95回目 2019/6/18
一応は、創作論ということになるのでしょうか?
『なろう』に限らず、本を読んでいて『読みにくい・わかりにくい』と思ってしんどくなった経験はないだろうか?
おそらく小説に限らず、文字情報で構成された書籍全般で感じられる感覚だと思う。
プロの作家として読者へ最大限の配慮をしてなお、読んだ人が多くなるほど『読みにくい・わかりにくい』という意見は排除しきれなくなる。
内容の理解度には個人差(作者側の説明力・読者側の読解力など)もあると思うが、『本』というアプローチでコントロール可能な部分となると、やはり『作者側』の努力が求められるだろう。
なにせ極端な話、作者は自作の『読者側』を意図的に限定することができないからだ。『読者層』や『購買層』はあくまで想定くらいしかできず、何がきっかけで誰が読むかなど正確にはわからない。
それこそ、作者とはまったく違う価値観を持つ人は当然、何の因果か『普段からまったく本など読まない人』が手に取る場合だってあるだろう。
作者はそうした『見えない読者』へ向けて『本』を出していくことから、なるべく多くの人がわかりやすいよう、知識をかみ砕いた上で論理を簡潔に展開していく必要がある。
小説だと、悪い例としてよくやりがちなのが、開始直後からの専門用語オンパレードだろう。
たいていの作者は『事前知識があった方が『親切』だろう』、という気持ちでやっているように思う……が、よほど天才的な書き方でない限り、それは完全な悪手だ。
まず作者は、いかなる場合においても『読者は『作品に対して』無知である』ことを意識しなければならない。それは読者側に特定の知識が共有されていることが前提の、いわゆる『テンプレ小説』であっても例外ではない。
どれくらい『無知』か? と言われれば、『読み書きができるようになったくらい』と見積もる程度でちょうどいいだろう。中高生向けの小説なら、小学校低学年でもわかるようにした方が無難だ。
誤解を招く表現なのでここで断っておくが、私は読者様が『みんな頭の悪いバカだ』と言いたいわけではない。
『初見である作者の作品』に限定すれば、世界中の人間がそれくらい『無知な状態』だといいたいのだ。
そもそもの話、小説とは『ある個人の妄想を通した世界』である。(これはフィクション・ノンフィクションに限らない。両方とも、作者の『主観』が構成した文章だからだ)
つまり、『自分』という枠の外へ無限に広がっている『未知の世界』を切り取り、文章に閉じこめ、一つの流れとして並べ直したものが『小説』なのだ。
それは『組み合わせが無限』であるために、読者側は最初『何に注目すべきか』すら定かではない。
新しい世界に降り立った(または見下ろした)とき、読者側は全員が『作品の中』では赤ん坊だ。
そこから『タイトル』で大まかな活動可能な範囲が、『あらすじ』でその範囲の中に広がる景色が認識可能になる。
そこで『もっと詳しくこの世界を見てみたい』と思われれば、ようやく読者側は『一人で歩けるレベル』に成長したと見ていい。
反対に、『この世界に興味はない』と思われれば、その時点で読者側は『世界から追い出された』として扱われる。
新しい世界に降り立った生命が、うまく環境に適応できず『死んだ』、と思ってもらった方が理解しやすいだろうか。
そこから生き延びた(=興味を引いた)読者側は、プロローグから世界を読み進めていく……が、ここから読者側は作者からしか『食料』を与えられないという条件がつく。
その『食料』は内容も質も量も作者が一方的に決めたもので、読者側がそれ以上先の世界へ進むためには、必ず食べなければならない。
このとき、上手な作者であれば『世界における読者側の理解度』を考慮して『食料』を提供してくれる。
たとえば、まだ歩き始めたばかりなら離乳食を、歯が生えそろえばお子さまランチを、小学生になればハンバーグ定食を、そして中学生になれば懐石料理を出す、といった具合に読者側の理解度の手順を踏んで『食料』を変化させるのだ。
しかし、初心者や読者が少ない作者だと、歩き始めた段階からお子さまランチやハンバーグ定食を、相手の戸惑いをよそにどんどん出してくる。
読者側がまだ『世界を理解できない』ことなどお構いなしに、中学生の理解度を基準に『食料』を出していくのだ。
そうすれば当然、まだ未成熟な読者側はまともな食べ物を失うことになり、待っているのは食べ物をのどに詰まらせた窒息死か、何も食べないまま餓死する結末だけだ。
このように、作者の世界で読者側を中学生にさせるには、『タイトル』や『あらすじ』で生育環境を整えつつ、『食料』の出し方でうまく育てる知恵や工夫が必要だのだ。
以上、本を読む際の読者側の過程を育成シミュレーション風にして書いてみたが、いかがだっただろうか? わかりにくかったのなら申し訳ないが……。
とにかく、作品における『読みにくさ・わかりにくさ』の一因は『情報開示の上手さ』にあるのは間違いない。
より多くの読者様に作品を楽しんでもらうためには、作者がちょうどいい案配を見極めて情報を出していくバランス感覚を身につけるとよさそうだ。
少なくとも、乳幼児に固形物を押しつけるようなやり方では、読者側が逃げ出すのは当然と思った方がいい。
まあ、言い分としてはありきたりな物だとは思いますが、作品の執筆中に自分で気づけるかどうかは別ですよね。
いろんな方が言うように、作者は作品のすべてを知っているのでどんな書き方でも物語がわかりますが、読者は作品をゼロから受け止め理解に段階を踏む必要があります。
理想は『読んでいくうちに自然と物語や設定に引き込まれた』というレベルなのでしょうが……無茶言うな! の筆頭みたいな課題ですよね。




