第二話 どうしてこうなった
【正統歴1564年7月23日 ウラノス皇国-神聖エールデン帝国二国間の新軍事同盟構想会議 】
私はなぜ、このようなことをしているんだろうか。
会議場で皇女に耳打ちしては自分の意見を代弁させ、相手方の使節団の構成員である、外交交渉において活躍を認められてきた優秀な文官や、戦争計画を立て遂行することを専門とし長年勇名を馳せてきたプロフェッショナルである高級軍人達を、時に論破し、時に魅力的な提案をして懐柔し、場合によっては相手の予期せぬ辛い現実を突きつけることによって妥協を誘う...というような見事なまでの能力を発揮しながら彼女はそんなことを考えていた。
この日、荘厳な大会議室の中央に並べられた部屋を縦断せんとするかのように伸びた長い長い机、その両側には煌びやかな正装を纏った王族や貴族に高級軍人、それと各省を代表する文官などが勢揃いして、ずらりと並んでいた。片方の側は『ウラノス皇国』の、もう片方は『神聖エールデン帝国』のそれぞれ代表団が集ったこの会議場において、一か所だけ異様な空間があった。
それは、皇国側の上席に位置する場所に存在した。この位置に百戦錬磨の軍事・外交筋の専門家が座っているのなら何の違和感も抱かれることはなかっただろう。しかし、実際にはこの場所に会議にはあまりに不似合いな、一人の銀の髪の少女と一人の白髪の幼女が並んで座っているのであった。
銀色の髪の少女の方はウラノス皇国の皇王代理として皇族の中から選ばれた人物で、名を『アリシア=ノービリス・モナクスィア・サンクトゥス・ド・ローレン=ウラノス』という。彼女は皇国の第二皇女であるが、年のころはまだ10台半ばを過ぎたところであり、当然ながら外交の経験など殆どなかった。更には彼女は人前に出るのがあまり得意なタイプではなく、明らかに外交には不向きな人材であった。
初め、エールデン使節団側からは彼女が議場に入ってきて彼らの対面に座った時、皇族と言えどこのような少女を代表として出してくるなど皇国は何を考えているのか?といった様子のいぶかしげな眼が彼女に向けられていた...が、それも一瞬の事であった。次の瞬間に彼らの関心はその隣りへと移る。
皇女が座るとすぐ、彼女の隣には誰も立っていないというのに執事が皇女の席の隣の椅子を後ろに引いた。何をしているのかとエールデンの使節団が不思議に思っていると、その椅子の脇から小さな手が伸びて椅子に手を置き、ぴょんっ、と何かが跳ねたかと思うとそこには白髪のどこか子供らしくない幼女が座っていた。これを見た使節団は目が点になり、一瞬何が起きているのか理解できず、一様にぽかんとしていた。目をこすってもう一度見ると、やはりそこには幼女がやけに堂々とした態度でそこに座っていた。そう、この幼女こそがこの異世界で二度目の人生を送っている彼...もとい彼女、『ソフィア・ペルフェクトゥス・ヴィクトワール・ド・エフェレシア』その人であった。
聖エールデン帝国の使節団の構成員たちは、それぞれ多種多様な反応をした。例を挙げると、「あまりに質の悪い冗談だ」と苦虫を嚙み潰したような顔で首を振りながら肩を落とす宥和派の文官、「自分たちを小馬鹿にしているのか」とプルプルと肩を震わせる内心怒り心頭の軍人、「カモがネギを背負うどころか鍋の準備までしてくれて有難いことだ」と内心笑いが止まらない反皇国派貴族会議員といった具合だ。ほかにも個人によって差異はあるが大まかな反応としては、まぁ、こんなところな次第で、子供達相手に交渉をするなど馬鹿馬鹿しくてお笑いだ...という意見の者が大半だった。
しかし、会議が始まってみると彼らは現実が自分たちの予想を裏切る様を目の当たりにすることになった。現実に交渉を始めるとどうして中々手強い相手だったのだ。いや、中々であるどころか聖帝国の誇る文官も軍人も皇国の第二皇女...もとい彼女に自分の意見を述べさせているだろう隣に居るソフィアという幼女に対して、何度も論争に持ち込んでは手も足も出ずに丸め込まれてしまうという体たらくであった。
そしてそんな中で、聖帝国内の反皇国派の急先鋒であり今回の使節団に同行している貴族会議員代表の一人が、皇国が提案してきた新同盟構想に対し、現時点での同盟関係そのものに利益を感じられないとの批判をしてきた時の事だった。
