王の拒絶
目が覚めたら一人だった。猫は夜の間に出て行ったらしい。控えめなノックの音がする。
「お目覚めですか? 御支度に伺いました」
「ありがとう。入って」
「失礼いたします」
落ち着いた声とともに入室してきたのは二人の侍女。一人は野暮ったい眼鏡に、この国では有り触れた黒髪を一筋まできっちり結い上げた、侍女と言うより家庭教師のような隙の無い印象を受ける。ただ、背筋がぴんと伸び、お辞儀したりカートを押したり、垣間見える所作は美しい。
その影から滑るように入って来たもう一人の侍女は、全く対極の印象を受ける。明るいふわふわした茶髪に、可愛らしい顔立ち。元の素材が悪いわけではないが、それ以上に髪型で、化粧で、衣服で、自分を魅力的に見せる術を知っている感じだ。
濡れた手巾で顔を拭い、衣服を選び、化粧の下地を塗り……わたしはずっと椅子にかけていた。今までしてもらう立場ではなくする立場だったために落ち着かないが、当然と言う顔を張り付けぐっと堪えた。
「昨日は長旅に祝賀会にお疲れでしょう。疲労回復の効果があるハーブティーをお持ちしました。お待ちの間、如何でしょうか」
「ありがとう、いただくわ」
彼女の気遣いに頬を緩める。すると、髪を結っていた侍女が声をかけた。
「昨夜はよく眠れたみたいで何よりですぅ」
眉間に皺が寄るのを止められなかった。昨夜は初夜、本来なら事を致す場であって、よく寝るための場ではない。わざわざ何事も無かったことを指摘するなんて、良い根性してる。
「ええ」
わたしは努めて何気なく流す。わたしの名誉は姫様の名誉、狭量だなんて思われたくない。
「寝不足はお肌の大敵ですからねぇ」
もう一人の侍女が視線で咎めているのに気付いた様子もなく能天気に言葉を紡ぐ。嫌味なのか天然なのか、いまいち断定しづらい。それにしても癇に障る喋り方だ。
ただ、結われた髪は花飾りが散らされ、うなじも美しく、どこか遊び心があり、エースターで流行に目が肥えているわたしをも唸らせる、なかなかの腕だった。そんなこんなで身支度を終え食堂の席につけば、朝食は一人分しか用意してない。
「陛下は?」
「朝早くから視察に出ております」
「……そう」
ま、昨夜の無愛想さを思えば予想はできたことだ。逆に「良い朝だね、妃よ!」と抱擁されたら、こいつ変なもの食ったに違いない、と恐気立ったことだろう。
「今日は何かすることはある?」
「僭越ながら王妃殿下、結婚式に来られたお客様にお礼状を書かれてはいかがでしょう」
息を呑む。完全に忘れていた。招待客に礼を尽くすのは女主人の役割だ。この侍女に指摘されなければ、危うく礼と恥をかくところだった。
「とても良い考えね。そうさせていただくわ」
この侍女、なかなか有能だった。文言をそれとなく整えてくれたり、ここの家族構成はこうで、好きなものはこうで、と情報をくれたりして、自分で言うのも何だが悪くない文書をかけたような気がする。
おかげで、この日は恙なく過ぎていった。
次の日、陛下の予定を尋ねると会議、その次の日は監査、そのまた次の日は部屋を訪ねたが不在。一国の王、いくら忙しいとは言っても、朝から晩まで妻に全く顔を合わせる暇もない程ではないだろう。明らかに避けられている。
三日のうちに全ての客に礼状も書き終え、やることも無くなったので、積極的に動き回ることにした。宮殿内に頭の中で地図を描きつつ、陛下が出没しそうな場所で待機し、目撃情報があれば西に東に駆け回り、努力はしたつもりだたが、同じ宮殿内にいると言うのに、徹底的に会わない。「この宮殿、幽霊が出るそうですよぅ」なんて件の侍女は噂していたが、幽霊に遭遇する方がまだ容易な気がする。
陛下の側近にも情報提供を求めたが、最初の内は「あの、大変申し上げ難いのですが、ご気分が優れぬようで」と言葉を濁していた彼らも、あまりしつこく食い下がったのか、数日後にはもう包み隠しもせず、「お会いしたくないようです」と宣った。
だからと言って、引き下がるわけには行かない。わたしの肩には両国の平和がかかっているのだ。
嫁いでから一週間後、わたしは東の中庭を散策していた。オノグルの広い空はどこまでも青かったが、景色を楽しむためではない。次の会議へ移動する際に、近道なのでここを突っ切ると情報を掴んだのだ。しかし、エースターの色の溢れる庭園と比べると、何とも貧弱だ。全体的に発育が悪いのか、背も低くところどころに赤っぽい土が剥き出しになっており、花より実をつけたものが多く鑑賞に値しない。庭と言うより畑みたいだ。
足音がした。話し声も聞こえる。音はだんだんと近づいて行く。
「おい待て、シレークス」
覚えのある声だ。しかも妻であるわたしも遠慮している王の名を気安く呼んでいる。
「どういうつもりだ」
木陰から姿を現したのは、あの夜会で会ったアストラムとか言う実直な青年だ。王に対して蓮っ葉な口のききようだ。それが許される間柄なのは本当らしい。
「何がだ」
王は口を開いた。話す声を初めて近くで聞いた気がする。淡々としているが深みがあり、不思議と響く。
「ユーディット殿下のことだよ! 妻になった女性に酷い態度をとってると思わないのか!?」
なんと、わたしのことで王に忠言しているのか。第一印象の通り良い人であるらしい。
「必要な部屋に家具、衣服も整えた。毎度の食事も出しているし、侍女も充分つけている。不自由なかろう。何が問題だ?」
「お前、『妻』って言うのは珍獣じゃないんだぞ! 餌をやって檻に放り込んでおけば済むと思ってんのか。結婚って言うのは愛と信頼で結ばれるものだ。理由をつけて会わないようにしているのはどう言う了見だ!」
おおいいぞ、もっと言ってやれ。
「独身のキサマの幻想を壊すようで悪いが、政略結婚では珍しくもあるまい。顔を合わせることで関係が悪化する場合もあろう。そもそも要らぬと言ったものを向こうがごり押して来たのだ」
聞いてて腹が立った。あんなに素敵な姫様を要らぬなんて言うとは、何様だ。王様か。
「悪化するかは会ってみないとわからないだろ。食わず嫌いの子供じゃないんだから、少しは歩み寄る努力をしろ」
「そう思うならお前が慰めてやれば良い」
「何言ってるんだ、それは夫であるお前の役目だろ?」
「必要ない」
するりと脇を抜ける背をアストラム様の無骨な手が掴む。
「待てよ、まだ話は終わっていない!」
「わたしには無い」
「お前は一国の王。お前の態度は国の対応。下手をすればまた戦乱になるぞ」
青年はすっと目を眇めた。柔和な面影は、剣呑なそれに取って代わられる。
「或いは、それが狙いか」
「……」
「お前の考えはよくわかった。だが、呪いはどうなる」
「別にあの女が相手でなくても良かろう。元より一生代償を払う覚悟をしていた」
「それは……」
彼らの言葉を不自然に途切れさせたのは、わたしの存在だ。この場にいるのにようやく気付いたように王に続いてアストラム様も顔を向ける。何か重要なことを言いかけていた気がしたが、バレてしまったものは仕方がない。沈黙の中、視線を浴びるわたしは淑女の礼をとった。
「盗み聞きとは、エースターの姫君は典雅な趣味がおありだな」
王との初めての会話が嫌味とは、先が思いやられる。