第四話 深まる疑問と思わぬ好機
そして月日が経過し、ソフィアが4歳となり、以前彼女をあやしていた女性でありソフィアの母であるオルタンスとようやく問題なくコミュニケーションが取れるようになった頃の事、この時のソフィアは以前考えた通り、ここを中世頃のフランス圏地域であると思いこんでていた。なにせあの後やはりこの家が貴族の屋敷であるという事が分かったし、それ以外にも観察を始めてから数年間、生活に使われている道具などを見ても歴史の文化史の中で見ていたのと同じ暮らしを皆がしていたのだからそう考えるのが自然だった。しかし、遂にソフィアが長らく大きな勘違いをしていたことに気づかされる日がやってきたのである。
事の発端は、彼女が母から神話をもとにしたという昔話を聞かされていた時のことであった。
「...そこで、我らが『大いなる主』はこの哀れな流浪の民達に慈悲を与えるべく、その奇跡と恩寵をもってして、人知を超えた知啓を持つ『神の子』を彼らの下に遣わし、彼らの進むべき正しい道を教えることで、安寧の地へと人々を導かせたという...これが後に我らが住む『内海世界』における営みの始まりであり、その後、神の子は...」
「....」
そろそろ5歳になるということで、ようやく子守唄や幼児向けのおとぎ話以外のお話をしてくれるというから最初はワクワクしていたソフィアだったが、何やら子供には退屈極まりないであろう教会の『説法』のような昔話をされ始めて、『どうせ聖書か福音書の類だろう?もう何度も神学の文献で読んだよ...』と考えて内心ため息を付いていた。しかし、聞き進めているうちに何やら彼女の知っている聖書とは内容が随分と違うので、何かがおかしいという事に気づきこの時は真面目な顔で聞き入っていた。
「(どうなっている?『主』や『神の子』などそれらしい単語は出てくるが、何やら随分と知っている話とは違うな...昔話としてだからアレンジされているのか...?それにしても妙だな...少しかまをかけてみるか)」
あまりにも知っている話とかけ離れた『昔話』をするのが気になる...ソフィアはそう考えながらも一切含みを待たせない子供らしい無垢な口調でこう言った
「お母様、私その先知ってるよ!神の子は十字架に『ハリツケ』にされちゃうんでしょ?」
と、さりげない様子で探りを入れてみた。わざわざこれを口にした理由は、言わなければ小さい子供にはショッキングな場面をカットしたり改変したりする可能性があると考えたからだ。しかしもし、この話が聖書に基づいたフィクションであるならば、流石に信徒であろう母にこれを否定することはできないだろう...もしできたとしても言葉を濁すくらいだろうし、そこまでする可能性は低いだろう...そこまで考えての探りであった。しかし、次の瞬間起こったのは思っていた反応とはまるで違うものであった。
「磔...?ふっ、ふふふっ...あはははは!おっかしい!どこでそんな話を聞いてきたのソフィア?そんな冗談みたいな話信じちゃダメよ?本当の話だと、神の子はその後、彼がこの地域に導いてきた最初期の内海人が理想国『パラディソス』を作ったのを見届けたのちに、『テオス・リムネー』に作り出した天の扉から主神のもとへと帰っていったのよ?」
「え...あ、そうなんだ!なんか夢でそういう話を見たからもしかしたら~なんて思っちゃった!あはは...」
表面上は笑っていたがこの時のソフィアの心境といえば困惑以外の何も感情が浮かんでこないでいた。
「(くそっ!何がどうなってるんだ...『内海世界』という単語は前から何度も聞いていた。てっきりそれは地中海世界の事だと思い込んでたが違うのか!?それに理想国パラディソス? 神の子が天の扉で主神のもとへと帰った?はっきり言って聞いたこともない話ばかりだが...かといって母であるオルタンスが嘘をついているとも思えないし...)」
前世では欧州圏の神話や宗教について歴史を深く理解するために色々と調べたつもりでいた。しかし、今目の前で話されたような『昔話』は聞いたこともない。かといって目の前の女性の気が触れているという訳でもなさそうであり、また、嘘をついているという訳でもなさそうだというのだから頭が混乱してくる。
「...テオス・リムネー(神の湖)なんて仰々しい名前の場所、どこにあるって言うんだろう...」
それはボソッと、ほとんど無意識に口に出した言葉であった。当然、返事など期待しての事ではなかったのだがこれが思わぬ結果につながるのだった。
「ん?テオス・リムネーがどこにあるのか知りたいの?」
オルタンスが意外そうな声でそう言ってくる。
「そりゃあるなら知りたいけど、お話の中の湖なんかの場所分かるわけないもん。だから別に知りたくない。」
あまりに頭がさっきの話のことで一杯で、そっけない返事になってしまったが子供が理由もなく不機嫌になることなど珍しいことでもないので特に問題にされることもなかった。それどころか、急にふくれっ面をする子供をどうにか気分転換させようと、優しい母親が思いがけない提案をしてくれるのであった。
「うーん、それじゃあお父様の書斎にある地図を見に行きましょうか?地図を見ればどこに湖があるのかはっきりと書かれてるわ。そういえばソフィアはまだ地図、見たことなかったわよね?」
「えっ!ほんと!」
何年か過ごしていて一度も地図という単語が出てこなかったものだからてっきりこの時代ではまだあまり製図されていないかもしくは軍事機密だとかで個人の家にはないものなのだろうかと思い込んでいたので、思わぬ好機に思わず子供のようなはしゃぎ声をあげるソフィア。いや、確かに中身の精神を除けば子供には違いないのだが。
「あら?そんなに喜んでくれるの?ふふ、珍しいわねぇ...じゃあいつもならお父様の邪魔になるから行っちゃダメだけど、今回だけ特別よ?」
「はーい」
そういってオルタンスと手をつなぐと仲良く母娘二人でソフィアの部屋を出て執務室に向かうのだった。