715回目 2021/2/27
やっぱり昨日はマグレだったようです。
一回目のお題は『大人の視力』。私の『視力』が悪いので、反射的に『目が悪い』とするしかないと思ってしまったのは仕方がない。
余談だが、私の目の悪さはちょっと特殊で、高校生くらいの時に右目が一気に悪くなり、左目はしばらく通常の視力だったがだんだん落ちてきて両方悪くなった、という流れをたどっている。
今では立派に眼鏡なしでは視界がゆがむ視力になってしまった。乱視なども入っていたようだし、視力に関してはいろいろとあきらめている。
それはさておき、必須要素(無茶ぶり)が『スケベ人間』だったのでもう『ノゾキ』しかないと思った。創作物における入浴シーンはのぞかれてナンボだろう(リアルでは立派な犯罪です)。
しかし、ここで地味にネックになったのが『大人の』というお題の年齢指定である。『ノゾキ』は年齢が上がればあがるほど犯罪臭が強まり、『大人』なら完全にアウトだ。
創作物、特にラブコメでは『中高生』であることと、主犯にはそれなりの罰が下ることで、ギリギリ許されるか内々で処理されて問題が公にならないようになっている。
だったら『大人』ならどうなるか? 警察沙汰で名前と年齢と職業がメディアに乗って世間に大公開である。普通に洒落にならない。
何となくラブコメ的な空気にするんだとしたら、ガチの犯罪は抑えた方がいい。まあ、いい年齢した『大人』が『ノゾキ』ってどうなんだ? と思わなくもないが。
そうして浮かんだプロットが、『男女四人で行った温泉旅行で、露天風呂につかる女性陣をのぞこうとする男性陣だったが、望遠鏡などの道具を事前に没収されていて断念した』、みたいな内容だった。
かなりコメディ要素に寄せたものの、生々しさをすべて消せたわけではなかった。やっぱり『大人』としての欲望が混じると、中高生と違って犯罪臭が強すぎたのだろうか。
まあくだらない内容ではあるものの、『1069文字』を時間いっぱいまで書いて燃え尽きたのだからよくやったと思っておこう。完結はしていないけど。
ラブコメとしてもネタとしても、割と弱いものができたとは思っている。ラブコメでありそうなアクシデント・イベントの一つを抜き出して描いただけなので。
盛り上がるところもさほどなく、あまりいい出来だったとは言いにくい。いつものように、書けただけマシだと思っておこう。
微妙な気持ちを引きずりつつ、二回目の『即興小説』について考えていこうと思う。
お題は『近い善』。この言葉からすぐに『一日一善』という四文字熟語が浮かんだので、それにまつわる何かを書こうかなと漠然と考える。
次に確認した必須要素(無茶ぶり)では『1000字以上』と、単純な字数制限だったのでとりあえず要素としては無視した。
実質『近い善』だけで話を作ることになったものの、『一日一善』から日常生活の善行を連想して、それについて書くと考えたらまだ気楽ではあった。
そうして書いていったのが、『人からの頼みを断れず「いい人」と評価を受ける少年だが、若干卑屈な考えから他人からの好意にも気づかない』、というまたもやラブコメ風の内容だった。
ラブコメ要素までは残念ながら書けなかったものの、『近い善』の部分は何とか書き切れたのでよしとしよう。
文字数は『1232文字』と、完結こそしなかったが結構な量を書くことができた。会話よりも主人公のモノローグ中心という、私にとってはいつも通りの構成である。
少し、というかかなり自分の思想も混じった話だったので、よけいに書きやすかった部類はある。ちょっと穿った視点だとは自覚がありつつも、そういう見方しかできないくらいには年をとったのだろう、と。
まあ、思春期に多い反発心と言われればそれまでだが。私は、まだそういうモラトリアム期のもやもやを抱えたままで、おっさんになってしまった悲しいおっさんである。
どうも年々、いろんな情報の捉え方が敏感になっている気がして、ぶっちゃけ十代と同じかそれ以上に過敏になっているようにも感じるくらいだ。
それが大人になりきれていない証拠のようにも思えて複雑な気分であり、基本的に小説=ラノベを書こうとしているからこそ精神が成長しないのかも、とあきらめも入ってきている。
自分が好きなものなので、今のところやめる気はない。書くのが苦しく感じることもあるものの、十年以上も飽きずに続けられているだけ上等だろう。
熱中できるものが一つでもあるのは悪いことではない。たとえ手が止まっても、熱量だけは絶やさないようにしていきたい。
そうそう完結が続くわけがないので、当たり前と言えば当たり前ですね。コンスタントに完結できたら、作家として一皮むけたと言えそうです。




