71回目 2019/5/25
何も思いつかないので、書いている時点での気分を書いてみます。
気持ち悪い感覚が、じんわりと、それなりに長く、続いている。
不快、というより、不安、といった方が適切か。
言いようのない、解消の方法がわからない、漠然としたモヤモヤが、私の中を漂っている。
無理やり言葉にするならば、『泣いてしまう一歩手前』を何度もいったりきたりするような、悲しくて切ない気持ち。
なのに、吐き出せない、無意識に飲み込んでしまおうとして、また表に出ようとして、とにかく、気持ち悪い。
ほんのちょっとのきっかけで、涙腺の栓がゆるみそうな、もどかしい感じにさいなまれる。
こういうときは、本当に何も頭に思い浮かばない。
理性的とは言えないが、感情的でもない、宙ぶらりんな精神の迷子。
たぶん、昔に作った心の傷をふさいでいたカサブタが、少しめくれたのかもしれない。
無力感とか、虚無感とか、絶望感とか、そんな感じだった、当時の何かを薄めたものが、頭を駆けめぐり、邪魔をする。
わかる――自分に後ろ指をさしている自分がいることが。
怠け者だと、役立たずだと、無価値なのだと、意味なんてないとわかっていながら、自分に対する否定を閉ざした口で叫んでいる。
目を閉じて、口を閉じて、耳をふさいでしまえば、その声は皮膚に遮られ、筋肉で跳ね返り、骨で形を削られて、私を生かす内臓に突き刺さる。
そんなバカみたいな妄想さえ、今の私には笑えない。
どうしようもない怒りが、自分へ湧く。
何もできない、変わろうとしない、変わることが怖いと甘ったれる自分に反吐がでる。
体だけが老いていき、心は今も置いてけぼり。
死にたいと思い、願い、望んだ頃に一度ひび割れた、曖昧だった十代の心のまま。
自分自身も『立ち直った』とごまかして、セロハンテープで補修した隙間から、黒い記憶があふれてこぼれる。
精神に負った傷は、根治が難しい。大なり小なり、一生引きずる苦しみとなることもある。
私は果たして、どうだろうか?
少なくとも、十年やそこらでは、くっついてくれないらしい。
最悪な気分だ。
自分を好きになれない自分に、嫌気がさす。
五月はいつも、私を責め立てる時期だ。
そしてもうすぐ、カビの生えた心をさらに腐らせる六月の梅雨がやってくる。
おそらくそこにあるのだろう悪循環は、今回もまた、断てないままだ。
思い出すと毎年こんな感じなので、もしかしたら私は五月~六月が苦手なのかもしれません。
一応は誕生月なんですけど……。




