第十四話 幼女と舌戦
「...!美味しい!!」
「なっ...!何をしておられるのですか!」
キャロタン子爵が血相を変えて大きな声でそう言った。それに対してソフィアはあっけらかんとした顔で反応した。
「何って...デザートを食べただけですけれど?」
「さっきの私の話を聞いていなかったのですか!砂糖は勅令で指定された御禁制品!それを口にするのは皇王陛下の勅令に反し...」
「別に勅令には反していませんよ?」
「...なんですと...?」
ソフィアから思わぬ返答をされて困惑するキャロタン子爵。当惑の眼差しを向けられたソフィアは何食わぬ顔で目の前の菓子をまたも頬張った。
「なにを言っておられるのですか?今現にあなたは食べておられるではないですか!」
「だからご禁制品の『砂糖』を用いた菓子なんて食べていませんよ」
「はあ...ですから...先ほども申し上げたようにクリームには砂糖が使われるものなのです。そしてそのお菓子にはクリームが沢山、用いられているでしょう?ということはそれを食べれば砂糖を用いた菓子を食べたことになるのです...分かりましたらどうか食べる手を止めてその皿を係の者にお渡し下さい。」
呆れた様子でそう言ったキャロタン子爵はやれやれと言わんばかりに首を振った。
しかし、ソフィアはきょとんとした顔をした次の瞬間、おかしなものを見て堪えられないといった様子で、くすくすと笑い始めた。
「何がおかしいのですか!」
さすがに腹に据えかねて怒り始めるキャロタン子爵。レオ侯爵の娘のソフィアに向かって侯爵夫妻の前で怒鳴りつけるのは普通ならあるまじき行為だが、この時の子爵は酔っている上に頭に血が上って、そんなことを考える余裕がなかった。
レオ達も取り敢えず何も言わずに、事の成行きを見守っていた。ガストロ伯は興味深そうにソフィアの方をじっと見ていた。諸侯たちは顔を青ざめてレオとキャロタン子爵、それにソフィアの方をきょろきょろと心配そうに見まわしていた。
そんな中でソフィアだけが、ケタケタと笑いながらキャロタン子爵に向き合っていた。
「あはははっ...まだ分からないのですか?あなたは何も見えていない。そしてきっとあなたには一生かかっても料理人たちの工夫や気遣を理解することなど到底できないでしょうね。」
「私が何も見えていない...?一生かかっても理解できない...?そこまで言うなら!どういうことかはっきり説明していただきたい!いくら侯爵閣下のお嬢様でもここまで馬鹿にされては我慢なりませんな!」
ついに完全に怒った子爵がソフィアに向かって怒鳴った。
「では、ここまで申し上げてもお分かりでないようですので申し上げましょう!まず、このクリームは砂糖が使われていません!」
「な、なに!?」
仰天する子爵。ソフィアはそれを見てにやりと笑いながら更に説明を続ける。
「子爵、貴方はクリームを作るのに砂糖が必要不可欠であるかのように仰っていましたね?だからこのお菓子は勅令違反だとも」
「え、えぇ...!クリームを作るには砂糖が必須、常識でしょう?」
「そんな常識を私は知りませんが、確かにクリームを作るのに砂糖を使うことが多いのは事実です。しかし、砂糖を使うのは...様々な理由がありますが...今回の場合ですとクリームを甘くするのに必要だからというだけに過ぎません。であれば他の代用物を使っても何ら問題はないのです。」
「い、一体、なんだと言うんだ...そんなものが存在するのか!?」
声を震わせながらそう尋ねるキャロタン子爵。ソフィアは彼に侮蔑の目を向けたまま返答をした。
「『ハチミツ』ですよ。このクリームはハチミツが使われています。」
「...ハチミツだと...?」
「はい、厳密にはフレッシュチーズにハチミツを加えてよくかき混ぜていくことで滑らかなクリームに仕上げているのです。配分は...4:1かな...?」
信じられないといった様子でソフィアの顔と目の前の菓子を見比べる子爵。他の列席者たちも各々の前に置かれている菓子を不思議そうに見ていた。
そんな中、貴族の一人...ノーラン卿と呼ばれていた大柄の男が質問をしてきた。
「ソフィア嬢、この菓子は『プラチェンタ』ですな?」
「えぇ、その通りですよ」
「失礼ながらプラチェンタと言えばクリームには砂糖を使うのが常である筈。それなのにこれはハチミツを用いて作ってあるというのですか?」