「貴国は現在ユドレシア連合王国と対立したことで、海上貿易封鎖をされており、砂糖も手に入らないほどひっ迫していると聞く。我が聖帝国は貴国とは異なり、現在極めて安定した経済の上に豊かな文化を築いております。確かに我が国と貴国とは長年に渡り衝突を繰り返してきました。貴国はここ一世紀で経済・軍事などを中心とした総合的な国力を大きく成長させており、我が国と貴国が以前までのように戦争をすればどちらも大きな被害が出る恐れがあり、我々としても安全保障のための同盟関係を結ぶことでメリットがあったことは認めます。しかし、それは今や過去のものとなりました。現在、国力を大きく低下させつつある貴国と我が国が新たな同盟構想を打ち立てて成立させたところで、我々に何のメリットがあると言えますか?あなた方とユドレシア連合王国との戦争に巻き込まれて、我々の平和と経済的安定を損なうようなリスクこそあれ、何らこちら側に利益があるとは私めには思えないのですが?」
と言ってきた使節の一人に対し、幼女はにやにやとした笑みを浮かべながら隣に居る皇女に何やら耳打ちをしつつ一枚の小さな用紙を渡した。すると皇女が戸惑った様子ながらもその用紙を見ながら反論を始めた。
「確かに我々は現在、経済戦争とでもいうものを連合王国との間で行っており、これにより少なからぬ『影響』を受けていることは間違いありません。この上、大国と軍事上の戦争を行うことがあれば財政に与える衝撃と悪影響は甚大なものになる可能性は高く、昨今の政治上の理由からも貴国と戦争をする理由はありません。ですので、貴国が我が国と同盟関係を結ぶ理由を『皇国との戦争の回避』という一点にあると考えらる限りにおいて結ぶ意味がないとお考えになられるのは間違ってはいないでしょう。しかし、この同盟を結ぶにあたって発生する、その点以外の重要な貴国の国益を見逃しているその見解はあまりに視野が狭く、このまま貴国が我が国と同盟関係を結ばないおつもりならば、この先、貴国に重大な統治上の脅威が発生する事を危ぶまざるを得ません。」
「!いったいどういう意味でしょうか!まるで我々の国が傾国の途上にあるかのような仰り様ですがっ!」
淡々とした物言いでありながらも、外交という場においてあまりに『不適切』な発言をする皇女に対し、思わずものすごい剣幕で食って掛かる外交使節を前にして、皇女は半ば声が震えそうになるのを堪え自分の義務を全うすべく、より堂々と大きな声で反論を続けた。
「その通りです!私は今回の新軍事同盟構想会議がなんらの結果も得られないまま終わり、同盟構想が瓦解するようなことがあれば貴国の今後の統治に対する深刻な問題が発生するものと考えています!そしてそれはそう遠くない未来に起こりうるものだという事もです!」
「ふざけたことを言うな!」
先ほどの反皇国派の聖帝国貴族議員の男が激昂しそう叫ぶと、バンっ!と音を立てて机に拳をぶつけた。その態度を見かねた周囲の人間が宥めようとするが、その男は聞く耳持たないといった様子でさらに続けた。
「失礼ながら!手間を省くためにも皇女殿下ではなく、隣に座っている方に質問させていただく!貴様、何を根拠にそのような戯言を皇女殿下に吹き込んでいるのだ!ここがどういう場であるか分かって発言しているのか!もし、何の根拠もない発言であったならば子供といえど謝罪だけでは許されないことだぞ!」
彼は顔を真っ赤にして怒鳴り声でそう叫び、ソフィアの方を見て睨め付けた。この議員の言動は通常であれば認められる筈のない礼を著しく失したものであったが、皇国側の発言もまた、あまりに礼を失したものであるが故に、止めるそぶりこそすれど聖帝国側の使節団の面々は彼の意見を否定する気はなかった。皇国側の他の列席者も何も言い出すことが出来ず、固唾を飲み、冷や汗を流しながらソフィアの方を見ていた。
ソフィアは、はぁ...とため息をつくと手を挙げて皇国の全権大使に発言の許可を求めた。もちろんこの全権大使というのは第二皇女アリシアの事であったので、即座に許可は下りた。そして咳払いをすると何とも可愛らしい声で…しかし、どこか子供とは思えないようなどこか威厳のある話し方で話を始めた。
「ご指名いただき感謝いたします。私としても皇女殿下にこれ以上煩わしい発言をして頂くことで、要らぬご負担をお掛けしたくはないと思っておりましたので、発言の機会を与えていただけて大変助かります。」
流暢にそう言うとゆったりとした仕草で、ぺこりと軽く会釈をした。そのわざとらしい態度がさらに相手を苛立たせていたが彼女はそんなことは気にも留めないといった様子で更に続けた。
「先ほど、皇女殿下がおっしゃた発言の根拠についてですが勿論存在しております。」
「であるならば!勿体付けたりせずに簡潔に申されよ!」
