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75回目 2019/5/29

 時々、ツ○ッターなどでの炎上騒動などを耳にすると思うことなのですが。


 どれくらいの人が『言葉を使う』ことの『怖さ』と『難しさ』を感じているのでしょうか?


 この作品の中で、エッセイにもならないような持論をこぼれ落としてきた身としては、(おり)に触れて『言葉の怖さ』を意識させられる。


 特に、意識的にしろ無意識的にしろ、『批判』という行為はなるべく注意するようにしている。基本的に『批判』を行わないように、するにしても細心の注意を払って。


 ……とか記載(きさい)した舌の根も乾かぬうちに『使う言葉』ではないが、この作品にブクマを付けていらっしゃる『奇特(きとく)』な読者様ならお気づきだろう。


 私は私見(しけん)を述べる際、『思う(われる)』・『考える(えられる)』という言い回しの多用で断定口調を避ける傾向が強い。


 というか、小説にもかなり影響がでている。それはさんざん愚痴(ぐち)を残してきたことからもわかるように、私が自分に自信を持てない人間だからだ。


 考えてみれば当たり前で、自分に自信がある人は曖昧(あいまい)でまどろっこしい言い回しを好まない人が多い。『自分にとって正しいこと』の説明に、気後(きおく)れする必要がないのだ。


 誰がなんと言おうと自分の『信念(ことば)』は正しいのだから、最短距離にストレートをぶち込む以外の手段など蛇足(だそく)でしかない。


(その人にとっては)当たり前のことを当たり前に話すだけなのだから。


 しかし、自信がない人は自分の『信念(ことば)』を常に疑っている。


 主張に穴がないか、矛盾はないか、情報源は正しいのか、理論展開が飛躍していないかなどなど。


 考え出したらきりがないことも含めて、『自分』を徹底的にまで監視している。


 そんな張りぼての主張しか持たないからこそ、自分に自信がない人は変化球ばかりが達者になるのだ。『信念(きんりょく)』が備わっていないから。


 私もその例に漏れず、上記のような不安を抱えながら文章を書いている。というか、完璧主義のきらいがあるから余計に不安は加速し、自縄自縛(じじょうじばく)が日に日に増していく。


 気づけば何もできない、なんてこともザラだ。そんな自分がまた嫌いになり、泥沼の悪循環に落ちていく。どこかで聞いたことのある転落人生と同じだろう。


 加えて、『批判』とはそれ自体が『難しい主張』である。


 ある問題に対して『正しい』か『間違い』かを述べるだけでなく、『自分なりの解決案』の提示まで求められる傾向にあるからだ。


 ただ迎合(さんせい)したり、拒絶(はんたい)したりするだけなら、幼い子供や政治家にだってできることだ。それは『立場の表明』であって、理論展開としては『足踏み』と同じなのだから。


 相手方の議題に条件反射でかみつき、議席数という『数の暴力』に裏付けされた決定事項を平行線な主張で時間を浪費するだけの、与野党における対立構造と『批判』は違う。


『批判』は正否を『検討』し『評価』するまでがワンセットであるため、前進にしろ後退にしろ、一歩でもいいから問題を『動かさなければならない』。


 つまり、『批判』は少なくとも賛成意見と反対意見を一定以上に理解し、さらに折衷(せっちゅう)案ないし代替案を用意できるほどの『頭の良さ』が必要なのである。


 その前提でいくと、私は私が『バカ』だと信じているので、下手な『批判』は自らの身を滅ぼすだけだと思っている――だから、地雷を踏まないように気を付けて避けているようなもの。


 せめて考えなしの『バカ』であればもう少し息がしやすい人生だったかもしれないが、愚かなことに私は『臆病なバカ』なのでいろんな物を怖れてしまう。


 君子ほど立派でなくとも、人は危うきと思えば近寄らずに逃げるもの。


 その中の一つとして、私は『自発的な批判』から逃げいている姿勢だ。ほめられたものではないが、弱さを自覚した自己防衛でもある。


 それはそれで自分の『選択肢』を狭める行為にもつながるので、開き直って全肯定するつもりはない。『失敗』を避けると『耐性』がつかないし、予想外の『ひらめき』なんかも得られづらいからだ。


 ああ、気づけばまた論旨(ろんし)がブレようとしていたが、私が言いたいのは『批判は捨て身の覚悟で挑むべき』で、『ボッコボコにされるのがイヤなら最初から壇上(だんじょう)に上がるな』、ってこと。


 ネットのあちこちで『言葉』の殴り合い(ストリートファイト)が横行する現代において、関わらない処世術も時には必要だという、ただの世迷(よま)(ごと)だ。


 少なくとも、『なろう』で書き手をされている方ならば、一度は意識させられることだと思います。


 小説で出したキャラクターの台詞が、作者の意図しない方向へ読者に伝わることも多いでしょうから。


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