74回目 2019/5/28
本当は今回の話を前回に書くつもりでした。
昨日に続いてアニメの話をするが、私は『描写の勉強』のためにアニメを見ていない、と思う。
どちらかというと、『好み』の再確認や『違う価値観』の収集手段として、アニメを利用しているのだろう。
はっきりと言えないのは、『好み』や『価値観』を意識しだしたのがここ最近のことだからだ。
たとえば私は、いわゆる覇権アニメと呼ばれる『話題作』にハマる確率があまり高くない。別に人気作をあえて避けているわけではなく、『感性に合わない場合』が多いようなのだ。
アニメは時代の流行もあるので一概には言えないが、おそらく主なアニメ視聴層と感性がズレがちであるのは間違いなさそうである。
とはいえ、すべてにすれ違いが起こるわけでもない。
最近であれば『ケム○クサ』は非常に楽しめた。未視聴である『けもの○レンズ』あたりの騒動や場外乱闘などは明るくないが、作品単体でふつうに面白かった。
有名作品のくくりでは『○ェイト』関連は割と見ていた。『Zer○』は未視聴だが、『○BW』とか『Extr○』とか『Ap○crypha』とかは見て、ほへーっと楽しんだと思う。
他にも……あるとは思う。というか、覇権がどうとかでアニメを見ることがまだないため、どれが人気だったのかなどいちいち覚えていない。
『○ンビランドサガ』は、現在行われている再放送で追っている。この作品は、一度私が挫折した作品だ。
メインである女性キャラではなく、プロデューサー役のキャラが生理的に合わなかったためである。たとえギャグやコメディ描写だったとしても、価値観の押しつけや人格否定にも思えた一方的な対話姿勢が、会話を成立させる気がないように思えて気持ち悪くなったのだ。個人的に、リアルで嫌いな人の特徴でもある。
というわけで、いくらメインキャラたちが魅力的でも、視聴側にとって嫌な部分が目立ってしまうと面白さは半減以下になる――それを実感できた作品といえよう。
まあ、私の周囲から改めて『面白い』と勧められた声もあったので見始めたが、あのサイコパs……失礼、プロデューサーを見る度にちょっとテンションは下がっている。作品自体は楽しく視聴しているが。
似たような形で楽しめたのは『○女戦記』だった。あれはどちらかといえば『オーバー○ード』に近い、主人公の内心と周囲の印象や評価が乖離した『勘違い系』を前提とするのが本来の楽しみ方なのだろうが、主人公の内心描写が薄いアニメの表現でも十分楽しめた。
こちらは、私の中ではインプットが足りない近代的な戦争物の窓口としては、非常に興味深い作品になったと言えよう。魔法要素があったとはいえ、電子通信による統率された軍隊指揮や、銃や大砲を使った現代になじみ深い戦闘描写は、いずれ自分も書いてみたいと思わせる力があった。
再放送で楽しんでいるという共通点でさらにいくと、今は『○CCA13区監察課』を楽しく見ている。いわゆる『ハードボイルド』系統の話だと思っているが、ああいう基本的にシリアスな空気が流れる作品も好物だ。
私が似た作風を意識して書くと日常パートでコメディ描写をやや入れがちなため、重い空気を引きずらない緩さを日常に用いて仕事パートとの落差を演出しているのは勉強になる。
後は、イケボが多いのも特徴か。テレビの音量は基本小さめに設定しているので、声量抑えめで味のある声を拾おうとわざわざ音量を上げている。もちろん、ディスってはいない。
『SA○』は、どうだろう? 一応原作も読んだことがある有名作品なので見てはいたが、私の中で文庫の4巻から時は止まっている作品だ。アニメは一期をほとんど見ておらず、二期からなら知っている。
ただ、面白さはよくわからなかった。というのも、『アニメでの描写』よりも『文庫での描写』がどうだったのかが気になってしまい、う~ん? と素直に評価しづらかったのだ。
まあ、『○リシゼーション』にて途中で挟まれたレ○プ紛いのシーンは明確に無理だった。似たような描写があった『ゴ○スレ』もアニメで知って最後まで見た私だが、ああいうシーンは(視聴側として)楽しめないと改めて思ったものだ。
その関連からすると、私はアニメにおける『性的描写』に関しては目が厳しいと思う。『異世界○王(だったっけ? タイトルがうろ覚え)』のように、ギリギリ一線は越えないが露骨な肌色描写は一発で辟易としたものだ。
ああいう『エロ描写』を前面に押し出す作風・イラストを見るたびに思う。まともな服を着なさい、お腹冷やしますよ、と。オシャレは我慢とは言うが、特に『健康第一』な世界観で普段着が薄着な女性キャラとか、舐めてるとしか思えない。蚊を媒介にした感染症で、人間がどれだけ死ぬと思っているのだ?
