価値のあるもの
この国の空はいつも突き抜けるような晴天だ。周囲が平原のせいか、際が白く、天はより青い。その空の下、開かれたお茶会には常とは違うお客様がきていた。
「こちらが特産の織物になります」
この国について教えてくれると約束してくれたスリズィエが、自領で作っているものを持ってきてくれたのだ。受け取った反物は材質も肌触りが悪く、目も荒い。これでもわたしは流行の最先端、エースターの王宮で姫様付きの侍女をしていたのだ。物を見る目は肥えている。
「姫様、お顔が」
知らず渋い顔になっていたらしい。ドミナの指摘に慌てて笑顔を作る。しかし、一部始終を見ていたのであろう、夫人は苦笑いをしていた。謝罪を口にすると。
「いいんです。材料も技術もお妃様の母国には遠く及ばないでしょう」
当然だが、この品質ではエースターに輸出なんてできない。
わたしはかける言葉を探したが、何を言っても気分を害しそうで結局口を閉ざす。わたしの嫁入り道具は全てエースターで作られたもの、今着ているドレスもだ。とてもじゃないけど、高貴な人間が着る品質ではないのだ。
「原材料はどうしよもないけど技術的なことはどうにかなるんじゃないかしら」
「仰る通りです。しかし、職業教育は各ギルドが独占しています。別の、しかも他国の人間に今まで綿々と培ってきた技術を教えることはあり得ませんわ」
紬糸には紬糸の、反物には反物のギルドがある。品質や規格がギルドで保持されているかわりに、親方から弟子へしか受け継がれない。それ以前に技術というのはお金になる。だから技術の流出にはどこの国も敏感だ。
「うーん、エースターのギルドを買収するか、構成員を引き抜くか……」
「それに拘るの、止めた方が良いんじゃないですかぁ?」
あくどい思考に陥りそうなのを、ロサが遮った。主人の許可を得ずに侍女が話し出すなんて、と非難の視線を向けると、何を勘違いしたのかさらに続ける。
「だってぇ、例えオノグルが猿真似に成功したとしたって、エースターのものを絶対買うに決まってるじゃないですか。今までの信頼とかもあるしィ」
「失礼ですが、わたしも口を挟ませていただいても?」
ドミナも控えめに割り込む。
「我々の言葉で、『逃げるは恥だが役に立つ』と言う諺があります。転じて、不得意分野に固執せず、自分の得意分野で勝負しろと言う意味です。毛織物はエースターの特産品で、オノグルも貴国から輸入しています。ロサのいう通り、相手の得意なものでは勝負にならないと思います。エースターの不得意なもの、或いはもっと別の、今までに無いものを探すべきじゃないでしょうか」
そうだ。自国にあるものなんてわざわざ他国から買わない。関税だって余計にかかる。売れるのは、エースターが必要とするものだ。
「悔しいけど、あなたの侍女たちの言うとおりね」
黙って聞いていたスリズィエは嘆息した。
「知り合いに声をかけて、別のものを探して来ましょう」
エースターの不得意なもので勝負する。これは問題を解決する糸口だ。だが、エースターは大陸の要所。ありとあらゆるものが手に入る豊かな国。自国で生産できないものは、既に他国から得ている。そこに割って入るとなると、厳しい戦いとなるだろう。その点、今までにないものには競争相手がいない。となると、エースターや周辺国に無くて、この国だけにあるものが理想だ。でも今までにないものって、何だろう。全く思いつかないし、見えてこない。
拳を握る。まずはこの国のことを知らないと。もっともっと。
鬱々とした気分を抱えながら、中庭から自室への向かう途中。
「あれ? ユーディット殿下? お久しぶりです」
「ああ、お久しぶりです……」
ぼんやりしていたので挨拶が遅れた。反射的に定型文を口にしながら相手の顔を見て。
「ア、ストラム様?」
戸惑ったわたしを誰が責められよう。だってそこには、鋤を担ぎ、麦わら帽子に着古したシャツを着た、農夫姿の大臣がいたのだから。
「どうされたんですか、こんなところで」
「えっと、さっきまでお茶会を」
「ああ、良い天気ですもんね。外でやるのも乙ですね」
「あなたは、その、何を」
「俺は時間が空いたので温室の土を耕しに」
そりゃ、その姿でこれから御前会議ですとか言われてもびっくりだ。いや、そういうことじゃなくって。
「何故あなたが土を耕すのかしら?」
「農業大臣ですので」
自明の理のように語るのでなるほど、と納得しかけたがやっぱりおかしい。振り返るとドミナもロサも当然と言う顔で澄ましている。戸惑っているのはわたしだけのようだ。
「アストラム様の温室は、外国からも取り寄せたたくさんの植物があるんですよ」
「丁度良いんじゃないですかぁ。さっきからなんか難しい顔してるし、気分転換に見せてもらいましょうよ」
