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王妃代行、猫曜日  作者: アストロ
王妃代行、猫曜日
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プロローグ 黒猫のような男

お蔵出しです。


書籍になっている話とはだいぶ異なりますが、(まず主人公の性別が違う)元はこう言う話だったんだなー程度に見ていただければ幸いです。

 黒猫のような男だと思った。

 その男に初めて会った時、その美しさに圧倒された。夜の化身のような容姿は言うに及ばず、身のこなしに品があり、無駄がない。均整の取れた身体はしなやかなのにどことなく筋肉質で、武人と聞いていたのも納得だった。先の戦ではまだ十代で参加し、戦功を上げたという。きっと豹や虎に例えられる機会もあっただろう。


 でもわたしは猫だと思った。あの優雅なようでいて、獲物を狩る時は実に獰猛な小さな狩人に。人に飼われても犬のように馴らされるのを良しとしない孤高の獣に。

 結婚を祝うこの夜会だって、ちょっと目をはなせばふらりといなくなり、どこの誰かもわからない夫人と歓談し、淑女たちと踊っている。その気まぐれさは一国の王としてどうだろう。


 少なくとも結婚したばかりの新婦を置きざりにしてすべきことではない。


 不幸な新婦ことわたし、ユーディット=ツェツィーリア=フォン=エースターは扇を握り締める。

 庶民の中には愛によって結ばれる夫婦もある。しかしこの婚姻は、他の特権階級の多くがそうであるように政略結婚だ。母国エースターが大敗した六年前の戦争、その講和条約にて、表向き平和の礎として、このオノグル国にとっては戦利品として嫁いできた。


 だというのに、新郎であるシレークスはこちらを頑なに見ようともしない。最初のうちは何を粗相をしたかと気落ちしもしたが、どうも気に入らないのは〝わたし〟ではないようだ。


「気分を害されていませんか?」


 先ほどからかけられる様子伺いとも、冷やかしとも違う、心から気遣うような声。目をむければ、礼服が窮屈そうな肩幅の、どこか優しげな顔立ちの男がいた。


「すいません、普段はもう少し愛想があるやつなんですが」


 その弁解には無理があったけど、国家元首に対する親しい物言いに気を惹かれた。


「あなたは?」

「失礼しました、名乗りもせず。その、女性と話すのに慣れてなくて。……ウィルトス家のアストラムです」


 大きな体に似合わず、もごもごと口ごもる。わたしはドレスの裾を掴み淑女の礼で返した。


「初めましてウィルトス様、エースターの王女ユーディットですわ。ご存じでしょうけど」


 彼は手を差し出した。音も出さず口を動かしていたので握手かダンスの誘いかわからないが。


「あら?」


 その手は大きくて骨ばっていた。爪に黒いものが挟まり、掌に肉刺ができている。


「土いじりでもしてらっしゃるの?」

「……っ!」


 図星をさされたのか慌ててひっこめた。


「すいません。見苦しいものをお見せしました」

「何故?」


 彼の手をとり、まじまじと見つめる。


「素敵な手。働き者の手だわ」


 労働を知らない貴族の手ではなかった。触ってみると熱くて固い。比較的柔らかいはずの掌にも肉刺ができている。実直な彼の人柄が現れているような、そんな手だった。


「わたし、この国には不案内だから、気に障ったらごめんなさい。あなた、陛下と親しいの? それなりの家柄ではなくて?」

「俺……わたしは西方の小貴族です。ただ、シレークスとは乳兄弟で」


 女に手を握られ、声が上ずっている。女が苦手という言葉に嘘はないだろう。


「そんな方がどうしてご自分で園芸をしていらっしゃるの?」

「農業大臣ですので」


 短く返したが、それは彼自身が労働することへの回答とはならない。わが国の農業大臣はエースターで一番肥沃な土地を持つ、太鼓腹の侯爵なのだから。

 女の笑い声が聞こえた。


「全く、花嫁をほったらかしにして何してるんだ」


 すぐ近くで若い女と談笑しているオノグルの王に、大臣の眉間が険しくなる。


「ちょっと殴ってきます」

「え? お待ちになって」


 肩を怒らせ去ろうとする裾を握り引き留めた。彼は不思議そうな顔で振り返る。


「ふふっ」


 何故だか笑いが込み上げてきた。彼はそんなわたしの笑顔をぽかんと見ていたが。


「初めて笑顔を拝見しましたが……き、綺麗、です、ね」


 ついに耳まで真っ赤にして俯いてしまった。母国の貴公子なら美辞麗句を駆使して褒めたたえるところだが、きっと純情な彼は思いつきもしないだろう。

 その様を見て余計に笑えた。だってこんなに女に弱い人が、兄殺しで自他国に恐れられている王を殴られるなんておかしい。笑った分だけ王に顧みられない自身への憤りも解け、冷静になれた。


