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第71話 さるのしっぽ みんなのこと、大好きだよ。

 さるのしっぽ


 つないだ手と手


 みんなのこと、大好きだよ。


 学び舎


 私の大好きなもの。


 私の生まれた世界は、(病院に入院するまで、全然気がつかなかったけど)すごくたくさんの大きな愛で満ちていた。

 私の大好きなものってなんだろう? とそんなことをつばさは考えてみる。いろいろある。なんだか考えてみると結構いっぱい好きなものがあるなとつばさは思った。(案外私は幸せ者だったのかもしれない)

 大きな桜の木の上に腰を下ろして、見慣れた自分の小学校の自分の通っていた六年一組の教室を白いカーテンの揺れている開けっ放しの窓越しに眺めながら、そんなことを夢の中でつばさは(すっごく暇だから)一人、暖かな春風の中で考えていた。


 窓の向こう側


 なに見ているの?


 ちょっとだけ、お昼寝するね。


 小学六年生の小早川つばさは窓の外を眺めていた。

 すると「なに見てるの? つばさちゃん」と友達の小林ひかりがその背中に声をかけた。「……別になんにも見てないよ。空、見てただけ」

 窓の外を見ながらつばさは言う。

「空? 空って今日の曇り空のこと?」

 つばさの隣に立って、朝からずっと曇っている今にも雨が降り出しそうな空を見て、ひかりが言う。

「うん。その曇り空のこと」いつものように、小さな声でつばさは言う。


「ちょっと外に行ってくる」少し間をおいて、つばさは言う。

「え? つばさちゃん外行くの? 珍しい。じゃあ私も行く!」と顔を赤くして、ちょっとだけ興奮したような顔をして、ひかりは言う。

「いい。一人で行く」つばさは言う。

 するとひかりはとても悲しそうな顔をした。


 窓の向こう側には、ひかりちゃんの姿が見える。(ひかりちゃんの席は窓際のつばさの一つ後ろの席だった)

 ひかりちゃんはそこからぼんやりと、(退屈な算数の授業をさぼりながら)窓の外に咲いている美しい満開の桜の木々の姿を見ていた。

 そのひかりちゃんの視界には、間違いなく桜の木の枝に腰掛けているつばさの姿も入っている。でも、ひかりちゃんはつばさのことに全然気がついてくれない。(手を振っても振り返してくれない。それは普段では絶対にありえないことだった)

 ひかりちゃんには私のことが見えていないんだ。

 以前からのいろいろないたずらで、わかってはいたことだったけど、やっぱり少し寂しかった。

 ひかりちゃん。

 私はここにいるよ。

 誰も座っていないひかりちゃんの前の席じゃない。

 私はちゃんとここにいるよ。

 そう思っても、(実際に声に出してみても、聞こえないのだけど)ひかりちゃんはつばさのことを見てくれない。

 ひかりちゃんは銀縁の眼鏡の奥から、ただぼんやりとつばさの腰掛けていない、別の桜の木をさっきからずっと、ただ、眺め続けていた。


 夢の中で、つばさはまるで空気のように体重が軽くなった。(すごく嬉しかった)

 ふわふわと桜の木の枝の上を歩きながら、つばさはひかりちゃんのいるすぐ目の前のところにまで移動をして、そこにちょこんと前かがみで座った。

 そして、まじかでじっとひかりちゃんのことを見つめた。

「小林さん、なに見てるの?」

 担任の島先生が笑いながらひかりちゃんに言った。

「……なんでもありません」

 と、顔を赤くしながらひかりちゃんは椅子の上で姿勢を正して、急いで算数の教科書を持って(上下が反対だったけど)島先生にそういった。

 するとみんながどっと笑った。

 島先生も笑っている。

 まるでいつものように。

 ……私がいても、いなくても同じように。

 この明るい、優しい、暖かな春の桜の咲く世界の中で、笑っていないのはつばさ一人だけだった。

 だから、つばさはこの場所からいなくなることにした。

 ここ(学び舎)は、……もう『私の居場所』じゃないと、……泣きながら、一人、つばさはそう思った。


 つばさは大きな桜の木から下りて、その『二つの小さな足』を校庭の土の上にくっつけた。

 それからつばさはなにをするでもなくそのままぶらぶらと誰もいない、とても広い校庭の上をひとりぼっちで散歩した。

 まだ二時間目だから、放課後までずいぶんと時間があった。

 さて、なにをしようなかな?