痺れを切らしてそう言ってくる相手を冷ややかな目で見ながら、にやりと笑いこう言った。
「では単刀直入に言いましょう。差し出がましいことながら、あなた方が現在採っておられる勢力均衡戦略という外交戦略及び、中央集権化を推進するという国内政策はすでに機能不全一歩手前に陥っていると言わざるを得ません。そう遠くない未来に重大な決断を迫られることになるでしょう。そしてそれらの問題の内、外交戦略の不備を補填する事が出来るのは今回我々が提案した同盟構想を成立させること以外に存在しないと断言します。」
「な、なにを言うか!貴様のような小娘に我々の戦略の何がわかr...「もう良い、君は少し黙っていなさい!」ジ、ジギスムント元帥...!」
ソフィアの歯に衣着せぬ発言に怒り心頭し、勢いよく立ち上がって怒声を挙げようとした聖帝国の議員だったが、聖帝国側の最も上席である椅子にずっと黙って座っていた初老の男性に重苦しく腹に響くような声で一喝されると、ビクッ!と体を強張らせ,
「しょ、承知いたしました...申し訳ありません...」
と、消え入るような声で謝罪をしながら意気消沈して席に半ば崩れ落ちるように座りなおすのだった。
この寡黙ながらも迫力あふれる雰囲気を纏う初老の紳士こそ今会議における聖帝国の全権代理人であり、聖帝国の内外にその名を轟かせる名将ジギスムント・フォン・ローリンゲン公爵その人である。彼は、これより30年ほど前に起こった『九年戦争』が始まると同時に頭角を現した皇族軍人である。戦間期に多くの武勲を重ねて異例のスピードで昇進し、終戦頃には元帥にまで昇進したという実力者であり、殆どの皇族出身の軍人が置かれる事となる不名誉な地位...則ち、大した功績を挙げることを期待されない『お飾り軍人』という立場とは無縁の珍しい傑物である。
現在では、軍事面における聖帝国の実質的指導者という立場を長い期間に渡って続けている経験豊富な聖帝国軍総司令官であり、彼ほどの輝かしい経歴と経験を持つ軍人は現代の内海世界には数人とはいない。聖帝国においては『生きた伝説』と言われる人物であり、先代聖帝の時代から仕えるこの重鎮の発言力は聖帝に次ぐものともいわれており、更には姪にあたる現聖帝からの信任も篤い為、名実ともに現聖帝国で最高格の臣下と言って差支えないだろう。
「私の部下が大変失礼致した。しかし、敢えて聞かせていただくが貴方は本当に我が国の現在の政策が間違っていると断言できますかな?確かに、封建諸侯からの反発が強いことは内外に知れている事ゆえ、敢えて否定はしませんが、それでも我が国は宗教分裂しかけた国家を纏めなおし、軍備を再編成しつつ周辺諸国との勢力均衡政策を軍事・外交両面で推進することによって15年間の平和を勝ち取っています。現在も、聖帝国内の秩序は問題なく維持されており、他の内海諸国との関係も『異教徒国』を除けば概ね良好...少なくとも険悪な国はない。それでもなお、この政策は機能不全に陥る寸前の失策であると仰れますか?」
ジギスムント公は、紳士的な口調で穏やかに、しかし力強くソフィアの意見に対する反論の論拠を列挙してきた。そこには主観的な感情や思い込みといったものは殆どといって問題ない程に排除されていた。客観的で公正な立場から見た現時点での事実だ。これを無視して聖帝国の政策を批判することは出来ず、議場に居る誰しもがソフィアの主張は誤っているか、そうでなくとも分が悪いと考えていた...ソフィア自信を除いては
「えぇ、勿論それらも加味したうえで貴国は誤った政策を採用していると考えております。」
「ほう...お嬢さんの見解を是非とも聞かせて頂きたいものだね。」
公爵は目を細めてソフィアの方を見ながらそう言った。それは決して睨め付けるなどの威嚇行為ではなかったが、その佇まいからか老練な人間の持つ独特の威圧感とでもいうものを発していた。しかし、ソフィアはそれに対して軽やかな様子で笑顔を返し、それでは...と話を始めた。
「まず、外交政策の失敗について申し上げたいと思います。貴国の採用している内海地域列強国間の勢力均衡政策は確かに、これが採用された当初の時代であれば有効な政策であったことは確かです。しかしこの戦略が採用されてから数十年の間に、内海世界のパワーバランス及びその構造自体が大きく変わりました。」
「パワーバランスとその構造自体の変化というと?」
