96回目 2019/6/19
最近はネタになりそうな話題を見つければ、スマホのメモ帳に書き留めるようにしています。
小説において、面白さに直結する重要な位置に『登場人物』がある。
どれだけ秀逸な描写をしていても、どれだけ緻密な世界観を構築していても、『登場人物』に魅力がなければそれだけで小説の面白さは半減以下になるだろう。
それくらい、『登場人物』の小説における役割は重い。
特に小説の看板である主人公やヒロインだと、すべての作者は大なり小なり意識するはずだろう……読者様に好かれるキャラにしたい、と。
それはそうだ。プロもアマチュアも問わず、自分が作った作品やメインキャラクターが嫌われてもいいと思える人は少ないだろう――ただし悪役は例外で、嫌われてなんぼかもしれないが。
なので、だいたいは自作を好きになってもらえるよう願って、キャラクター造形や描写には力を入れて『好きになってもらおう』とするものだ。
だが、自分が思う『好かれる要素』だけを組み込んでも、あまり魅力的でないキャラクターができることはままある。
むしろ思っていた反応と異なり、読者様から『好きになれない』といった声が上がることさえあるだろう。
そうなってしまう大きな要因として、『好かれるだろう要素だけ』を盛り込むリスクを意識する必要がある。
誰もが知っている事実ではあるが、人間は完璧とはほど遠い生物だ。肉体的にも精神的にも、環境適応能力に優れているとはいえ即応力はないし、完全に切り替えられるわけでもない。
そもそも『生物』は適者生存の理屈から、生息範囲の環境を生き延びるため『何かの機能に特化した』から存在していられるのだ。あらゆる極限環境でも生きながらえるクマムシでも、直接つぶせば簡単に死ぬように。
人間の場合は、発達した大脳皮質から『知恵』を武器とした生物といえるが、同時に同種同士で殺し合うような『不合理』も持ち合わせている。
このように、誰しも完璧にはなれない『生物』であるがゆえに『欠点』が――『嫌われる要素』が出てくるのは必然だ。
一見して『好かれたいキャラクター』には邪魔な物にも思える部分だが、本当は『欠点』こそが読者様に『好かれる要素』になり得る部分である。
たとえ設定上であったとしても、『完璧なキャラクター』は現実味が薄くて感情移入も応援もできないからだ。
あえてあからさまな『欠点』を見せた方が、親近感を覚えやすくなりいずれ愛着も生まれてくるだろう。
しかし、やはり目に見えた『欠点』であることに代わりはないのだから、作者としては『描写』――つまり表現の仕方には注意すべきだろう。
とってつけたような『欠点』を見せるだけでは嘘くさくなるし、ことさらに強調しすぎてしまえば逆に『欠点への嫌悪』が勝ってしまってしまう。
人間性の見せ方はそれくらい注意すべきで、ある意味で諸刃の剣ともいえるほど扱いに気を配る必要が『欠点』にはあるのだ。
ではどのように『欠点を見せるか?』についてだが、提案として『登場時や序盤』には出しておいた方がいいと思っている。
初っぱなから『嫌われる要素』を押し出すのはリスクが高いかもしれないが、早々に『欠点』を出しておくと『このキャラはこういう人物だ』という印象づけができやすいメリットがある。
すると、『嫌なイメージ』がキャラクターについてしまう反面、その後の展開でいくらでも好感度を盛り返せる可能性が生まれる。
要は、読者様へ抱かせる印象の操作が比較的簡単になるのだ。わかりやすい例は、『雨+不良+傘+捨て犬』理論だろうか。
これが逆に、最初から『いいイメージ』をキャラクターつけてしまうと、その後も読者様は『いいイメージ』のままキャラクターが動くはずだと、言動には常に期待を集めハードルを上げていく。
そしていずれ、作者にとっては当たり前でも読者様にとってはそのキャラクターがとらない言動をした時、高まった期待だけ反発心も大きくなって非難されるだろう。
なぜなら、作者にその意図がなくとも読者様にとっては『(悪い意味での)裏切り』に等しいからだ。
読者様はみな、このキャラクターはこうでなくちゃ、などの理想を少なからず抱いている物であり、そのイメージを少しでも崩してしまうと『こんなの○○じゃない!』となってしまうのは避けられない。
『完璧超人設定』は文字通り。作中の言動もすべてが『完璧』でないと矛盾となってしまうため、読者様は一挙手一投足を細かく審査する監視者でもあるのだ。
ならばいっそのこと、『このキャラクターには欠陥がある』と明示することにより、作中の時間が進むにつれて『ああ、こいつ最初と比べて成長したなぁ……』と思わせる方が楽だし効果的だ。
『大嫌いはいつだって恋の始まり』、というニュアンスのフレーズを何となく覚えている。
数年前にテレビで見たアニメ映画『○いからさんが通る』のCMだっただろうか? ともかく、それと理屈は同じと思ってもらっていい。
そもそも、『完璧超人設定』はすでに人格として『完成された』と公言しているようなものであり、そのキャラクターは徹頭徹尾『最初の印象』を貫かねばならない。
言い換えれば、『完璧超人は最初から完璧であるため、変化してはいけない』のだ。
これは、作品を通して『登場人物』の変化を文字で描いていく『小説』にとって、かなりの制限であり無理難題といってもいい。
『登場人物』は成長してこそ輝く存在だ。完璧な人間が完璧なまま完璧に物事を進めるだけの話だと、楽しめるはずの要素なんて早々に飽きてしまう。
『面白さの種類』を持たせるためにも、作者は『登場人物の欠点』をうまく利用して小説の魅力にしていく力が必要になりそうだ。
なので時々、自分が何を見てネタを思いついたのか、わからないところがあります。
はい、今回のネタがそうです。




