市場調査
王の言葉はわたしの心に重しをつけたように深く沈ませた。妻と言う立場の人間より国民の方が大事なのだ。その事実を改めて突き付ける。でも落ち込んでいる暇は無い。
「ローサーちゃーん」
彼女はエントランスホールへ続く、吹き抜けの階段を降りるところだった。
「何か用ですう?」
使用人だと言うのに彼女はあからさまに顔をしかめる。まあ彼女の読み通り、面倒ごとだ。彼女がこれから城下へ買い物に行くことは調べがついている。わたしは満面の笑みを浮かべた。
「わたし、街に出かけたいなーって」
「うふふ、寝言は寝て言えですぅ。ロサわぁ、ちょー忙しいんですぅ」
仮にも王妃にこの口の利きようとは、いい度胸してる。
「何よ、雇い主の命令に逆らう気?」
「ロサの雇い主はお妃様じゃなくて王様ですぅ」
「えー、結構融通してあげてるのになー。さぼってるの目を瞑ってあげたり、あんたが同僚に悪く言われてるのフォローしてあげたり」
「ううう。
そ、も、そ、も、冷静に考えるですぅ。街中にエースターの姫が現れたら阿鼻叫喚ですよぉ。あなたのこと、良く思ってない人間も多いですぅ。追剥と強姦魔と殺人鬼が一遍に来ますよ?」
彼女の言葉が脅しでないことは身をもって知ってるけど。
「変装してけばへーき。公に出てないわたしの顔なんて知られてないんだから。あんたの私服貸してよ」
「ロサのサイズ合わないと思いますよ。特に胸のあたりとか」
余計なお世話だ。
そこへたまたま、下の階、エントランスホールに陛下が現れた。どこかへおでかけか、テスと呼ばれた従者を付き従えている。
「我が君ぃー、お妃様が街に出かけたいってほざいてますよぉー? 何とか言ってくださぁーい」
ロサは怖いもの知らずなのか、一国の王に気安く呼びかける。
「良いのでは無いかー?」
反対されるかと思ったけど、陛下はわたしたちを見上げそう返した。
「へぁ? でもお妃さまの身の安全が……」
「そなたがついていて何か起きるのかー?」
急いでいるのか、王は家来を付き従え外へ出ていく。陛下の中でロサの評価が高いのは意外だけど。わたしは王を呆然と見送る肩に手を置いた。
「じゃ、許可も出たことだし」
振りむいたロサは名状し難い顔をしていた。
街は喧騒の中にあった。
洗濯物を抱えた婦人たちが大声で旦那の悪口を言い合い、掃除夫が石畳を磨き、放し飼いされた毛の生えたブタが残飯を漁っている。全体的に鄙びた印象だ。エースターに比べて建築物は貧弱だし、通行人も野暮ったい格好をしている。
「それにしてもお妃様の格好、違和感無いですね。高貴さが破片も見当たらない」
自分の私服を着たわたしをロサがまじまじと見つめる。お洒落に気を使ってるだけあってセンスはまあまあだし、清潔だ。正直、お姫様の格好よりこっちの方がしっくりくる。襟の高い服なので胸のあたりは遺憾ながら詰め物をしているが。
「わたしにかかれば高貴さなんて自由自在よ」
「貶したつもりだったんですけど」
今日の目的は市場調査。距離のある他国へ輸出するなら、足の速い食品じゃなくて衣服や雑貨が良いと考えた。
通りの脇の、布を張っただけの簡易的な屋根の出店を覗いたが、並ぶ服は型崩れしてる。他の店には毛皮や、異民族らしく円錐形の変な帽子を売っていた。
細い路地を抜けると広場があった。中央には噴水がある。水不足と言ってもそれは国土全体の話。王都の周辺にはエースターから続く大きな川が流れている。水源はそこから来ているのだろう。
「じゃ、ロサは財布君256号とお話ししてきます」
「なかなか酷いネーミングね。よくそこまで号数を重ねたものね」
「ロサは人の名前を覚えるのは苦手だけど、金蔓なら覚えられます」
最低過ぎて逆に感心してしまった。
「で、暫くお妃様を一人にしちゃうんですけど」
「行ってくれば? ここで待ってるし」
わたしは噴水の縁にかけた。細かい水滴が弾けて清々しい。慣れない他人の靴で歩き回り、足が疲れているから丁度良い。
「いいですか、大人しくしてるんですよ。くれぐれも大人しくしてるんですよ」
ロサは何度も念を押す。わたしは幼児か。
彼女は喫茶店らしき店に消えていった。一人になったわたしは街並みをぼんやり眺める。
遊牧民の国らしく、しょっちゅう馬が行きかう。ズボンみたいなものを履いた小さな女の子が平気で手綱を操作していてびっくりした。
道行く人の顔は明るい。物乞いはいないとは言わないが目立たない。豊かではないが、腹を空かせている人はいない。軒先に椅子を並べて老夫人たちがお喋りしている。その前を乳母車を押した母子が通り過ぎる。赤子の頬はふっくらとしていた。
――生まれたばかりの赤子の呼気を塞ぎ、年老いた父母を草原に捨て、育てた子を人買いに売り……
そんな悲しい風景はここには見当たらない。これが我が国の賠償金のおかげだと思うと複雑だけど。民を思いやる彼は、きっと良い王様なのだろう。
棒切れを引きずった子どもたちが広場を横切る。チャンバラごっこのつもりなのか時折打ち合いをしている。
「僕がシレークスだ!」
「陛下って言うんだよ」
子どもたちもわかっているらしく、憧れではあるようだ。
「なら僕はアストラム」
「じゃ、僕は?」
「エースターの兵士」
「えー、やーだー」
エースター兵の何が駄目だって言うのよ、と据わった目で眺めていると。
「あっ!」
わたしは驚きのあまり広場の人々を見回した。
「みんな靴を履いているわ」
それがどんな特別なことなのか。だって靴は高価なものだ。エースターで靴を履けるのは貴族や富豪といった限られた人だけ。多くは木のサンダルや麻布の靴。街中を裸足で歩く人だっていた。
でも、この国ではみんな靴を履いている。




