第五話 疑問×地図=異世界
2020/08/27更新 内海世界地図挿入しました!
赤い絨毯の敷いてある長い廊下を歩き、本館北側二階の父の執務室の扉の前へとやってきた。ソフィアの部屋はここから中庭を軸に見て反対側の本館南側二階であり、大人であれば階段も昇り降りしないのでさほど苦ではないのだが、それでも個人の邸宅にしては毎度のことながら広すぎる屋敷だ、とソフィアは思っていた。ましてやまだ小さな子供のソフィアの足では尚更である。
「はい、到着~。じゃあお父様に入ってみてもいいか一応聞いてくるから少しだけここで待っててね。」
そういうとオルタンスはノックをし、ソフィアを扉の前に残して部屋の中へと入っていった。
「お父様、か。どういう人かまだあんまりよく分からないんだよなぁ...」
父親の名はレオ、レオ・マクシムス・ヴィクトル・ド・エフェレシアというらしいとソフィアは聞いていた。しかし、それ以外については、ご立派な名前とちらりと見た身なりから貴族であることは伺えるが、どんな爵位でどんな役職についているのか?更にはそもそもどんな人間なのか?ということすらオルタンスから聞いた少しの情報以外は全く知らない。なぜならば、彼はソフィアが産まれて間もない頃からこの家を出ていたのだ。その理由を尋ねてもオルタンスからは、長らく『お仕事』に行っているのだとだけ聞かされ続けていた為、ソフィアにはそれ以上の情報を直接知る術がなかったのだ。
そして、つい数日前に約五年ぶりにようやく家へと帰ってきたのだった。その時の出迎えで、ソフィアは意識を持ってから初めて今世の父親と対面したのだが、その時は直接言葉を交わすことはほとんどなかった。それはたった一言ずつ、『おかえりなさいませ』というのに対して『ああ、ただいま。おおきくなったな...』と返すというとても簡素なもので、これを見た人はこれが親子の事実上の初対面の会話であるとは到底思えなかったことだろう。そしてそれから数日間、彼は『仕事がまだ残っている』という事で執務室にこもってしまっており、食事も部屋で取っているので帰ってきた日以来、顔すら見ていないのだった。そんな次第であるから、ソフィアは彼がどんな人物なのか本当に検討が付かないでいたのだった。
見た目と数少ない言動から得た印象として、まず最初に得られた印象はどちらかというとその武骨な容貌と綺麗な姿勢をした佇まいと無口で無駄な所作がないことから、どこか武人じみた威圧感にも似た迫力をコートでも着るように自然に纏っている貴族然とした御仁というものだった。更に観察をして受けた印象は、久しぶりの我が家だというのに、一切気を緩ませているようには見えないその真剣な表情から、彼が職務に...それがどんなものかは分からないが...忠実な真面目な人間であり、私人としてではなく公人として生きることに重きを置いているように見受けられるものだった。
「はぁ...あんな堅物そうな人が父親でこの先うまく付き合っていけるのかなぁ...」
ソフィアとしては、どちらかと言えば母であるオルタンスのような物腰の柔らかい優しいタイプの人間の方が付き合いやすく、仮にかなり変わっていてもそういったタイプの人間となら仲良くやれる自信はあった。しかし逆に、普段からあまり肩ひじを張るようなタイプの人間が得意ではないのだ。しかも先ほども言ったように父親の事はほとんど一切の情報を知らない。だからこそ、この先、父親と良好な関係を築けるかどうかがとても心配になってため息をついていたのだ。...これは後から思い返して気づいたのだが今回の執務室訪問は、こういった娘が父との接点のなさから感じているであろう不安や気まずさ、といったものをこの時オルタンスはなんとなく理解しており、少しでもそれらの緊張を緩和しようとして父との接点を作るよう計らってくれたのではないかと思われる。
さて、そうこう考えていると、目の前の扉がガチャリと開いて中からオルタンスが顔をのぞかせた。
「ソフィア、お父様が今は休憩中だから少しの間なら入ってもいいと言ってくださったわよ。さぁ、こっちへいらっしゃい。」
彼女はそういうと微笑みながら手招きして、ソフィアに中に入るように促した。
「やった!はい、お母様!」
少し不安を感じつつも、ソフィアは笑顔を浮かべ子供らしく明るく振舞いながら元気な声でそう言うと、てくてくと母の下へ歩いて行きながら執務室の中に入るのであった。