 涙を服の袖で拭って、笑顔になったつばさは春の雲ひとつない晴天の青色の空を見上げて考える。

 空が飛べたらいいのだけど、そんなことは夢の中でもつばさにはできないことだった。(もしかしたら、本当に望めば、ふわふわと空が飛べないのかもしれないけど……)

 つばさは校庭の隅っこに転がっていた孤独な(つばさと同じ)サッカーボールを蹴飛ばした。

 思いっきり蹴飛ばしたのだけど、サッカーボールはなぜかとても重く、ころころと校庭の上をゆっくりと転がるだけだった。

 きっと誰かがこの風景を見ていたら、風の力でサッカーボールが転がったと思うだろう。

 つばさは自分の右足とサッカーボールを交互に見てから、そんなことを考えた。

 つばさの履いているお気に入りの(買ってもらったばっかりの、まだ全然履いていない)真っ白なスニーカーは、思いっきりサッカーボールを蹴飛ばしても、全然、土で汚れたりはしなかった。


 つばさはそのまま校庭の上を歩いて移動して、小学校の校舎の一階にある美術室のところまでやってきた。

 つばさは白いカーテンの閉じている美術室の中に(一応、靴だけ脱いで)一度校舎の中に入ってから、廊下側から入り口のドアを開けて入った。

 午前中の美術室には生徒の姿はない。しん、と静まっている。

 薄暗い美術室の中にはたくさんの動物たちの姿をした、彫りかけの木彫りの置物が置いてあった。

 それらは全部、つばさの同級生である六年生の友達たちの作った卒業制作の作品である。

 たくさんの木彫りの動物たちがいる(ゴリラとか、ライオンとか、サイとか、ワニとかだ)美術室の中はまるで遠い異国のジャングルの中のようだった。(つばさは子犬を。ひかりちゃんはお猿さんを彫った)

 そんな動物たちの中にいる一体の木彫りの鳥の前につばさは移動する。

 その小さな木彫りの鳥は、……つばさと同じ六年一組の教室にいる男の子、高木つきくんの作品だった。(そのことをつばさはちゃんと知っていた)

 つばさはその木彫りの鳥をそっと触った。

 それから、ちょうど薄暗くて隠れるにはいい場所だから、つばさはこのままこの美術室の中で少し居眠りをすることにした。(なんだかとても眠かったし、眠るのにもちょうどよかった)

「おやすみなさい」

 誰にいうでもなく(あえて言えば、木彫りの鳥に向かってだけど……)そう言ってから、つばさはごろんと床の上に転がって眠りについた。

 夢の中で眠るというのも変だと思ったし、疲れていたわけではないのだけど、つばさはそのまますぐに、深い眠りの中にたった一人で落ちていった。


 ねえ、想像してみて。

 ここに一羽の小鳥がいるって。


 どこまでも飛ぶ。

 どこにでもいける。

 それはつまり、自由ってことだよ。


 真っ白な病院


 つばさが目を覚ますと、そこは真っ白な病院のベットの上だった。

 病室の窓は空いていて、そこからとても気持ちの良い風が、つばさしかいない物静かな病室の中に吹き込んでいる。

 時計を見ると、時刻は二時を少し過ぎた時間だった。

 つばさはなにも言わないままで、ただそんな退屈な(もう見慣れてしまった)風景を眺めていた。

 少しして、とんとん、と病室のドアをノックする音が聞こえた。

 その音を聞いてつばさは首をかしげる。

 誰だろう? お母さんかな?

 そんなことを思いながら、つばさは「はい。どうぞ」と声を出した。

 するとがらっと病室のドアが開いて、そこから懐かしい顔が(葉っぱが芽を出すように)見えた。

「お邪魔します。つばさちゃん」

 そう言って手に果物の入った大きな籠を持っているひかりちゃんが(少し恥ずかしそうにしながら)にっこりと笑って、そう言った。


「どうしたの? ひかりちゃん」

 驚いて目を大きくしているつばさが言った。

 つばさが(思っていた以上に)驚いてくれたことが嬉しかったのか、とても満足そうな顔をしながらひかりちゃんは病室の中を移動して、つばさの横になっているベットの隣にある小さな丸い椅子に腰を下ろした。

「お見舞いに来たんだよ。つばさちゃんが寂しがっているんじゃないかと思ってね」

 ふふっと笑いながらひかりちゃんは言った。

 ひかりちゃんは果物の入った大きな籠を自分の太ももの上に乗せていた。

 籠の中に入っている果物はりんご、みかん、いちご、ぶどう、バナナだった。

「これ、みんなから」

 そう言ってひかりちゃんは肩に下げていた(お猿さんの絵が描いてあった)トートバックの中から紙の束を取り出した。

 それは六年一組の教室のみんなからつばさに書かれた手紙だった。(担任の島先生の手紙もあった)

「ありがとう」

 そう言ってつばさはひかりちゃんからみんなの手紙を受け取った。

 その瞬間、つばさは自然とその大きな黒い目からぽたぽたと大粒の涙を流し始めた。

 その涙を見て、ひかりちゃんはとても驚いていたのだけど、つばさはもっと驚いていた。


 あれ? 私、なんで泣いているだろう?

