背負いしものども
よくわからないものを書きました。
作者でしょ?
世の中で自分自身ほど分からんものはないのです。
脳を揺らす強い日差しに、汗が絶えまなく首筋を流れ落ちる。身に着けているのは薄いシャツとズボンのみ。麻縄でまとめられた薪を担いで、熱に揺らめく坂道をゆっくりゆっくり上っている。
薪の大きさはまちまちだ。しかしそのどれもが私を苦しめ、殺してやろうと躍起になる。太い薪はその重さで、肉に隠れた骨を砕きつぶそうとする。細い小枝は飛び出して、私の心臓を貫かんと背中を鋭くえぐっている。振り返ればきっと私の通った道は血と汗でどろどろになっているだろう。
前方から人が来た。
若い男性だった。彼もシャツと半ズボンといういで立ちだったが、背負っているものは薪ではなく真っ白なカブだった。それも私の薪よりはるかに大きく、ずっしりと重そうなカブだった。
お伽話にも出てきそうな特大の荷物を背負って歩くことはどれほど大変なことだろう。
私はひどく同情し、彼に話しかけた。
「大変ですね」
彼は突然話しかけられ、少し面食らったようにまばたきした。しかし尋ねられた内容を理解すると「ああ」と頷き穏やかな笑みを見せてこう言った。
「たしかに大変は大変ですがね。僕は一種の試練だと思ってるんですよ。人生において次のステージに進むためのね。重いものを担いで耐えるほど。努力すればするほどいいんだ。むしろもっと大きなものを背負いたいくらいですよ」
私は茫然と立ち尽くした。
やせ我慢をしている様子はなかった。心の底から願っているようだった。
ふと彼は私の背負うものをのぞき込もうとした。私は見られまいと身をよじったが、一瞬遅かった。彼は私の薪を見ると、ニコッと笑いそして何の悪意もない顔で言った。
「あなたも、もっと背負えそうですね。お互い頑張りましょう!」
彼はそのままさっさと去ってしまった。私はぼんやりと目だけでその背を追いかけた。大きなカブが変わらず葉を揺らしている。通った道には血の一滴も落ちていなかった。私は坂道をそれると、手のひらより少し大きい石を拾いポケットにつっこんだ。
○○○
再び前方から人が来た。
今度はパンツスーツを着こなし、大きなニンジンを背負った中年の女性だった。私はさっきの衝撃もあり、できるだけすれ違う人の背負うものを見ないようにうつむきがちに歩いていた。しかし、疲れを覚えた首筋のコリをほぐそうと顔を上げた時だ。ちょうど彼女の姿が目に入ってしまったのだ。そして、愕然とした。彼女が背負うニンジンは、数時間前にすれ違ったあの男性のカブよりずっと大きく、そして重そうだったからだ。
彼女は私と目が合うと微笑んだ。
「こんにちは」
はつらつとした明るい声だ。
私は小さく頭を下げた。早く立ち去ってしまいたかったが、女性はお話し好きなのか「今日も暑いわねぇ」や「ちゃんとお水、のまなきゃだめよ」とニコニコ笑いながら話しかけてくる。きっと面倒見のいい優しい人なのだろう。だが、自分の背負ったものを見られまいと隠し、緊張する私にはその女性が恐ろしく思えた。
「ところで」
女性は世間話を切ると、目線を私の後ろにやった。
「君は何を背負っているの?」
私は身をこわばらせた。
彼女の背負うものと比べたら、薪と石なんてちっぽけなものだ。私は曖昧に笑うと、彼女に尋ね返した。
「随分大きなニンジンを背負っていますが、辛くはないのですか」
その言葉に女性は「うーん」と空を仰いだ。そして、ニコッと笑った。
「辛い時もあるけど、みんな同じようなものじゃない?こんなことで負けてちゃ女がすたる!ってね」
ひとしきり話したからか、女性は「それじゃあね」と手を上げ去っていった。その足取りは少しも気負った様子が無く、希望に満ち溢れていた。そしてやっぱり女性の通った道には血の一滴も落ちていなかった。
○○○
今にも倒れこみそうな身体に鞭を打ち、ゆっくりゆっくり上っていく。
こんなことじゃダメだ。
何て情けない。
すれ違った人は皆、平気な顔して歩いている。私が背負うものより何倍も大きく、重そうなものを担いでいるのに。『次のステージに進むための試練』『こんなことで負けてちゃいけない』彼や彼女の屈託ない顔が思い出される。すれ違ったのは二人だけではない。歩き続ける間に何十人もの人たちと話し、時には猫とも話した。しかしだれもかれも重そうなものを背負いながら、私と違って笑顔で道を歩んでいた。私はだんだん自分の不甲斐なさを責めはじめた。
なぜこんな事にも耐えられないんだ。どうしようもない甘ったれではないか。
今や私の背にのしかかるのは薪だけではなかった。
……だが、もうこれ以上荷物を背負うことなどできやしない。
