辛辣な侍女
いつもだったら、王の情報を仕入れ、精力的に動き回っているが、今日は機械的に口に食事を運び、自室に籠った。ソファーにもたれ、窓から空に浮かぶ雲を眺める。何をする気も起きない。昨日に気力を置いてきたみたいだ。
「失礼致しますぅ」
ポットの乗ったカートを押しながら、いつもの隙の無いオールドミス風の侍女ではなく髪結いが入って来る。
「えっと、湯をカップに注いで、ポットにも注いで、あれ? 先にお茶っ葉をいれるんだっけ、ま、いいや、それから砂時計返して」
見ていると、手順をそらんじながら、酷く危なっかしい手つきで、お湯を零しそうになったり、茶器を落とそうとしたり、遂にはカップを温め空気に触れた湯をティーポットに戻そうとした。
「貸して」
見かねて茶器を奪った。この国に来るまで侍女を本業でやっていたのだ。角度を意識してカップに注げば、色も良く、香りが広がる。我ながら上出来である。
「わぁー、凄い凄い! お姫様なのに、プロの侍女みたい。びっくりですぅ」
内心ぎくりとしたが、「ま、行儀見習いの一環で」と流しておいた。
「あなた、お茶出しに慣れてないでしょう。いつも淹れてくれる子はどうしたの?」
「ドミナは別の仕事で大忙しですぅ」
度胸が据わってるのか馬鹿なのか、件の侍女はちゃっかり椅子に掛けわたしと一服していた。
「そう言えば、ここに来てからあなたたち二人しか見ないわね。他にわたし付きの侍女はいないの?」
「ボイコットしてますぅ」
「へえ、ボイコット……ボイコットォ!?」
一国の妃につけるには数が少ないとは思っていたが、そんな理由があったとは。
「気づいてませんでした? 姫様が嫁いできてからずぅっとですよ。一旗あげたい下級貴族は軍に入ることが多いんですぅ。だから、ここで働いている子たちは家族や縁者をエースターに殺された者ばかりです。歓迎されるとでも思ってたんですかぁ?」
人は、未知のものに恐怖を覚えると言う。わたしを襲ったのは、まさにそれだった。
愚かだから失言しているのだと思った。失言し訪れる結果を予見できないから無鉄砲なのだと思った。でもそうじゃない。奈落の底をのぞき込むよう。この女、得体が知れない。
「一国の姫に対して、随分な言いようね」
怯んでしまった自分を誤魔化すため、わざと尊大な態度をとる。
「ごめんなさぁい、正直者なんでぇ」
全く悪びれずケラケラ笑うので、鳥肌より腹が立って来た。
「あまり減らず口を叩くなら、物理的に塞いであげましょうか」
「この国であなたに、そんな力があるんですかぁ?」
唇を噛む。確かにそうだ。王の寵愛の無いわたしは、生意気な口の侍女を罰することもできない。真面目に職務をしているらしい侍女を取り立てることもできない。さぼっている侍女たちを罷免することもできない。この国でわたしに何の地位も権限の後ろ盾もないから、この女は笑っていられるのだ。
わたしを笑われるのは良い。所詮、ただの侍女、どこにでもいる平民だ。だが彼女は、わたしの主を、敬愛する姫様を笑っている。だと言うのに、わたしは彼女を一欠けらも傷つけることができない。それが途方もなく悔しい。
「それはそれは、わざわざ吹き飛ぶような立場のわたしに、お茶をいれようとしてくれてアリガトウ」
「怒ってますぅ? 怖ぁーい」
いちいち神経を逆撫でする女だ。
「まぁ確かにあたしはやる気ないですけど」
「じゃ、なんで? あなたもボイコット組に回らないの?」
「だってぇ、ドミナ一人だけにやらせるわけにはいかないんでぇ」
意外だ。こんな性悪女があの真面目な侍女を気にしているなんて。わたしが見る限り二人は水と油、性質が違い過ぎる。
「あの侍女のこと大事に思っているのね」
「ドミナのことは割と好きです。あ、お姫様のこともちょっとだけ好きになりましたよ。紅茶いれてくれましたし」
