第22話 バスターウルフ
狼は巨体を揺らし、ズシン、ズシンと音を立てて近づいてくる。
その足取りはまるで王者のように力強く、まるで己の敗北など一ミリも疑わない自信と余裕を感じる。
俺は狼を迎え撃つように静かに構えを取った。
左手を地面と垂直になるように立て、右手は脇に添える。
足を半開きにして、重心を低く落とす。
デスゲームにて200年慣れ親しんだ構えだ。
瞬間、狼が動いた。
口を大きく開き、強靭な足で地面を蹴る。
俺はそれでも動かない。
狼の牙が俺の体に触れようとした瞬間、俺は少量のエーテルを指先に収束する。
一瞬で狼の牙を掴むと、狼の勢いを利用して背後へ背負い投げの要領で、地面に叩きつけた。
ドシンッ!
「グルァァッ!?」
狼は何が起こったのか分からないのか、地響きを起こすような凄まじい勢いで地面に叩きつけられた後、スクッと素早く起き上がり、今度は前足で様子を探るようにジャブを繰り出す……!
丸太のような太い前足が俺の眼前に迫るが、逆に俺は狼の前足を躱した瞬間に手で狼の足を掴むと、勢いを殺さず、再び地面へと叩きつける。
ズドンッ!
3m の巨体が大きく宙を舞いながら地面を抉るように叩きつけられる。
狼は目を見開いて俺を見ていた。
ただの獲物としか思っていなかった相手、しかも弱者であるはずの人間の子供に良いようにやられているのだ。
狼は混乱の極みに達しているのか、今度は起き上がると、素早く距離をとった。
明らかな動揺を顔に浮かべながら、じっと俺を見下ろしている。
そう、これが俺が200年で培った技術だ。
常に自分よりも強い相手と戦ってきたからこそ身についた武。
相手の力を利用して返す、武の極み。
それこそが返極だ。
しかし、返極はただ、力をそのまま相手に返すだけでは終わらない。
「グルァァ……!」
狼は少しふらついて俺を睨みつけていた。
その表情には最初のような余裕は一切なく、苦しそうに口を半開きにしている。
敵が最大の隙を生む瞬間は攻撃をした直後だ。
どんなに強い敵でも、そこに必ず隙は生まれる。
返極は相手に力をそのまま返すだけではなく、攻撃をした直後、すなわち最大の隙を晒した瞬間に、相手の急所をつく技術だ。
俺は狼を地面に叩きつけると同時に、エーテルを乗せた急所の突きを狼に二度放っていた。
そう、返極の目指すところとは、相手の技、攻撃を何倍にも上乗せして返す事にこそある。
俺も未だに道半ばではあるが、たとえピケ少年の体であっても、こんな狼には負けるほどヤワな鍛え方をしていない。
今度はこちらの番だ、とばかりに一歩踏み出した。
「グルァ……」
俺の接近に狼は明らかに狼狽え出した。
どちらが獲物なのか、朧げながらもこの狼は理解したのだろう。
次の瞬間、狼は背を向けて走り出す。
しかし、それを許す俺ではなかった。
『撚糸』解除!
再び視点が移動し、メルル人形に体が戻る。
俺は素早く立ち上がると、オーラを足に収束、そして一歩大きく踏み込む。
その瞬間、まるで瞬間移動するかのように、逃げ出した狼の前方に回り込んだ。
いきなり俺が現れた事に、驚愕する狼。
慌ててブレーキをかけて止まろうとするも、そんな隙を見逃す俺ではない。
俺は拳に乗せたエーテルを狼の顎下から突き上げるように放った。
エーテルの質をより濃くし、体の内部まで浸透する様に放つ。
俺のエーテルをふんだんに乗せたアッパーをまともに受けた狼は白目を剥きながら、大の字で後ろに倒れた。
「すごい……魔物化したバスターウルフをいとも簡単に……」
呆然とした表情で呟きながら、体を動かせるようになったピケ少年が近づいてくる。
俺はピケ少年にニッコリと微笑みながら言った。
「今の感覚を忘れないでくれ。これからピケ少年にはこの返極を身につけてもらう。これを極めれば、例え格上の相手だろうと倒す事ができる。修行の第二段階は実践組手だ」
ゴクリ……とピケ少年の喉がなった。
例え、凄まじい程の才能を持つピケ少年でさえ、この返極は簡単には習得出来ないと朧げに理解出来ただろう。
根本的にこの返極はそう簡単には身につくものではないのだ。
この技術は技というより、武術に近い。
言ってみれば一つの学問に近いのだ。
それは何年も何年もかけて作り上げた辞典のようなもの。
200年を費やした俺ですらまだまだ発展途上でしかない。
その頂はまだ見えてはいないのだ。
さらにこの返極は何よりも経験がものを云う。
相手の動き、弱点、次の動き、呼吸の流れ、そういったものを観察し、予測する。
そうする事で初めて返極の最初の門に立てる。
ピケ少年にはまだまだ戦闘経験が圧倒的に足りなかった。
「は、はい! 宜しくお願いします!」
だが、ピケ少年は俺をキラキラとした瞳でじっと見つめていた。
ピケ少年は若い。
時間はいくらでもあるし、才能も申し分ない。
このまま成長すればどこまで伸びるのか、本当に楽しみだ。
そしてゆくゆくは……俺のライバルとして立ちはだかってくれる事を心から期待していた。