「お気になさらないで。きっとわたしが悪いの」


 異国から嫁いできた娘のために王に憤り、お世辞すらまともに言えない。素朴な人。これが演技なら相当な曲者だ。謀略渦巻く政には凡そ向かない、そんな人間を大臣に取り立て、傍に置く王の気持ちが少しわかるような気がする。


「わたしが何か気に障ることをしてしまったのですわ。でも大丈夫。きっといつかわたしの心が通じる日が来ます」


 だからわたしは健気に振る舞うことにした。この男を味方につけておいてきっと損はない。この優しい男に打算を巡らせることには抵抗があったけど、王に近づくには手段を選んでいられない。母国エースターのために。

 何より、あの方の夢のために。


「お願いがあります」


 王の乳兄弟の眼差しがわたしを射貫いた。小賢しい謀を打ち砕く、真摯さで。


「あいつを愛して下さいませんか」


 何故彼がそんなことを頼むかわからなかった。けれどわたしの、『ユーディット姫』の答えは決まっている。


「もちろん、そのつもりでこの国に来ました」



           ‡   ‡   ‡



 月の綺麗な晩だった。わたしは寝台を抜け出し、テラスに続く戸を開け放った。初夜だというのに夫の訪れはない。

 わかっていたことだ。婚礼の場でのあの、あからさまな態度。夏だと言うのに寒冷な風が、侍女が着せてくれた白い寝巻のレースの裾をはためかせる。侍女たちの準備も『期待はしてないけど念のため』というおざなりなものだ。


 わたしにとって都合の良いが……ため息をつく。こんなことでやっていけるのか。少なくともあの方が来るまでには関係を改善しておかなければならない。


 小さな物音がした。


「誰? 人を呼ぶわよ」


 呼んだって誰も来ないのでは? 頭の中の冷静な部分が呟く。だって、ここは宮殿の一番奥、最も多くの警備の目を掻い潜らなければいけない場所。そんなところに不審者がいるなんて、この宮殿の主が手引きしたとしか考えられない。


 咄嗟に武器になりそうなものを探したが生憎花瓶くらいしかなく、仕方なしに手に取る。暗殺者相手に花瓶を構えた間抜けな格好のまま、闇に眼を凝らし待つこと数分。物音の主が遂に姿を現した。


「まあ、猫?」


 木々の陰から現れたのは闇に溶ける毛皮。月光を反射した目だけが爛々と光っている。ほっとして止めていた息を吐いた。


「風邪をひくわよ。こっちにいらっしゃいな」


 この国の夜風は寒い。室内へ続く扉を開け、そう誘ってみた。意外なことに黒猫はするりと入ってきた。ソファーを勧めるとそちらでまるくなり、じっとわたしを眺めている。人の言葉がわかるみたいだ。わたしはなんだか嬉しくなる。


「ようこそ、小さなお客さん。ゆっくりしていって。どうせあの男は来ないんだから」


 あんないけ好かない男より、こっちの方が何百倍もマシだ。わたしは近くに座り手を出してみる。


「どこから来たの?」


 もちろん猫は答えない。ただ黙って撫でられている。


「人に慣れているのね。でも首輪がないわ。野良猫かしら」


 飼われていないなら、王宮の誰かに餌をもらって生き延びているのかもしれない。毛並みも良いし。


「黒猫はエースターでは縁起が悪いのよね。魔女の使いってことで。同じ神を奉じているのだから、この国でもそうかしら?」


 オノグル人は元は東方から来た遊牧民で、習慣や風俗も随分違う。母国では蛮族と嘲る声も聞いた。当然奉じる神も違ったが、何百年か前の王が改宗したのだ。

 黒猫は当然のように部屋に居座っている。まるで元からの招待客のように太々しい。この国に居座り、これから女主人になる、まるで自分のよう。忌み嫌われる黒猫と、敵国から嫁いできた自分。しかも……。


「あなたわたしと一緒ね。この宮殿には場違い」


 内緒話をするように顔を寄せる。


「ねえ聞いて猫ちゃん。わたし、実はユーディット姫じゃないの」


 黒猫は目を瞬いた気がした。


「本当はユーリアって言うの。ユーディット姫の侍女で、その前はただの孤児。姫様に似ているからこの国に使わされた影武者よ」


 何故この猫に打ち明けてしまったのかわからない。誰かが聞き耳を立てているかもしれない敵の腹おうじょうの中で。きっとわたしは敵国に一人取り残され、予想上に心細かったのだろう。誰か秘密を共有できる仲間が欲しかったのかもしれない。


「本物のユーディット様は今、エースターで病に臥せっているわ。この結婚はあの方の願いでもあるの」

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