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プロローグ

 初めて口にした甘味は何だっただろう?

 濃厚で口の中で蕩けるような甘さのチョコレート?滑らかな口当たりに、ミルクのコクと卵のまろやかな風味が合わさったカスタードと、ほろ苦く香ばしいカラメルが絶妙なハーモニーを奏でるカスタードプディング?それとも、どこまでも自然でやさしい香りや甘味とフルーティーな酸味とのバランスが絶妙なサクサク生地のアップルパイだったろうか?

 もしくは、冷たくて口の中に入れると蕩けながら優しい甘さと清涼感を与えてくれるアイスクリームだったかもしれないし、はたまた爽やかな香りとみずみずしさを楽しませてくれる水羊羹だったかもしれない。

 …いやいや、それどころかこれらとは全く違う甘味であった可能性すら大いにありうる。

 そう、大多数の...恐らくほぼ全ての人々が初めて口にした甘味のことなど覚えてもいないだろう。それどころか興味すらわかない人が大半なのではないだろうか。


【西暦20XX年,8月○○日,パリ某所】

「なんだったかねぇ...」

 通りを歩きながらそう口にした学者風の男もその例外ではなく、初めて口にした甘味に関する一切の記憶がなかった。ただ一つ彼がほかの人と違うとすれば、彼は初めて食べた甘味は何だったのかについて長年にわたり真剣に頭を悩ませているということである。

 なぜこんなことに苦悩する必要があるのか意味はあるのか、と言われれば確かに意味などないのだが、自他ともに認める大の甘党で、また様々な学問分野に精通するジェネラリストであり、一部からは現代きっての多才な文化人との呼び声も高い彼は、他にも興味深いことはこの世に数多くあることを知りながらも、遂に何ものもその魅力を超えることのできなかった「甘味の世界」という、魅惑的な彼の人生における最大の関心事のその始まりについて、時折頭を悩ませずには居られないのである。

 なぜなら、それはきっと素晴らしく美味しいに違いない甘味だったのだろうから。

 故に彼は古今東西の甘味を追い求めて止まず、時に海を渡り世界の甘味を味わい歩き、時に数多の書を読み漁っては様々な時代の甘味に思いを馳せ、時にはそれを再現しようと試みたり、という様な『甘色』に彩られた毎日を幸せに過ごしていたのであった。

「...まぁ、いくら悩んでも思い出せないものは思い出せないか、それより折角休みを取って遥々、花とお菓子の都パリまでやって来たんだし何を食べるかな~っと」

 

 いつも通り答えが出せそうにない彼はそう言って気分を切り替えると、辺りを見渡し、本日の“お相手”を探しながら、すでに何度も来たことのあるパティスリーが立ち並ぶ通りを慣れた足取りで歩いていくのであった...


 しばらく歩いていると、不意に素晴らしく芳しい甘い香りが漂ってきた。


 「...何だろう?知っているようで思い出せないこの香り...この香りは一体どこから...?]

 香りのする方向を見ると、通りの反対側に、一人の女性がどこかのパティスリーの紙袋らしきものを持って歩いているのが見えた。

 「間違いない、あの袋からの匂いだ。もしかするとあの中身は...」

あの中身は自分が長年追い求めていたものかもしれない...ふとそんな考えが彼の脳裏によぎった。

「すみません!そこのお嬢さん!ちょっと待ってくれませんか!!」

声を張り、呼びかけてみるもイヤホンでもしているのかどうやら聞こえていないらしく、女性は振り返ることなく早足で通りを過ぎ去っていき、見る見るうちに見えなくなっていく。

「待ってくれ!」

またとないかも知れぬ機会だと焦った彼は、見失わないうちに彼女に追いつこうと焦りながら走って横断歩道を渡ろうとする。...迂闊にも信号も確認せずにである。

彼が横断歩道の真ん中に差し掛かった次の瞬間、


 プーーーーーーーーッ!!!!


 という、けたたましいクラクションの音が鳴り響き、振り向くとトラックが目の前にいた。

「----あ」

そして、彼の意識はその光景を目の当たりにしたところを最後に途絶えた。

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