「エースターの姫君が見て面白いものは無いと思いますが……。一先ず、ドレスだと引っ掛かったり汚れたりするので、動きやすい格好で来てください」
こうして、あれよあれよという間に見学が決まった。
「何かしら、この黄色や赤の実は。あら、なんだかすべすべしてるわ」
一刻の後、一旦自室に戻って着替えたわたしは、慣れないズボン姿で温室の中を歩き回っていた。
「海の向こうの香辛料です。乾燥させて保存もできます。とても辛いので、交配させて普段の料理でも使えないか研究中です。元の種は赤いものだったのですが、副産物で黄色いものができました」
そんなわたしを横目に見ながら土を耕している農業大臣様の鋤捌きは堂に入っている。普段から暇があれば宮殿中の植物の世話をしているらしい。勿論一人で全部管理しているわけではなく、部下や庭師の力を借りているそうだけど。
「これは? ホオズキ、では無いわね」
艶々の真っ赤な実は似ているけど、袋もかぶってないし、林檎くらい大きい。
「どうぞ、食べてみてください。真っ赤なものが食べごろですよ」
「こ、このまま食べられるの? 火を通したり、ジャムにしなくても良いの?」
野菜を生で食べるなんてありえないし、何より葉っぱが毒草のベラドンナに似ていて怖い。
「ジャムか、良いアイデアですね、検討してみます。ですがそれはそのまま食べるのが一番美味しいですよ」
アストラム様を信用して、おっかなびっくり齧り付く。柔らかい皮が弾けて、中から汁がじゅわっと飛び出す。
「酸っぱい! でも、ほのかに甘い」
「不思議なことに、その植物は水をたっぷり与えるより、余り与えない方が甘くなるんですよ。育てるのに殆ど手間もいりません」
ロサは気に入ったらしく、「これいけるですぅ」とか言いながら次から次へと口に運んでいる。さすがに見かねたのか、食いしん坊なその手をドミナがぴしゃりとはたいた。
「温室と聞いたからもっと違うものを想像してたけど、何ていうか、想像以上に……」
「地味、ですか?」
すっぱり言い当てられて言葉に詰まった。でも、そうだ。自国の温室と言えば華やかな色彩の花々。色のついているものが実だけとは、物足りない。
「これらは観賞用ではありません。どちらかと言うと実験のために栽培しています」
納得だ。言われてみればどこか無機質な感じがする。
「でもそんなこと、あなた自らやらなくても……」
「所詮俺は、シレークスの乳兄弟だから役職に就けられた、お飾りの大臣ですから」
「あれだけの功績残しといて謙遜が過ぎますぅ」
ロサはぼそりと呟き、隣でドミナがうんうん頷いている。どっちが正しいのだろう。
「部下がちゃんとしてますので、俺は自由にさせてもらってます。難しい話はわからないし、書類を見ても眠くなるだけです。体を動かしていた方が性に合ってます」
アストラム様は手を止め、温室の植物たちを指し示す。
「ここでは船乗りたちに声をかけ、新大陸や世界中から集めた植物を育てています。ご存知の通り、オノグルは雨の少ない、瘦せた土地。そんな土地でも根付く作物が、世界のどこかにあるかもしれない。
例えば先ほどの黄色と赤の作物。オノグルは内陸の国だから船で香辛料を得ることができません。ですが、それを自国で栽培することができたら?」
この地の広大な草原では放牧が盛んだ。売るほど肉はある。しかし輸送には時間がかかり、肉は放置しておけば腐るもの。今までは塩漬けにして売る他無かったが、香辛料が容易に手に入るようになったら?
「この温室は宝の山なのね」
ただの面白みのない地味な植物たちが、急に価値あるものとしてわたしの目に映る。その言葉を聞いて嬉しそうにほほ笑むアストラム様は、これから植えるという種を見せてくれた。
「現地民が栽培していた雑穀です。高地で発見されたそうで、とても乾燥に強いんです。スープにいれたり、小麦に混ぜて使えます。
わかりますか? オノグルの人々の腹を満たせる穀物が、このオノグルで栽培できるんです。ここだけの話、今年から東部の方で大規模な土地を開墾し、試験的に栽培する予定です」
「素晴らしいわ! きっと陛下がお知りになれば喜ぶに違いないわ!」
――他に手立てがあると言え!
あの、心が痛くなるような叫びは、今も耳の奥に残っている。
この国の人々が飢えない手段が今、目の前にある。それを知れば彼も究極の手段をとらないはず。しかし、アストラム様は目を丸くした。
「ここに世界中の植物を集めさせたのは、シレークスですよ?」
彼の王宮に、こんな温室があれば、そこで何をしているか、彼が知っているに決まっているではないか。
誰よりこの国のことを考え、憂う王。真にこの国のことを知りたいと願うなら。
「ねえ、アストラム様。陛下は今、どちらにいらっしゃるの?」
「え? ああ、シレークスなら……」
彼と話をしなければならない。