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王妃代行、猫曜日  作者: アストロ
王妃代行、猫曜日
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戦争と夢物語

「お二人には不快な思いをさせ、失礼いたしました。ですが、意図していたわけではありません。陛下にひと目お会いしたく、ここでお待ちしておりました」


 しおらしさを前面に出し、謝罪してみせる。


「アストラム様、お邪魔致します。陛下、わたしに少しお時間をいただけませんか? 二人だけでお話させていただきたいのです」

「わかりました」

「おい」


 王の意思を無視し、アストラム様は立ち去りかけ、途中で振り返った。


「シレークス、話くらいしろよ」


 王は彼の背に「お節介な男め」とため息を一つつくと、わたしに向き直った。


「聞いていただろう。わたしはキサマと馴れ合う気はない」

「わたしはあなたを愛します」

「は?」

「わたしは、そのためにこの国に来たのです」


 王が珍しく呆気にとられているが構うものか。ユーディット様はこの国に嫁ぐ覚悟をされていたのだ。こいつがどんなに冷血でも、どんなに粗末に扱われようともこいつを愛そうと決めていたのだ。そのお気持ちを、お志を伝えずに逃げ出すわけには行かない。


「わたしたち、幸せになりましょう。わたしたちが幸せになれば、争いが亡くなり、両国が平和になる。そうしたら民たちも幸せになりますわ」


 震える足を叱咤して、記憶の中の姫様の笑顔をなぞる。あの方はここに、幸せになりにきたのだ。幸せにしに来たのだ。この男を。エ―スターとオノグルの民を。味方もいないこの地で、たった一人で。


「ね、良い考えでしょ」

「平和」


 王は、はっと嗤う。


「如何にも婦女子が好みそうな夢物語だ」


 嘲りに似た、嫌な笑みだ。


「アストラムは妃を蔑ろにするなと言った。国交が悪化し、戦争が始める。それの何が悪い。この国の兵は決してキサマらに遅れをとらんぞ」


 平民すら馬に乗り弓を射られる、この国の軍は恐ろしい。戦になればこの国は富む。先の戦、賠償金はさぞ国庫を潤したことだろう。


「戦争になれば多くの人が死ぬわ。エースターの民だけではなく、あなたの国の民も」

「女どもは皆、そう言うな。武力で解決するなんて野蛮だ、話し合いで解決できるはず。殺すなんて残虐だ、相手も人間、帰りを待つ家族がいる……とな。

わたしに言わせれば綺麗ごとだ。戦いでしか得ぬものもある。理不尽に境界を越え、平穏を脅かす者は何もかも奪う。そんな時、どうすれば良い? 耕した畑を荒らされ、育てた家畜を屠られ、蓄えた富を奪われ、築いた家を燃やされるのを指を銜えて見ているのか。国を追われ、秩序を破壊され、信仰を奪われ、誇りを踏みにじられ、おしのように黙っているのか。親を殴られ、子を脅かされ、妻が犯され、近しい人の命を気まぐれに奪われようとも首を垂れ、暴力が通り過ぎるまで小さく蹲っているのか」


 決して大きくはないが、耳に響く意思を宿した言葉の群れ。この男は戦場にいたのだと思い出した。その声は戦地でもよく響いただろう。さぞ兵の士気を鼓舞したことだろう。


「我々は立ち上がらなければならない。剣によってしか、道は開けない。

その手が汚れようと、この身から血を流そうと、どれほど犠牲を払おうとも。屍を積み重ね、自分が踏みつけた相手に牙があることを知らしめねばならない。敵の首を冒涜し、二度とこんな気を起こさないよう屈服させねばならない。

戦争は単に相手の国を打ち負かし、土地を奪うのではない。己の誇りを、自分の友人や家族を守るための手段なのだ」

「男は戦争が好きね。名誉、功績、いつか塵芥になるもののために大切な命をかけて、馬鹿みたい。あなたは自分の行いを正当化してるだけよ。被害者ぶらないで頂戴。戦争はあなたが起こそうとしている。あなたが侵略者になろうとしているんじゃない!」


 反吐が出る。一緒に育った孤児は、戦火に親を喪い夜毎に泣いていた。同僚の侍女は、亡き恋人の文を肌身離さず持っていた。

 友好的に話すつもりが、思いがけず憤怒をぶつけてしまった。睨み付けると王は何を思ったのか、地面に爪を立て、土を掴んだ。


「見よ」


 手からぱらぱらと零れ落ちる赤茶けた土は、乾いているのか吹く風に容易く飛んでいく。


「黒く湿ったそなたの国の土とは比べ物にならないだろう。水分も養分も無く、主要な穀物は育たぬ」


 この国に来る道中、馬車から見た景色を思い出した。無為な雑草が生い茂り、どこまでも草原が広がる。オノグルの国土の大半はそうなのだ。


「我らの祖先は東から来た遊牧民だ。野山を駆け、家畜を追い、自分の家族だけを養っていた頃ならそれでも良かった」


 王の目はオノグルを見渡すように遠くを見ている。牧畜が盛んだが農作物の採れない、不毛の地。


「しかし我らは各々の族長ではなく王を立て、国としての体面を整え都市を作った。近年、上下水道の整備、学問と医術の向上で出生率は上がり、人口は飛躍的の増加し、都市部へ流入した。この国の食料生産量ではとても賄いきれぬ。他国から輸入しようにも主な産業の無い我が国は、外貨を獲得できぬ。