「それはどうも」
ついでに言ってくれてありがとう。
「あたしぃ、何故か同性に好かれないんですよね。この前も同僚に桶の水ぶっかけられました。その子の恋人と二人で食事行ったくらいで、色目つかったとか言いがかりつけられて、意味不明。だいたい、ちょっとコナかけただけで揺らぐような男女仲じゃ、長続きしないと思いません? 寧ろ早めにわかったんだから、あたしに感謝しても良いぐらいですよねぇ」
何故この侍女が同性に好かれないか、よくわかった。母国でも仕事しに来ているのか男漁りに来ているのかわからない侍女がいたが、ここまで突き抜けているのも珍しい。
「そしたらドミナ、タオルを被せて頭を拭いてくれたんです。
『あなたの行いは褒められたことじゃないし、庇うつもりもない。そんな風に自分で自分を貶めるのは感心しない。わたしはあなたみたいに髪を結うことはできない。他の子は男好きとか言うけど、ファッションやメイクを研究して、自分を可愛く魅せるのに誰より努力しているのは知っている。わたしはあなたの腕前を尊敬する。あなたは男にちやほやされなくたって充分魅力的な女性だわ。だから、もっと自分を大切にしないさい』
そんな風に言ってくれた人、はじめてだったから。
ドミナね、父親を殺されているんですよ。あなたの国の兵に」
水を打つように静かに、彼女は言った。
「ドミナの家は由緒ある家で、父親は結構有名な士官だったらしいです。当然、先の戦争にも参加し、エースターに打ち取られました。以来、没落真っ逆さま。住み慣れた屋敷を追われ、婚約は解消され、母親は病気で倒れ、なんとか掴んだ侍女の職で小さな弟と妹を養って。化粧をすればちょっとは見られる顔なのに、いつも自分のことは後回し、すっかり嫁ぎ遅れで。
なのに貴女が来てから、お姫様がこの国で少しでも過ごしやすくなるように心を配って、同僚が放棄した仕事を全部一人で引き受けて城中を駆け回っています。
なんでって聞いたんです。ドミナだって他の侍女と同じように恨んでいるはずだから。そうしたら」
――エースターの姫様にこの国で幸せになってほしい。争いが無くなれば、わたしや、家族のような思いをする人は居なくなるから
嗚呼。喉の奥が熱い。
わたしは期待されているのだ。姫様にも。この国の人にも。
王に顧みられない。侍女に馬鹿にされた。だからなんだ、なんだって言うんだ。この国に来たのはそんなことで折れるような、生半可な覚悟だったのか。
あの王がこの国の民の命を背負っているように。わたしの肩には両国の和平がある。
戦乱が手ぐすね引いて待っている。
俯くな! まだわたしは何も為していない。
退くな! 一歩も踏み出してないのに。
尽くしてくれる侍女がいる。病床で無事を祈ってくれる姫様がいる。わたしに任せてくれた。わたしを信じてくれた。正直、自分にはそんな力あると思えない。だからって投げ出して、言い訳ばかりしているのか。
王が出した課題。その解は持っていない。だが、諦めるには早い。最後まで足掻いてやる。
「ロサとか言ったわね」
「はいですぅ」
「あなた、友達思いなのね」
「買いかぶりですぅ」
怠けている侍女のせいでドミナは過度の労働をしている。思えば、初めて見た時よりやつれたような気がする。わたしが王の歓心を買えれば、この国での地位を得ることになり、わたしを軽んじている他の侍女も働かざるを得ない。だから様子を見ていた。しかし今朝の虚脱したわたしの様子を見て望みが薄いと判断し、不興を買う覚悟で発破をかけたのだ。
「良いでしょう。あなたの思惑に乗ってあげる」
わたしは扇を握った。戦争に出たことはないけど、きっと出陣はこんな気持ちだろう。
「身支度を。終わったらわたし付きの侍女を全員呼んで頂戴」