 泣きながら、霞んで見える世界の中で、自分の二つの手をぼんやりと見ながらつばさは思った。

 そんな風景の中に一つの小さな手が見えた。

 その手はそっと、泣いているつばさの片っぽの手を握った。

 それはひかりちゃんの手だった。

 つばさは顔を上げてひかりちゃんを見た。

 ひかりちゃんは霞む世界の中でにっこりと笑っていた。

「大丈夫だよ。つばさちゃん。みんなつばさちゃんが元気になって、教室に帰ってくることを楽しみにして、待ってるよ」

 とひかりちゃんは言った。

「……うん。ありがとう」

 とつばさは言った。

 そんな風に自分の気持ちを素直に言えたのは、本当に久しぶりのことだったから、つばさはそんなことが自然と言える自分に(内心)とてもびっくりしていた。

 そんなつばさの言葉を聞いてひかりちゃんはにっこりと笑った。

「今日はいいお天気だね。空が真っ青だよ」

 とひかりちゃんは言った。

 つばさがその言葉を聞いて、窓の外を見ると、確かに空は真っ青に晴れていた。(白い雲ひとつ、見えなかった)


 二人はいつの間にかその手と手をぎゅっと(二人とも両方の手のひらを使って)握りしめあっていた。

 それから二人はふっと我にかえると、その向き合っている顔をお互いに真っ赤に色に染めながら、笑った。

「じゃあ、また来るね、つばさちゃん」

 そう言って、手を振りながら、ひかりちゃんはつばさの病室をあとにした。

「うん。またね、ひかりちゃん」

 つばさは小さく手を振りかえしながら、そう言って、そんなひかりちゃんのことを(ひかりちゃんの姿が見えなくなるまで)見続けていた。

 それから一人になったつばさは六年一組の教室のみんなの手紙を読み始めた。

 ひかりちゃんの元気いっぱいの手紙を読んで、教室のみんなの手紙を読んで、担任の島先生の手紙を読んで、それから最後に、つばさは高木つきくんの手紙を読んだ。

 その手紙にはつきくんの誰にも言っていない秘密にしている自分の夢のことが書かれていた。

 つきくんの夢は宇宙飛行士になることだった。

 宇宙飛行士になって、自分と同じ名前をしている場所に行くことがつきくんの夢だった。

 そのつきくんの手紙には宇宙船の手書きの絵が描かれていた。

 その手紙をつばさは自分の宝物にすることにした。


 夏 高校


「じゃあ、行ってきます!」

 そう言って、元気よく小早川つばさは家を飛び出した。

 いつもの着慣れた高校の夏服の白いワイシャツと短い紺色のスカートと言う制服姿に、足元に白いスニーカーをはいたつばさは、家を出たそのままの勢いで、まるで溶けそうなほどに熱く焼けているアスファルトの歩道の上を小走りで移動している。

 道路には街路樹の緑色の葉の影ができている。

 緑色の葉は、真夏の太陽の光を受けて、きらきらと光り輝いて見えた。

 すぐに汗をかいた。

 結構、気持ちのいい汗だ。

 つばさの家から、通っている白鳩高校までは、距離が結構近かった。(歩いて十五分くらい。それが、この白鳩高校を受験することをつばさが選んだ理由の一つでもあった)

 すぐに、目的地である見慣れた白鳩高校の真っ白な正門の姿が見える。

 そこには、夏の光り輝く太陽を、手のひらでその目元に影を作るようにして、見上げている、つばさと同じくらいの年齢に見える、つばさと同じ白鳩高校の夏服の制服姿の長い髪をポニーテールの髪型にしている、一人の少女の姿があった。

「あ、おーい。おはよう。ひかり!」

 元気に手を振りながら、足を止めずにつばさは言う。

 すると、その声を聞いて、その白鳩高校の夏服の制服姿の少女は、つばさのほうを見ると、にっこりと笑って、「うん。おはよう。つばさちゃん」と小さく手を振ってつばさに挨拶をしてくれた。

 街の中に、気持ちのいい夏の風が吹いている。

 その気持ちのいい風の中で、二人はにっこりと笑い合って、そして、やがて、ゆっくりと向かい合った。

(走ってきたつばさの息は少しだけ切れていた。日焼けをしていない真っ白な額には、大粒の玉のような透明な汗をかいている)

「ごめん。まった?」つばさは言う。

「ううん。全然待ってないよ。私も今来たところだよ」と、にっこりと笑って、小林ひかりは小早川つばさにそう言った。

 近くの木には蝉がいるのか、みーん、みーんという大きな蝉の鳴き声が聞こえている。

 真っ白な正門に、真っ白な歩道。

 緑色の街路樹と、くっきりとした陰影のある夏の黒い影。

 目に見えない透明な気持ちのいい風。

 二人のほかに、人の姿はどこにも見えない。

 そんな静かな場所に、二人はいる。


 青色の空の中には小さな白い月が浮かんでいる。

 時刻は、真昼。

 高校の校舎にある大きな時計は、ちょうど十二時を指していた。


 目に見えるものしか信じないなんて、ずいぶんと子供っぽいことを言うんだね。

 君はもっと大人だと思ってたよ。


 一羽の空想の鳥が空の中を飛んでいる。

 そんな夢を私は見る。


 さるのしっぽ おわり

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