誰ヵ為の聖堂
最近色々あったから、この辺で一旦整理しておこう。わたしの目的は、勿論姫様の影武者と姫様の目的『両国の平和』を達成することだけど、この国における姫様の待遇改善でもある。
そのためには、この地の特産品を開発し、母国に売りつける。王にも宣言したが、これが最も近道だろう。打算的な王のこと、エースターと友好的である方が利があるとなれば、仲良くして欲しいと縋りついてくるだろう。しかし簡単にはいかない。何しろ売るべきものがまだ見つかっていない。
そこで他の手だ。この国で姫様、つまりわたしの存在感を示す。
この国で姫様の有用性を示すのだ。居なくてはならない存在だと、国民たちに認識させる。エースターから来た姫を切り捨てることになったとしても、引き留める声、惜しむ声が部下や国民たちから上がれば王も考えを改めるかもしれない。しかし、公務には参加させてもらえない。茶会や舞踏会などのイベントを催すのも良いが、知己が無く敵だらけでは失敗が目に見えている。金を儲けようにもそもそも元手が無い。そこで、当初の計画通り、まずは王と友好関係を築く。国家最高元首と仲良くしておいて困ることは無いだろう。しかし夫婦の距離を詰める作戦は、(物理的に)足踏み状態。
夕食を終え、夜着に替えたわたしは歩く。急いで身支度を終えたおかげで空にはまだ日が残っている。その途上で回廊で見知った顔を見つけた。
「うっす、お妃様。こんなところでどうしたんすか?」
「あら。あなた確か陛下の侍従よね。フェスとか言う」
「テスっす。何っすかそのご機嫌な名前」
「丁度良かった。陛下の寝室に案内してくれないかしら?」
「寝室って。今からっすか? もうすぐ夜っすよ」
わたしはにやりとした。
「だから行くんじゃない」
侍従は警戒も顕わに目を眇めた。
「寝込みを襲うつもりっすか? 前回のボディータッチの一件で懲りたと思いますが陛下は腕も立ちますし、あんたにやられるようなタマじゃないっすよ」
「そっちの襲うじゃないわ。実は既成事実を作ろうと思って」
夫婦が寝室でやることと言えば決まっている。寝室に押しかけて、陛下に手を出されればそれはそれで良し。もし追い出されたとしても、寝室で一定時間過ごしたと城内に知れ渡れば、仲良しアピールになる。何てこと、どう転んでも仲良しアピールになるなんて。
素晴らしい考えだと自画自賛していると言うのに、テスはドン引きしている。
「女ってもっと慎みがある生き物じゃないんすか? エースターの女ってのはみんなそんなんすか?」
「そんなんとは何よ。わたしは慎みの塊でしょうが」
「慎みって何でしたっけ。俺の中で意味が絶賛迷子中っす」
付き合いきれないと言うように、彼はその場を離れようと背を向けた。
「ちょっと待ちなさいよ。教えないつもり?」
「陛下に怒られちゃいますんで。それに、どっちにしても無駄っすよ。今、寝室に陛下はいません。毎週この時間、陛下は聖堂に籠ってます」
「聖堂? 何で?」
「そりゃ酒盛りする場所でもあるまいし。聖堂はお祈りするためにあるんじゃないっすか?」
「祈祷してるってこと? 信じられないわね。あいつ、神頼みするタイプじゃないでしょ」
突っ込んでみると、侍従はあっさり認めた。
「そっすね。案外聖堂を抜け出して、羽目を外してるのかもしれませんね」
偽装工作してアリバイ作り? しかも夜に。絶対浮気しているに違いない。新婚のこんなに可愛い妻がありながらなんて野郎だ。許せん。
わたしは早速聖堂に向かった。聖堂は城の北東にある、城壁内にはあるが居住域とは独立した建物だ。
「あら猫ちゃん」
聖堂の方から赤く染まった草っぱらを踏み分け、例の黒猫が現れた。ぽてぽてと可愛らしい足取りだ。いつも暗くなった室内で見ているだけに新鮮だ。
黒猫は聖堂に向かうわたしを見ながら、何してるんだ、と言う顔で通り過ぎようとする。わたしはつれない黒猫に近寄った。黒猫は逃げるそぶりを見せたが、問答無用で腹に手を回して抱き上げる。取り敢えず耳の後ろをかいてやると黒猫は気持ちよさそうに目を閉じる。
