78回目 2019/6/1
ポジティブって難しいですね。
それはもう、鉄棒で逆上がりするくらいの難易度です。
前までできていたことができなくなることは、たまにある。
私の場合だと、執筆は精神的な不調から何も手に着かなくなることが多い。頭の中に文章や物語は浮かぶが、キーボードの前に座り続ける気力がなくなる状態だ。
(なお、この状態をあまり『スランプ』とは呼びたくない自分がいる。この言葉は『才能・実力がある人がつまづいた状態』であり、私には一生縁のない言葉だと思うからだ。)
他にも、表現として頭に浮かぶワードも日によってだいぶ違う印象だ。何というか、少しずつ昨日の自分と感性がズレていっているような、不思議な気分になることもある。
ただの客観的事実しか書けないこともあるし、私としては詩的な(悪く言えば気取った)表現と思えるワードが浮かぶこともあるし、時にはキャラが変に動かしにくいと思うことさえある。
このように、最近では執筆関連で如実に感じる『可能・不可能』の揺らぎだが、学生時代を思い返せば似たような経験をしたことがあることを思い出した。
私は今も昔も運動が苦手(というか嫌い)で、子供の頃は携帯ゲームをピコピコやるような生活だった。体育は座学にかけ、実技を八割がた捨てていたのは確実。
その分、少しくらいは勉強をできなければいけない、という意識はあった。まあ、運がいいのか悪いのか、中学生まではそこそこ成績はいい方だったように思う。
そのまま副教科で話を進めれば、小学校の三・四年生くらいの時に『音楽』の転機があった。声変わりにより、裏声が出なくなったのだ。
発覚前後までは覚えていないが、私の中では急に高い声が出せなくなったという衝撃が残っている。歌の授業で一人ずつ教室の前にたち、クラスメイトに見られながら歌う小テスト的な時だったので印象深い。
あの時は、びっくり半分恥ずかしさ半分だった。自分でもわかるくらい音をはずしまくったので、声量が普通の○ャイアンリサイタルみたいな感じになったのではなかっただろうか?(思いこみかもしれないが)
これは肉体的な変化が原因だったが、他にも好きな科目への意識がいつの間にか変わったこともある。
とはいえ、これは自分の自業自得もあるのだが、私は高校生の時に突然登校拒否となり留年した。(幸いイジメなどではなかったものの、明確な原因が今でもよくわからない)
その年は結局通えず、一つ下の学年と一年生をやり直せたのだが、二年生の時にまたつまずき、結局通信制の高校へ転校することになった。
おそらくそれがきっかけだったと思うが、それまで得意だった理数科目に苦手意識を抱くようになり、代わりに歴史や倫理などに興味を持つようになっていた。
全日制の二年で理数クラスを選んだのが、無意識にその科目を避けさせる要因になったのかもしれない。はたまた、心が不安定の時に学んだ倫理(哲学)が私の琴線に触れたのかもしれない。
そこからラノベを本格的に読むようになり、どんどん数学的な計算問題が苦手になっていったような気がする。
積極的にやらなくなって、できなくなって、苦手になったというプロセスはあったものの、それもまたできることとできないことが逆転した例だろう。
これのおかげで今、私は物語を書くことに力を注いでいるわけだが、いやはや、何がどう作用するのか人生とはわからないものだ。
こういう経験をキャラクター作りに応用できたらいいのだが、あまりに個別すぎるケースはそのまま流用したいならいろんな人の経験がいるだろう。
今までは小説本編である現在の性格から逆算してキャラの略歴をさかのぼっていたが、私の振り返りを参考にもう少しひねった部分を入れてもいいと思った。
これもまた、私の変化の一つなのだろう。
そしてまた、明日になればまた別の変化が訪れる。
ひとまずは、すべての変化が私に蓄積してくれることを願おう。
なお、私は幼少期から不変の肥満体型だったので、逆上がりはまともにできた試しがありません。
唯一、中学生のとある一日のみ『逆上がり無双』の発生で成功率が100%になったことを除いて……ま、翌日以降はまた跳べない豚になりましたけど。
私の絶頂期は、あの日だったのでしょうねぇ……。




