84回目 2019/6/7
この作品ではほぼ恒例、テレビからネタを引っ張ってこようのコーナーです。
今回はテレビで見た『ロジェ・カイヨワ』という人物の考えについて、考えを残していく。
一応(他にも肩書きはあるだろうが)哲学者として紹介され、超現実主義の考えを持った人とのこと。
そして、彼が影響を受けた人ということで紹介されたのが『ホイジンガ』である。『ホモ(=人)・サピエンス(=賢い)』という言葉からもじった『ホモ(=人)・ルーデンス(=遊び)』という言葉? 概念? を提唱したことで有名らしい。(詳しくはググってほしい)
つまり、人と遊びの関係について熱心に研究をした人、ということだろう。
テレビで知った情報なので、だいぶ簡略化された概要を知った程度ではあるが、そこから少し『遊び』について思うところがあった。
そもそも、『人の遊び』に関して研究する人は少数派だったようだ。『俗(人の日常的活動)』や『聖(要は宗教的活動)』に関しての研究と比べ、かなりマイナーな視点だったらしい。
というのも、『遊び』は『俗』の中で行われるものでありながら、様式やルーツなどは『聖』の儀式や意味などを模倣したものと考えられ、立ち位置が曖昧な概念だったそうだ。
それに焦点を置いたのが『ホイジンガ』であり、研究を引き継いだ形になるのが『カイヨワ』、ということになるらしい。
で、私が興味深いと思ったのが『遊びの定義』とも呼ぶべき要素のことだ。
それが、以下の六つである。
・自由な活動…誰かに強制されたりせず、その人が自発的に行うこと。
・隔離された活動…あらかじめ決められた時間・空間の範囲内で行うこと。
・未確定な活動…予定調和にならないよう、最初から結果がわかっておらず、創意工夫の余地があること。
・非生産的な活動…少なくとも『遊び』の範囲内では、お金などの利権が発生しないこと。
・規則のある活動…守るべき『ルール』が設定されていて、参加者はそれに従うこと。
・虚構の活動…日常生活とは明確に異なる、非現実的な活動であると意識していること。
これらを満たしている活動が『遊び』である、ということらしい。本来されている説明の仕方とは異なるだろうが、だいたいこのようなことを主張している、との理解で問題ない。
これらに目を通して、純粋に私がやっている『小説』は『遊び』にかなり近いんだなぁ、と思った。
特に意識した方がいいと思ったのが『非生産的な活動』だ。『なろう』では特に『書籍化=商業化』という拾い上げが発生するためか、どうも『営利的な活動』としての意識が強くなりがちである。
そうでなくとも、閲覧数やブクマや評価ポイントなど、作品や作者を疑似的に権威付けしうる要素があるため、ある種の『権力(=他者からの賞賛)』を求めて活動しがちになる。
それは『遊びの主体(=ここでは作者)』の意識が『利益を考えない(=非生産的)』などと定まっていれば、必ずしも厳守すべき事柄ではないようだ。(『遊び』に近い感覚で仕事をするクリエイターもいる)
しかし、やはり『営利活動』になると得られる報酬相応の責任や目標なども発生するため、どうしても『遊び』よりも『俗』という感覚へ引っ張られやすいのだそうだ。
そう考えると、『なろう』では『小説の投稿』に関する考えにおいて『遊び』と『俗』が混合した場所であるため、作者間での考えが二極化(=ランキングや書籍化作品が絶対で、その他は底辺など)しやすい傾向にあるといえよう。
私としては導入が『遊び』、つまり『非生産的な活動』として『小説』を始めたので、たとえ『いつか仕事にしていきたい』とする願望はあっても、『遊び』の感覚は忘れてはならないと思い直せた。
『小説を書くこと』は私にとって『遊び』なのだから、『強迫観念』よりも『自発的』に重きを置いて、自分が楽しめるように活動する意識を思い出す必要がある。
そう思えただけでも、この考えを知れたことは私にとってよかったのかもしれない。
ちなみに、『カイヨワ』の提唱した『遊びの分類』も参考までに記しておこうと思う。
定義とはまた別に、『遊び』の性質として四つの要素を取り上げていた。
・競争(アゴン:ギリシャ語で『試合・競技』)…かけっこやチェスなど、定まったルールの元で自分の努力や実力により勝敗がはっきり分かれるもので、『自力で勝つ楽しさ』を得る遊び。(余談だが、私が一番苦手な『遊び』)
・運(アレア:ラテン語で『さいころ・ギャンブル』)…ルーレットやじゃんけんなど、定まったルールの元で自分の努力や実力とは関係なく勝敗が決まるもので、『偶然で勝つ楽しさ』を得る遊び。(なお、イカサマは考えないものとする)
・模擬(ミミクリ:英語で『真似・模倣』)…ままごとやコスプレなど、明確なルールがなく何かを演じたりなりきったりと想像するもので、『空想の楽しさ』を得る遊び。(おそらく、小説もここの分類)
・眩暈(イリンクス:ギリシャ語で『うずまき』)…ブランコやバンジージャンプなど、明確なルールがなく日常では味わえない感覚を求めるもので、『酩酊感の楽しさ』を得る遊び。(この解釈は私のイメージである)
分類の仕方としては、『ルールの有無』と『遊技者の意志の有無』で分けられており、以下のようになる。
・ルールあり+意志あり=競争 (アゴン)
・ルールあり+意志なし=運 (アレア)
・ルールなし+意志あり=模擬 (ミミクリ)
・ルールなし+意志なし=眩暈(イリンクス)
以上、興味があれば調べてみるといいかもしれない。
『遊び』って奥が深いなと思いました。(陳腐な感想)