執務室の中は、扉から入って正面側に大きな長方形の形をした掃き出しの格子窓が二つあり、そこから数歩前に歩いたところに執務用の机と思われるものがあり、そこに備え付けられた椅子に父であるレオが少し疲れている様子でずっしりと深く腰掛ており、額を抑えている手の方の肘にもう片方の手を添えるという、考え事をする人特有の仕草をとっていた。机の上には部屋の壁沿いに並べられている多くの本棚の中から持ち出してきたであろう、数多の本と紙の束が積み上げられて山となっており、更にその机のすぐ脇にある大型の書見台には何やら新聞を広げた位のサイズである大きめの厚手の紙が広げられていたがソフィアたちの側からはそれに何が書かれているかは見えなかった。
部屋の入り口付近で、部屋をまじまじと見まわしているとオルタンスがソフィアの背中を片手で軽く触れ、もう片方の手で向かって右側の部屋の奥の方にあるソファーの方を指して座るように勧めてくれたので、促されるままにソファーの方へ歩いて行った。
ソファーは同様の物が二つあり背の低い机を挟んで対面する形で並んでいる。ソフィアは自分から見て奥にある壁側のソファに腰を落ち着けた。
「(ふむ、このソファは豪壮・華麗な装飾にしても背もたれや縁の造形にしても、ルイ14世様式のものによく似ているな...ただ細部の特徴が異なるようだし、やはり...)」
ソフィアがソファの品定めをしながらあれこれと思索していると、椅子に座って考え事をしていた様子だったレオが、スッと立ち上がり、机の上に置いてあった何か巻物のような物を一つ手に携えて、ソフィアたちの居る方へと歩いてきた。
「あら?アナタ、何か真剣に悩んでいらっしゃるご様子でしたけれどご中断なさって大丈夫ですか?やはりお邪魔なら出直してきますけれど?」
「む...あぁ、構わない。私が今ここでどれだけ悩んだところで、容易には答えが出そうにもないからな...それより、内海地域の地図が見たいんだそうだなソフィア?」
先ほどまで、あまりに真剣に悩んでいる様子であったものだからオルタンスが心配してそう声を掛けたが、レオはソフィアとオルタンスの対面のソファに座りながら、何やら苦々しい様子で配慮はいらないという事を伝えると話を変え、ソフィアに向かって意外そうな声で話しかけるのであった。
「はい、ぜひとも拝見したく存じますお父様。」
「ふむ、地図ならここに様々な種類のものを置いているから見せるのは一向に構わないが...なんだって地図なんかに興味を持ったんだ...?」
「ふふ、それがですね?この子ったら教典の伝承を基にした話を聞かせてあげていると変なことを言い出しましてね、それでその間違いを正して神の子がテオス・リムネーに現れた天の扉から天上界に帰っていったという話をしてあげていたら、テオス・リムネーの場所が知りたい!と急に言いだしたんですのよ。」
「ほう、そうなのか。」
尋ねられたソフィアはこくり、と首を縦に振り肯定した。なぜそんなものを...と不思議そうな顔をしていたレオだったが話を聞いてどうやら納得した様子だった。
「では、少し早い地理の勉強がてら私がこの地図を使って説明してあげよう。まず...これが内海世界の地図だ。」
「!?こ、これは...」
レオがソファの前にある机の上に広げたソレを見て、ソフィアは仰天した。...薄々勘付いてはいたが、やはり彼女がかつて一度も見たことのない地形を記した地図が出てきたのだった。
「?どうかしたのかい?」
「い、いえ何でもありませんお父様、あははは...」
そうは言いつつも、この奇妙な地形の地図が意味するところを理解してしまったソフィアは嫌な汗が滲んできているのを感じていた。
「(この地図は、明らかに私の知っている地球のものではない。この地図の精度を疑おうとも思ったが、ここまで詳細に描かれた地図をまるで信じない訳にもいかないだろう。これだけ細かく記しているなら、恐らく殆ど誤差のない正確な地域図だと考えられる。となれば考えられる結論は一つ...)」
そう、ここまでくると目を背けられないただ一つの結論が数多くの事実に支えられて導き出される。その結論とは...ここは所謂『異世界』であり、自分の知っている世界とは部分的によく似てはいるが、『全くの別物』であるという事だ。
ここに至って遂にソフィアは自らの勘違いを認めざるを得なくなったのだ。