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王妃代行、猫曜日  作者: アストロ
王妃代行、猫曜日
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憎しみの連鎖

 壁には宗教画の代わりに子供たちが描いたヘタクソなシスターの似顔絵や、食事の時のルールが書かれた紙が貼られていた。掃除は行き届いてるとは言わないが、目に見えるところは清潔に保たれている。

 子どもたちは庭で遊んでいた。小さい子からけっこう大きい子まで数十人はいるだろうか。


「お姫様だー」


 わたしが庭に出ると、小さい女の子が駆けよってきた。着飾ったドレスが物珍しいのだろう。わたしも女の子なので憧れる気持ちはわかる。わたしはかがんで視線を合わせる。


「はじめまして、エースターから来たユーディットよ」


 その名が出たとたん、子どもたちの顔が強張る。

 頬に何か固いものがあたった。一拍置いて地面に跳ね返る。

 石だ。


「どっか行け! エースターの女め!」


 十二、三のまだ幼さの残る少年が棒きれのような腕を振りかぶっている。


「お前の国の兵が父さんを殺した! エースター人なんか死んじまえ!」


 少年を拘束しようとする護衛、わたしと少年の間に割って入ろうとする護衛を手を上げて押しとどめた。


「エースターにも孤児院があるわ。そこにはオノグルの兵に親が殺された子どもたちがたくさんいる。ここと同じように」


 この子の父親がエースターの兵に殺されたように、この子の父親もエースターの人を殺したのだろう。戦争は虚しい。憎しみが憎しみを呼ぶいつまでも終わり無いもの。


「腹が立つなら好きなだけ石をぶつけなさい。それで気が晴れるなら、気が済むまで。

その代わり、他のエースターの人たちを傷つけないと約束して」


 親しいものを殺されたから報復をする。相手はその報復をする。するとこちらはさらにその報復をする。そうして悲劇は悲劇を呼ぶ。仕返しと言うのは太古の法典にもある自然な感情だ。でもどこかで終わらせなければならない。理想論と嘲笑われても、わたしはその連鎖を止めにこの国に来たのだ。だから両手を広げて迫る。


「さあ!」


 振り上げた拳がぶるぶる震えている。

 握りしめた指には強い殺意があった。親を殺された悲しみと寂しさが瞳に現れている。食いしばった歯は絶対に許さない、許すつもりもないと恨む言葉を幾つも噛みしめる。

 もっと飛礫をぶつけられても構わなかった。ナイフで刺されても首を絞められても不思議ではなかった。しかし彼は、その指をゆっくりと解いた。


「あなたは賢い子だわ。そして、優しい子」


 彼はわかっているのだ。こんなことをしても何にもならないと。

 自分が傷つける人間にも愛すべき家族がいる。自分がした思いを相手にはさせるべきではない。

 理性ではわかっていても、抑えきれない感情で顔は泣きそうに歪む。その涙を誰にも見せないように彼を抱きしめる。その体は暖かかった。


「ごめんなさい、俺」


 ハグを解くと、少年はたちまち青ざめた。どうしたと言うのだろう。


「イグニス、傷薬を」


 シスターの声に少年はばっと室内へ駆けていく。


「これをどうぞ」


 差し出された濡れた手巾をわたしは有難く受け取り、頬にあてさせてもらった。手巾には赤い血がついた。切っているらしい。


「あなたを見くびっていた」

「え? ああ。こんなことで一々目くじら立てたりしないわ。孤児だもの、エースターの人間が恨まれてるのは当然よ」

「わかっていらしたのですか」


 さっきシスターが視察を止めようとした理由がようやくわかった。子どもがわたしを傷つけるのを、その罰を子どもが受けることを心配していたのか。


「何かあったらこの首で責任をとるつもりでした」


 シスターは厳かに告白した。彼女は子どもたちに愛情を持って接している。親の代わりに守る覚悟がある。孤児たちが虐待を受けていると言うのは取り越し苦労だったようだ。


「わたしは敵国に嫁いできたの、両国の友好の礎になりに来たの。敵意の矢面に立っても、憎悪をぶつけられても関係ないわ」

「どうやら覚悟ができていなかったのはわたしたちの方だったのですね」







 西日が翳り、いつもの晩餐が始まった。

 裂けた頬を見て侍女たちは青い顔をしたが、陛下は表情一つ変えない。護衛たちから報告を聞いているのだろう。


「今日は有意義でしたわ」


 わたしはさも平気そうに笑って見せた。実際、傷は浅いし数日で完治する。花嫁ならこんな傷は一大事だけど、元よりこの王はわたしの容姿に然程関心が無い。


「子どもたちと友好を深めることが出来ました。オノグルの孤児の状況を知ることが出来ましたし。今後も継続的に支援していきたいと思っています」

「まだ続けるつもりか」

「ええ。それと、街の東の方で未亡人たちが働いていると聞きました。次はそこを訪れようかと」

「止めろ」


 煮え湯を飲んだような低い声が出た。


「今回は子どもだったからキサマの口先で誤魔化せただけだ。視察で嫌な思いをすれば懲りるだろうと思っていたわたしが浅慮だった」


 王はこの孤児院にエースターの兵に親を殺された子どもたちが多いのを知っていたのだ。


「キサマはただの女のような心持ちでいるが、立場はエースターの王女だ。今回は不問にするが、本来なら王女を害した人間は処罰せねばなるまい」


 今のわたしは侍女ではなく一国の王女。忘れていたわけではない。でも、意識の片隅に追いやっていた。わたしへの対応はそのままエースターへの対応。相手が子どもだとか孤児だとか関係ない。本来なら問答無用で処刑される。立場とはそう言うものだ。


「敵国の名を冠するキサマはそこに居るだけで憎悪の対象になる。キサマが刺激すれば、行動する人間も出てくるだろう」


 月光色の瞳は鈍い刃のような光を宿す。そこには苦悩がある。


「わたしにわたしの国の民を傷つけさせるな」

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