「はい、食べていただければはっきりとわかると思いますが、香りや見た目だけでも判断はできます。まずこのクリーム、ほんの少しですが黄みがかっております。これは別に卵の黄身の色ではありません。甘みを出すために用いたハチミツの色が出ているのです。」
「なるほど、しかし香りは...」
「これだけハチミツがかかっていれば見分けがつかないと言うのでしょう?簡単な事です。スプーンでクリーム部分を分離して鼻元に持っていけばそれでことが足ります。」
「それもそうですなぁ...」
そう言って、鼻元にクリームを近づけスンスンと匂いを嗅ぐノーラン卿。次の瞬間に目を開いて笑い始めた。
「確かにこれはハチミツの匂いですな!よく見れば色もハチミツのそれがクリームの白に混ざった物に違いない!」
「そうでしょう?きちんと見れば判断がつく筈です。『きちんと見れば』...ね。」
そう言ってキャロタン子爵の方を見やるソフィア。子爵は気まずそうな表情で肩を震わせながら手元の菓子を見ていた。
「し、しかし!匂いや色がそうだからと言って、この菓子に砂糖が使われていないという証拠にはなりますまい!であるならば、私の意見が間違っているとは言い切れないのではないですか?」
ここまで非礼な態度をとった以上、引っ込みがつかなくなった子爵は苦し紛れにそう言った。これには周りの貴族たちもあまりの見苦しさに顔をしかめたが、ソフィアはニヤリと笑って答えた。
「そうですかそうですか。つまり、この菓子に砂糖が含まれていない証拠を見せよ、という事ですか?」
「そ、その通りです。私が間違っているというからには証拠を出していただきたい...」
そう言ってぎこちなく笑う子爵だったがその笑みは次の瞬間に失われた。
「では、これから全員で『調理場』に行きましょうか。そして、使ったであろう砂糖が入った容器を探しましょう。そもそも砂糖がなければ入れようがないでしょう?」
「え、えぇ!構いませんとも」
この時、子爵は内心でほくそ笑んでいた。『所詮は子供だ...』と。
今のソフィアの主張は裏を返せば、砂糖がありさえすれば自分の主張を否定することはできないという事。そして、確かにこの菓子には砂糖が使われていないのかもしれないが、他の料理はどうであろうか?
...砂糖を菓子に使うことは禁じられているが、調味料としてそれ以外の料理に使うことは禁じられていないのだ。であれば!この規模の貴族向けの宿の厨房であれば砂糖の入った袋の一つや二つ見つかるはずであり、それさえ見つければ何とでも押し通せる...というのが彼の目論見だった。
「ソフィア嬢、厨房には料理の調味料として砂糖が少なからず置かれているはず...その方法では砂糖に使われていないかどうかの判別は...」
「...(ちっ、余計な事を言いおる...)」
そんな時、ノーラン卿がソフィアにそう助言した。それに内心で余計な事をと舌打ちする子爵であったがソフィアの回答は二人の予想の斜め上を行くものであった。
「いえ、大丈夫です。『厨房』には行きませんので問題ありませんよ。」
「「えっ...?」」
キャロタン子爵とノーラン卿が同時に驚く。それ以外の者たちの間にも広がるざわつき。誰もソフィアの意図を汲み取れていないようだった...ただ一人を除いて。
「...配膳室ですね?ソフィア様。」
「えぇ、ご明察の通りです。流石ですねガストロ伯。」
このやり取りを聞いて他の者達は二人が何を言っているか理解できなかった。なぜ厨房ではなく、配膳室なのか?と。
「どういうことです?なぜ厨房ではなく、配膳室などに...?」
不思議そうな顔をしてソフィアにそう尋ねるノーラン卿。この彼の質問はこの場に居る全員が聞きたい事であった。
「おや?ご存じないのですか?デザートは厨房では作られないのですよ?」
「な、なに!?」
今日一番の驚愕を受けた子爵は、驚きのあまり腰を抜かして自分の席に崩れ落ちた。そんな彼を見てソフィアは幼女の顔には似合わない不敵な笑み浮かべた。
「そんな...料理は厨房でするものでは...?」
「デザートだけは例外です。衛生上の理由や果物などの食品の保存の理由から、厨房に比べて乾燥した涼しい部屋である配膳室で大切なデザートは作られているのです。」
「馬鹿な...」
目論見が大いに外れてしまった子爵は項垂れた。この論戦、もう子爵に勝ち目がないのは誰の目からみても明らかであった。
それでもまだ何か反論しようとした子爵を遮って、ガストロ伯が制止した。
