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73回目 2019/5/27

 アニメ作品を『勉強の一環』として見るようになり、そろそろ数年が経とうとしています。


 どこかでまとめ記事でも読んだか、なろうエッセイに取り上げられていたか、あるいは自分でも似たことを書いたと思うが、なろう小説の書き方・読ませ方は『文章優位』か『映像優位』かで大別できる。


 すなわち、書き始めるきっかけが『文章=文芸・大衆小説・ラノベなど』だったか、それとも『映像=マンガ・アニメ・映画など』だったかの違いだ。


 どちらが優れているか、といった不毛な議論するつもりはないが、それぞれ作者の感性には大きな違いがあり、支持する読者もまたどちらか一方に(かたよ)るのはほぼ間違いないだろう。


 両者における大きな違いの一つが、『想像力の働かせ方』である。


『文章優位』から書き始めた私と似たタイプだと、台詞や描写によって世界が構築されていく感覚が強いのでは、と思っている。


 文章となっている部分を拾い、あるいは背後霊のように一人の人物と同じ目線で物語を追い、あるいは神のような俯瞰(ふかん)したところから世界の動きを観察する。


 そして、与えられた文字情報を元に、誰がどんな動きをして何が起こっているのか、『文字情報』そのままで認識している。ヴィジュアルはあくまで、補足的な情報でしかない。(当然、視覚化が上手い人もいるが、少なくとも私は無理だ)


 文章から物語をくみ取るのに慣れると、描かれていない部分を気にかけ想像するようになる。ミステリーを探偵気分で読むタイプがそれに該当しそうだ。


 ミステリーは作者が仕込んだ謎を追うタイプの物語であるため、文章で残されたものだけでなく、あえて文章にされなかったことが伏線(ふくせん)になる場合もある。叙述(じょじゅつ)トリックのミスリードなどがそうだろうか?


 まあ、そうした読み方は事前知識が豊富であり、本をたくさん読んだことによる経験則からできるようになるものだとは思うが、楽しみ方は人それぞれだろう。


 ちなみに、私は積極的に推理をしないタイプではあるが、展開の予想はしがちである。ほとんどがとんちんかんな予想をするため、探偵にはなれないと苦笑いすることが多いが。


 一方、『映像優位』から書き始めたタイプは、細かい動きや情景がそのまま『映像として脳内で補完できる』書き手だろう。


 つまり、短い文章からでも『誰がどんな動きをして何が起こっているのか』、一つ一つの動作を確認するまでもなく『わかる』のだ。


 だからこそ、『文章優位』の人が好むような描写は『無駄に長く冗長(じょうちょう)』に思えてしまう。予想だが、作者の技術や感性が光る情景描写や心情描写などが、そう判断されやすい部分だろう。


 適切かどうかはわからないが、例文を書いてみようと思う。


~~・~~・~~・~~・~~


・『映像優位』

(すき)あり!」


 ギンッ!!


「っ、な!?」


「――勝負あり、だな?」


 果敢(かかん)に攻めたビリーの剣は、しかしアランの剣によりクルクルと宙を舞って、地面へ突き刺さった。


~~・~~・~~・~~・~~


・『文章優位』

(すき)あり!」


 勝負を急いだのか、不用意に踏み込みわずかに体幹(たいかん)がズレながらも、ビリーはアランに肉薄する。


 しかし、わずかではあっても明確な(すき)を、腕利きのアランが見逃すはずもない。


 振りかぶられた片手に握るショートソードの軌跡(きせき)を見極め、アランは自らの相棒であるロングソードを間に差し込み、刃が衝突する音をかき鳴らす。


 さらにアランは、衝撃を受け止めた剣にわずかな傾斜(けいしゃ)を作り、互いの武器が拮抗(きっこう)へ至る前に相手の力を受け流した。


「っ、な!?」


 直後、ビリーのショートソードはまるで下り階段を踏み外したように、ロングソードの刃に沿ってアランの手元へ吸い寄せられるように滑っていく。


 そこでようやくビリーは己の悪手に気づくも、重心を前へ置きすぎたが故に、今さら刃を引くことなどもはや不可能だった。


 虎穴(きけん)へ身を投じなければ、虎児(しょうり)は得られない……それは誰が言った言葉だっただろうか?