そこで私は、自分を責めるのをやめた。代わりに自分より軽そうなものを背負っているくせに大した道を歩んでいない人間を心の中で嘲りはじめた。
何だ、あんな小さい穴あきナベを背負うだけのくせして歩くスピードは亀以下ではないか。俺ならもっとうまくやれる。
歩む道だけでなく、外面も嘲りはじめた。
何だ、あの不格好な面は。ひん曲がった口を見ろ。根性の悪さが顔に出ている。
ひゅーひゅーと笛のような呼吸音をさせ、かっと前を見据えながら歩く。脳内は罵詈雑言だ。一体、いつから私はこんなにも性格が悪くなったのだろうか。時折、どす黒い血を吐き吐き、枝に背中を貫かれながら歩き続ける。
無我夢中で歩いていると、ようやく日が陰ってきた。私はひひっと笑い、その笑顔のままゴポリと大きな血の塊を吐き出した。踏ん張りながら一歩ずつ前へ進む。
と、その時だ。
後方で、砂を踏む音がした。
「やあ」
軽い声がかけられた。
私はゆっくりと首だけで振り返った。
そこにいたのは、セーラー服を着た少女だった。
身体の線はたおやかで、半袖から伸びる腕は死人のように白く美しい。
今風に切られたおしゃれな前髪の下で、少女はとても気楽そうな顔をしており、静かな笑みすらたたえていた。
「一緒に歩こうよ」
そう言う彼女の背負うものは、腹のわきからのぞく木の柄だけだった。
○○○
「だからさ、言ってやったんだよ。『東京湾に沈め!』って。そしたらあいつ、ものすごく怒ってさ。襲い掛かってきたから返り討ちにしてやったんだ」
無言で頷きもしない私を相手に、何が楽しいのか。少女はずっと笑顔で話し続けていた。私は心の中で彼女を嘲ることにも疲れ、ただ黙々と道を歩いていた。ゆっくりゆっくり。一歩ずつ一歩ずつ。きゃらきゃらと楽し気に少女が笑う。不思議だったのは少女が笑う時、ほとんど姿勢を変えないままマネキンのように笑うことだった。歩き方も上体をほとんど動かさず、ロボットのようにギクシャクしていた。私はだんだんイライラしてきた。少女の不可思議な癖もそうだし、甲高い声が耳についたからだ。さっさと行けよ。大したもの背負ってないんだから、ずっと早く歩けるはずじゃないか。いらだちがMaxになり、私は横にいる少女をきっとにらみつけた。
「もっと早く歩けばいいだろ」
急に声を荒げた私に驚いたのか、少女は目を見開いた。しかし、数秒後には静かな笑みをたたえ、小さく言った。
「これで精一杯」
湧いたのは怒りだった。恵まれた人間特有の甘えに満ちた言い草だ。無様だ。少女は再び馬鹿みたいにつまらない話をいかにも楽し気に話し始めた。私はさえずる声を隣で聴きたくなくて、少し速度を落とそうと歩幅を縮めた。しかし急にペースを変えたのが悪かった。カクンと膝が折れ、私はズベシャァッと地面に倒れこんだ。思えば私は昔から運動神経が悪かった。顔面で受け身を取り、私はつぶれたカエルのように伸びてしまった。恥ずかしい。私は起き上がろうと前に手を伸ばした。
ねちゃり、とした何かが手のひらについた感触がした。同時にツンと錆びたにおいが鼻をさす。私はゆっくりと手のひらを見た。そして息をのんだ。そこにあったのは紛れもない、真っ赤な血だったからだ。私のものではない。だって私は倒れこんで、一歩も動いていないんだから。
それじゃあこれは
「大丈夫?」
少女の声が降って来る。
私は恐る恐る彼女を見上げた。
そしてひっと悲鳴をあげた。
彼女は後ろ向きのままだった。だからこそ、その惨状がよくわかった。黒々とした赤い血液が、白い服の背面いっぱいに広がっている。私は、理解した。
彼女が背負っていたのは木の柄じゃない。鈍く銀色に光る斧だったのだ。
斧は深々と肉を突き破り、背骨と背骨の隙間でようやく止まっている。しかし、血液は絶えずあふれ出し、道を濡らしていた。
「大丈夫?」
少女は振り返った。
恐ろしい光景がゆっくりと彼女の笑顔に隠されていく。
どうしてそんなに笑っていられるんだ。
私は恐怖した。少女は青ざめて震える私の様子にはっとすると、うつむいた。
「ごめんね」
一言。それだけ言うと少女は座り込んだ私を置いて、ロボットのようにぎこちなく、ゆっくりと去っていった。
怖がらせてしまったことへの謝罪か。
それとも別の理由か。
私はのっそりと立ち上がると、少女が消えた方向へまた歩き出した。
途中で石は捨てた。ポケットが軽くなった。薪の配列を変えた。背中をえぐっていた枝が静かになった。辺りはすでにうす暗い。遠くで犬が鳴いている。私はのっそりのっそり道を進む。すれ違う人に何も思わず歩く。
どこかで、少女の明るい笑い声が聞こえた気がした。
まだまだ小説は不慣れですので精進します。
ここまで読んでいただきありがとうございます!