した私を新たな婚約者に……という話が出ないのが良い。
☆☆☆☆☆
――パーティーから二カ月後――
「カイ、あのときはありがとう。陛下とお父様を連れてきてくれて」
この二カ月、聖女の就任式やら、民へのお披露目やら、国中の貴族を集めたパーティーやらで忙しくて、カイにきちんとお礼を言えていなかった。
久しぶりにお休みをもらえたので、今日はガゼボでカイと二人でお茶を楽しんでいる。
目の前にいるダークブロンドの髪にアクアマリンの瞳のイケメンが、小説では名前がちょっと出てくるだけのモブとは勿体ない。
ゲームなら絶対攻略対象の一人だったよ。
だけどカイが攻略対象の一人だったら、私はカイを警戒してカイと仲良くなろうとはしなかっただろう。
そういう意味ではカイはモブで良かったのかもしれない。
「結局、僕が陛下とお義父様を連れて帰る前に、
義姉さんが聖女の力に覚醒して雨を降らせ、
神々しいオーラで民を味方につけ処刑を免れていたわけだから、
あんまり役に立たなかったけど……」
「でもあのときカイが陛下とお父様を連れてきてくれなかったら、民と騎士団の争いになって大勢の人が怪我をしてた……亡くなる人もたくさんいたと思う。
広場に集まった人が誰も怪我しなかったのはカイのおかげだよ。
ありがとう」
私はペコリと頭を下げる。
その後顔を上げてほほ笑むと、カイの顔が朱色に染まった。
カイがふいと私から視線を逸らす。
「義姉さんは無自覚に可愛い顔をするからずるい」
「カイ今何か言った?」
「いや何も!
それより義姉さんはあんなときでも他人の心配してたの?
少しは自分の心配しなよね」
「ごめんなさい」
カイに叱られてしまった。
「でもあのときの義姉さんは凄かったな。
天からの一筋の光が義姉さんに降り注ぎ、
義姉さんのプラチナブロンドの髪が雨に濡れてキラキラと輝いて……まるで女神様みたいに神々しくて、筆舌に尽くし難い美しさだった」
身内にそんな風に言われると照れくさい。
「もうやめてよ……!
それに女神は言い過ぎだよ」
「処刑を免れたときの義姉さんが神々しいまでに美しかったというのは王都中で噂になってるよ。
その噂を聞きつけた貴族から、義姉さん宛に毎日のように釣書が届いてるんだよね」
「えっ? 本当??」
前世含めてモテない人生だったけど、ここに来てモテ期到来?!
今までは王太子の婚約者だから誰も言い寄って来なかっただけで、リザ・アプリコットは美人だしお金持ちだしモテない理由がないんだよね。
「釣書が届いたのがそんなに嬉しいの?」
カイにジト目で睨まれた。
もしかして今日のカイは機嫌が悪い?
「それはまぁ……そこそこ」
前世も含めて初のモテ期ですから。
王太子の婚約者時代は王太子に遠慮してか誰も近づいてこなかったし、王太子は私に冷たかったし。
王太子の婚約者時代、私に優しくしてくれた男性はアプリコット公爵とカイだけなんだよね。
アプリコット公爵は父親だし、カイは義弟だし、どちらも恋愛の対象にはならない。
「義姉さんに届いた釣書は、お義父様と一緒に一枚残らず燃やしておいたから」
「ちょっと、なんで勝手にそんなこと……!」
「僕は、お義父様と『義姉さんをお嫁に出さない同盟』を結んでいるからね。
義姉さんを誰ともお見合いさせないよ!」
「ふぇっ?」
カイってシスコンだったの??
「えっでも、カイはいずれお嫁さんをもらって公爵家を継ぐんだよね?
いつまでも行き遅れの私がいたら迷惑なんじゃ……?」
カイは公爵家を継ぐために養子に来た子だ。
私と王太子の婚約がなくなったからといって、今更カイを実家に返せないし、カイから公爵家の後継者の座を奪えない。
王太子との婚約を破棄した私に残された道は、どこかの貴族に嫁ぐか、働きに出るか、修道院に入るか。
しかし聖女の力を持つ私は他国には行けないし、王族の血を引かない家には嫁げない。
となると一生独身で、聖女として教会で働くことになるのかしら?
「両方を一度に解決する方法があるんだ。僕は公爵家を継げるし、義姉さんを他家に嫁がせなくてもいい」
「えっ? そんな方法があるの?」
私は思わず身を乗り出した。
「義姉さんが僕と結婚すればいいんだよ」
「ええっ! でもカイは私の弟で……」
「でも本当の姉弟じゃないなら血の繋がりは薄いよ」
「そうだけど……」
カイが私の前まで歩いてきて膝をついた。
「僕は義姉さんが大好きなんだ!
絶対に義姉さんを幸せにするし、よそ見もしないよ!
僕じゃだめかな?」
カイに手を握られる。
あどけない顔で上目遣いで首を傾げるのは禁止!
心臓に悪いわ!
確かに父方の親戚であるカイも王家の血を引いている。
私がカイと結婚すれば公爵家の跡継ぎ問題でもめなくて済むし、私はお嫁に行かなくてもいいから嫁姑問題に悩まなくて済む。
でもこんな打算で結婚してもいいのかしら?
「今すぐ返事をくれなくても構わない。
僕と結婚することも、義姉さんの選択肢の一つに加えてほしい」
真っ直ぐに私を見つめるカイの目があまりにも真剣で、私は「うん」と言ってうなずいてしまった。
「ありがとう」
と言って微笑んだカイの笑顔の破壊力は半端なかった。
でもカイのことはずっと弟だと思って生きてきたし、今更カイを恋愛対象として見られるかな?
そんな私の心を見透かしたように、カイが立ち上がり私の額に口付けを落とした。
「ひゃっ……!」
「これからは『カイは弟だから』なんて言わせないからね」
今まで義弟だと思っていたからカイのことを恋愛対象から外してきたのに……今のキスで一気に恋愛対象として意識させられてしまった!
目を白黒させる私を見て「驚いた顔をする義姉さんも可愛い」と言ってカイがくすりと笑った。
……カ、カイの掌の上で転がされている気がする!
このあとカイの掌の上でコロコロされた私は、カイのことを恋愛対象として好きになってしまう。
そしてカイに外堀を埋められた頃、彼のプロポーズを受け入れることになるのだが……それはまた別の話。
――終わり――
最後まで読んで下さりありがとうございます!!
少しでも面白いと思っていただけたら、広告の下にある【☆☆☆☆☆】で評価してもらえると嬉しいです。執筆の励みになります。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆ちなみに転生者の名前の由来は
・松田杏→杏子→アプリコット→アプリコット公爵令嬢
・山下すみれ→すみれ→ファイルヒェン→ファイル・ヒェン男爵令嬢
です。
転生者の前世について詳しく書けませんでしたが、二人とも小説好きな女子高生でした。前世の二人に接点はありません。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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