 ビリーの見開かれた目が、心に芽生えた焦燥(しょうそう)をかき立てるような火花を(とら)え――その先にある(アラン)(テリトリー)へ足を踏み入れてしまった。


 ビリーの心臓が一度大きく跳ね、火花もまた途中で途切れた。


 次に感じたのは手の(しび)れと、握りなれた感触が消えた喪失感。


 さらに襲う力に逆らえず腕が真横へ飛ばされ、つられた体が外側へ大きく倒れた。


 不意に、ビリーの視線が弾かれた指先の向こう側へと伸びる。


 (おろ)かな主人に愛想(あいそ)を尽かし、空中を回転しながら相棒(ショートソード)が自分から離れていく。


 とっさに喉から出かかった声は、しかし己も地面へ投げ出されたことにより苦悶へ変わる。


「――勝負あり、だな?」


 アランの声が、倒れ伏すビリーへ落ちた。


 怒りか、悲しみか、謝罪か……愛剣(ショートソード)へ向けるはずだった声を慈悲なき刃の切っ先に封じられたビリーは、呆然とアランを見上げながら地面へ何かが突き刺さる音を聞いた。


~~・~~・~~・~~・~~


 私の書き方が下手(三人称ながらビリー寄りの視点描写により、客観的描写がやや不足気味)ということを加味(かみ)しても、『映像優位』の人と『文章優位』の人とでは、これくらい『必要な/満足な情報量』に違いがあるのは確かだ。


 多少の暴論ではあるかもしれないが、『映像優位』の人はたいてい会話と結果だけを見て、『文章優位』で示したような情景が思い浮かぶのだろう。


 ただし、『映像優位』の人がそれぞれ思い描いた映像には、おそらく『個人差』が存在する。与えられた情報の少なさを、自分の知っている映像(マンガ・アニメ・映画などのシーン)で補完するからだ。


 私は『文章優位』で『剣を受け流して弾いた』というように描写したが、『映像優位』が可能な人は『正面からぶつかりアランが力でごり押し』とか、『アランが器用に剣を操りビリーの手元をかちあげた』とか、『その瞬間は(はぶ)いて先に進んだ』とか、個人が納得する形でそのシーンを解釈する。


 物語のスピード感やテンポを重視しがちな『映像優位』の人だからこそ、細かいところを『気にしない楽しみ方』ができるのだろう。


 ともすれば、地の文で描写された動きから『キャラの心情・意図をくみ取ろう』と注意深く読み込む、『文章優位』の人とは真逆の楽しみ方と言える。


 とはいえ前述した通り、どちらが良いか悪いかではなく、これは完全に『文化の違い』だ。


 それぞれに良さがあるし、それぞれに物足りなさはある。


 まあ、小説の『売れる・売れない』に注目すれば、『想定購買層をどちらに(しぼ)るか?』の判断基準であるため、書き方に優劣は出るだろうが。


(基本的に、ライト読者層は『映像優位』寄り、ヘビー読者層は『文章優位』寄り→新規開拓・販路拡大が見込めるライト読者向けの書き方が、現代の商業作家には求められている?)


 ラノベは()し絵があるので『映像優位』寄りだろうが、()し絵程度の情報量では映像補完などたかが知れているので、まだ『文章優位』といっても大丈夫だろう。(経験談)


 同じ媒体(ばいたい)でも楽しみ方がこれほど違うため、互いに否定的な意見をぶつけるのも仕方ないなとは思う。


 現在はこの対立も落ち着いたのだろうか?


 まあ、やはり『売れるため』には短く・簡潔に・わかりやすい『映像優位』を意識した読ませ方に、作者は寄せるべきなのだろう。


 たとえヘビー読者層から『チープな文章ばかりだ!』と文句を言われようと、数の上で圧倒的に多数派であるライト読者層を優先させるのが、『商品』としては当たり前の対応なのだから。


 十代まではあまり(ほとんど)興味がなかったんですけどね、ガンダム系はだいたい見てましたが。


 そんな私が、今や再放送されている『け○おん!』を過去の流行作品として見ている不思議。


 初視聴時、アニメはまったく知らないのにOP・ED曲に聞き覚えがあってとても驚きました。


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