「キャロタン子爵、そのくらいにしておきなさい。このようにまだ幼いソフィア様を相手に論争を吹っかけておいて、これ以上醜い言い訳をするのであればあなたの進退に関わりますよ。」
「くっ...ガストロ伯...」
宮中伯...則ち大臣に相当する役職の人間に直接そう言われては子爵としては最早、引き下がる他に取るべき手段がなかった。
「よろしい、では早々にこの場から立ち去りなさい。此処はあなたのような見識と礼を欠いたような無礼者が居て良いところではない。」
「う、ぐぅ....」
ガストロ伯は厳格な態度でそう言うと扉の方に手を向けて退出を促した。子爵はそれに対して反論することはできず、俯き加減に肩を落としてトボトボと食堂から出て行った。
なんやかんやあったが子爵の退出後、気を取り直してデザートを食べることになった。
「ソフィア様、お見事な見識でした。もっと早く止めに入ろうとも思いましたが...閣下にとめられておりまして...」
「お父様にですか?」
意外な事を聞いて驚くソフィア。一体どういうことなのか理解ができなかった。
「ええ、実は...」
「ガストロ伯、私から言おう」
そう言ってレオがソフィアたちの方に向いて話しかけた。
「ソフィア、さっきは止めに入らなくてすまなかったな。ガストロ伯にも私から事前に指示していたのだ。このような場合には私が合図するまでは介入するな、と。」
「へ?...なぜでしょう?」
正直、止めに入られなければもっと子爵の『浅はかさ』をバカにしてやろうと思ってたほどであったから、ソフィアとしては別に止められなくてもよかったのだが...なぜそんな指示をしたのかという事には興味があった。
「それは...お前の事を試す必要があったからだ。」
「と、いいますと?」
「簡潔に言えば、宮廷で社交デビューをする前に試験をして、お前のマナーや知識の到達度、対応力、それに自分の意思を表明することができるか、といった事を確かめようとしたのだ。」
「なるほど...」
これはつまり、今回の晩餐を催したのは諸侯との交流という意図だけでなく、ソフィアの最終試験を兼ねる意図が含まれたものであったということである。
ソフィアとしては自分が試されていたのだと知って何だか愉快な気分ではなかったが、そうであれば色々と得心が行くので納得した。
「それで、私は合格点を頂けそうでしょうか?それとも子爵相手にあそこまで言って晩餐会を台無しにしたのでやはり不合格でしょうか...?」
正直、合格点を貰える自信はなかった。それどころか、貴族の子女として人間性に問題あり...と見なされても仕方がないと考えていた。しかし...
「合格点?とんでもない。そんな点は付けられないな」
「やっぱり...そうですよね...」
「...合格点どころか満点でも足りない位だ!」
「...え?」
...しかし、現実はソフィアの予想とは随分と違うものであった。
「さっきガストロ伯も言っていたように、お前の見識は目を見張るものだった。その年でそこまで知識と洞察力があれば、社交界で大人たちを相手取っても、最早何の問題もないだろうことは先の『舌戦』を見ていればよく分かる。」
「お、お恥ずかしい限りです...」
舌戦という表現をされて先ほどのやり取りを思い出し、今更ながら、熱くなり過ぎたと恥ずかしくなるソフィア。だが、レオはそんなソフィアを責めることなく、むしろ褒めた。
そのことが却ってソフィアに更なる自省の念を抱かせたが、レオはそんなことに気づく筈もなくさらに続けた。
「...だが何より!大の大人相手に一歩も引かずに、自分の信じる処を貫いて間違いは間違いだと指摘できるその胆力と、他者を思いやる良心は何ものにも代えがたいお前の長所だ!と、私は思う。だからソフィア、お前はこれからもそれを忘れずに生きていきなさい」
「...は、はいっ!ありがとうございます!」
思いがけず、べた褒めされて驚いたソフィアだったが、レオの言うところを理解すると元気よくそう返事をした。
...ソフィアは自分の人と関わり合う際の長所を幅広い知識と、それを基にして議論に勝つ才能や、建設的な提案をしたりできる素養のみにあるのだと、前世の時から思っていた。
しかし、レオはそうは受け取らなかった。そんな表層的な事ではなく、もっとソフィアの内面的な部分を評価してくれたのだ。それがソフィアには嬉しかった。