わたしはこの国の民を食わせねばならぬ。生かさねばならぬ。そのためには手段を選ばぬ。わたしは侵略者にも悪魔にもなろう」


 身体が芯から冷えるのは、この地の風のせいだけではない。


「戦争は人が死ぬ。しかし同じだけの人間がこの国で毎日、飢えて死んでおる。剣を持てる者は幸運だ。自らの墓場を選べるのだから。弱きものは自分の死すら選べぬ」


 ふと、育った孤児院を思い出した。十一人の子供がいるのに、十個のリンゴしかもらえない。子供たちは林檎を奪い合い、弱い子供は折角のご馳走にありつけない。王は、力のある者を『戦争』と言う形で消費しようとしている。そしてそれは、上手くすればさらなる利益を生み、次は十一個の林檎を得られるかもしれない。

 わたしはその、情けを排除した凄まじいまでの正しさに眩暈がした。


「それでも……それでも、血を流すよりマシよ。憎しみは連鎖し、終わりが無い」


 どんなに正しくとも、認めるわけにはいかない。戦争は相手がいるのだ。そして今回その相手は、わたしの育った国の、大切な人たちだ。


「ではわたしの民に飢え死にしろと言うのか? それとも、生まれたばかりの赤子の呼気を塞ぎ、年老いた父母を草原に捨て、育てた子を人買いに売り、食い扶持を減らせと言うのか」


 王の、声が、感情が、堰を切ったように爆発する。


「他に手立てがあると言え!」


 声質は恫喝に近かった。でもわたしは懇願のようだと思った。

 わたしは答えなければ、と思った。答えたい、と願った。この王は、本当は戦争などしたくないのかもしれない。自国の民を誰一人死なせたくないのかもしれない。

 彼は求めていた。その解を、彼は心底求めていた。だが、開けた口からは喉がひりついたように音が出ない。

 王の目に失望は無い。わかりきったことを眺めているだけだ。この国に来て日が浅いわたし如きが見つけられるなら、誰よりこの国を憂う王がとっくに解を見つけていただろう。

 王は踵を返し、無言で去っていく。わたしは引き留める言葉を持たなかった。






――彼は徹底した現実主義者よ


 姫様の言葉を思い出した。彼女は真逆の理想家だ。皆が鼻で笑う幻想を現実にするために尽力している。母国の煌びやかな宮殿では、貧困や飢餓はどこか遠く、童話のように現実味のないものだった。


 彼の言葉は刃のようだ。『全ての人が幸せになる』なんて幻想を叩き壊し、借り物の主張を砕いた。その刃は鋭く冷たく、逸らしようの無い目と鼻の先にこの国が抱える課題を突きつけた。それは彼が現実に近しいからだ。不毛なこの地に足をつけているからだ。飢える人を、家族を間引く人を見ているからだ。夢を見る余裕すら無い悲しい事実の中で、戦争と言う究極の手段しかなかったのだ。


「マーオ!」

「あら、ごめんなさい」


 あまりに無心で肉球を触りまくっていた。つれない夫の代わりに一週間ぶりに訪ねて来てくれた黒猫は、不機嫌そうに寝そべっている。


「あなた、随分薄情ね。冷酷無情な夫よりはずっと愛想がよいけど」


 そうは言っても、この国の王に邪険にされているわたしのもとに夜這いに来てくれる奇特な客である。


「わたしはあなたが居てくれるだけで嬉しいんだけど」


 機嫌をとるための弁だが、殆ど本音だ。ふわふわの毛皮とぷにぷにの肉球に触っているだけで八方ふさがりの状況をしばし忘れて。癒される、と言うのだろうか。


「陛下はそうじゃないみたい」


 現実逃避することも自身に許さない彼は、美しいだけのお飾りの王妃なんか要らないのだ。そんなものより、よっぽど金の卵を産むガチョウを妻に迎えたかっただろう。愛なんて形の無いものじゃなくて、目に見える利益を求めている。

 黒いお腹にぐりぐり頭を押し付ける。猫はまた迷惑そうに鳴いた。


「あれ?」


 顔を放した時に尻尾の付け根に黒い二つのボールがあるのが目に入った。


「あなた雄だったのね」


 触ろうとしたら、尻尾で叩かれた。肩を竦める。


「悪かったわよ。確かに幾ら畜生とは言え、雄の象徴を触るなんて淑女として褒められた行いではないわ。姫様なら死んでもしないでしょうね」


 ああ、ユーディット様。この場にいるのがあなたなら良かったのに。才女と名高い姫様なら良い方策を見つけたかもしれない。







 その夜、夢を見た。昼間見た王が、歯を食いしばって一歩一歩足を踏み出している。彼は、この国の民を背負っていた。

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