文句が止まらなくなりそうなので自重するが……何だろう、コンテンツの楽しみ方として、明確なジャンル分けを自分の中で行っているように思える。
私の価値観では、『R18』指定でない限り『アニメ(を含む創作物)』に『露骨なセクシー描写』は『あまりいらない』のだ。『まったくいらない』とまでは言わないが、必要最低限に抑えて欲しいと常々思うくらいには。
最初は見ていた『○リッドマン』でも、女性キャラに対するネットの声から途中で『別にいいや』と投げる気になったくらいなので、結構見る目が厳しいのだろうとは思う。
(まあ、キャラが『濃すぎる』作品が苦手なのもあったのだろうが。方向性は違うが『グレン○ガン』とか『○ルラキル』とかの系統を見て、『これは無理だ』と判断したので確信に至っている)
だが、時に『これは作中表現として必要不可欠』だと思うアニメがなかったわけではない。ちょっとジャンルが違うが、『○がて君になる』は私の中でドハマりした作品だ。(ただし、私は百合好きではない)
あの作品は、売りのメインが『少しずつきしみを上げる人間関係』だと私は思っている。『同性愛』だからこそ表現できる、あのヒリヒリとした恋愛模様と緊張感は非常に私の好みだった。
互いの価値観を意識しながら、常に甘さと苦さを内包する絶妙な距離感と関係性は、まるで砂糖菓子で作ったお城を少しずつバーナーで焼き焦がすような、それか火のついたダイナマイトの導火線を見守るような、ちょっと上等なサスペンスを味わっている気分にさせられた。
とにかく、もろく繊細な美しさとボディブローのように染み込む甘い毒を思わせるあの作品は、今でも私の中でアニメ作品の評価としては(非常に珍しく)最上位に置いている。
他に好きな物と言えば、『親子愛』系の物語には弱い傾向がある。ここ最近は、特に弱くなった自覚がある。
最初に驚いたのは、『○ァイオレット・エヴァーガーデン』の一話完結系エピソードであった、裕福だった家の母親から依頼を受けた主人公が手紙を代筆する話だ。
宛先はまだ幼い依頼人の娘さんで、視点や描写もその子に寄っていたことから開始数分でオチまでわかったし、実際に思った通りの展開になった……にもかかわらず、私はEDで号泣していた。
視聴時、多少酒が入っていた影響もあったとはいえ、一人でボッロボロに泣いたのは本当にびっくりした。今同じ話を見直したら、どうなるかはわからない。
また、驚き度合いでいえばさらに上をいったのが『同居人はひざ、時々、○のうえ。』で、主人公が故人の母が残したアルバムを見つけた話だ。
三か四話くらいの感情移入も完全でない状況で、そこまで感極まる部分ではなかったと思うのだが、人目線でも猫目線でも泣いてしまった。しかも素面で。完全に言い逃れできない状況だった。
こうした経緯から、私は『親子愛』系に弱いと完全に自覚したわけだ……だから『不器用な親子愛』をテーマにした短編を書いたときも、自作で涙腺がゆるむという失態を犯したのだろう。
後は、『青春物』は見る機会がかなり多い。自分が灰色の青春を送っていたので、アニメなどの創作から補充し直しているのかもしれない。
ぼんやりとでも印象に残っているのは、『○づく世界の明日から』とか『月が○れい』とか『○ルネ』とか『Just ○ecause!』とかだろうか? 今見ている同系統の作品では、『この○とまれ!』を楽しく視聴している。
何に取り組むか・熱心なのかは別として、まだまだ未熟な若者の成長を見るのは心躍るものがある。私自身未熟者なので、彼らのようにがんばろう、と思っている部分もあるだろう。
それの根本には、私が『成長物』の作品が好きな傾向があるからだと思われる。何より、人の心が前を向き成長する姿は、私にはとても輝いて見えるしあこがれるのだ。
他にも、アニメでしか気軽に触れられないが女性向け作品を見る機会も得た。『○くりよの宿飯』とか、『○治東京恋伽』とか、今なら『○ルーツバスケット』とかは普通に見ることができている。
女性向け作品としては、コメディ的描写が比較的多めに入っていると初心者の私でも割と楽しめる。男性キャラがキッラキラするのは、それでまあ、許容できる範囲になるのだ。
ただし、がっつり腐向けはまだハードルが高い。今はまだ、かの深淵に挑むには耐性も経験もなさすぎる。『知識』としての興味がないわけではないので、いずれ学ぼうとは思っている。
とまあ、数年程度でも割とアニメ作品がぽんぽんと出るようになったものだ。
今後も『価値観』を確認し、または広げるため、いろいろな作品に触れていこうと思う。
気づけば脱線で文字数がかさんでしまったので、翌日に持ち越したのが今回です。
いや~、私が『映像優位』寄りの作品を仕上げるには、だいぶ文章の取捨選択が必要そうですね!




