表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

濡れくすみ 

掲載日:2020/05/09

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 む、つぶらやよ。そのコートの端、どうかしたのか?

 ほれほれ、その裾の先っちょのところだよ。色がそこだけめちゃんこ濃くなっているだろ? 今まで気がつかんかったんか?


 ――ふむ、特に甘ったるい臭いがついているわけじゃない、と?


 座ってつくような位置じゃねえし、どっか濡れた壁とかこすったのかねえ。大ごとにならなきゃいいけどな?


 何を言っているのかって? ほれ、マーキングとかの類だよ。しょんべんだったり、エキスだったりと、違いはあるが、標的に対する目印つけのことだ。

 もしいま気がつかず、家まで帰っていたらその場所まで教えちまう。危ない、危ない……。

 濡れることって、気がつくときは気がつくが、気がつかないときは気がつかない。そいつがもたらした不思議なことは、古来たくさんあったって話だ。

 そのうちのひとつ、耳に入れてみないか?



 むかし、とはいっても数十年前。俺がまだがきんちょだった頃の話だな。

 外遊びをよくしていた俺だが、腰を下ろす場所に関してはとても気にしていた。以前、ペンキ塗りたてに気づかずに座って大惨事……なんていう、マンガでやるようなこと、リアルにやっちまったからな。

 どこもかしこも、葉っぱのついた木の枝とかで軽く払って、様子を見てからだ。遠足なんかでもシートを敷かない限りは、地べたに座り込むような真似は避け続ける。草の汁なんかは染め物に使われるくらい、落ちねえものだしな。


 そうして汚れを気にする俺が、ある日の学校帰りに体験したことになる。

 その日の帰りは、太陽がくすんで見えた。昼休みまではまぶしくも、はっきりした光を放っていたのに、いまは波打つ水面越しに見ているかのごとく、全体が揺らめいている。

「妙な天気だな」と思いつつ先を急いでいると、不意に寒気を感じて震えちまう。

 空気が冷たいんじゃなく、いきなり背中へ氷を当てられたかのような冷たさだった。そっと手を伸ばしてみると、シャツがじっとりと濡れている。

 俺だけじゃなかった。周りにいる通行人も、服のそこかしこに手をやって、異状を確かめていたよ。折り畳み傘をさし始める人もいたが、この水分は上からばかりじゃなく、横にも漂っている。雨というより、霧の中を進んでいるかのようだった。

 走って家に帰ったが、その時にはもうシャツもズボンも、ぐしょぬれになっている。すぐにシャワーを浴びて着がえたんだが、真っ先に濡れ始めただろううなじのかゆみが取れない。

 鏡があっても、自分の首のうしろじゃ確認は難しかった。こすりにこすりを重ねれば、勝手におさまるんじゃないかって、虫刺されを相手にした時のように、自分に言い聞かせていたっけなあ。



 結局、ひと晩が経っても、俺のうなじの違和感はおさまらなかった。

 厳密にいうと、かゆみは弱まったが、その代わりに肌触りが硬くなった感じだ。虫刺されをかきつぶしたときにできる、あの感触にそっくりだったんだ。

 指で触れるどころか、服の襟とこすれただけでも、うっとおしい痛みが走る。かいているときは気持ちよくなれるけど、あとでこの手の不快を感じると、かかなきゃあ良かったと後悔するもんだ。俺は全然、学べていなかった。


 そして、学校の帰り際に出くわすあの奇妙な霧雨はその日も、その次の日も続く。

 変わらず家へと急ぐ俺だったけど、やがて妙なことに気がついたよ。初日には、あんなにみんな気にしていたのに、いまはさほど反応を示さず平然としていたんだ。

 慣れたのかもしれない。だが、俺は相変わらず雑巾のような濡れ具合だ。とてもおとなしくなんぞしていられない。

 連日、晴れているのにぐしょぬれになって帰ってくる俺の様子に、母親が理由を尋ねてくる。俺がこれこれこういうことだと話したら、ちょっと首を傾げてさ。試しに、一緒にそこら辺を散歩してみないかって、提案されたんだ。



 俺の疑惑はすぐ確信へ変わる。

 着替えたばかりの俺の身体が、数分でぐしょぐしょに濡れていくのに対し、すぐ隣で歩いている母親の服はなんともない。

 それを確かめた母親はすかさず俺に、体のどこかで固くなっている部分はないか尋ねてくる。俺がうなじの後ろを指さすと、そっと服の襟をつまみ、俺の首から引きはがしながらのぞき込む。

「ははあ……」と得心がいった声。続いて空を見上げて、「あんた、あの太陽がくすんで見えるんじゃない?」と突っ込んでくる。

 素直にそうだと答えると、だいたい事態が飲み込めたようで、母親は帰宅を促してきたんだ。



 母親自身、小さい頃に俺と同じような目に遭ったらしい。

 やはり太陽がくすんで見え、外を歩くうちに全身がびしょ濡れになり、体のどこかに猛烈なかゆみを覚える。時間が経つとかゆみがおさまり、その部分が硬くなっていくのだと。


「あんたねえ、あの太陽の主の『お薬』役になっているんだよ」



 現在、空に浮かんでいる太陽は、太陽によく似た別のものだと母親が語ってくれた。

 いわば、その何者かの瞳が浮かんでいて、濡れるのはそいつが流す霧のような涙のせい。

 この涙に格別な反応を示すものを見つけると、そいつはターゲットをしぼる。他の人が濡れなくなるのはそのため。そうして涙を浴び続けたものは、薬を生み出すための素体となるのだとか。


 そんなモルモットみたいな立場、まっぴらごめんだといったけど、母親はじきに止むから心配しなくていいと答える。

 実際、俺のうなじはもう、痛みも感じない。1メートル先の岩を押しているかのように、刺激を与えても、それが自分の体の一部じゃないようだった。

「まあ、あとひと晩くらいじゃないかな」とのんきに構える母親。病院などの心配もしておらず俺は納得がいかない。せめてどうなっているか、カメラで撮ってほしいと頼んださ。

 撮りきりのカメラで撮ってもらい、すぐさま現像に出してもらう。受け取りは数日後になるとのことだった。



 翌日。起きてみると俺のうなじは、元通りの柔らかさを取り戻していた。

 外を出歩いても、もう身体が濡れることはない。帰り際の太陽もくすんではおらず、直視することが厳しいまばゆさを放っている。

 母親曰く、俺の作った薬が届いたのだろうって、話になっていた。

 それで現像された写真を見せてもらったところ、俺のうなじにはひしがたの白い石らしきものが埋まっていた。

 肌の上から張り付けたかのように見える不格好。だがその表面のくすみは、どこかあのときに見た太陽と同じ色合いをしていたんだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] すごく面白かったです! 雨にあたると妙にむず痒くなったりしますね。 普通だったら不安になるところを、母親がどっしり構えてくれていたおかげで安心感を覚えました。(笑) なるべくそういう目にはあ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