「ユーディット様?」
錠前のかかった樫の木の戸口に立っていたのは、千人斬ったと信じられそうで信じられない体格は良いが優しそうな青年である。
「どうしてこんなところに?」
「アストラム様こそ」
「俺はシレー……じゃなかった、陛下の付き添いです」
「じゃ、陛下はもう聖堂の中に?」
小さな窓からは姿は見えない。中を覗き込むと、アストラム様は大きな背で隠すように立つ。
「で、何故こちらに?」
「陛下が聖堂にいると伺ったのです。お会いしたいので、中に入れていただいても?」
アストラム様は手にしていた鍵を慌ててポケットに隠した。
「申し訳ありません、中からも閉めてありますので」
「それじゃ外からも中からも出入りできないわ。陛下は今お一人なの?」
「ええ」
「不自由じゃないかしら。宜しければ夜食とか差し入れとかするけど」
「お気持ちは大変嬉しく思います。でも一応一国の王ですからね。安全のために出入りは制限しております」
アストラム様は護衛のために毎週近くで寝泊まりするのだと言う。なるほど。聖堂に一人でいる時に賊に襲われてはたまらない。だから中からも鍵をかけているのか。
「で、陛下はお一人で籠って何をしてらっしゃるの?」
「えっと、居眠り、じゃなかった、祈りを」
「何の?」
「我が国の、そう、我が国の繁栄を祈っております」
物凄く胡散臭い。
「シレークス……陛下に何の用ですか?」
「妻が夫に会いに来てはいけない? 日が落ちてから夫婦の時間を持ちたいと思うのは罪深いことかしら」
夜のあれこれを匂わせる言葉に、アストラム様はぎょっと後ずさる。はしたない女だと思われただろうか。さっきの侍従には明け透けに言ったが、せっかく同情してくださっているアストラム様には呆れられたくない。
「だって夫婦なのにちっとも相手してくださらないし。他に女がいるんじゃないかと心配になって」
憂い顔を作って悄然と俯いて見せる。するとアストラム様は正義漢らしく憤り、何故かわたしの腕にいる黒猫に説教を始めた。
「おい、お前結婚したんだぞ。責任ある立場になったんだぞ。わかってんのか? 奥方を不安にさせてるようでどうする!」
黒猫はぷいっと顔をそむけた。
「ふふふ、彼は猫ですよ。まるで陛下にでも仰ってるみたい」
「え!」
アストラム様は目を見開き、続いて視線を泳がせる。
「あ、ほら、こいつ、シレークスに似てるから」
「まあ! そう言えばそうね」
言われてみれば目の色も毛色も、ついでに身のこなしや素っ気なさもそっくりだ。
「大丈夫です、シレークスは少なくとも今日に限っては浮気なんかしてません」
わたしに向き直り、あまりにも真剣に言う。
「そうね。アストラム様が見張ってくださるなら安心だわ」
なんだかほっとして気持ちが軽くなった。改めて陛下が籠っていると言う建物を見つめる。
「立派な聖堂ね」
一昔前の、アーチ形の柱に石造りの厚い壁、小さな窓の聖堂だが、三角柱の屋根に所々にある尖塔には十字架が掲げられている。
「蛮族には教会がないと思ってましたか?」
アストラム様は苦笑いをする。
「我々は所詮異民族です。生血を吸う、野蛮な民族と周辺国に蔑まれているのは知っています。
それでも我々はこの地を故郷と定め、この地に根差すことに決めました。我々が文明人だと、交渉に足る相手だと認めてもらうには、あなた方の宗教を受け入れるしかなかった」
異民族の彼らは進んで教会を作った。今ではエースターより信仰熱心なくらいだ。そうして宗教を受け入れることでようやく周辺国に仲間入りをしたのだ。
「それだと嫌々受け入れたみたいだわ」
「少なくともわたしは敬虔な信者のつもりです」
確かにわたしを貴婦人扱いしてくれ、騎士のお手本のようだ。
アストラム様は夕闇に浮かぶ十字架の影を見上げる。
「けれど時々思います。我々の祖先は何を神と崇めていたのだろう、何を信じていたのだろう、と」