回りだした歯車
ファーベル工房がエースター人向けの靴を作り始めた。商品が出来たからと言って商品が売れるわけではない。商品を運搬する流通経路の確保、販売する小売り店の確保、税金、通行手形といったその他諸々の手続き。今日はオノグルにいる商人たちに意見を聞くつもりだ。
「お妃様が時間より早かったので、準備が間に合いません。ちょっとこちらの部屋で休んでいただけますか?」
応接するための部屋に行こうとするとロサが行く手を塞いだ。
「構わないけど。別に部屋を用意してくれなくても、隅で邪魔にならないように待ってるわよ」
「いいから早く」
押し込められた部屋には、最近よくかぐ油の匂いがした。そこには。
「何してんの!?」
陛下が自分の靴を磨いていた。
「靴を磨いておる」
「いや、見ればわかるけど、わかるんだけど、そう言うことじゃなくて、違う、そもそもこんなところで」
わたし、混乱している。
「うむ。見つかったら色々言われるのでな。空き部屋で磨いていた」
「そりゃ言うわよ。一国の王に靴磨かせる家来がどこにいるのよ」
「普段は無論侍従たちにやらせるが、暇なときは自分で手入れしておる」
革はたちまち艶を取り戻していく。クリームの量も多すぎず少なすぎず。手つきも悪くない。
「どこでそんなこと覚えたの? じゃなかった、どちらで覚えられたのですか?」
「軍では自分のことは自分でしなければならぬ。わたしの部隊にいた男が手入れの仕方を教えてくれた」
呆れてしまう。当時は王子と言えど、王族に靴の磨き方を教えるなんて豪胆な男がいたものだ。
「靴職人の次男坊でな。大人しいが靴のことになると熱く語る男であった。定期的にクリームで栄養を与えろと、過酷な状況だからこそ清潔に保つことで良い印象を与えるのだと、靴は生き物だったのだからきちんと手入れをすれば長く持つのだと、口酸っぱく言われた」
磨き終えた靴を角度を変えて眺め、満足したのか軽く頷く。
「血を見るのが苦手で、戦場には不向きな温厚な性質だった。……何とか無事に親元に返してやりたかった」
油まみれの手を拭い、道具を片付け、瓶に蓋をする。
「足がそこそこ早かったので、色々言い訳を並べ、安全な後方で伝令役をさせた。しかし、運が悪く流れ矢に当たった」
王は磨いたばかりの靴でわたしの前に立つ。
「靴は他国に売るに値するとは以前から考えていた。価格が安く品質が優れている。しかし、子を失った彼の心を思うと、なかなか踏み切れなかった」
その時、気づいた。王がここにいたのは、たまたまではない。わたしと気軽に顔を合わせるのを立場が許さぬ王が、偶然を装ってわたしを待っていたんだと。
ドアに手をかけ、王は優しい顔で笑った。
「キサマはわたしができなかったことを為してくれた。感謝する」