「パワーバランスはそのままの意味であり、この数十年間に起こった『九年戦争』や『百合戦争』などといった大規模な内戦や諸列強が同盟を組んで宗教上の理由を原因に争ったという過去に例を見ない形態の戦争や『宗教大分裂』といった宗教上の大転換を示す出来事そして、『新航路開拓』による新たな交易路の発見と、その過程で西の大海『オケアノス』で発見された『エリュテイア』、『トゥリゴノ諸島』、そして『アトランティス』といった大小様々な島々とそれらの植民地化、などの要因によって生まれた新たな利益による内海世界経済の変質、といったような種々の出来事がもたらした多方面の分野における大きな変動によって、当然のことながら以前のような列強間の国力差やそれぞれの国内外で置かれた状況といったものはその様相を大きく変え、勢力均衡を調整する為の前提条件が最早戦略を起草した当時とは大きく異なっているのです。そしてこのパワーバランスの劇的な変化がそもそもの戦略構想を作成した時に存在した『内海地域における国際政治の構造』をも大きく変えることにつながっているのです。」
公爵は目の前の幼女があまりにも正鵠を射た分析をしていることに驚き、目を見開きながらその話を聞いていた。これは何もそれらについて公爵が一切の知識を有していなかった事による驚きというわけではない。公爵やその周囲の人物は薄々と今ソフィアが話したような諸分野における『大きな変化』に気付いていた。しかし、ここまで自信をもって言い切る事が出来るほどには確信を持てずにいたのだ。それを、この見た目の頃がまだ10歳前後の小さな幼女に重要な外交の場において、こうもはっきりと説明されるとなるとその精神的衝撃は計り知れないものであったのだ。
「なるほど、素晴らしい見識をお持ちだ。是非ともそのまま続きを話していただきたい。」
公爵のこの時の反応から、一時は座礁するかに見えた交渉が大きく前へと前進したのをこの会議室に居るすべての人間が感じ取っていた。自然と先ほどまでの張りつめた空気が緩やかなものへと変わっていき、胃を痛めながら成り行きを見ていた両陣営の何人かがほっと、小さくため息をこぼしている様子も伺えた。
「ありがとうございます。それではこの変化がどうして失策につながるかということと、我々と同盟を結ぶことの意義について説明させていただくと...」
といったような様子で平然と説明を続けるソフィアであったがその内心にあったのは、交渉がうまく進んでいる事への『達成感や充実感』でも、張りつめた空気が緩んだことへの『安堵』などといった感情でもなかった。
そう、ここでこの話の冒頭に戻る訳だ。彼女は心の中で「私はなぜ、このようなことをしているんだろうか?私はなぜ、このような事態に陥っているのだろうか?なぜ、なぜ...」といった事を考え続けていた。心に浮かぶ感情は疑問と不満ばかりだ。本当ならば彼女は『彼』としてこのような血なまぐさい世界ではなく、豊かで便利な道具と高度に発達した社会システムが存在し、好きな甘味を自由に食べては幸せな気持ちに浸れる平和で理想的な世界にいる筈だったのだ。それが自分の軽率さが原因とはいえ、文献上で見たことのある歴史上の世界に似てはいるが全くの別世界などという奇妙な場所にきてしまい、更には政治上の理由などという実に下らない理由のせいで自分が産まれたこの国では、砂糖がほとんど手に入らない非常に希少なものとなってしまっていたのだ。
甘味をこよなく愛する甘党の彼にとってはそれはあまりにも耐えがたい苦痛であった。砂糖が存在しないというのならば絶望するといった形で諦めたりすることもできる。しかし、この世界にはなまじ多量の砂糖が存在し、敵国や周辺国では、少し暮らしむきに余裕ある市民であれば、毎日とはいかずとも毎週か二週間に一度程度は甘味にありつこうと思えばありつけるのだ。
そのような環境の国々に囲まれながら自国のみが貴族でも砂糖を用いたデザート類を政治上の理由及びそこから産まれた法律上の理由から滅多に食すことは許されない、などと言われてどうして唯々諾々と従う事が出来ようか否、断じて否!という事で彼女はサトウキビ畑を国中に植えるか、他国から砂糖そのものを輸入することを当面の目標にしながらこのような幼い身で、好きでもない政治の世界において奮闘する事となっていたのだった。
さて、ここで一度彼女がそのような砂糖を手に入れるための戦いに身を投じる決意をし、今回の会議に至ることになった経緯を振り返りたいと思う。その苦悩との戦いの始まりを振り返るには少し時間を...具体的には7年ほど戻す必要がある。それは、彼女がこの世に生を受けてからの数年間を過ごした生家での出来事に端を発する...