83回目 2019/6/6
私の虚弱メンタルとあわせて考えてみました。
ひとまず他人の目はさておいて、創作活動は基本的に『面白い』を原動力に続けていくものだ。
中でも、その人にとって絶対的な価値基準である『自分自身』を楽しませながら、同時に創作そのものを楽しむために活動している人が多いと思う。
ものすごく狭い視野で語れば、創作活動とは消費者と生産者が一人で完結している究極の『地産地消』といえる。
その考えで言えば、アマチュアの活動は『家庭菜園』と称しても支障はないだろう。上記の『地産地消』としては十分な規模であるし、『生み育てる楽しみ』と『調理し味わう楽しみ』があることも類似点であろう。
一方のプロは、文字通り『農家』として活動しなければならないため、より効率的に高品質な農産物を生み出す必要がある。日本では兼業農家が多数を占めるため、経済活動として大変厳しいことも共通点かもしれない。
そんなアマチュアとプロがこぞって集まる『なろう耕地』では、多くの人々が電子に広がる平坦な大地で日々耕し、肥料をまいて、種を植えて、水を上げ続けている。
できあがる作物はいろいろと言われるように玉石混淆(=質の善し悪しがごちゃまぜ)である。
それはそうだろう。中にはその道のプロもいるわけだから、実が大きく味も濃い魅力的な作物が目立つのは当たり前だ。
ともすれば家庭用プランターでしか育てたことがないようなアマチュアだと、十分な知識がないため実も味もいまいちな作物となるのは避けられない。
そもそも、プロよりアマチュアの方が多いのはどの分野でもそうだと思う。そして、プロの作物を参考にして自分の作物をより高品質にしたいと思うのもまた、健全な向上心だといえる。
まあ、知識を仕入れず見よう見まねをしただけのアマチュア作物は、たいてい必要な何かが足りないまま育ってしまうのだが。(まれにプロと同じ手法をとれたか、別の化学反応が起きて大成功する例もある)
とはいえ、ほとんどのアマチュアは『家庭菜園』レベルで満足してしまえるだろう。想定した消費者が『自分だけ』なのだから、手塩に育てた作物というだけで他よりも美味に感じるのは間違いない。
自分の作物が他人に知られるとすれば、せいぜい『お裾分け』程度のささやかな範囲であるし、ご近所などの親しい友達に好評であればそれで心は十分に満たされることだろう。
そういう意味では、農作業と小説の姿勢がかなり似通っているといえる……のだが、大きな違いもある。
農作業の果てに満たされるのは『食欲=生存欲求』であるのに対して、小説で満たされるのが『賞賛=承認欲求』であることだ。
割といろんなところで目にする『マズローの欲求段階説』では、『承認欲求』がより高次の欲求であるとされており、最低限必要な欲求である『生存欲求』や『安全欲求』などは(今のところ)日本だと満たせる可能性が高い。
よって、自然と日本の社会ではより高次の欲求――それこそ『承認欲求』のようなものを重視しやすい傾向にあるといえる。
そういう意味では、『小説家になろう(を含む小説投稿サイト全般)』は比較的お手軽に欲求を満たすことができる場だといえよう。
しかし、同じような思いで多くの人が集まった『小説家になろう』では、上記で示した『家庭菜園規模』のレベルではなく、『市場展開規模』で活動できるプロ級の能力が求められてしまう。
生産側ではなく消費側からすれば、『無料』といえどより『満足できる』作物を味わいたいのだから。
自然、低品質の『家庭菜園』は見向きもされなくなり、必要がないのにどうしても『農家』と比較してしまう。
たとえ最初は自分のための活動だったとしても、あからさまに大勢から人気を集める様子を見せつけられれば、大なり小なり落ち込みもする。
そして、やがて疑い出すのだ――『自分の作物は本当に面白いのか?』、と。
普通は、自分が考えた小説の設定が『面白い』と自信があれば、文章力なんて気にしなくても書き進められる。
それこそ、『家庭菜園』のように自分の生活に少しの彩りをもたらすためなのだから、多少形が不格好でも問題はない。
気にするような『他人の目』がないのだから。
逆に、自分の小説の設定が『面白いのか?』と不安であるほど、小手先の技術である文章力をのばそうとする気がする。
書籍化作家の売り文句だとか商品説明だとか品種だとか、大勢が望むものを積極的に取り入れるようになる。
ただし、それだと『売れる』要素は高められても、『楽しむ』要素になるとは限らない(むしろ遠ざかっていく印象の方が強い)。
『生活のため』に改良するプロと、『娯楽のため』に活動するアマチュアとでは、創作への意識に根底から差が生まれてしまうからだ。
そう考えると、改めて人間は欲深くて面倒臭い存在だなと思ってしまう。
私もまた、『売れる』目線にとらわれず、『楽しむ』姿勢を思い出せたらいいなと痛感するばかりだ。
少なくとも、私が順調に連載作品を書きだめできていた時は『この設定は面白い』と純粋に信じていました。
つまり、筆が止まっている現状を考えれば、私の場合だと『百万文字』を越えたらその自信が薄らいでいくのでしょう。(プロを目標にすれば、よけいに『見切りをつけるか』を考えてしまいますし)
まあ、一年以上も『シンデレラ』をあれこれいじっていたらそうもなるでしょうが……。




