表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/1238

84回目 2019/6/7

 この作品ではほぼ恒例(こうれい)、テレビからネタを引っ張ってこようのコーナーです。


 今回はテレビで見た『ロジェ・カイヨワ』という人物の考えについて、考えを残していく。


 一応(他にも肩書きはあるだろうが)哲学者として紹介され、超現実主義(シュールレアリスム)の考えを持った人とのこと。


 そして、彼が影響を受けた人ということで紹介されたのが『ホイジンガ』である。『ホモ(=人)・サピエンス(=賢い)』という言葉からもじった『ホモ(=人)・ルーデンス(=遊び)』という言葉? 概念? を提唱したことで有名らしい。(詳しくはググってほしい)


 つまり、人と遊びの関係について熱心に研究をした人、ということだろう。


 テレビで知った情報なので、だいぶ簡略化された概要を知った程度ではあるが、そこから少し『遊び』について思うところがあった。


 そもそも、『人の遊び』に関して研究する人は少数派だったようだ。『(ぞく)(人の日常的活動)』や『聖(要は宗教的活動)』に関しての研究と比べ、かなりマイナーな視点だったらしい。


 というのも、『遊び』は『(ぞく)』の中で行われるものでありながら、様式やルーツなどは『聖』の儀式や意味などを模倣(もほう)したものと考えられ、立ち位置が曖昧(あいまい)な概念だったそうだ。


 それに焦点を置いたのが『ホイジンガ』であり、研究を引き継いだ形になるのが『カイヨワ』、ということになるらしい。


 で、私が興味深いと思ったのが『遊びの定義』とも呼ぶべき要素のことだ。


 それが、以下の六つである。


・自由な活動…誰かに強制されたりせず、その人が自発的に行うこと。


隔離(かくり)された活動…あらかじめ決められた時間・空間の範囲内で行うこと。


・未確定な活動…予定調和にならないよう、最初から結果がわかっておらず、創意工夫の余地があること。


・非生産的な活動…少なくとも『遊び』の範囲内では、お金などの利権が発生しないこと。


・規則のある活動…守るべき『ルール』が設定されていて、参加者はそれに従うこと。


虚構(きょこう)の活動…日常生活とは明確に異なる、非現実的な活動であると意識していること。


 これらを満たしている活動が『遊び』である、ということらしい。本来されている説明の仕方とは異なるだろうが、だいたいこのようなことを主張している、との理解で問題ない。


 これらに目を通して、純粋に私がやっている『小説』は『遊び』にかなり近いんだなぁ、と思った。


 特に意識した方がいいと思ったのが『非生産的な活動』だ。『なろう』では特に『書籍化=商業化』という拾い上げが発生するためか、どうも『営利的な活動』としての意識が強くなりがちである。


 そうでなくとも、閲覧数(PV)やブクマや評価ポイントなど、作品や作者を疑似的に権威(けんい)付けしうる要素があるため、ある種の『権力(=他者からの賞賛)』を求めて活動しがちになる。


 それは『遊びの主体(=ここでは作者)』の意識が『利益を考えない(=非生産的)』などと定まっていれば、必ずしも厳守すべき事柄ではないようだ。(『遊び』に近い感覚で仕事をするクリエイターもいる)


 しかし、やはり『営利活動』になると得られる報酬(ほうしゅう)相応の責任や目標(ノルマ)なども発生するため、どうしても『遊び』よりも『(しごと)』という感覚へ引っ張られやすいのだそうだ。


 そう考えると、『なろう』では『小説の投稿』に関する考えにおいて『遊び』と『(しごと)』が混合した場所であるため、作者間での考えが二極化(=ランキングや書籍化作品が絶対で、その他は底辺など)しやすい傾向にあるといえよう。


 私としては導入が『遊び』、つまり『非生産的な活動』として『小説』を始めたので、たとえ『いつか仕事にしていきたい』とする願望はあっても、『遊び』の感覚は忘れてはならないと思い直せた。


『小説を書くこと』は私にとって『遊び』なのだから、『強迫観念(かかなければ)』よりも『自発的(かきたい)』に重きを置いて、自分が楽しめるように活動する意識を思い出す必要がある。


 そう思えただけでも、この考えを知れたことは私にとってよかったのかもしれない。


 ちなみに、『カイヨワ』の提唱した『遊びの分類』も参考までに記しておこうと思う。


 定義とはまた別に、『遊び』の性質として四つの要素を取り上げていた。


・競争(アゴン:ギリシャ語で『試合・競技』)…かけっこやチェスなど、定まったルールの元で自分の努力や実力により勝敗がはっきり分かれるもので、『自力で勝つ楽しさ』を得る遊び。(余談だが、私が一番苦手な『遊び』)


・運(アレア:ラテン語で『さいころ・ギャンブル』)…ルーレットやじゃんけんなど、定まったルールの元で自分の努力や実力とは関係なく勝敗が決まるもので、『偶然で勝つ楽しさ』を得る遊び。(なお、イカサマは考えないものとする)


模擬(もぎ)(ミミクリ:英語で『真似・模倣』)…ままごとやコスプレなど、明確なルールがなく何かを演じたりなりきったりと想像するもので、『空想の楽しさ』を得る遊び。(おそらく、小説もここの分類)


眩暈(めまい)(イリンクス:ギリシャ語で『うずまき』)…ブランコやバンジージャンプなど、明確なルールがなく日常では味わえない感覚を求めるもので、『酩酊感(スリル)の楽しさ』を得る遊び。(この解釈は私のイメージである)


 分類の仕方としては、『ルールの有無』と『遊技者(プレイヤー)の意志の有無』で分けられており、以下のようになる。


・ルールあり+意志あり=競争 (アゴン)

・ルールあり+意志なし=運 (アレア)

・ルールなし+意志あり=模擬 (ミミクリ)

・ルールなし+意志なし=眩暈(めまい)(イリンクス)


 以上、興味があれば調べてみるといいかもしれない。


『遊び』って奥が深いなと思いました。(陳腐(ちんぷ)な感想)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